港町フォルティーザ(6)

 支部での聞き取りから開放され、ジョルジュと別れたルークは、送迎を断って徒歩で町に戻ることにした。

 ミズハはまだ戻ってきていないが、夕方には家まで送る、と伝えられている。心配ではあったが、滞在許可で便宜を図ってもらっている以上、わがままも言えなかった。何もないことを祈りつつ、彼は、少し遠回りをして市街地の中央通りに向かった。


 フォルティーザの街の中心をまっすぐに貫く中央通りは、最も交通量が多く、道の左右には店や宿が立ち並ぶ賑やかなところだ。

 普段は港に船が着くたび、客や荷物がひっきりなしに運び込まれる通りでもあるのだが、今日は港が閉鎖されていることもあり、いつもより閑散としている。

 町は、昨夜の船の炎上の話題で持ちきりだった。

 「聞いた? 協会の調査船が『闇の海』の向こうから未知の生物を持ち込んだって。」

 「やっぱり、海の向こうに手を出すのは時期尚早だったんじゃないのかねえ。何かあってからじゃ遅いっていうのに。」

 「海の向こうからくるものに、ろくなもんはないよ。何十年か前にさあ、あったじゃない。あの事件が…」

ヒソヒソ声は否応なく耳に届く。

 皆、海の向こうの未知なる土地を恐れているのだ。今回の、ルークの調査任務も、本部では根強く反対する者がいたという。


 ”闇の海”の向こうには、既に滅びた大陸がある。――


 この辺りに伝わる言い伝えだ。

 潮の流れのせいか、昔から、この辺りの浜には不思議なモノが打ち上げられる。嵐の後など、異形の巨大魚が流れ着くこともあった。だから漁師たちは、あまり遠洋まで出ることはない。

 人々は、海の向こうにあるのは人ならざる者たちが闊歩する呪われた大地で、人間の住む場所ではないのだと信じている。"神魔戦争"の時代より前には、海の向こうの大陸は魔神と呼ばれる存在が支配し、巨人が闊歩していた、とも。


 たったそれだけの迷信ともお伽話ともつかない言い伝えのために、海に乗り出し、ハロルド・カーネイアスの後を継いで空に浮かぶ岩の存在を確かめに行く者は二十年以上も現れなかった。

 いや、正確には居たのだろうが、許可が降りなかったか、無許可で挑んで帰って来なかった。


 伝説を抜きにしても、"闇の海"は、確かに危険な海ではある。風も、潮の流れも、一筋縄ではいかない。だが、未知の領域を探索しなければ、人はいつまでも、この大陸に縛られて世界の姿を知らないままになる。千年の戦いで何が起きたのか、百年前に終わったが何だったのかを、永遠に知らないままになる。

 いつかは、誰かが「太平の海」を越えて、その先の海まで征かねばならない。

 祖母のグレイスも、ルーク自身も、そのために「未開地学者」という職業を選んだのだ




 大通りの先までたどり着くと、ルークは、その先の港にも少し寄ってみることにした。

 入り口には警備が立ち、野次馬たちを厳しく追い返していたが、ルークは、フォルティーザ支部所属の未開地学者の身分証を出して通してもらうことに成功した。考えをまとめるためにも、少し昨夜の出来事を確認しておきたかったのだ。

 昼の日差しの中で見るエレオノール号は無残に焼け焦げ、見るからに酷い損傷状態だった。ところどころ、装甲板が剥げ落ちている。幸い浸水はしていないようだが、修復するにしてもそれなりの補強をせねばならず、この先しばらくは港の大半を占領し続けることになるのだろう。


 ちょうど、港の真ん中で木箱を開いてあれこれ弄くり回している学者たちの中に見知った姿があった。アーノルドと仲間たちだ。周囲を厳重警戒されながら、目の前のサンプルを調べている。

 「おっ」

集中しているかと思ったら、珍しくアーノルドのほうからルークに気づいて声を上げた。

 「ルーク!いいところに来たな!」

高く伸ばした手を、ひらひらと振って手招きする。「ちょっと来てくれ」

 調査班を取り囲んでいた人垣の一部が切れ、ルークを輪の中に招き入れる。

 「これ。」

言いながら、アーノルドは手袋の上に黒っぽい石のかけらのようなものを載せている。ひどく炭化して、今にも崩れてしまいそうだ。

 「何だ?」

 「昨日現れた謎の生き物の残骸と思われるものさ。ほら」

と、彼は港の抉れた場所を指さす。「あそこから拾い上げたんだ。」

 「……。」

抉れているのは、ミズハの鳥が空中から突撃をした跡だ。


 ルークはもう一度、アーノルドの摘んでいる炭のかけらのようなものを見やった。

 「本当にこれが、生物の残骸? ただの石じゃなくて? 動いていたようには見えないけど…」

 「だよなあ」

アーノルドは、ため息をつく。

 「だけど、これと同じものが港に散らばっていたから、きっとそうだと思うんだ。僕は避難中で、何が起きたのかよく見ていなくてさ。岩が動いたなんて、そんな大事件をこの僕が見逃したとは一生の不覚だよ。まさに」

