港町フォルティーザ(1)
あらかじめ連絡してあった入港予定日通りに、ハーヴィ号は、出発地点である港に帰り着いた。
大陸の南端に位置する港町フォルティーザ。およそ半年ぶりに見る懐かしの
付き出した岬の上には見慣れた灯台。翼の先の黒い海鳥たちが、ミャウ、ミャウと声を掛けあいながら滑空する。
行き交う小さな漁船の間を、海竜の長い体と、同じくらいの大きさの船が並んで進む。海竜の姿を見ても誰も驚かないのは、この港では見慣れた光景だからだ。
陸が見え始めてからというもの、ミズハはずっと騒ぎっぱなしだった。見えるものすべてが物珍しいようで、あれは何、これは何とひっきりなしに質問してくる。おかげで、港にたどり着く前には、ルークは疲れきっていた。
それでも、目立つから(そして倫理上よろしくない見栄えになることからも)いきなり飛んではいけない、ということだけは、どうにか納得してもらえて、そのお陰で少女は今も、一足飛びに陸地を見に行きたいのを我慢して船首でウズウズしている。
「陸に着いても、勝手に船を降りないでくれよ。迷子になったら困るし」
「えー、どうしてー」
「ここは島じゃないんだから、一周して戻ってくるなんて出来ない。人だってすごく多いんだ。おれと会えなくなったら困るだろ」
「それは…、うん…。」
しょんぼりして、ミズハは頷いた。
世間知らずで無邪気ではあるが、聞き分けはある。幼すぎるわけでもない。
ただ、一般的な「常識」を知らなさすぎるのだ。もっとも今は、それが最大の問題なのだが。
ルークは船を操って、港の奥の、他に船の停泊していない小さな専用波止場に船を横付けした。
ここは、フォルティーザの"協会"支部専用の港で、一般の漁船や貨物船には使われない。ルークの所属するフォルティーザ支部は、海に面しているために特に海洋調査や闇の海に絡む事案に対応することが多く、今回の"霧の巣"の探索などは、まさしくその一つだ。
"協会"の本部はもっと内陸にあるヴィレノーザという町にある。いつも調査航海中に通信している、通信技師のエリザのいる町だ。
「着いた? もう降りていい?」
「ちょっと待って。荷物を…」
「ルーク!」
その時、桟橋のほうから呼ぶ声がした。窓から外を見ると、灰色のコートの男が手を上げている。
「ジョルジュさん?!」
ルークは慌てて、荷物の整理もそこそこに桟橋に飛び降りた。ルークの直属の上司であるジョルジュ・アミテージ、フォルティーザ支部の支部長だ。その、多忙な支部長自らが出迎えに来るとは思ってもいなかった。
ジョルジュは支部長という肩書きのわりにはまだ若く、ようやく壮年に達したところ、といった外見だ。背が高く、夏も冬も飾り気のない質素なコートを愛用しているおかげで実際よりも細身に見られがちだが、かつて第一線で活躍していた未開地学者だけあつて、実際はかなりがっしりした体格の持ち主だ。
ルークが駆け寄っていくと、ジョルジュは、後ろに秘書のアネットを従えてにこやかな、しかしどこか他人行儀な笑顔を見せた。
「元気そうで良かった。一時、連絡を絶ったと本部から知らせを受けた時は生きた心地がしなかったものですが…」
「ご心配をおかけしました。おかげ様で無事です。でも、それだけですか?」
「なに、あなたが無事に戻っただけでも十分な理由ですよ。それに内容を聞いて、これは私が出迎えるべき事案だと思ったものでね。」
男は、抜け目のない視線をちらとルークの後ろに向けた。
「こちらが、例の彼女――ハロルドの娘、ですか?」
「ええ。ミズハです」
「あたし?」
ミズハは首を傾げ、不思議そうに長身の男を見上げる。
「はじまして、ミズハ。私はジョルジョ・アミテージ、ルークの仕事上の上司です。早速ですが、この町を含むこの大陸は国家連邦の保護下にあり、君はその外側から来ました。従って、この国での住民権を持たないあなたには、検疫と滞在許可の手続きが必要になります」
ミズハは、きょとんとしている。
「船で説明しただろ。検疫だよ。簡単に言うと、君が安全だってことを保証してもらわなくちゃいけない。町を見て回るのは、その後だ」
「えー?! お散歩、できないの?」
少女が頬を膨らますのを見て、ジョルジュは苦笑した。
