第零話「a story no one knows」


「let the dead flowers bloom」



 青白い花が、私の紅で染まっていく。


 視界もいつしか紅い、もう目を開けていられない。


「待て——いくな、いかないでくれ!」


 今にも消えそうな私を、彼は必死に呼びかける。


「——て、———い!」


 もう体は動かない、戻ることはできないのだろう、そう理解した。






◇Country to stop.【Believe and wait】


 




 戦争をしたくないという人間だけがいる世界なら、きっと世界に戦争はない。


 でも戦争が起きるのは、戦争をしたがる人間がいるからだ。


 母はそう言っていた。




 山奥に一つの村があった。


 その村の住民の大半が一つの戦争に駆り出された。


「…こんな子供を戦場に送り込んでまで戦争したいのかよ」


「一方的に俺たちが攻撃されてるだけだ、間違えるな」


 トラックの荷台で、銃を担ぐ私を見て運転手とその横にいる男はそう言った。


「義勇兵か…便利な言葉だな」


 それもそうだ、十一歳の女が戦場に駆り出されるなんておかしいことだ。


 それは当人にも分かる。


 戦場で子供なんていくら訓練しても役に立つはずがない。


 子供にとって戦争とは現実と何万光年も離れた場所にあるのだから。


 他にも荷台に物のように積まれた兵士がいた、みんな虚な目をしていた。


 当たり前だ、これから私たちは死ににいくのだ。


 国のためでもない、無意味に残酷な運命のせいで。


「止国は何してるんだよ…」


「数ヶ月前のアレが響いてるのよ…」


 兵たちが口々に話している。


 "止国"


 総人口二百万人、六度目の世界大戦終結後に結成された国燐連合が建国した戦争の抑止力。


 戦争を完全悪とし、争いを完全に消滅させることを目的とした世界最大の軍事力を誇る国。


 だが今回は始まって数ヶ月経とうというのに止国は動きを見せない。


 噂だが、四ヶ月前にあった事件が響いていると言われている。



 止国内部で、一人の兵士が他の兵士を虐殺したのだ。


 大量に投下された兵器は全て破壊、止国内部の街一つが完全に壊滅し、あと一歩で止国そのものが消え去るところだったとか。


「あの話、本当なんですかね?」


「どうだろうな、いくら強いとはいえ止国兵が止国兵を相手にするなら話は違うだろう」


 四日前、◆◆軍が——を制圧。


「国燐を解散したのは間違いだったな…所詮戦うしか脳のない国に自治は無理なんだよ」


 二日前、◆◆軍が——街の橋付近を空爆。


 これらは事実だ、そしてその事実によって被害を被ったのは私たち。


 確実に負ける、数字で表すならこちらの戦力が三、◆◆の戦力が七。


 勝ち目などない、だから私たちは終わる時を待った。


 その終わりは数ヶ月経とうと来ず、いつしかこうして戦場に私はいる。


 銃を握るのも初めてだ、小さな爆弾を触ったのも初めてだ。



 相手はどうだろう、誰もがそんな初めてを十数年前に済ませているだろう。



 確実に私は数日後に死ぬ。






「——その少女は今どこにいる」


「そちらのテントの中です」


 外から私を探している声が聞こえてきた。


 そう思った矢先、一人の長身の女の人が入ってきた。


 顔に大きな古傷がついた人だった。


「お前か、一人で敵を撤退させたというのは」


「…いえ、私だけ生き残ってしまっただけです」



 地獄のような戦火の中、私だけが生き残った。


「どうやった」


「どうも何も…言われた通りに敵に銃を撃っただけです…」


「それだけで、無傷で帰還できるとは思わないが」


 弾がなくなるまで撃ち続け、目についた敵を全員死なせた。


 ただ、それだけだ。


 その人は私の顔をじっと見つめて、唇を触ってきた。


「…此度、負け戦だと思っていた戦況がひっくり返るぞ…お前、名前は」


「…シィ・リールです」


「そうか、私はルータリ・ヒス・イヴァ、呼びにくいならルータリだけでいい」


 私はその人が差し出した握手に答えた。






 …






 またしても、私はそこへ駆り出された。


 この前と同じような奇跡的な生還はないだろうと思っていた。


「…あれ?」


 おかしいと思ったが、その世界を私はすぐに理解した。


 敵の動きが前より遅く見える。


 まるでスローでも見せられているような、そんな感じだった。

 