ルークは苦笑した。

 「逃げ遅れていたら、その岩に襲われて酷い目に遭ってたかもしれないけどね。」

 「これじゃ何も分からないよ。せめてもうすこし原型が残っていれば…」

鉱物マニアの青年はがっかりした表情だ。

 確かに、容赦のない”壊し”方だ。よくよく見れば港には何箇所も、爆発したような穴がえぐられている。改めて、ミズハの”攻撃”の威力を思い知らされる。


 ルークは、アーノルドの仲間たちが広げている木箱のほうにも視線をやった。

 「残りの岩は?」

 「何も。ありふれた火山岩ばかりだ。これを持ち帰った調査員の話じゃ、海岸沿いの冷えた溶岩のあたりから拾ってきただけだとか。ああ、どう見ても無害なのに… これも全部捨てるなんて…」

彼は、未練がましそうな口調だ。

 「だからって、こっそり隠して持って帰ったりしないほうがいいぞ」

 「分かってる、ああ分かってるよ!町中で昨夜みたいなことになったら、僕の首一つじゃ済まないんだから。でも…」

眼鏡の奥で、青年の目が微かに燃えた。「何が起きたのか、少しでも手がかりを掴みたいんだ。」

 「…アル」

アーノルドは、いつになく真剣な顔でルークを覗きこんだ。

 「一つ手がかりがあるんだ。今は調査船が出払ってて、君くらいしか動ける船を持ってないんだ。頼む! この通り。確かめるのに付き合って貰えないか?」

 「確かめるって、…何を」

アーノルドはルークの肩を掴み、ぐいぐいと引っ張って物陰に引きずり込んだ。

 「このエレオノール号の船員の一人で、モーリス・チャックって爺さんがいる。航海が終わったら休暇取る、って途中で下船して航路の途中にある島に帰ったらしいんだよ。」

 「……。」

 「その爺さんが、家族への土産だって、いくつか小石を持ち帰ってたって船員に聞いてさ」

 「アル、…お前、まさか」

 「ルーク様神様仏様!」

呆れているルークの前で、青年は低頭平身、地面に額をこすりつけんばかりになっている。

 「仏って何だよ…」

 「東のほうで昔信仰された神様みたいなものらしいよ、ってそんな話は置いといて! この話、まだ本部には知られてないはずなんだ。どうせ廃棄されるなら、その前に先回りして確かめたいんだ。な、頼むよ! 君の船なら、先回りできるだろ」

 「出来なくはないけど…。」

 「もしその石が危ないものだったら、急いで知らせたほうがいいってのもあるじゃないか。」

 「物は言いようだな…」

 「たーのーむよー!」

アーノルドは、ほとんど泣き出さんばかりになっている。

 「そりゃあ…皆が未知の生き物や呪われた大陸を恐れてるのは分かってる。だけど恐れだけでは何も始まらない。命がけの航海で、せっかく持ち帰ったものが闇に葬られるなんて、僕は…。」

 「…分かったよ。」

根負けして、ルークは頷いた。

 「だけど、準備する時間はくれ。支部長に連絡もしないといけないし」

アーノルドの表情が変わるのを見て、ルークは慌てて首を降った。「告げ口するつもりじゃない。うちには今、預かってる子がいるから、その子のことだ」

 「僕は船で待ってる」

 「あとで行くよ」

まったく、アーノルドときたら、大好きな鉱石の研究となると見境がない。ルークは、呆れながらも笑っていた。石ころマニアの研究バカと笑われながら、自分の好きを押し通すアーノルドの生き方は、時に羨ましくもあり、どこか、祖母グレイスを思い出させて懐かしくもあった。




