海鳥の舞う島(4)

 日が暮れると同時に鳥たちはどこかへ姿を消し、海の波は穏やかになっていた。

 透明な波の底には、ゆらめく影が万華鏡のように美しい模様を描きながら揺れている。

 ジャスパーは、鼻だけを波の上に出して、ゆったりと浅瀬に浮かんで気持ちよさそうに浅い眠りの中にいる。ほぼ満月に近い青白い月が砂浜を銀青に輝かせながら空に在る。風はほとんどなく、海は凪。


 静かな夜だ。


 ルークは何となく眠れずに、船の看板に寝そべったまま頭上に浮かぶ巨大な岩を見つめていた。

 風のない夜空、散りばめられた星々を覆い隠すように浮かぶ巨大な岩の存在は、それ自体が信じられないだけでなく、全てが謎めいて思えた。

 もしかしたら自分は、多くの学者たちが長長取り組んで出せなかった「なぜエーテルは消失したのか」という問題にも答えを出したのかもしれない、などという、浮ついた気分は乏しい。目の前にあるこの事象を、昼間見た光景を、どう説明していいかすら分からない。あまりにも信じがたい光景すぎて、誰かに信じてもらえるとも思えなかった。


 と、ふと、耳慣れない音が体を揺り動かした。

 「……声?」

ルークは起き上がって、耳を澄ませた。体のどこか奥深くで感じる、不思議な、音ならざる声が呼んでいる。


 看板からのぞき込むと、ジャスパーのほうはよく眠っている。聞こえているのはルークだけのようだ。

 ジャスパーを起こさないように船の側面についたはしごを降りると、彼は、波間を抜け、浜を横切って木々の間に踏み込んだ。




 声は、緑の奥から聞こえてくるようだった。呼び寄せられるように歩いているうちに、ふいに木々が途切れた。

 足元にはまた、海がある。――外側の島を横切って、内海に出たのだ。いくつかの水路で島の外と繋がっている浅い潮溜まりの中には、色とりどりの珊瑚や海藻が育っている。

 波はなく、砂浜もない。島の外側とは違い海底はごつごつした岩で出来ていて、そこに、いくらかの砂が混じっている。

 内海は、穏やかながら島の外側の海とはずいぶん雰囲気が違っていた。月の光が岩で遮られていることもあるが、どこか、気軽に踏み込むことを許さない雰囲気を漂わせている。


 また、声がした。

 今度ははっきりと。――歌うような、鳥の啼くような…だが、柔らかく、どこか魅惑的な…。


 すうっ、と水面に光がよぎる。

 ゆらめく光が水面を一直線に滑り、岸から内海の中心に向けて、まるで道のように輝いた。

 月の角度が変わったのではない。道しるべなのだ。


 光の指し示す道は、浅い内海の奥に見える、岩礁のような小さな島に向かって伸びている。恐る恐る足を踏み出すと、足首までが水に浸かったが、不思議とそれ以上は沈まない。足の下に何かがあるようには見えないのに、体は水上に安定している。見えない岩があるのか、それとも何かの力で体が浮かされているのか。

 足首までは沈んでしまうので、ルークは靴を脱ぎ、裸足になった。水の上を歩くなど、初めての経験だ。一体どういう仕組みになっているのだろう。


 足の裏で海水が揺れる。海の水は揺れながら、柔らかな地面のように体を支えている。

 一歩踏み出すたび、ルークの作る波紋が水面を揺らめかせた。その波は弧を描きながら、暗い内海全体に広がっていく。

 岩で月が隠れているせいで、海の底は何も見えなかった。すり鉢状に中心に向かって落ち込んでいる内海は、濃い藍色一色で塗りつぶされている。


 やがて目の前に、岩礁が近づいてきた。

 表面の岩は、浜の白さとも、頭上に浮かぶ石の灰色っぽさとも違う。濃い青をそのままひたすら濃く塗り込めて黒に近くしたような、そんな色合いの、磨かれたかのようにつるつるとした丸みを帯びた小山だった。

 ふもとにルークが辿り着いた時、その頂上付近でゆっくりと、白い何かが身をもたげた。


 立ち上がる、白い鳥。

 ――いや、白い人間。


 声もなく、ルークはただその姿を見つめた。

 半ば予想していたように、待っていたのは一人の女性だった。足元まで垂れる長い白い髪、身に纏う一繋ぎのぴったりしたロングスカート、象牙のような白い肌。深い海と同じ青の瞳は冷たいが、表情全体では穏やかな笑みを浮かべているようにも見えなくない。