 戦場?こんな静かな世界は生まれて初めてだった。


 迫り来る兵隊も、奥に見える戦車も、何もかもが遅い。


 等速に見えるのは自分の行動。


「…私って———」


 弾丸を敵兵に向けて発砲したと、同時に私の曖昧に出そうとした答えは消えた。





「此度の防衛、ご苦労だった」


 私が生還したあと、その人はタバコを咥え星空を見ながらテントの前に立っていた。


「ルータリさん…手…!」


 つい前日、"私と握手かわしたその手"は無くなっていた。


 切断され、その上に包帯をぐるぐる巻きにされていた。


 私が急いで駆け寄ろうとした瞬間。


「それ以上近付くな、煙を吸うぞ」


 タバコの先端をこちらに向け、近付くなとはっきり言われた。


「…そんなこと…だって、手が…」


「気にするな、命があるだけ奇跡だ」


 ——そうだ、私も見たんだ。


 人が目の前で死んでいく姿を。


 命だけでも、と誰かに懇願し、死んでいく人々を。


 そんな現実を、何故私は気付かなかった?


 これが戦争、そう割り切っていたから?


「…ルータリさん」


「なんだ」


「普通じゃない、変なことを言います…戦争が起きるって"おかしい"ですよね?」


 至極当然の質問をした。


「…当たり前だ、確かに不思議な質問だな」


「愚問だと言われて当然なので…この世に戦争を好む人間なんていますか…?いたとしてもごく少数、なのにこれほど多くの人間が参加して殺し合うっておかしいですよね…?」


「その"ごく少数"のせいだろうな……よく言うだろ『話し合いじゃ済まないこともある』…その手のことは基本その"ごく少数"がいなければ話し合いで済む……平和のためにおしゃべりのお勉強するのが政治家だというのにな」