 帰ってきたばかりで嫌がるかと思ったが、ジャスパーは再出航におとなしく従った。ここのところ港が騒がしく、静かな外洋に出たかったようだ。

 港町フォルティーザを後にする「ハーヴィ号」の乗員は、船長のルークに、調査員アーノルド、そして…

 「…なんで、ここにいるんだ」

 「だって、お出かけするんでしょ?」

ミズハは、アネットに買ってもらったらしい新しいサンダルを履いた両足をぶらぶらさせながらキャビンの屋根に腰掛けている。


 連絡の行き違い、というやつだ。

 ルークが支部に連絡したとき丁度ジョルジュは不在で、支部の研究員に伝言を頼んでから家で準備をして船に向かった。

 ミズハはというと、予定より早く解放され家に送り届けられていたが、ルークがまだ帰宅していなかったのでジャスパーに会おうとハーヴィ号のある裏の波止場へやって来た。丁度そこにはアーノルドがいて、ルークと出かけることを聞き…、と、いうわけで、連れてくるつもりの無かった彼女が同行している。

 「いいじゃないか、女の子と一緒のほうが旅も華やかだし」

呑気なアーノルドは、まだ、昨夜の事件とミズハの結びつきを知らない。いい気なものだ。そのうち、真相を知ったら後悔するかもしれない。何しろ、アーノルドが泣いて調べたがっていた貴重な鉱石を消し炭に変えたのは、他ならぬミズハなのだから。


 そんな甲板の上の三人の様子を気にした素振りもなく、ジャスパーはゆっくりと、入江の外へ出るハーヴィ号の隣を泳いでいる。小さな船と並走して黒々とした海竜の姿が波間に見え隠れするのを、他所から来た船の人々は物珍しそうに眺めている。


 港近くは船の往来が多く、あまり速度は出せないが、ひとたび外洋に出てしまえばハーヴィ号の行く手を阻むものは何もない。船にとっても海竜にとっても、思い切り走れる草原同然だ。

 船が次第に速度を上げていくのに合わせて、黒々とした巨体をくねらせながら、ジャスパーも海面近くを素早く泳ぎ始めた。体の形に海水が避けて、海面に波が盛り上がる。

 「ジャスパー、南南西だ。岬をまわって、そのまま真っすぐ行く」

ルークの指差す方向へ、ジャスパーは首を巡らせる。そ動きを追うようにして、船も向きを変えた。先導役にジャスパーがいてくれれば、暗礁や危険な砂州に引っかかることもない。風を切り、ハーヴィ号は周囲の小船を次々と追い抜いていく。

 アーノルドは軽く口笛を吹いた。

 「さすがは、快速船ハーヴィ号!これなら、本部の先回りが出来るかもしれない」

 「だと、いいんだけどね。」

目的地の島は、大陸から海峡一つ隔てて小さな島の集まる南西諸島の中にある。フォルティーザからは並の船なら二日ほどの距離だ。


 だが、南西諸島のほうから見ると、最初の島から半日の距離に小さな港町が一つある。本部のあるヴィレノーザから司令が飛んで、その港から船が出ていれば、島まで先に着く可能性もある。

 「それで? どの島を目指せばいい。」

 「それが…。」

アーノルドは、突然しゅんとなる。「わからないんだ。」

 「ええ? 調べてないのかよ。…南西諸島言っても広いんだぞ。島はいくつもあるし、目的の船員が、どの島に住んでるのか分からなきゃ先回りのしようがないじゃないか」

 「でも…、いてもたってもいられなくてさ。」

 背を丸め、落ち込んだ様子の青年を見て、ルークもそれ以上は責められなくなった。


 実を言えばアーノルドとは、そう親しいわけではない。

 少なくとも、自分はそのつもりだ。知り合ったのもここ数年のことで、それほど昔ではなかった。

 両親とも"協会"に所属していて、そのツテで幼い頃から未開地から持ち帰られるサンプルの分析に携わっていたというアーノルドは、最初から生粋の鉱石オタクだった。初対面からして、「石にはこの世界の歴史が詰まっている」などと、熱っぽく延々半日も語り続けたくらいだ。

 あまりにも話が長いので、ルークは途中からまともに聞いていなかったが、最後まで付き合ってくれたと本人はいたく喜び、それからというもの、何かにつけて絡んでくるようになった。

 悪い人間ではないし、絡まれること自体は特にイヤというわけではない――、ただ無鉄砲なまでの熱意と純粋さに、危なっかしさを感じる時がある。

 そしてルークは昔から人付き合いというものが苦手で、友人とどう接すればいいかというものがよく分からないのだった。


 ”未開地学者”に必要な学位を取るためだけに通信制の大学を利用していて、一般の学校には通ったことのないルークには、他に友人と呼べる同年代はいなかった。年の近いアーノルドとも、どう接して良いのか、戸惑うことのほうが多かった。

