港町フォルティーザ(3)
それからの数日は、めまぐるしく過ぎていった。
仮の滞在許可は無事に発行されたものの、ミズハの身柄は一応は支部の預かりということになっており、監視員という名目でルークがついていなければならなかった。町へ出る許可は得ても、入境手続きは仮の状態で止まっている。
それというのも、支部は今、まもなく入港するという大型の調査船「エレオノール号」の受け入れ準備に追われていて手が回っていないからなのだった。
エレオノール号は、"協会"が所有する中で最も大きく、推力も高い最新鋭の調査船だ。
ルークが"霧の巣"へ向かうのとほぼ同時に出港し、"闇の海"の果てを調べるため海を渡る長距離航海に出ていたのだった。それが、使命を果たし帰還する。ついに、海の向こうの未知の大陸に辿り着いたのだ。
それだけでも大きなニュースだが、船は、短い滞在の間に採取した鉱石などいくつかのサンプルを持ち帰るのだという。未知の大陸からの持ち込みともなれば、検疫所が気合を入れて万全の態勢で望むのも当然と言えた。
そんなわけで、あれ以来、ジョルジュとも会えておらず、特に連絡もないまま、のんびりとした日々が過ぎていた。
祖母から譲り受けたルークの家は、町外れの海を見下ろす丘の上にあり、海沿い通りから坂道を登った先にある。
一見して太い丸太の中をくり抜いたような変わった構造になっていて、内部は螺旋階段に沿って部屋が配置されている。玄関を入ると台所と居間があり、二階にルークの部屋、三階は客間だがほとんど使っていない。
三階まで吹き抜けの内部は、まるで塔のようだ。塔をぐるぐると回りながら上昇する階段の脇の壁は、びっしりと本の詰まった本棚。海側に大きく開いた窓とテラスからは、海がよく見えた。
ルークは、二階の、かつて祖母の書斎だった部屋を使っていた。
今ではそこが彼の部屋であり、この家で過ごす時間の大部分を担う場所だった。
テラスを背に、祖母が使っていた書斎机。書架はそのままだし、飾りも手を入れていない。変えたことといえば、ベッドを部屋に運び込んだくらいだ。
この部屋が一番日当たりがよく、海が眺められる。それに、滅多に家に帰らないのなら、使う部屋は少ない方がいい。広すぎる書斎にベッドを置けば、ベッドルームも兼用になって楽だと思ったのだ。
半年ぶりの我が家。
ルークは、うっすらと埃をかぶった机の上に飾られている三つ折りの写真立てを眺めた。そこには、かつて祖母が健在だったころから飾られたままだった写真がある。
真ん中には、他界する何年か前の祖母の姿。灰色の髪をきっちりとまとめあげ、濃い色の探検服に身を包んで、歳を感じさせないほど、しゃんと背を伸ばしている。左脇には若かりし日の祖母と未開地学者仲間たちの写真。右脇は、空っぽだ。
「ただいま、グレイス」
呟いて、彼は真ん中写真をそっと撫でた。
それから、荷物の片づけと、しばらく使っていなかった部屋の空気の入れ替えや掃除のために動き出した。
部屋は余っているからどこを使ってもいい、と言ったのだが、ミズハは、ルークの部屋の向かいの部屋を選んだ。同じく海側の部屋で、風通しのよいテラスに面している。
戻ってきてからというもの、彼女はずっとそこで本を読んだり、壁に飾られている標本を眺めたりして楽しんでいる。おとなしくしていてくれるのは良いが、ルークにとっては拍子抜けだ。
あまりに静かなので心配になって、ルークはミズハの篭っている部屋をノックしてみた。
「ミズハ?」
返事がない。
「いま何をして…って、うわっ」
ドアを開けたとたん、ものすごい羽音がして部屋中に海鳥が舞った。開け放したテラスの窓の外、びっしりと一直線に海鳥たちが並んでいる。
「な、」
少女は床から立ち上がり、慌てて手をふった。
「大丈夫、怖くないよ?」
「いや怖いとかじゃなくて。部屋に鳥を入れちゃだめだろ、汚れるし」
「ごめんなさい」
少女は部屋にいる鳥たちに向かって何か指図した。
聞こえない声。
鳥たちがその声に従ってテラスへ出ていく。
「これでいい?」
「いい、けど…。」
一体、何をした?
「お話してたの」
ミズハは、首を傾げながら言う。「この町のこと。この海のこと。もうすぐ大きな黒い船が来るって」
「船――」
エレオノール号のことか。
確かに近くまで来ては居るはずだが、その話はミズハには、していない。聞かれた記憶もない。それに彼女は、ここ数日、ずっと家の中に居て他には誰とも話をしていないはずだ。
まさかと思いつつも、ルークは、慎重に尋ねた。
「鳥の言葉が、分かるのか?」
「分かるよ。鳥だけじゃなくて、海の言葉――海に住む生き物の言葉なら。」
「ジャスパーの言葉も?」
「うん。あの子も同じ言葉で喋ってる。」
海の言葉というのがどんなものなのかルークには分からなかった。聞いたこともない。だが、少なくともミズハは現に今、それを操って海鳥たちと会話出来ているらしい。
「その大きな船、今どこにいる? もう港に入りそうなのか」
「うーんとね」
少女が何か問いかけると、鳥たちは口々に鳴き声をあげた。十数羽の鳥たちがいっせいに喚いているのに、不思議と騒音のようには聞こえない。
「…うん、もうすぐ着くよ、って。だけど…、あんまり良くないかもって」
「良くない?」
「船の周りで風が軋むって。どういう意味かは分からないけど…」
と、一羽が一声、大きく鳴いて翼を広げた。他の鳥たちも一斉に飛び立つ。
「あ」
ミズハは、テラスに乗り出して海のほうを指さした。「あれ」
ちょうど、水平線に黒い大きな船が姿を現すところだ。
調査船「エレオノール号」だ。ハーヴィ号のある裏手の桟橋ではなく、岬を回り、正面の港に向かっている。奥の桟橋に横付けするには大きすぎるためだ。
「すごい船だね」
「うん。あれより大きい船は、大陸全体でも数えるほどにしかないはずだ。あの船は、海の向こうを目指すために作られたんだ。」
「海の向こうって?」
「ミズハの住んでた島よりも、もっとずっと向こうかな。"神魔戦争"が終わってから誰も行ったことがなくて、まだ人が住んでるのか、今も陸地があるのかすら分かっていなかったんだ」
「へえー」
少女は目を輝かせた。「いいなあ、行ってみたい。ルークは行かないの?」
「興味はあるけど、…難しいよ。”闇の海”の大部分は海流が激しくて、ハーヴィ号じゃとても越えられない。波の穏やかなところを通れればいいんだろうけど…。海流も風向も未知な部分が多くて、まずは航路を開拓しないと。」
「じゃあ、あの大きい船はどうして大丈夫なの?」
「船が大きくなると波に強くなるんだよ。耐波性能って言って、…」
何かひとつ説明しはじめるとミズハの質問は止まらない。
そうしているうちに、ルークは、初めに聞くつもりだった質問を忘れてしまっていた。ミズハの言っていた、”軋む風”のことも。
だがそれは、本当は注意して聞いておくべき予兆だったのだ。
事態が急変するのは、その夜、町が寝静まってからのことだった。
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