海鳥の舞う島(3)

 大急ぎで船まで戻ってきたルークは、船のそばの浅瀬で海竜のジャスパーと戯れている少女を見つけた。

 しかも驚いたことにジャスパーは、長い首に少女を乗せて、楽しそうに戯れている。人見知りで、見ず知らずの人間になついたことなど無かったはずなのに。

 信じがたい光景に、ルークは思わず足を止めた。

 「あ」

ミズハが振り返って手を振る。

 「やっと来た、待ってたよー」

流石に裸ではなかった。彼女が着ているものは、ちょっと古めかしいが違和感のない麻生地のワンピースに、植物の蔓を編んで作ったサンダル。長い髪はうなじの上で一つにまとめ、長い尾のように背中の方に垂れている。

 ジャスパーが首を砂の上に伸ばすと、ミズハはその上をまるでスロープのように駆け降りてきた。

 「どうやって、ジャスパーと…。」

 「お話したよ? ねえ」

ミズハが首をかしげると、ジャスパーは低く一声、鳴いた。

 「言葉が分かるのか?」

ルーク自身は共に育ったからお互いの意志の疎通が図れるが、この少女はそれを、ほんの一時間かそこらでやってのけたというのか。

 「きみ…、ハロルドさんの娘なんだって?」

 「そうだよ」

よく見れば確かに、髪の色も、瞳の色も同じで、そっくりな似た顔立ちをしている。逆に言えば、だからこそ、母親の存在の見当がつかなかった。

 「きみの母親はどこにいる?」

意地悪な質問だと思いつつ、聞かずにはいられなかった。

 「真ん中の島にいるよ。でも今は忙しいの。」

 「忙しい?」

 「日が沈むまでは、お仕事中。」

そう言って、少女は空を指さした。

 「…?」

ルークは、頭上を振り仰いだ。太陽はまだ、天の高い位置にある。巨大な岩の作る影は、島の端にひっかかったままだ。


 巨大な岩をさっきまで包んでいた濃い雲は切れ、薄いヴェールのような水蒸気が揺らめいていた。

 さっきまで島と岩の間を円舞していた海鳥たちは高度を上げていて、空のかなたに豆粒のような群れが見えた。一糸乱れぬ動きで、岩の表面すれすれを飛んでいる。見間違いでなければ、岩の影に出たり入ったり、ほとんどぶつかっているような動きだ。

 「あの鳥たちは、あそこに巣があるのか?」

 「ううん。岩を削っているの」

 「削る…?」

 「そう。でも大丈夫、大きなのは落ちてこないから。」

風が吹いて、きらきらと輝く細かな砂のようなものが落ちてくる。

 ルークはふと、さっきハロルドから見せられた地図を思い出していた手。――砂浜を形作る、細かな岩の欠片。岩の真下に円をなす島のかたち。

 「あの岩はずっと昔、悪い王様が世界を変えようとしたときに、落ちてきたんだって。」

そんな信じがたいことも、さも当たり前のことのように、ミズハは言う。

 「お母さんは、岩が落ちるのを止めることは出来たけど、大きすぎてよそへ持っていくこともできないし、投げ飛ばすのも大変なことになるからできなかったって。だから、昼間は、雲が晴れたらああして岩を削っているの。」

 「…?」

ぱらぱらと降り注ぐ水晶のような透明な石の破片。

 「えーっと、つまり、あの岩はきみのお母さんが浮かせていて、この島は岩を削って出来た、ってことか?」

 「うん、そうだよ」

突拍子もない話だったが、母親の件はともかく、巨大なエーテル石を意図的に「削って」いるというのは重要な情報だった。


 かつて世界には、「神」や「魔王」と呼ばれるらような存在が沢山いたのだと言われている。

 かつて存在した「魔法近い」たちの中には、そうした人ならざる者と契約して、強大な力を持つ者もいたとか。異変が始まる以前、千年以上昔の世界の言い伝えに辛うじて残された「神」や「魔王」は、今の世界からは想像もつかないほど強力な力を持った魔法使いたちだったのではないかという説もある。

 けれど、それらの存在は、魔法の源となるエーテルの消失とともにみな、姿を消してしまった。


 (世界中のエーテルが一か所に集められているのなら、それを集めた何者かがいた…?)