「そこまで答えが出ていながら…」


「だからだ、シィ…つまり人間は殺し合い、闘争という行為が本質であるからだ」


 普通なんて、どこにもないんだ。


 そもそも、普通ってなんなんだろう。


「…本質に抗う、それもきっと人間じゃないでしょうか」


 人間を信じている、そんな優しい言葉はいらない。


 でも、そんな人たちが増えていくことが、平和への道なんじゃないかと思っただけ。


 この戦いに意味がなくとも、きっとこの歴史が、誰かに語りかけてくれる。


 私たちの本当の願いを遂げてくれる。


 そう、未来を信じている。


「ならば、シィ…お前はどうする」


「…?私…が?」


「この戦いは、勝つのか負けるのか」


「…勝ちます、"何が"あろうと」









 また、名前も知らない仲間の兵士が数えきれないほど死んだ。



「分からないな、君ぃほどのクソガキの義勇兵に数百人の兵士が殺されている」


 戦場で私の目の前に立つ、異様な男。


 弾切れ、私にその敵兵を殺すためには別の手段しかない。


「君ぃ、名前は?」


「…」


「無視かいな、気分わりぃわ」


 苛立ち、怒り、それは私にもある。


「あなたみたいな人がいるから、殺し合いは終わらないのね」


 私の思考よりも、私の口は速く動く。


 思ってもいないことを言っているわけではない、私の根本にある意思。


「アぁ?クソガキ、わかりきったような口聞いてぇんじゃねぇぞ?」


「わからな———あッ!?」


 突然、衝撃を身体を走る。


 視界は地面一色になっていた。


「…え?」


「どや、見えへんかったやろ?」


 とてつもない重圧で頭を踏みつけられる。


「あ、がっ」


「"大人気ない"と思ってくれてもかわまへんで、これが殺し合いってモンや」


 頭がまた一層重くなる、これ以上の圧力が加われば私は死ぬという予感がある。


「じゃぁなぁ」


「その娘を殺せば、お前も殺す」


 聞き覚えのある声が、男の背後から聞こえた。


 一瞬で分かった、ルータリさんの声。


 状況は見えない、恐らくは銃を構えている。


「無理やなぁ、何しても君ぃは殺すやろ俺のこと」


「あぁ、そうする」


 無慈悲な発砲音、血飛沫が私の手に降りかかる。


 それも一度ではない、三発ほど男は身体に弾丸を撃ち込まれる。


「…チッ」


 頭が突然軽くなる、足が離れた瞬間が私には分からなかった。


 バッと起き上がった時に男の姿はそこにはなかったりしますが


「大丈夫か、シィ」


 私に手を差し伸べるルータリさんの姿。


「あ、ありがとう…ございます…あの男は?」


「アドリーのことか、奴は足だけは速い」











「不終教…?」


 聞いたことのない宗教の名、しかし不気味で不吉な名だということはルータリさんの語る顔を見て理解した。


 呪いという、不可思議な力を操る宗教らしい。


「あぁ、数年前止国の活躍で壊滅したと思われていた」


「さっきのアドリーって人がその不終教の教徒なんですか?」


「いや…私の母が教徒でな、アイツは私の母の教えを受け呪いを手にした…直後レーリ・クラークという止国兵に私の母は殺された」


 殺された、という言葉に哀しさを感じなかった。


 ルータリさんは、そのこと自体あまり気にしていなかったのだろう。


「私は母はあまり好きではなかったし、問題はその後だ」


「アドリーは復讐心に駆られ、不終の残党を名乗るようなった…戦争が起これば止国兵が来る、それに乗じて止国兵へ報復するつもりなのだろう」



 この戦争が長引く理由、それは———。


「それっ…て」


「奴を…アドリーを殺さねば戦争は続くぞ」






【Waiting is not allowed】






 一人、また一人、担架で運ばれてくる人を見た。


 もう死ぬ人、もう死んだ人。


 辛かったが目を背けはしなかった。


「死体には、慣れたか」


 何度見たか覚えてもいない光景を前に、私の肩に手を乗せてルータリさんはそう言う。


「慣れません…慣れちゃいけない気がするんです…」


 悔しさか怒りか、そのどっちもか、込み上げる何かを握り拳で抑え込む。


「そうか」


 私は平和を未来に託そうとした、私たちの無駄にも見えるこの殺し合いが歴史として誰かに語りかけると信じていた。


 だけど違った。


 今私たちが、私たちの平和を求めなければ、未来に託せるモノなどないのだと。


 ただの腐った殺し合いの歴史だけが残り続けるのだと。


「以前、私のもとに母の死を伝えに来た止国兵がいた」


「…?」


 ルータリさんは淡々と、地獄の光景を前に話し始めた。


「バーナー・ラステンクス、止国で教官をやっている男だった」


「バカな男だと思ったよ、殺した人間の遺族一人一人に伝えに行くつもりなのかとな」


 ルータリさんはおもむろに、タバコを懐から取り出した。


 私は、そのタバコに火をつけた。


 するとルータリさんは数歩、私から離れて話の続きを始めた。


「その男は言っていたよ、止国兵とは赤子の死体を見たあとにも飯を食える連中だとな」


 残酷で、でもそれしかないのだろう、そういう口調だった。


「抑止力など意味はない、戦争はなくなりはしないと…ただもし戦う理由があるのなら」


「それは、止国以外の人間がそういうモノに慣れない世界を作るためかもしれない、なんて言っていたよ」


 そういうモノ、死体、火薬や瓦礫だらけの街、時折する死の匂い。


 慣れるわけがない、そう思ってもいつかは慣れる日が来る。


「本当に、バカな男だよ」


 静かな、そして哀しい風が吹く。


「ルータリさん、私は…」


 タバコの煙を吹かしながら、ルータリさんは私の方を振り向いた。


「私は…救いたいです、現在せかいを」


「……そうか、ならまずは死なぬことだ」













 死の匂いから逃れることはできない、戦場にいればその匂いは私の周りをグルグルと付き纏う。


 そしてそれは、突然濃くなって私の視界を覆うのだ。



 前兆はあった、そもそもが消耗戦、私たちは敵より遥かな早さで戦力を失っていくのだから。


「弾切れ…か」


 遮蔽となる柱の後ろで、敵兵からの弾丸を防ぎつつも、私は呆気なく終わる死を待った。



 あと数百はいるだろう敵兵、どうやっても撤退させようがない。


 私は静かに目を瞑った。


「お前、義勇兵か?」


 突然、瞑った瞼の向こうから声がした。


 緑のジャケットを羽織り、黒いシャツに身を包んだ銀髪の少年。


 私はその姿を目にした瞬間、弾のない銃を構えていた。


「弾入ってないぞ、別にお前のこと殺しに来たわけじゃない」


 私と同い年くらいの少年が、戦場のど真ん中に立って冷静に話し始めた。


 それは異様な光景だった。


「あなた…誰?」


「ここにいろ、絶対動くな」


 突然の強風が起き、砂埃が舞う。


 その一瞬、目を塞いだ刹那に少年はいなくなっていた。


 

 それから数秒だろうか、突然私たちの方へ向けた敵からの発砲が一切なくなった。


 恐る恐る柱から身体を乗り出し、敵の方へと目をやった。



「え…」


 