 そんな彼がこの一大事に頼ってきたのは、ルークからすれば何か不思議なことのようにも思えた。友人とは呼べても、まだ親友ではない――少なくともそう思っているルークにとっては。




 目的の南西諸島へ付いたのは次の日の昼過ぎてからのことだった。

 思っていたよりも時間がかかったが、並の船の半分以下の時間で辿り着いたのだから、十分すぎるほど早い。船の最高速度に合わせて泳ぎ続けて、さすがのジャスパーも少し疲れた様子を見せている。

 「ごめん、あと少しだから」

ルークが船首から覗きこむと、ジャスパーは波間に顔を出して、力なく一声、鳴いた。


 低いところに雲が流れているが、空は快晴。風も殆ど無く、波は穏やかだ。目の前には、緑を乗せた島々が幅広く連なっている。

 「…さて。」

ルークは、腕組みをした。「どの島から回ればいいのやら。」

 「取り敢えず、どれか港のある大きな島へ行ってくれ。そこで聞き込みをしてみよう。地元の人なら、知っているかも――」

 「船員の名前は、モーリス…なんだっけ」

 「モーリス・チャック」

 「そう、その人。」

アーノルドの話では、エレオノール号は、未知の海域からフォルティーザに寄港する前、この諸島のすぐ側を通過する航路だったのだという。

 モーリス爺さんはこの辺りの島の出身で、一年にも及ぶ長旅のあと、少しでも早く家族に会いたいからと、通りかかった仲間の漁師の船に飛び乗って帰っていった、という。その数日後、エレオノール号が安全なはずの海域で全焼しようとは、途中下船した彼は知るよしもない。


 島の辺りは漁場になっているらしく、網を垂れる船があちこちに見られる。それぞれの島に家があり、島と島の間は、ほとんど歩いて渡れそうな狭い箇所もあった。

 「ミズハ」

 「なあに?」

のんびりと海を眺めていた少女が、振り返る。

 「どの島に行こうか。」

 「あたしが決めていいの?」

ルークは頷く。頼りになりそうなものといえば、彼女のカンくらいだ。 

 「そうだなあ…。」

ミズハは、あっさりすぐ目の前の島をさした。「近いし、そこかなー」

 「…まあ、手近なところから行くほうがいいよな」

見たところ、まだ協会からの船が到着している様子はない。ここまで大急ぎに急いだのだし、ジャスパーも疲れているはずだ。手近な島に錨を下ろすのは悪い選択ではないだろう。


 ルークが船を停泊させると、アーノルドはすぐさま桟橋に飛び降り、港で働く地元の人々のほうへ突進していく。

 「この辺りに悪いものは感じないか? 海鳥たちが何か言ってたりとか」

 「特に無いよ。何かあるの?」

 「いや、その可能性も…ってだけだ」

ミズハも、ひょいと船のへりから飛び降りる。ジャスパーは、目立たないよう船の真下の影に、するりと隠れてしまった。”協会”の支部のある町ならともかく、こんな小さな片田舎の港では、人に慣れた海竜は珍しいからだ。


 ルークは、船を降りる前に港を見渡した。周囲を見る限り、まだ本部から来たらしい船の姿はない。先回り出来たということだろうか。

 「おおい!」

向こうでアーノルドが手を振っている。

 「見つかったぞ。モーリス爺さんは隣の島だ!橋でつながってるって。こっちだ!」

ルークたちが来るのを待ちきれず、アーノルドは、転びそうになりながら、もう通りを駆け出している。よたよたと走っていく青年の後ろ姿は、少し滑稽でもある。島の人々も、くすくす笑いながら道を開ける。少し遅れて、ルークとミズハも後を追った。




 目的の家を含む集落は、狭い水路の上にかけられた浮き橋を渡ったすぐ先にあった。小さな入り江には、仕事を終えた漁船が並べられている。

 「こ、この辺りのはずなんだ。」

アーノルドはすでに息も絶え絶えで、眼鏡を外して汗を拭っている。普段研究室にこもっているから、全速力で走るほどの体力がないのだ。

 「聞いてみよう」

ルークは、すぐ近くの家の前で焚き火をしてゴミを燃やしていた老人に話しかけた。その間に、ミズハは、ポケットからハンカチを取り出して、汗を拭くようアーノルドに渡している。

