港町フォルティーザ(5)
事件から一夜明け、街はようやく少しずつ落ち着きを取り戻しつつあった。
とはいえ、いまだ港周辺は封鎖されたまま、厳戒態勢下にある。結局、エレオノール号はほぼ全焼。焼け焦げた船体は港の大半を占拠しており、沖合に避難した船は港に戻れないでいる。
類焼した船や倉庫もあり、けが人も出ている。死者が出なかったのが幸いだったが、決して軽い被害ではなかった。
フォルティーザの支部から駆り出された調査班の面々は、港で残りのサンプルを慎重に進めている。
岩のような生き物はあれだけで、今のところ他には見つかっていない。ただし何が混じっているかわからず、危険だという理由から、残りの岩石サンプルもまとめて鉄箱にいれてた上で、いずれ沖合に廃棄される見込みだという。取れるデータだけは取っておこうと、アーノルドをはじめ鉱石の研究者たちは現地で必死の調査を進めている。
そんなわけで、目下のところ脅威ではない、――と、思われているルークたちのほうは、半分放置の状態なのだった。
だが、未知の存在という意味ではミズハのほうも、あの岩石と大差なかった。
ジョルジュから呼び出されたルークは、支部長室で、彼と二人きりで向き合わされていた。気を使って人払いしてくれたというよりも、港の後始末に追われて人手が足りないのが正解だろう。
「さて? 昨夜の件について、まずはあなたの言い分を聞きましょうか」
「…すみません。どう説明していいか、分からなかったもので」
対面に座るジョルジュは、苦笑して指を組んだ。
「そう素直に謝られると、後が続かないのですがね。」
「でも、言い訳させてください。おれが知っていたのは、ミズハが空を飛べることくらいです」
ジョルジュは、いつもの薄っすらと笑みを浮かべたような変わらない表情のまま、伺うようにルークの瞳を覗き込んでいる。久しく忘れていた、あの得体のしれない苦手意識が蘇ってくる気がして、ルークは思わず視線を逸らしそうになった。
だが、ここで信じてもらえなければ、ハロルドから託されたものを台無しにしてしまう。
「…彼女は、たしかに純粋な人間ではないですが、そのくらいならよくあることでしょう? 言葉は通じるし、人間として生活するのに問題ないはずです。それに、昨日は彼女のおかげであの騒動を収めることが出来たんですよ。」
「それは否定できませんね。ですが、なにか他に能力を隠していないとも限りません。…彼女の母親のことは?」
「母親?」
「ええ。報告のどこにもない、彼女の母親――何者です?」
曖昧な言い回しだが、問わんとしていることは明白だ。ルークは、慎重に言葉を選ぶ。
「わかりません。会ったのは一度だけですし、…ただ、とてもきれいな人でした」
「ほう?」
「ハロルドさんは確か、こう言っていました。"彼女を容易く「神」や「魔王」とは呼んで欲しくない"。」
ジョルジュは、何か言いたげに口を動かしかけたが、それを止めて、小さくため息をついた。
「――まぁ、いいでしょう。あなたもハロルドに厄介事を押し付けられた一人のようですから。確かに彼女は、我々と、この町を救ってくれました。ハロルドとあなたに免じて、信じることにしましょうか。」
「すいません…。」
ルークは、手元に視線を落とした。担任の教師に叱られた生徒のように肩を落としている少年の姿を見て、ジョルジュは、苦笑ともとれる微妙な笑みを作った。
「特殊申請は、今週中には通るでしょう。私の名前で出していますから」
「え」
特殊申請は、規定で定められた人間とは異なる能力を持つ知的生命体――人の形でないものも含む――に対して発行される、滞在許可のことだ。
「…我々としても、彼女が”普通の”人間ではないことを隠して滞在許可を出す事はできないのです。」
「はい、それは。だけど――、支部長の名前で、って」
「何かあった時は、私が責任を取るということ。それだけではありませんがね。ま、…」ジョルジュは、指先で眼鏡を押し上げた。「私としては、かつての同僚の娘の後見人になるだけですから。一人増えたくらい、大したことありませんよ。」