 敵は"いなかった"。


 目に映る全員が全員、その場に倒れていた。



 異様な光景が、二度も続いた。










「止国の…他の兵は?」


 少年を前に、ルータリさんは質疑応答を投げかける。


「いない、俺の単独行動だ」


「単独行動…どういうことだ」


「止国は動けない、だから俺が単独でここまで来た」


 一人で"止国の役割"を担いに来た少年。


 ただただ不気味な存在だった。


「…名前は?」


「ない、番号だけだ」


「そうか、止国兵…お前はどちらの味方だ」


 少年はその質問に数秒黙り込んだ。


 そんなことなど考えてはいない、という表情だった。


「この戦争を続けようとする方の敵だ」




 不思議だった、戦争は着実に終わりに近付いているはずなのに———匂いが消えない。







「シィ、この止国兵を案内してやれ」


「…あ、はい!」









「ここがあなたのテント」


 テントの中に入り、ランプのスイッチを入れる。


「いいのか」


「うん、むしろ空きテントばっかりだから…」


 少年はテントの端っこに置かれた机に、腰につけていた銃を置いた。


「ねぇ、一つだけ教えて」


「なんだ?」



「死の匂い…死ぬ予感が常に付き纏うってことはある?」


 銃の解体を始めた少年は、無言で私の訳の分からない言葉を聞いていた。


「…数ヶ月前まではあった」


「え…」


「死の匂い、ずっと俺は死ぬんだと思ってた…でも死んだのは俺じゃなかった」


 哀しげな目を、解体された銃のパーツから私に向けた。


「大抵そういう予感ってのは降りかかる時は自分じゃない」


「じゃあ私が感じてるこれは…?」


「あのルータリって女かもしれないし、もしかしたら俺かもしれないな」


 そして少年はまた銃のパーツを吟味し始めた。


「…そう」










 朝、起きると少年はテントの中にいなかった。


「あれ…どこ行ったんだろう」


 名前を呼ぼうにも、名前が分からない。


 ルータリさんのテントから声が聞こえてきた。


「ここにいるのかな」


 テントの中を覗くと、少年は電子型の地図を持ってルータリさんと話していた。


「シィ、入ってこい」


「…は、はい!」


 中にいるのは、本当に少年とルータリさんの二人だけだった。


「昨夜、コイツが偵察に行ってくれた」


「それって…」


「あぁ、私たちの方から攻め落とす」


 防衛ではなく、攻撃。


 戦争の終焉の為に、私たちはこれから激化へと足へ進める。


「すまんな止国兵、お前を武器のように扱って」


「最初から武器だ、気にすんな」


 少年はポケットに両手を突っ込み、テントから出て行こうとした。


 出口でピタっと足を止め、私たちの方を振り向いた。


「あまり、アテにするなよ」


 そう言うと、その場からいつの間にかいなくなっていた。



「…冷たいですね」


「許してやれ、止国兵の立場はいつも中立だ」







 止国某所。


 窓は無駄にでかいくせに、日光はなかなか入らない部屋。


「A-0401の無断出撃…あなたが手伝ったのですね、バーナー教官」


 イクリスは窓側で、反対側の俺を少ない日光を背後に立って見ていた。


「問題ないだろ、アイツは銀だぞ」


 あの騒動から数ヶ月、サズファーの手によってこちらが受けた被害は簡単に取り戻せるものではなかった。


 止国は丸一年、行動不能の状態に陥ると判断を下されるほど。


「単独行動が許されるのは金からですよ」


「いくら教官でもそんくらい知ってる」


 教官には階級がない、しかしそれ以上に止国というものには熟知している。


「なら…何故」


「あの戦争、一人で終わらせれば坊主は金に昇格だろ?」