 「アル」

しばらくして、ルークが戻ってきた。

 「はあ…はあ…。」

 「探していたのは、この人みたいだぞ」

 「はあ… えっ?!」

眼鏡をかけ直し、アーノルドは慌てて振り返る。

 こんがりと海焼けした、いかにも海の男風の逞しい老人は、火をかき回す手を止めて、怪訝そうに眼鏡の青年を見つめている。

 「なんじゃい、わしに用事というのは。」

 「あの、失礼、あなたがエレオノール号の船員だったモーリス・チャックさん?」

 「だった、じゃない。まだ定年になっとらんわ。」

モーリスは、むっとした表情で言いながら、屈めていた腰を伸ばして家の扉のほうへ歩き出す。

 「あんたら、"協会"の人間かね。」

 「そうです、フォルティーザから来ました。話せば色々とあるんですが…その、後から正式な依頼は来ると思うんですが」

 「回りくどいな。ちゃっちゃと話せ」

言いながら、家に入っていく。アーノルドは、モーリスを追った。ルークとミズハも、顔を見合わせ、後ろに続く。


 ようやく息の落ち着いてきたアーノルドは、とにかく単刀直入に、手短に事の次第を説明した。

 エレオノール号が全焼したこと。原因は積荷の鉱石の中に混じっていた未知な生命体ーのようなもの―であること。それらは危険として処分される。モーリスが土産として鉱石のいくばくかを持ち帰っていたことを聞き、調査した上で廃棄したい――ということ。


 話を聞き終えて、モーリスは首を振った。

 「…信じられんのだが、あのエレオノール号が燃えただって?船を降りたのは、ついこの間だというのに」

 「僕らだって信じられませんよ。鉱石から何か出てくるなんて誰も予想もしていなかった。でも事実なんです。その場にいたんですから」

 「…あの石が、ふむ」

モーリスは、若者たちにしばらく待っているように言い、二階に姿を消した。やがて戻ってきた手には、無造作に布に包まれた小さな石の塊が握られている。

 「わしが持ち帰ったのは、これだけだ。」

 「み、見せて貰えますか」

アーノルドは慌てて手袋をはめ、震える両手で大事そうに石を受け取った。光にかざし、透かし、じっくりと眺める。

 「うむむむ」

 「どうなんだ?」

 「見た目はどう見ても… どう見てもただの溶岩だ…。有機物には見えない…」

言いながら、ポケットから拡大鏡を取り出す。横から見ている限り、ルークの目にも、それはただの溶岩石の塊にしか見えなかった。表面によった皺は冷えた時に出来たものだろう。

 少し変わっているといえば、石の真ん中に異質な半透明の石が埋もれているというところだ。その部分は赤っぽく、明らかに地の石とは異なっている。

 だが、溶岩が冷えてできた石には、別の石が埋まっていることなど良くあることは、支部に保管されているサンプルを見ているから知っている。




 叩いてみたり、持ってきた試薬につけてみたり、小一時間も過ぎただろうか。

 ついに諦めて、アーノルドは石を手放し、テーブルの上に置いた。

 「何もないよ。これはただの火山岩だと思う。真ん中の石だけは成分が分からないけど…」

疲れた様子で、彼は手袋を外した。

 エレオノール号が持ち帰った石も、すべてが生き物に変わったわけではない。この石は、ただの石なのだろう。ルークもそう思った。

 「今回持ち帰ったサンプルは全て廃棄することに決まったんだろう。」

と、モーリス爺さん。

 「ええ。」

 「なら、本部の決定にゃ従わんとな。」

言いながら、モーリスは元通り布で石を包んで、家の外に出ていく。

 「土産のつもりだったが、仕方がない」

言いながら老人は、戸口でまだパチパチと音を立てて燃えている焚き火の中に包布ごと石を突っ込んだ。ぼっ、と音を立て、炎が石を包み込む。アーノルドは肩を落としている。

 「すいませんでした、急に押しかけたりして」

 「なに、何もないほうがいいんだ。それにしても、船が燃えちまったってことは… 船員たちは? 仲間たちは無事なのかね。修復には人手がいるんじゃないのかい」

 「その辺りの話は、追って沙汰が来ると思いますが――」

アーノルドとモーリス老人が戸口で話している間、ルークは、外に出て待っていた。


 きらめく水平線の向こうに、浮かぶ小船の背が見える。

 この島の住人たちは、昼間はほとんど海に出払っているらしく、低い屋根を寄せ合う家々の間は静かだ。家の前はすぐ海になっていて、いつでも船を漕ぎ出せるようになっている。この辺りには、あまり嵐がこないから、波打ち際に近いところに住んで大丈夫なのだろう。