「……。」
ルークがここに来る前に申請を出しておいたということは、最初からそうするつもりだったということだ。つまりは、ルークに聞き取りをする以前から、結論は出していた。
やはり、この人のことは分からない、とルークは思った。
信用されているからこそなのか、それとも独自の情報網や判断基準があるからそうしているのか。時々、手のひらの上で踊らされているだけのような気分にもなる。一見冷たく見え、正体の分からない恐ろしさも感じるのに、時として予想している以上の好意と気遣いを見せてくれる。
かつての同僚だった祖母グレイスに恩義を感じているから良くしてくれているのもあるだろうが、それだけとは思えない時がある。
「さて、それではミズハのところへ行きましょうか。アネットが少し調査をしてくれているのです」
「調査?」
「行ってみればわかるでしょう。私も興味があります」
ミズハは支部に連れて来らてすぐ、別棟の研究室に連れていかれたのだった。嫌がるかと思ったが、本人は興味のほうが先立って、むしろ嬉しそうだった。なんとも呑気なことだが、それだけ人を疑うことを知らないのだろう。
だが、昨夜見せたあの力は、使い方を間違えば、とんでもない事態を引き起こす。それは、”協会”の恐れている、神魔戦争を再燃させる引き金にもなりかねない力だと、ルークは薄々と思っていた。
研究室に行ってみると、ちょうどミズハが空中に荷物を持ち上げさせられているところだった。
「これはどう?」
「重たいー。だめだよ、上がらない」
「そう。じゃあ、ここまでね」
手元の紙に結果を書き付けていたアネットは、研究室に入ってきた二人に気づいて振り返った。
「あら、支部長。それにルーク君も」
「アネット、すみませんね。人手が足りないとはいえ、こんなことまで頼んでしまって」
「いいえー。こういうのは、わたしが適役でしょうし、構いませんよ」
これでもアネットは、かつては研究員としてバリバリ働いていた元カウンセラーだ。結婚と出産で長らく休職していたが、知識や思考は衰えていない。職場に復帰してからはジョルジュの秘書を務めているが、自身が母親になったこともあり、子供の扱いにも慣れている。
「それで? どうでしたか」
「見ててください。ミズハちゃん、ちょっと降りてきて」
少女は、背の翼を軽く一振りすると、ふわりと音もなくアネットの側に降り立つ。ジョルジュは、この姿のミズハを見るのは初めてのはずだったが、驚いた様子はない。それとも、本当は驚いていて、表情に現れないだけなのかもしれないが。
「ほら」
アネットは、少女の背の翼に手を刺し通す。
「ほらほらっ。この翼、実体ないんですよ! 壁にぶつからない! 便利でしょう」
「ほう…」
ジョルジュは腕組みをする。
「ということは、これはアストラル体の一種、ですか…? 肉体の一部を変形させているのではないのですね」
「ええ。この翼は、彼女の出す鳥と同じものです。鳥のほうは、ほぼ独立した別の生物のように動きます。そこに一羽いますが」
と、アネットの指す方向、椅子の背もたれの上に、一羽の白い鳥が止まって、静かに羽根を震わせている。遠目には何度も見ていたが、この鳥を間近でよくよく観察したことはなかった。ちょっとした首の動き、翼の細部に至るまで、これでは確かに普通の鳥と区別はつかない。
「写真鑑定で新種の海鳥と判定されたのも、当然というわけですね。しかし、これは本当に――」
そう言ってジョルジュが触れようと手を差し伸べたとたん、鳥はぱっと光の残像を残して消えてしまった。羽根のように、光の粒が舞い散る。
「……。」
アネットは、くすくすと笑った。
「支部長のせいじゃないですよ。一定時間経つか、彼女が望むと消えてしまうみたいです。ただ、不思議なのは、アストラル体の場合は物体に干渉できないはずなのですが、この鳥のほうは物体を破壊することが出来ます。何か法則がありそうですね」
さすがはアネットというべきか、この短時間で、ずいぶんこの少女の持つ力の特性に迫ったようだ。