 これがミズハの母親だ、とルークは直感的に察した。


 しかしそれは、人の形でありながら、人には見えなかった。

 全身を包んで見える銀色に近い白い輝きは、この夜の闇の中であまりにも純粋すぎた。近づくことがためらわれ、ルークはその場に立ち尽くしたままだった。それどころか、見つめられた瞬間から、体が動かなくなっていた。冷たすぎる海水で足が麻痺してしまったのかもしれない。

 白い女性ははっきりと分かる笑みを浮かべると、何かを歌った。


 「歓迎する、と彼女は言っている」


驚いて振り返ると、ハロルドが立っていた。

 いつからそこにいたのだろう。目の前の白い存在に気を取られすぎて、岩陰にいるのに気がついていなかったのだ。

 「ハロルドさん、この人は…」

 「サラサ、と私は呼んでいる。ミズハの母親だ。…正確には、ミズハは彼女から生み出されたそのでもある」

 「一部…」

 「昼間、鳥たちを見ただろう。あれらも彼女の一部だ。ただし、あの鳥たちには意志は無いがね。」

うっとりとした表情で、男は、岩の上に腰を下ろしている真っ白な女性を見上げた。

 「美しいだろう?」

 「ええ、…それは、とても」

 「彼女はまさに女神だった。荒れた海を越えてたどり着いたこの場所で、初めて見た時から心惹かれてね。これは一生に一度の出会いだと確信した。最初は鳥のような姿でしかなかったが、何度も会いに来るうちにこうして、人の姿を真似てくれるようになった。それはそれは、とても嬉しかったよ。」

 「えっ、のろけですか?」

 「ハハハ、まぁ半分はそうだがな。」

笑ったあと、男は、すぐに真顔に戻って言った。

 「さて、ルーク。君はこの島の秘密と、ここで行われていることを一通り目にしたはずだ。どう思った?」

 「…世界からエーテルが消えたことと、あの巨大なエーテル石とが本当に結びついているのなら、消えたエーテルを戻すためには、あの岩を砕いて再び世界にばらまくしかない。それを今まさにやっているのは――彼女、サラサさん、なんですね?」

 「そうだ。このまま続けても、あと千年はかかるだろうという話だが」

 「つまり、彼女は世界を救ってくれた…救おうとしてくれている、ということですか?」

 「その質問は否定も肯定もできないな。サラサはただ、自分の住処に落ちてきた邪魔な岩をどかしたいだけだ。彼女は、静かで美しい景色が好きなんだよ。この島を囲む穏やかな海やサンゴ礁、森のような景色がね。善悪も正邪も、他人が勝手に規定するものに過ぎない。私は彼女を女神だと思っているが、別の勢力から見れば魔女か魔王なのかもしれない。すくなくとも、千年前の世界では、彼女はどちらの名前でも呼ばれていなかった。

 ――かつての呼び名は、"南海の女王"。"北天の神王"と双璧をなす強大な存在でありながら、いかなる魔法使いとも契約せず、歴史にはほとんど姿を現さない存在とされてきた」

 「……。」

 「だが今になって、彼女は世界に興味を示すようになったんだ。まあ私があれこれ吹き込んだせいもあるだろうが。――とはいえ、彼女は、ここを動けない。ここからでは分身の鳥たちを飛ばすにも遠すぎる。そこで、君の出番なわけだ」

ハロルドは、ルークをじっと見つめた。

 「ミズハを、外の世界へ連れ出してくれる者が来るのをずっと待っていた。…彼女には、最低限、人間として生活できるだけの言葉や知識を与えてある。お願いできるだろうか」

 「………。」

返事をしなかったのは、出来なかったからだった。

 頭の中で整理がつかない。ハロルドの娘を連れていく? 半分は、…いや、外見こそハロルドに似せて作られているが、実際はこの、女神とも魔王とも呼べない存在の「一部」であり、外の世界を知るために"創られた"存在だろう、あの少女を?