「まあ、まあ。すぐに終わりますよ。それより、あなたにはまず、ちゃんとした服が必要だと思います。ここでは、その格好では少し問題がありますからね」
男は、後ろの秘書のほうを視線で指し示す。なるほど、そのために女性のアネットを連れてきたのか。
「ようこそフォルティーザへ。ミズハちゃん。可愛い服、みつくろいましょうね」
何も聞かされていないらしいアネットは、普通の少女の接するように優しく語りかける。ジョルジュは秘書に向かって小さく頷き、後を任せた。ミズハはアネットに手を引かれ、町のほうへ去っていく。
「あとはアネットがよしなにしてくれるでしょう。なかなか可愛い子じゃないですか。それに…」ジョルジュの表情が少し陰った。「ハロルドに、よく似ていますね」
支部長になる以前、まだ若かった頃のジョルジュは、ハロルドとは同僚の関係だったと聞かされていた。
「すいません、本人を連れ帰れなくて」
「いいえ。あなたから話を聞いて、むしろ納得しましたよ。彼のことです。まだ調査したい何かがあるんでしょう。それほど魅力的ということですね、その島は」
「…ええ」
「本部に戻ったら、ゆっくり聞かせてもらいましょう。向こうに車を待たせてあります」
頷いて、ルークは船に荷物を取りに戻った。
ミズハが「何者」であるかは、ジョルジュにも正確には伝えていない。
ただ現地女性との"ハーフ"であるため、多少変わった特性を持っていること、海竜のジャスパーを簡単に手名づけるなど、未知の能力がある可能性も考えられる… とは、伝えた。
空を飛んだり、鳥に変身したりしなければ、見た目は普通の女の子と変わらない。いきなり入国拒否をされることもないはずだ。
ハロルドから預かった調査報告書のほか、身の回りの荷物などを取りまとめて船を降りる。
ジャスパーにはいつものように、勝手に海のほうへ泳ぎだしていく。彼にとっては港が自宅のようなものだ。久しぶりに馴染みの海でゆっくりしたいはずだった。
「途中で送った画像は、うまく届きましたか」
ジョルジュと共に車に乗り込みながら、ルークは尋ねた。
「もちろん。素晴らしく撮れていました。あんなものが、この世界にあるとは――」
送ったのは、島を離れる時に見えた、青空を背景に浮かぶ巨大な岩と、飛び交う白い鳥たちの写真だった。
実際に目にした者でなければ、そんなものがこの世に存在するとは信じがたい。ハロルドの調査報告書を収めたナップサックを抱きしめながら、ルークは今更のように、あの島で見たものの不思議を思った。
「その様子だと、色々あったようですね。」
「ありすぎました。今回はちょっと」
「だろうと思いました。次の調査依頼は、少し先にします。しばらくは休みを取るといいでしょう。」
ジョルジュの声色は優しく、単なる上司にしては意味深な響きを持っていた。
それもそのはずで、仕事上は上司と部下の関係だが、私生活で言えば、ジョルジュはルークの後見人でもあるのだった。
数年前、唯一の家族だった祖母が他界した時、ルークはまだ未成年で、法的に独り立ちできる年齢には達していなかった。その彼の親代わりとして、祖母が遺言で指名したのが、昔なじみの同僚でもあるジョルジュだったのだ。
だがルークは、昔から何故かジョルジュが苦手だった。
いつも薄っすらとした穏やかそうに見える笑みを浮かべているが、本心が分からない時が多いのだ。物心つく前は、祖母を訪ねてきたジョルジュに近づくことも出来ずに物陰から見ていた記憶がある。
今も、気遣ってくれているのは何となく分かるが、どうしてか警戒してしまい、素直に喜べない自分がいる。
そんな微妙な沈黙を越えて、ルークは、思い切ってジョルジュに話しかけた。
「ジョルジュさん」
「なんです?」
「ハロルドさんの家族は、今もご存命ですか? 手紙を預かってきたので渡したくて――だけど、本人はあまり仲が良くなかったようなことを言っていて――」
ルークがハロルドとのやり取りを告げると、ジョルジュは苦笑した。
「そんなことを」
男は、人差し指で眼鏡を軽く押し上げた。
「まあ、そうですね。探検家になるとき、家族からは猛反対を受けたとは聞いています。彼はああ見えて名家の出なんですよ。反対を押し切って探検家などになったから、勘当されたとか。母上は今もご健在なはずですよ。調べてみましょう」