ルークは、足元に並べられた大小さまざまな小包に気づいた。さっきミズハが持ち上げていたのは、その中の一つらしい。
「これは?」
「持ち上げ可能な重量の実験をしていたの。彼女が持って飛べるのは、どのくらいの重量かって」
「そんなこと、……」
測ってどうするのか、と言いかけて、ふとルークは思い出した。あの、宙に浮かぶ大岩を浮かべている力…。
「どのくらいだったんです?」
と、ジョルジュ。
「えーと。だいたい五十ケルですね。ルーク君ひとりくらいなら連れて飛べそうですよ。」
「意外と軽いな」
「重いのは無理だよ!」
ミズハは頬を膨らます。「あたしそんなに力ないもん」
「…力って、腕の? 翼の?」
「……。」
少女は首を傾げた。
「ふむ、そこは確かに謎ですね」
ジョルジュは、面白そうに二人のやり取りを聞いている。
「ところで、その翼ですが――出しっぱなしで疲れたりはしませんか? 飛べる時間や距離に限界は?」
「んー、一日飛んでるとちょっと疲れるかも。でも飛ばなければ平気だよ。」
「そうですか。」
「ね、これって、まだ続く?」
ミズハは、翼を仕舞った。「そろそろ別のところ行きたいな。ちょっと飽きてきちゃった」
「おや。それは失礼、アネット。」
「じゃあ、一緒に博物館へ行ってみましょうか。ここの付属施設で、色んな動物がいますよ」
と、アネットはすかさず、子供をあやしつけるような口調で少女の肩を抱く。
「ルー君は?」
ルークが口を開くより早く、ジョルジョが彼の肩に手をおいた。
「すいません、彼はもう少し借りておきたいのです。」
「そっか…。後でまた会える?」
「もちろん。」
少女は疑う様子もなく、素直にアネットに手を引かれて行く。ルークは、怪訝そうにジョルジュを見上げた。
「あの…」
「申し訳ありません。今日一日は、アネットに彼女を観察させてください」
「…おれが、まだ何か隠してるんじゃないかってことですね?」
「そういうわけでは、ないのですが。今は微妙な時期なので」
あやふやで、意味深な口調。
ミズハたちが出ていったあと、ジョルジュは、アネットの置いていった記録を取り上げた。
「どうして、こんな調査をするんですか?」
「彼女が使っているのが"魔法"なのかそうでないのかを確認しておきたかったのです。」
と、ジョルジュ。
「あなたも知っているでしょうが、神魔戦争の時代より以前には、エーテルの力で何がしかの不思議を行うことは珍しくありませんでした。その力が枯渇してしまったからこそ今の世界になっているわけですが、世の中にはエーテルを集めやすいとか、自らエーテルを放出できるとかで未だ魔法を扱うことの出来る存在も、多少はいるようなのです。
しかし――、エーテルとは生命力のようなものだったと聞いていますから、一日中使い続けられるものとは思えません。彼女が使っているのは、どうやら旧世界の魔法とは異なる力のようですね」
「……。」
物を浮かせたり壊したりするのは、人間でも道具を使えば出来ないことはない。かつての時代なら、「魔法使い」と呼ばれた人々でも可能ではあった。しかし、もし、旧世界で知られていた力とは別の力を使っているとしたら、本質的な部分で人間とは異なる存在だということになる。
(…さすがに、人間じゃない、とは…言えないよな…。)
ハロルドの言ったことが言葉通りの意味だったなら、彼女はそもそもが母なる存在の「一部」であり、ハロルドに似せて作られ、ハロルドが人間として教育した、いわば「人間の似姿」に過ぎない。何しろ、初めて会ったときは完全に鳥の姿をしていた。
ミズハが人の領域から大きく外れる存在だと感じたとき、ジョルジュは、アネットはどう思うのだろう。
拒絶されることが怖かった。或いは、”協会”に危険視されることも。
ルークは無意識のうちに、ミズハの――人ではないものの側に立って考えていた。
けれど彼はまだ、そのことに気づいていない。
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