 前線班における金階級の条件、それは"戦争を止められる"程度の戦力を単独で持つこと。


「…屁理屈ですね」


「それに、俺が手を貸さなくても坊主は行ってたとも」


「行動を起こされるなら早いほうがいいと?」


「行動を"起こす"なら早いほうがいい、だ…坊主を悪人扱いするな」


「バーナー教官…あなたは」


「安心しろ、坊主は上手くやる」



 






「お前はここにいろ」


 そう言って少年は小さな銃を持って敵の集団に突っ込んでいく。


 ルータリさん曰く、あれは"止国式"と呼ばれる武器なのだと言われた。


 止国のみにしか扱えない非合法の技術の集約品、もとより私たちが使っても反動で腕が千切れるらしい。


 私は何も言わずに、不満に思いつつその命令に従った。


 不満、ルータリさんにその不満に従うよう理由付けをもらった。


 私の役目は、アドリーの警戒なのだと。


 "アドリーとあの止国兵が一対一で戦ったのなら間違いなく止国兵が勝つ"、そうは言ってもあの男は呪いを持っている。


 真っ向から来るとは思えない、戦場を遠くから見ていてもおかしくはない。


 私はそれをひたすら探す———。


 

 スコープを覗き込み、周りをひたすら見回す。


 その間、少年は敵集団への蹂躙を続けていた。


 ———あれでも、一人として殺してはいない。


 一昨日、私が救われたあの日も少年は誰一人として死人を出さなかった。


 優しさなのか、それが止国のやり方なのか。


 殺すよりも怪我をさせるほうが損失は大きい、というのは聞いたことがある。


 しかし、それはそうだろう。


 戦場において怪我だけをさせるのは殺すよりも難しい、狙うとなれば尚更だ。


 "無謀ができる"、止国とそれ以外にはそれほど圧倒的に戦力に差がある。


 ただ強力な止国兵だということは分かっているし、私も戦闘においては素人だから、思い違いかもしれない。


 少年かれの戦い方は、何というか——命を顧みないようで生への執着を忘れきれていない——そんな感じがした。



「なんや、よそ見はあかんな」


 突然、背後から聞こえた声に身構えかけた瞬間。


「———っあ」


 全身をとてつもない衝撃を駆け巡る。


 ———あの男だ。


 空中に衝撃で飛ばされたのだと理解し、男の顔を認識した。


 地面に落ちるまでの"スロー"の時間、銃を覗き込み、引き金を引く。


 火花が散った瞬間、スローの世界は終わり弾丸は男へと向かっていく。


 男が鼻で笑うような声を出すとともに、弾丸は的外れの木に当たった。


 身体は地面にぶつかり、受け身を取りつつも痛みが頭を這いずる。


「なんや、君ぃ…弱くなったんちゃうか?」


「なんで…」

 

 スローの空間で、弾丸を外したのは初めての経験だった。


「君、やっぱ呪いに頼ってんやな」


 私が"呪い"を持っている、男はそう言った。


「私は呪いなんて…」


「そうかぁ?君ぃ、否定できる材料ないやん」


 空間がスローに見えるのは単なる才能か能力だと思い込んでいた。


 ただ、それが呪いではないと否定はしきれない。


「まぁええわ、精神に影響されて変動する程度の呪いなら見込みはなさそうや」


 男が腰からナイフを抜いた。


「…っ!」


 私は、この男の攻撃が一度だって避けられたことがない。


 そういう類の呪いなのだろう。


 無造作でも回避行動を取るべきなのか、防ぐべきなのか、私の頭を考えが巡る。


 一瞬の巡りに唆された私の行動は一手遅れる。


 死ぬ、そう思った瞬間に違和感があった。


 思考とは裏腹に死の匂いが消えた。


「——なんや」


 男は攻撃を始動寸前でやめた。


 そのことに気を取られて、見落としていた。


 いや、見えなかった———?