考えながら、ルークは、空に浮かぶ巨大なエーテル石の塊を見上げていた。

 (普通なら、エーテルが集められている場所にその存在がいると考える。だけど、ここにいる存在は別…? というか、"悪い王様"って、一体)


 「ねえ!」

腕を引っ張られて、思考はふとに中断された。きらめく目をしたミズハの顔がすぐ目の前にある。

 「質問ばっかりじゃつまらないよ。外の世界のこと話してよ。"逆さ大樹"は見たことある? "白い森"って本当にあるの? "天空都市"ってどんな感じ?」

 「えっ…」

 「お父さんから聞いたの。むかし冒険してたときに見たって。行ったことある?」

ルークは困って頬をかく。

 「そうだな、一部だけなら…。でも、おれは話は得意じゃないから…」

 「いいよ。話してよ、どうやっていくの? そこに人は住んでる?」

困ったルークがしどろもどろに話す拙い冒険譚に、少女は嬉しそうに耳を傾けた。行ったことがあるといっても、小さい頃に祖母についていった程度でほとんど覚えていないような場所が多く、ほとんど内容は、本の受け売りでしか無かったのだが。




 ルークがひと通り話し終わったのは、もう日が傾く頃だった。ミズハも満足したようだった。

 「いいなあ、見てみたいなあ」

少女は、遠い目をして呟いた。

 「外の世界かあー…行ってみたいなー。」

この島の近く、半径三千ケルテ以内に陸と呼べる陸はない。少なくとも、"協会"本部や国家連邦のある「大陸」側には。それは、ここまで来たルークがよく知っている。海鳥の翼を持ってしても、簡単に島から離れることは出来ない距離だ。

 「この島の人たちは、島からあまり離れないのか」

 「お父さんは飛べないもの。あたしはねー、たまにちょっとだけ遠くに行くけど、でも、海の向こうまでは行ったこと無いや」

 「船は…」

 「大きなのはないよ。お父さんが釣りに使ってるやつだけ」

 「……。」

 傾いた太陽の光を受けて、穏やかな波がきらきらと輝く。水平線には、気の早い月がそろそろ白い姿を見せ始めていた。

 風が少し強くなった気がした。


 ミズハは、スカートの砂を払って立ち上がる。

 「そろそろ行かなきゃ」

飛び立つような素振りを見せたので、ルークは慌てて顔を背けた。服を脱ぐのだと思ったのだ。その仕草に気づいて、少女は笑った。

 「面白いの! 外の世界の人は裸に慌てるって、お父さんが言ってたのほんとなんだね。でも大丈夫だよ」

ミズハは、人の姿のまま白い翼だけを広げた。ふわりと風が起こり、彼女の体は浜を離れる。

 「ちょっと飛び辛いけど、これでも大丈夫なの。じゃあ、またね!」

手を振って勢い良く去っていく少女を見送りながら、ルークはやはり赤面していた。

 「…いや、その姿でも下着が丸見えなのはマズいと思うんだが…。」

見た目の年齢は十二、三といったところだが、そろそろ年頃のはずだ。ハロルドは、もう少し娘の教育に気をつけたほうがいいのでは、などと思ってしまう。

 もっとも、この島には他人の目が無いから、それほど気にする必要もないのかもしれない。


 そう、この島には、彼ら親子以外の住んでいる気配がない。


 ミズハという娘がいる以上、少なくともその母親となる女性はいるはずだが、それ以外の住人はいなさそうだ。空を舞うあの鳥たちが、ミズハとは本質的に違うものであることを、ルークは既に察していた。島の周囲を群れを成して舞う白い鳥たちは、人に姿を変えることはなさそうだった。


 岩にかかる霧が一瞬だけ晴れて、暗く沈みゆく空の色に、その姿を今はくっきりと姿を見せている。

 だが、岩が姿を見せていたのは、ほんの一瞬のこと。すぐにまた白い霧が覆いはじめ、姿は掻き消えてしまう。

 岩の周囲には絶え間なく風が吹き続けているのだ。風に乗って舞う鳥達の動きは、まるで踊っているかのように見える。島周辺の海が天気のまるで読めない嵐と凪を繰り返す状態にあるのも、この風からすれば当然のことだった。


 風が吹くたび霧が生まれ、雲となって岩を取り巻く。

 そして岩の欠片、細かなエーテル石を遠くまでまき散らしていく。


 まるで、岩が呼吸しているかのようだ。息を吐くたびに霧を生み出す岩、”霧の巣”と名づけたハロルドは慧眼だった。その霧の巣をとりまく無数の翼に夕日がきらめき、ぶつかり合うこともなく、風の道筋を描く。

 規則正しく飛び回る鳥たちは、ミズハの言った通り、確かに意図的に岩に「ぶつかって」、削っているように見えた。

 (…もしかしてこれは、エーテル石を砕いて、再び世界に還元する作業なのか?)

ふいにそのことに気づいて、彼はぞっとした。

 世界中のマナを一か所に集められるものも、それを再び世界に戻そうとしているものも、どちらも人ならざる者というだけでなく、恐ろしく強大な存在だ。そう、千年前の伝承にある「神」や「魔王」の中でも、最も強力な者たちのような。

  (ハロルドさんは、一体、何と出会ったんだ…?)

その存在は、二重になった島の内側、行くなと言われたあたりに居るはずだった。

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