 日は、既に天頂を過ぎている。島に近い港から出港していれば、"協会"からの報せを積んだ船はそろそろ到着する頃あいだ。面倒なことになる前に、島を離れたほうがいいかもしれない。

 「アル、用が済んだなら…」

言いながら振り返ろうとしたとき、側の焚き火の中で、ばちっ、と大きな音がして何がはぜた。

 「えっ…」

 「ルー君!」

振り返るより早く、ルークは突き飛ばされていた。「あぶないっ」

 砂地に勢い良く突っ込んだルークの頭上を、熱い空気が掠める。

 「ミズハ、何す…」

起き上がろうとしたルークは、袖が焼け焦げていることに気づいて、ぎょっとした。シュウシュウと音を立てながら、それは、さっきまでルークの立っていたあたりを転がりまわていた。赤く熱された石の塊が、少しずつほぐれながら形を作っていく。

 「うわ、わ…」

アーノルドは口に手を突っ込んで、言葉も出ない。

 「ど、どうして。さっきまで、ただの石、石だっ」

モーリスも絶句していたが、さすが年の功、すぐに正気を取り戻して壁に立てかけてあったスコップをむんずと掴んだ。

 「ええい、この!」

叩きつけようとする一撃を、石は転がって器用に躱した。尾のようなものが現れ、さらに両手両足が生えてくる。石の真ん中の赤い石が眼のように輝いて、まるで、トカゲか蛙のような格好になっている。

 あの夜、港で見た生き物とそっくりだ――。

 「貸してっ」

ミズハは、モーリスの手からスコップを奪い取る。彼女の動きは素早く、そして、的確だった。誰の思考よりも。

 「ていやー!」

一声とともに、彼女は誰も予想しなかった行動に出た。すなわち、石の生き物を側面からふっ飛ばして、海に叩き込んだのだ。


 またしても、一瞬の出来事だった。


 硬い音がしたかと思うと、黒い塊が円弧を描き――水しぶきとともに、ちゃぽん。という音。

 ジュウっと水蒸気を上げ、石は足掻きながら水の中に消えた。ルークでさえ、ぽかんとしたまま、動かない。

 「ちょっ…ミズハ」

 「熱いんでしょ?」

少女は、胸を張る。「冷やさなきゃ。」

 「そ――それはそうだけど」

言いかけて、ルークは、はたと気がついた。

 「…そうか。火が条件なのか! あの石が生き物の形になったのは、火の中に放り込んだ時だった」

砂を払いながら立ち上がる。

 「港にあれが現れた時も、船が燃えていた。…もしかしたら、熱が関係しているのかもしれない。」

 呆然としていたアーノルドの目が、眼鏡の奥で正気を取り戻す。

 「熱で、石から変化する生き物ってことかい?」

 「たぶん。」

ルークは、アーノルドの肩にぽんと手を置いた。「あとはアルの出番だ。」

 「あ、うん…。」

赤毛の青年は、ふらふらと波打ち際に近づいて波の奥に目を凝らした。

 「もしそうなら、あの石を探さないと。海水で冷えたなら、元に戻っているかも…」

岸に近い辺りは浅瀬になっている。探せば、きっと見つかるだろう。


 その時、甲高いエンジン音を響かせた小型の船が一隻、島に向かって来るのが見えた。

 新型の高速プロペラを積んだ船など、そうそうあるものでもない。間違いなく、本部からの伝令船だ。ハーヴィ号も快速船とは言われるが、あくまでそれは危険の多い内海や、速度の出しづらい岸伝いの航路においてのこと。持続的な速度なら、高純度のエーテル石と、エーテルを効率的に使える最新型のエンジンを積んだ新しい船には敵わない。


 ぐずぐずしていたら、鉢合わせになって面倒なことになる。ルークは、大急ぎでアーノルドに向かって言った。

 「おれたちは、先にフォルティーザに戻ってるよ。あとのことは、頼んだ」

波間で必死に石を探すアーノルドは、ほとんどろくに聞いていない。あとは彼の言い訳に任せることにして、二人は、島を後に、穏やかな海を元来た航路へ乗り出していった。




 波は、往路より少し高くなっているが、天気が崩れる気配はない。


 島はもう、はるか背後に遠ざかっている。急ぐ必要もない旅だ。ルークは、袖の焦げたシャツの燃えた部分を調べていた。酷い焦げ方をしているが、腕の皮膚は傷ついていない。あの時ミズハに思い切り突き飛ばされたお陰で、すんでのところで火傷せずに済んだようだ。