 男がナイフを持っている左手に銃弾が通った穴があった。


 血が吹き出している。


 男は舌打ちをして、またその場から文字通り"消えた"。


 あまりにも一瞬の出来事で、私には何が起きたか理解できなかった。



「無事か」


 木の影から少年がゆっくりと姿を現す。


 ついさっきまで敵を殲滅していた少年は、いつの間にか私のいる崖の上まで登ってきていた。


「…え?」


 少年の右手には、止国式の銃が握られていた。


「アイツやけに丈夫だな、普通は半身吹っ飛んで死ぬんだが」


 そう告げる少年の目は、男がどの方向に逃げたのか理解しているように東を見据えていた。



「…わかるの?」



「まぁな、馬鹿正直に真後ろに逃げはしないだろうし」











 濁った湖を背景に、ルータリさんがタバコを吸っているのを見かけた。


 近付こうと、思った途端。


「すまんかったな、シィ」


 タバコの煙が当たらない程度の距離で私の足を止めるように、謝罪の言葉が飛んできた。


「突然…なんですか…?」


「いくら兵としてここに来たとはいえ、お前をここまで危険な目に合わせているのは私のせいだ」


「そんな…ルータリさんは何も!」


「アドリーのせいでこの戦争は長引いている、元凶は早くアドリーを殺しておかなかった私だ」


 罪悪感に塗れた、赤子のような泣き出しそうな目をしていたその人を見た。


 私はゆっくりと、タバコの煙の奥へと足を進める。


「シィ…」


 隣に立って、月明かりを反射する湖を眺める。


「いいんです、私…もうこの匂いで落ち着くようになりましたから」


「以前、お前は言っていたな…"本質に抗う"のが人間だと」


「はい、抗うことは生きること…ずっと昔に聞いた言葉です」



 それは今この時代にこそ、必要な言葉なのだろう。


 今になって思い出したのは、必要な時だから———きっとそうなのだろう。


 "昔"、その言葉でもう一つ思い出したことがある。


「…ルータリさん、"呪い"っていうのは過去が深く根付いているモノ…そう言ってましたよね」


「ん?あぁ、あくまで不終の教えではな…」


「私、母の言葉も…父の言葉も覚えているんです…だけど…」


 あの男に言われて、アドリーに詰められてようやく違和感に気が付いたことがある。


「母と父のこと…いえ、この戦争以前のこと…何も思い出せないんです」












「もう二時だよ、寝ないの?」


 少年は、ルータリさんがタバコを吹かしていた湖の向こう側で反対側から月明かりを見ていた。


「いつもは丸一日あれば戦争なんて終わらせてたからな、どうも戦場じゃ寝る気にはなれないな」


「…そう」


 止国とは、やはり私たちとは違う常識を持っている。


「ねぇ、やっぱり名前教えてよ」


「…だから名前なんて」


「嘘だ、絶対あだ名とかあるでしょ?」


 少年は数秒黙り込み、私の顔をじっと見つめた。


「なんで、そんなに気になるんだ?」


 不思議そうに見えて、表情はいつもと何も変わらない顔。


「なんでって…仲間でしょ?」


「…言ったろ、止国は中立の立場だって」


「じゃあ友達」


 "友達"という言葉を聞いた途端、何かを思い出したのか、少年はピタッと体が止まった。


 また数秒の沈黙の後、何も言わずその場から立ち去ってしまった。


「…へんなの」








 一ヶ月前。



 