 「駄目なのか?」

 「いえ…」


いや。心配する必要はないはずだ。

 接触していた時間はそう長くないが、話をしてみた限り、あの子は少し世間知らずなだけの、ごく普通の少女だった。

 確かに普通の少女は鳥に変身したり、裸で船に降りてきたりはしないが、…そのくらいなら、…まあ、許容範囲だろう。とはいえ、空を飛ぶならズボンを履かせたほうが良さそうだが。

 「帰還するとき、本部に入境許可をとってみます。あなたの名前は出していいんですよね? ハロルドさん」

 「ああ、もちろんだ。素性の知れない人間よりは、私の娘のほうが通りはいいだろう。」

少しほっとした顔になって、彼は、サラサのほうを見上げた。その表情は慈しみに満ちて、まるで、本当に愛娘を旅に出す母親のようにも思えた。




 船に戻って寝なおした翌朝、ルークは、外が騒がしいことに気づいて目を覚ました。

 甲板に出てみると、ジャスパーが警戒音を発しながら首をもたげていた。見ている先には、ハロルドが立っている。

 「ハロルドさん」

 「よーう、起きてたか。」

男は陽気に手を振っている。ルークは、夕べ濡らしたままの靴を無理やりつっかけて、船を降りた。

 「いやあ、間近に海竜を見る機会ってのも、そうそうないからな。ううん、実に見事なウロコだ」

娘のミズハとは違って、ハロルドのほうは"普通に"ジャスパーに警戒されている。初対面の人間には大抵、こうなのだ。ジャスパーは、離れろと言わんばかりにハロルドに海水をひっかけると、ぷいと船の向こうへ行ってしまった。

 「うん、あの気位の高さ、まさしく黒い海竜だ。――っと、そんな話をしに来たわけじゃない。」

あごをしゃくり、ハロルドは、森の奥へとルークを誘った

 「来てくれ。渡したいものがあるんだ」

太陽はもう、高い場所まで上がっている。頭上の岩は相変わらず乳白色の雲をまとっているが、その外側には雲ひとつなく、強い日差しは砂浜を真っ白に輝かせている。


 木々の間の獣道を辿り、船の木材を再利用して作られた粗末な家にたどり着くと、男は、辛うじて形の残っていた机の引き出しを開け、一つにまとめた包みを取り出してルークに差し出した。

 「これを持って帰ってくれ。私の、この二十年の成果だ。」

 「あなたは、…帰ろうとは思わないんですか」

 「ああ。ここは天国だ。外の世界よりも、ずっといい。何より平和だしな」

背を向けながら、男は小さく笑った。

 「実を言うとな。ここへ来たころは、少し世間に疲れていたんだ。やれ最初の発見者が誰だの、何を発見したのが誰の手柄だの。私は自分の名誉や金のために冒険をしていたわけではない。ただ自分の欲望のためさ。未知なるものに挑む時、誰も見たことのない光景と出会う時ってのは、わくわくするだろう? 君もそうじゃないのかね?」

 「それは…。」

 「名探検家だとか、どんな危険な場所からも生還する奇跡の男だとか持て囃されても、見世物にされているような気分が消えなかった。親にはさんざん反対されて、何を成しても認めてはもらえなかった。それに、世界はあまりに広すぎて、どれだけ駆けずり回っても、成し遂げたことはあまりにちっぽけに思えた」

 「親…家族がいたんですよね? その人たちに逢いたい、とは思わないですか」

ハロルドの口元が、少し歪んだ。

 「逢えばきっとまた、言い争うだけだ。――その渡した中に、手紙も入ってる。もしまだ生きているなら、気が向いたら渡してくれ。死んだことになってる人間からの手紙なんざ、欲しいかどうかは分からんが。」

 「そんな言い方…」

ルークは、思わず言葉を濁した。


 ルークには、血のつながった家族は誰もいない。

 祖母は何年も前に他界したし、両親のことは覚えてもいない。家族と呼べるのは、一緒に育った海竜のジャスパーだけだ。

 どこか納得のいかない感情と、家族を顧みず危険に身をさらす探検家や未開地学者という職業の実態とが入り混じる。結局、納得できないのは身勝手な感情ゆえなのだ。ハロルドには、ハロルドなりの苦悩があったのだろう。それを、見ず知らずの自分に否定する権利はない。


