港町フォルティーザ(2)
ジョルジュと話しながら最初に訪れたのは、地理部の調査室だ。
そこでは、ルークの知己でもある鉱物学者のアーノルド・ウォーレンが今か今かと手ぐすね引いて待っていた。
「やあルーク! お帰り、待ってたんだよ~」
満面の笑みを浮かべながら大げさに抱きついてくる、赤毛にそばかすの青年。年はルークとそう変わらないが、こと鉱石にかけては世界でもトップクラスの見識を持っていると評判だ。
彼が、鉱物の検疫担当なのだ。
「アーノルド、急ぎでルークの持ち帰ったサンプルを確認してもらえますか。」
「もちろん!」
ルークが荷物の中から島で採取した砂を取り出すと、アーノルドの灰色の目が、分厚い眼鏡の奥で輝いた。本気になった時の目だな、とルークは思った。普段は眠っているのか起きているのかよく分からない顔つきで、事実、人に話しかけられても気づかないくらいぼーっとしていることが多いのだが、興味を持った何かに食らいつくときは脅威の集中力を見せ、数日眠らなくても平気なくらい熱中する。
「すごい、これが空に浮かぶ大岩の欠片…! ああ…なんて美しい…」
「落ち着きなさい、アーノルド。サンプルは逃げたりしませんよ」
ジョルジュは、苦笑しながら部下をたしなめる。
「だって、伝説のあの大岩ですよ? この二十数年、誰ひとり再発見することも出来なかったんですから! これを調べれば、岩そのものの成分に未知な所があるのか、それとも岩の成分は既存のもので、何か外部の力で浮かんでいるのか推測出来ますよ。それから、目算での大きさと密度から、あれの重量がいくらなのかも出してみたい。…むう、しかしこれは見覚えのある見た目ですね。エーテル石の輝きと似ているような…」
趣味と実務を兼ねた重度の鉱石オタクでもある彼は、普段は人とろくに話もできないというのに、石の話になるととかく別人のようによく喋る。
「アル、それはいいけど、ちゃんと荷揚げの許可証のほうも作ってくれよ。でないと、船にある残りのサンプルも持ち込めないんだから」
「残り?! まだ他にあるのかい?」
「ああ。島の何箇所かで採取したし、海底の砂も、だからまだ幾つか…」
「うおーーー」
アーノルドは雄叫びを上げて、猛然とした勢いで机に向かって書類を創り始めた。部屋の前を通りかかった人が何事かと覗きこむ。ルークは手で耳を抑えながら首を振った。
「いつもの発作ですね、これ」
「ええ…。検疫のほうは進みそうですが、この分だと、また倒れるまで調査してそうですねえ。」
苦笑しながら、ジョルジュは、腕時計に目をやった。
「さて。こちらは彼に任せるとして、そろそろミズハさんのほうの様子を見に行きましょうか。彼女は生物検疫のほうにいます。」
「アネットさんも一緒なんですよね」
「ええ、検疫所についていきましたよ。」
生物検疫は、すぐ隣の建物で行われているはずだ。アーノルドをその場に残して、ルークたちは、渡り廊下から別の建物のほうに向かった。
生物の検疫所は、支部の陸側、搬入口のすぐ近くにある。
いかにも清潔といった雰囲気の真っ白な建物で、未知の病原体や外来生物が漏れることを防ぐため、出入り口はすべて三重の扉になっている。出入りの際、減圧室を通らされるのが少し面倒くさい。
消毒の儀式を経て中に入っていくと、ちょうどロビーで、アネットとミズハが談笑しているところだった。ルークに気づいて、ミズハがぴょんと立ち上がった。
「ルー君!」
アネットの見立てだろうか、ミズハは、町の服に着替えていた。そうしているとますます、ごく普通にいる少女のようだ。
少し落ち着いた色合いの短いキュロットパンツに、年頃の女の子が着るような袖にプリーツの入ったブラウス。白いリボンで髪を結んでいる。アネットの様子からして、ミズハは島の調子で飛び回りはしなかったようだ。ルークは、ほっとして胸をなでおろした。来ている服がスカートではないのも安心できる。
「どうですか? うちの妹のお古なんですかけど。似合います?」
と、アネット。
「なかなかいいじゃないですか、アネットさん。ご苦労様です。さて、彼女はもう連れ出しても問題ないでしょうか?」