「ありがとうございます。…」
ハロルドが書いたという家族への手紙は、あのあと航海の最中にノートに挟まっていたのを見つけた。しかし表書きには宛名はなく、読まれても問題ないと思ったのか、特に封もされていなかった。
中身もひどくそっけない内容で、わざわざ渡しに行く価値があるかどうかは疑問なほどだった。
「その人は、ハロルドが生きていることを知ったら喜ぶでしょうか」
「どうでしょうね。彼女、ミズハのこともあります。好意的な返答をくれるとよいのですが。…」
「というと?」
「彼女がハロルドの娘だと証明することが出来ても、連邦の中に身請け人がいなければ、外来者として定期的に滞在許可を発給しなければならないのですよ。ハロルドの実家、カーネイアス家の認知があれば、移民や外来者ではなく、国家連邦の住民として受け入れることができるのですが。」
「……。」
面倒な話だが、確かに事務手続き上はそういうものだ。
話しているうちに車は市街地を抜け、高台に差し掛かっていた。フォルティーザ支部の施設は高台の上に集まっている。
車が門の前に停車すると、待ちかねていたように駆け出してくる人影があった。職員の一人だ。
ジョルジュが降り立つのを待ちかねて、何か囁き、書類を差し出す。ジョルジュは、ざっとその内容に目を通すし、指示だけ出し、ルークのほうに向き直る。
「相変わらず、忙しそうですが…いいんですか?」
「ただの報告なのです、気にしなくてもいいですよ。別の調査隊が数日で入港するというのでね。君と同じく、何か大発見を持ち帰ってくるようなんですよ。鑑定部は嬉しい悲鳴ですね。」
話しながら、二人は建物に入っていく。
廊下を走ってゆく職員、ぼんやり何か考え込んでいる研究者。激しい議論を交わす声が廊下まで漏れてくる会議室。この匂い、雰囲気。何もかも懐かしい。
この支部は、主に海洋研究を行なっている。
その中でも、海の生き物―― つまり、魚とか鳥とか海藻とかを研究し、種族を分類する生物部と、海流や島、未知の陸地などを計測する地理部とに大きく分かれる。ルークが所属しているのは地理部だが、祖母グレイスは生物部の大家で、ジャスパーを引き取ったのも、元は生物部としての活動の一環だった。
そしてこの支部には、大陸で最大の海洋検疫所がある。海で未知なるものを発見し持ち帰る場合に調査する場所だ。つまり、生物でも物質でも、この町に寄港すれば、そのあと他の町へ移動して積荷の陸揚げ許可を取り直す必要がないのだ。
検疫所では、生物の特性や病原菌の有無が調べられる。
危険が予想されるものは陸揚げされず沖合に破棄されることになっていて、ここには日々、各地の支部や生物部の調査隊から、未知の生物のサンプルや、各地で採取された鉱物などが送られてくる。それらを調査し、安全性を判断するのも、この支部の役目の一つだ。
ルークのような地理部が持ち帰るものは大半が地図や海図など結果データだけだが、今回のように発見した島の石や砂を持ち込んだときには検疫所のお世話になる。
また、極稀なことだが、国家連邦に所属しない外部の人間が連れ込まれた時も、この施設の検疫所で検査するのが規則となっている。
”神魔戦争”のあと、人の住む土地は分断され、おそらく大半が滅びてしまった。
動植物も、よく知られていたものから様態をかえ、多くが見知らぬものに入れ替わってしまった。ありふれた草花でさえも、よく調べてみると以前は持っていなかった毒素や薬効を含んでいたりする。検疫所の仕事は尽きない。
この大陸には数十の国があり、互いに協力しあう「国家連邦」を形成しているが、それらすべてを合わせても、この大陸の半分くらいの面積でしかない。大陸の中でも人の住まない土地の大半はいまだ未調査であり、大陸の外ともなれば、多少知られているのはフォルティーザから南に広がる「太平の海」くらいなもの。それも大陸から離れすぎると、調査されていない「闇の海」へと変わる。
調べるべきものはまだまだ山ほどあり、学者たちの仕事は、常に両手いっぱいに余るほど積み上げられているのだった。
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