 「分かりました。…お預かりします」

 「ああ。頼んだ」

どこかほっとしたような表情で、ハロルドは頷いた。


 風が出てきた。

 鳥たちの声なき声が木々の間を通りぬけ、羽音が空へ向かう。きらきらと、白い砂が風に舞い、島の何処かへ降り積もる。

 二十年をかけて辿り着いたハロルドの決断に対し、年も経験も遥かに劣る昨日出会ったばかりのルークに成せることは、何もない。




 船に戻ると、ミズハがキャビンのソファに寝そべって勝手に本を読んでいた。

 「おかえりー、待ってたよ。これ面白いね!」

読んでいたのは航海の最中に時間を持て余した時のための続き物の小説だった。流行ものの小説で、タイトルは”流浪の騎士ヴィンセントの冒険”。港を出る直前に出版された三巻を買って、一、二巻と一緒に、旅の間の退屈しのぎにと持ってきていたのだ。

 (…字も、読めるのか?)

怪訝そうな顔をしているルークが、何か問いかけるより早く、少女はポケットから木箱を取り出した。

 「はい、これ。」

ずいぶん古めかしい型だが、通信機だ。

 蓋を開くと、無傷のエーテル石の結晶が静かな輝きを放っている

 「お父さんから預かってきたの。ルー君のは壊れちゃったよって言ったら、これ使ってって。この島じゃ使えないけど、外の海に出れば大丈夫だよ」

 「ハロルドさんの…。」

使い込まれた通信機の巻き具は随分と旧式で、手の油で黒ずんでいる。

 「外の海に出るには、案内が必要でしょ?」

言いながら、少女は弾むような足取りで甲板に向かう。「もう少ししたら風が変わるの。そしたら出られるよ。忘れ物、ない?」

 「ミズハ、…君は」

 「うん?」

いや、聞かなくても分かる。彼女は最初から知っていたはずだ。ルークが呼ばれた理由、その役目も。

 「本当にいいのか? 島を離れたら、しばらく戻れなくなる。」

 「平気だよ! この海なら、どこにいてもお母さんの声は聞こえるもん。それに、飛べばいつでも帰れるよ!」

あっけらかんとして言い、少女は、両手を翼のように大きく広げた。

 「さぁ出発だよ! 外の世界ってはじめて。何があるか楽しみ!」

彼女には期待と、希望だけがある。

 「ジャスパー! 船を出す。エーテル石の出力に合わせて船体を押してくれ」

分かった、というように黒い海竜の体が船体の下に沈んでゆく。ルークは船尾に備えられたエーテル石と、取り付けられた機器を操作して、手順通りに船を発進させた。

 船底から、海水を吸い込んで吐き出す振動が響いてくる。


 窓から見える浜辺には、見送りのハロルドが立って手を降っている。ミズハは、甲板の上でそちらに向かって大きく手を振り返していた。

 そうする間に、波と風の音が窓の外を埋め尽くし、島はぐんぐん遠ざかっていく。

 頭上に浮かぶ岩を取り巻いて、鳥たちが白い大きな輪を作る。音では聞こえない、人ではない存在のあの声が、今も歌っているような気がした。




 比較的波の穏やかな沖合いへ出たのは、日も暮れてからのことだった。

 ここからは島はもう見えない。浮かぶ岩を取り巻く雲の上部だけが、夕日を受けて赤々と燃えている。錨代わりのジャスパーは波間に体を沈めて、休憩している。ミズハは気持ちよさそうに風に髪を散らして、船尾で島の方角を眺めていた。

 (この辺りまで来れば、きっと大丈夫だろう)

島に近すぎる場所では、上空に浮かぶ巨大なエーテル石の干渉を受けて通信が上手くいかないのだ。

 十分に離れたのを確かめてから、ルークは、ハロルドの使っていた古い通信機のネジを巻き、そっと蓋を開いた。眠りから目覚めたように魔石が虹色に輝き、古びた記憶を手繰って本部への回線を接続する。

 『はい、こちら本部…』

 かすかなノイズとともに、困惑したような声が石の向こうから響いてくる。

 「こちら探索船ハーヴィ号。ルーク・ハーヴィです。エリザ?」

 『ルークさん?! 本当にルークさんなんですか』

聞き慣れた通信担当のエリザの声。たった数日なのに、ひどく懐かしい気がした。驚いているが、無理もない。

 『どうして…、とつぜん通信が切れて、再接続も出来なくて何かあったと。ああ、それに、この回線の固定番号は…』

 「すいません、ちょっとした事故で通信機が壊れてしまって。この通信機は貰ったんです、ハロルドさんに」

 『そうです、二十年も昔に消息を絶ったエリンジューム号のものです。でも…ちょっとまって、今、貰ったと?』

 「だから、会ったんですよ」

ルークは、じれったくなってコツコツと机を叩いた。

 「時間がないので、手短に報告します。”霧の巣”の下にある島への上陸は成功しました。ハーヴィ号は無傷です。その島でハロルド・カーネイアス氏に逢いました。生きてたんですよ。彼は。もしもし、エリザ? 聞こえてますか?」