 「あの石、何だったんだろうね」

ミズハは、納得いかなさそうな顔で操舵室の壁に据え付けられた椅子に腰を下ろしている。

 「それは、これから調べるんじゃないか。」

 「生き物…なのかな?」

 「分からない」

上着を羽織りながら、ルークは首を振った。

 「動きは動物みたいに見えたけどね。もし、そうだとしたら――」

 白い波が船体で砕け後ろの海に尾を引いてゆく。陸地から離れて航行するハーヴィ号の周りには、他に船はいない。

 「あいつらは、遠い大陸から知らない土地に、無理やり連れてこられた、ってことになるのかな。訳も分からず、眼を覚ましたら閉じ込められていて…、もしそうだとしたら、暴れたくなるのも分かる」

 「考え過ぎだよ。」

ミズハは、あっさり言う。「あれは、そんな心なんて持ってないよ。言葉も通じないし」

 「…そうなのかな」

 「そうだよ。」

ルークは、キャビンの外に目をやった。

 「…ジャスパーの時も、そう言って反対されたって、グレイスは言っていた」

 「グレイス?」

 「おれの、お祖母さん。といっても、血が繋がってるのかどうかはよく分からないけど…この船の前の持ち主さ。君のお父さんほどじゃないけど、そこそこ有名な研究者だったんだ」

グレイス・ハーヴィは、未知な領域を次々と開拓し、数々の新種を発見し、その生態を解明した海洋生物学者だった。特に、人間にとっては驚異的な害獣とされていた海竜の生態については権威で、はじめてその飼育に成功し、海竜との共存を可能にし、人類にとっての益獣に変えた人物でもある。

 「白い海竜は大人しくて、飼いならすのはそんなに難しくはなかい。でもジャスパーと同じ黒い海竜は、凶暴で力が強くて、頭が良いぶん簡単には懐いてくれなかった。ジャスパーを町で育てようとした時も、一度暴れだせば殺処分するしかない、と、最初は反対されたらしい。」

 「なんで? お話すればいいのに」

 「おれたちは、きみみたいに海の生き物と話すすべを持ってないんだよ。でも、言葉が通じなくても、ジャスパーは、ただの獣じゃない、…だろ?」

 「……。」

 「見た目とか、言葉とかだけじゃ、分からないと思うんだ。おれは、全ての生き物には生きる権利があると思う。出来れば傷つけたくないんだ。もし、出来るんなら…」

少女の視線が、じっとこちらに向けられているのを感じる。語りながらルークは、次第に恥ずかしくなってきて頬をかいた。

 「いや、ミズハが悪いってわけじゃないんだ。今回は、その。仕方なかったし、あれがどんな生き物かはまだ分からないんだし…」

 口ごもっていると、少女は、ひょいと椅子から飛び降りた。

 「ルー君ってさ。優しいんだね」

 「いや…」

 「そういうとこ、お父さんに似てるかも。ふふふ」

笑いながら、少女は甲板に出ていく。船首から海の中を覗きこんで、ジャスパーに話しかけている。ルークは、なんとなく恥ずかしくなって奥の部屋に引っ込んだ。


 ”未知なるものと触れ合う時は、それらを受け入れる心が必要だ”


祖母は、口癖のようにいつもそう言っていた。自分は、どこまでその言葉に従えているだろうか。




 少し風が出てきた。


 船が大きく揺れたのに気づいて、船室にいたルークは窓の外に目をやった。三角の波の頭が白く見えているが、速度を落とすほど高くはない。遠くに見えている岬は、行きにも通った場所だ。航海は順調。航路も外れていない。壁に貼った海図に指を走らせる。

 何も気を引くもののない、平和な航海――のはずだった。

 だが、思いもよらなかった異変が、その旅の中に割り込んできた。


 突然、机の中からブブブブ、と小さな振動音が響いてきたのだ。

 ルークは弾かれたように椅子から立ち上がり、引き出しを開ける。音をたてているのは通信機だった。振動で、特徴的なリズムを繰り返している。ネジを巻かずに蓋をあけると、蓋の裏側の魔石は、ふだん通信する時とは違う色に輝いていた。

 「何?どうしたの?」

キャビンにいたミズハが顔をだす。 

 「救難信号だ。この近くにいる」

振動は、繰り返し続いている。ルークは壁にかけてあった双眼鏡を掴み、はしごを登って船室の屋根からあたりを見回した。救難信号に応じるのは受信したすべての船の義務だが、それ以上に、生命の危険にあるかもしれない船を放っては置けない。