「ええ、簡易検査は終了しました。ただ、仮の滞在許可が手続き中ですので、もうしばらく敷地内から出ないようにお願いします」
ジョルジュは頷いて、ルークのほうに向き直った。
「そういうことのようです。ルーク、彼女のお相手はお任せしますよ」
「敷地内で待ってればいいんですね」
「ええ。遅くても、夕刻までには許可証が発行されるはずですから」
多忙な支部長を、これ以上独占するわけにもいかなかった。ルークが礼を言うと、ジョルジュとアネットは足早にその場を去っていった。
ミズハは、新しい服に興味津々のようだ。
「ねえ、これって何でできてるのかな? 木の皮とかじゃないよね」
「それは―― うーん、植物の繊維なのには違いないと思う。検査は、どんなことをされた?」
「背の高さとか、体の重さとか量るって言ってたかな。面白いの、魚の重さならともかく、あたしの重さなんて、どうするんだろ。ねえ?」
ルークは、苦笑した。本当に簡易検査しかしていないのだ。
それだけ彼女がごく自然に振る舞っているせいなのだろうが、隠し事をしているようで、ルークは少し心が傷んだ。事前に少し変わったところもある、とは報告しておいたが、…いったいどのタイミングで、どう説明すればいいのだろう。
そんなルークの悩みなど知らず、ミズハは初めて見る世界に大はしゃぎだ。
「ねえねえ、あれは?あっちにある建物って何? 見に行ってもいい?」
「騒ぎすぎだぞ」
「だって面白いんだもの。あ、あの動物、何だろう!」
「こら、走るなって――」
旅の疲れを癒す暇もなく、夕方までは、気の抜けない時間が続きそうだった。
「――で?」
窓の向こう、走り去っていく少女を追いかけるルークの姿を見送りながら、ジョルジュは眼鏡を押し上げた。「いかがでしたか、彼女の様子は」
「はい、全て正常値でした。身体機能、外見上の特徴、及び知性については一般的な人間そのもの。特に変わった点はありません」
答えているのは秘書のアネット。二人の間の机には、服を着替えさせる際に行った身体検査の内容が記録されている。
「強いて言えば、視力・聴力は並の人間よりは上ですね。身体能力全体が平均よりやや高めのようでした。それも、ただ絶海の孤島で生まれ育ったなら不思議はない程度の範囲です。」
「彼女はハロルドの娘で間違いないでしょうか」
「遺伝子解析の結果をもって裏付けをとりますが、ハロルド本人がそう主張し、よろしくと言ってきている以上は、そう考えるべきでしょう。また簡易検査の特徴からしても、血液反応からみても、肉体上は完全に人間です。年齢も、見た目通り十二か三、といったところかと」
ジョルジュは、ため息をついてアネットにも聞こえないよう小さく呟いた。
「…同じですね。あの時と」
船が港に到着してまだ何時間も立っていないが、支部長命令として大至急の調査を依頼した優秀な解析班からは、ルークの持ち帰った資料の解析結果が次々と上がってくる。
ハロルドがルークに託して寄越したものは、島の正確な測量地図と植生や海洋生物の生態に関する記録、航海日誌の一部、"霧の巣"の観察記録、雲や風の流れなど多岐に及ぶ。しかしその中に、島の住人に関する記録は存在しない。
入れ忘れたとは考えにくかった。
またルークの報告からも、島の住人について何も聞かされていないのが、引っかかっていた。
子供が生まれるには男女一対の存在が必要だ。父親はハロルドだとしても、母親は…。
未知なる島から連れてこられた少女。自らは帰還せず、娘だけを寄越したハロルドの意図は掴みかねた。
何も意図がない、とは考えていない。ハロルド・カーネイアスのイタズラ好きな、そして常人の想像の域を超えた性質を、ジョルジュ・アミテージは知りすぎるほど知っていた。
「しばらくは、彼らから目を離さないで下さい。危険は無いと思いますが、潜在的な脅威とならないことを祈っています」
「分かりました。」
アネットが出ていき、後ろで静かに扉が閉まる。ジョルジュは口元をキツく結んだまま、まだ窓の外を見ていた。
何かを思っているらしい男の手元には、ルークが持ち帰った、かつてハロルドの使っていた古びた通信機があった。
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