通信機の向こうのざわめきが、ノイズとなってこちらまで聞こえてくる。今頃、本部の通信室は大騒ぎだろう。ルークは思わず苦笑した。

 「エリザ、これから本部へ帰還します。カーネイアス氏から預かった、現地で採取したサンプルと、カーネイアス氏が作成した調査報告書も持ち帰ります。持ち込み手続きをお願いしたくて――ああ、それと」

甲板のほうに目をやる。「――入境許可をお願いしたいんです。彼の娘…ミズハ・カーネイアスの」

 夕陽が最後の光を空の高い部分に投げかけ、昼の残り火が雲を赤く染める。

 その光もやがて静かに冷えゆくと、やがて空には航路を指し示す星座たちが姿を現した。


 必要最小限の事柄だけを伝えて通信を終えた後、ルークは、星明りの下でハロルドから預かってきた包みの中身を改めて確かめてみた。

 古びたノート、擦り切れたような書きかけの海図、島の見取り図。天候や植生の細かな記録と様々な動植物のスケッチ。膨大な量の調査報告書だが、その中に、ミズハの母親であるサラサの存在は出てこない。

 (そういえば、家族への手紙もあるって…)

探していたルークは、ふと、包みの一番外側に、自分の名前の書かれた折りたたまれた紙が挟まっていることに気が付いた。広げてみるとそこには、太いが繊細な字で、こう綴られていた。



 ”ルーク・ハーヴィ様


 突然呼び立て、しかも用が済んだら島から追い出すようなやり方で申し訳ない。腑に落ちないことも多いだろうが、きっと今は説明しても君を混乱させるだけだ。君のこれからの旅路で、きっとヒントは見つかると思う。

 君にも少し話したとおり、サラサは「神魔戦争」に深く関わっている。だが私は、彼女を世間に容易く「神」や「魔王」とは呼んで欲しくないのだ。もしも誰かに訊ねられても、彼女のことは極力、隠しておいて欲しい。


 ――それと、サラサが言っていたが、君にも、君自身が忘れてしまった役割がある。彼女自身がそうであるように、君もまた、この世界で何がしかの宿命を背負っているのだと思う。

 もしも迷った時、ミズハは、きっと君を助ける力になれるだろう。そうなればいいと思っている。

 ありがとう、そしていつか、また会おう。


 ハロルド・カーネイアス”



 やはり、サラサのことは意図的にぼかしてあるのだ。

 科学者としては不誠実な態度だが、ハロルドの考えていることも分かる。

 天変地異の時代が終わってから、まだ、たった百年。「神魔戦争」という名前だけはついているものの、誰と誰、あるいは、何と何が戦ったかすら、今の人間は把握することが出来ないでいる。

 ハロルドが見つけてしまったのは、その最も核心に近い存在なのかもしれない。


 ”協会”が探索者たちの未知の領域へのアプローチを厳しく制限し、許可制にまでしているのは、ひとえに戦争が再発することを恐れているからに他ならない。むやみに刺激して今の世界の均衡が崩れることは、誰もが最も恐れることだ。

 しかし逆に言えば、神魔戦争で起きたことの詳細を知り、コントロール出来るなら、世界を支配することさえ出来てしまう。

 ”協会”が国家連邦からある程度独立しているのもそのためで、発見した重大な存在、事実について、特定の国家の独占状態にならないよう管理するのも一つの役目だ。ハロルドが慎重になるのも無理は無い。


 しかし、そんな存在を左右する鍵ともなり得る少女はというと、自らの置かれた位置づけなど露ほども気にかけず、船尾の手すりに腰掛けて、足をぶらぶらさせながら呑気に鼻歌を歌っている。そうしていると、ただのお転婆な少女にしか見えない。

 ルークは苦笑して手紙を丸め直した。手紙の最後の部分はよく分からなかったが、きっとそのうち判る時も来るのだろう。




 ここから大陸までは、三か月ほどの距離だ。

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