 「誰か遭難してるの?」

 「ああ。あの信号は、緊急時に通信を全周波帯に向けて出力してる時のものなんだ。広域通信が届く範囲は、半径二ケルテ。そう遠くはないはずなんだけど…」

 「探すの、手伝おうか?」

一瞬迷ったが、緊急事態だ。目立つからいけない、などと言って居られない。

 「頼む」

その返事とともに、ミズハは、すっと背に翼を広げた。と同時に、彼女の周囲に白く輝く海鳥の群れが現れる。

 少女が視線をやると、鳥たちは微かな羽音を立てて海風の中を四方に散ってゆく。

 「探してくるね」

そう言って、本人も甲板を飛び立つ。


 ルークのほうは、双眼鏡を手に波間に目を凝らした。

 近くに船の姿は見えない。ここから見えないとすると、沖合いの、ぎりぎり通信が届く辺りかもしれない。

 彼は船首まで駆け下りて、海面に向かって叫んだ。

 「ジャスパー」

海竜が、黒い頭をもたげる。

 「どこかに遭難者がいる。おれは船をもう少し沖合いに出すから、お前も探してくれ。」

船が近づけば、救難信号の強さは変わる。船室に戻り、石の輝く色を確かめた。しかし、振動はさっきよりずっと弱まっている。通信機の出力には限界がある。最大出力のまま一定時間をすぎると途切れてしまい、しばらく経たないと復活しない。あるいは、最悪の場合だが、既に船が沈みつつあり、水面からの距離が遠くなっている可能性もある。


 嫌な予感が頭をよぎった時、頭上に羽音がした。

 「見つけたよ」

ミズハの声だ。ルークは、甲板に駆け出した。「どこに?」

 「あっち。案内するよ」

くるりと弧を描いて向きを変え、ミズハは波の上を飛んでいく。ジャスパーがその後を追う。


 まもなく行く手に、波をかぶって傾き、半ば沈みそうになっている小さな漁船が見えてきた。ミズハの海鳥たちは、その上に集まって旋回している。

 「中に誰かいますか?」

船を寄せ、甲板に向かって叫ぶが、返事はない。船体は脇腹を何かにえぐられて、ひどく傷ついていた。大きな凹みと、鋭く抉れた、三本の傷あと…。

 「ルー君、ここ。」

ミズハが先に甲板に降り立っている。彼女は屈みこんで、倒れていた人物を支えて立ち上がらせた。船の持ち主だろうか、壮年の船乗りが一人。頭を押さえている。転んで打ち付けたのか。

 「大丈夫ですか? 怪我を?」

 「ああ… ちょっと気を失ってただけ…」

 「こちらへ移ってきてください。船が沈みそうなんです」

ジャスパーは、ハーヴィ号の船体を横から押して、目一杯まで相手船に寄せた。ミズハとルークが怪我人を支えて、船の間を渡した板を渡らせる。

 助けに入ったのは、本当にぎりぎりのタイミングだったらしい。

 ちょうど板を渡り終えたその後ろで、船は傾き、ゆっくりと波間に船体を浸していった。




 男は、額に切り傷と大きな瘤を作っていたが、それ以外に特に大きな怪我もなさそうだった。他に船員はいないという。ひとまず救出はこれで終了だ。

 「すぐに港に戻ろう」

海図を確認する。ここから一番近い港は、母港フォルティーザだ。

 「ジャスパー。疲れているところごめん、急ぎでフォルテに戻る必要が出てきた。怪我人がいるんだ」

海竜は頷いたが、何処か普段とは様子が違った。用心するように周囲を何度も見回し、不安げに潮を吹き上げる。ミズハが反応し、眉をひそめる。

 「…何かいるみたい」

 「調べるのは、後だ」

言いながら、ルークは、波間に姿を消しつつある船の脇腹に刻まれた、特徴的な三本の傷跡をしっかりと目に焼き付けた。岩に衝突した跡でないことは明らかだ。この辺りに暗礁はない。


 船を発進させながら、ルークは手早く、同じ広域通信で「救助終了」の信号を流す。付近を航行する他の船に、救難信号にこれ以上反応する必要はないと知らせるためだ。そして、フォルティーザの港に向けて、これから怪我人を連れ帰る旨の通信を行う。

 現場を離れながら、彼は、船体の傷跡を脳裏に思い浮かべていた。

 よく似た傷跡を、ずっと昔の写真で見たことがある。未知な生き物に、この辺りの海で船が無差別に襲われた事件。ある時ぱったりと被害が途切れ、事件は未解決のまま収束した…はずだったのだが。

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