 白いベッドに横たわり、布を顔に被せられた少年。


「この子供が和束優、此度のサズファー討伐に貢献した少年か」


 ベッドの隣には俺と大男と、老婆が一人。


「死後、銀階級に上がった稀有な例ね…」


 老婆はシシル・リーク教官。


「和束…テイーストルクの名前だな、過去童楼家と関わりが深かった和束家の人間がなぜ止国にいたかはさておき、とてつもない活躍だ」


 大男はサンスクリット・リーク。


 二人が親子である、以外のことを俺は知らなかった。


「この子供の遺体は今後、俺たちの方で処理する、異論はあるかA-0401」


 俺が呼び出されたのは、今後和束の遺体をどうするか———という話らしい。


「…なんで俺に聞くんだ」


「キイチ教官は友人である、あなたに決めて欲しい…そう言ってるの」


 あの先生なりの優しさ、なんだろう。


 でも俺にはそんな心の余裕がなかった。


「別に、異論は特にない…」


「そうか、呼び立てて悪かったな」








 計画通りにいけば、明後日には戦争は終わる見込みだ。


 何よりも大事なのは、"止国"がこの戦争に関わり始めたと気が付かせること。


 止国兵が一人来た程度で正式発表はされない、なら圧倒的な戦力で気が付かせる。



 死の匂いが消えた、必ず成功するという後押しにもなっている。


「シィ、起きてるか」


 テントの外から、声が聞こえてきた。


「少し来てくれ」


 テントの外に駆け足で出ると、そこに立っていたのは銃を持った少年だった。


「…何?」


「ルータリから聞いてる、射撃が上手いんだろ、ちょっと見せてくれ」


「いいけど…今夜中だよ?」


「わかってる、だからこれ」


 止国式、特殊な刻印が刻まれた銃を手渡された。


 少年がいつも腰に付けている銃とは違うものだった。


「音は鳴らない、好きなだけ撃て」








 木に引っ掛けた的から十メートルほど離れた場所で銃を構えた。


 この前もやった、その時はブレはありつつも全弾的の中心に命中した。


 少年は的の隣に立っていた。


「撃て」の指の合図。


 瞬間、引き金を引いた。


 弾丸は中心から右に少しズレた位置に当たった。


「…ま、初めて触る銃にしちゃ上出来だな」


 少年は小声で何かを言った後、銃弾が通り抜けた穴を人差し指と親指で円を作り囲んだ。


するとまた「撃て」の指の合図を出した。


「え…そのまま撃つの…?」


 指の間を通り抜けて、もう一度今撃った場所を撃てと言うのだ。


 外れれば少年の手に弾丸が当たる、あまりにも危険すぎる。


 しかし少年は、"怖気付くな"という顔でこちらをじっと見つめている。


「…もう、撃てばいいんでしょ…!」


 引き金をもう一度、引く。


 引いた瞬間、さっき引き金を引いた時の感覚とは全く違う感覚。


 "外れた"と撃った瞬間にわかった。

 

 弾丸は少年の人差し指へ向かっていく。


「あ…!」


 しかし、少年は表情ひとつ変えずそのまま弾丸をキャッチした。


「確かに、これじゃ射撃だけで何人も殺したってのは信じ難いな」


 少年はゆっくりとこっちへ近付いてくる。


 違和感、前なら"当てられた"という確信。


"弱くなった"というのは本当かもしれない。


 無言で銃を返した。


 すると少年は的を見もせず返された銃の引き金を三回引き、中に入っていた残りの弾丸を撃ち切った。


 的に変化はなかった。


 その三発の弾丸は、全て私が最初に撃った弾丸の穴に全て綺麗に入っていた。


「別に、あんなふうに完璧になれとは言わない」


「私、射撃下手になったかも」


「別に…この戦争が終わったら射撃なんて忘れちまえ」


 少年はそのまま銃を私の手に再び置き直して、テントの方向へ歩き始めた。


「そうだ…さっき俺の名前について聞いてたな」


「…?」


「ロボハン…友達にはそう呼ばれてた」


 ——少年が名前を教えてくれた。



「ロボハン…うん、わかった、ロボハンね」










「シィ、これ持ってろ」


 ルータリさんから、小さな小型のチップのようなものを手渡された。


「なんですか?これ」


「あの止国兵が持ってきた発信機だ、アドリーと対峙したらすぐに場所を知らせろ」


「わかりました」


 直接ロボハンから私に渡さなかった理由は疑問に思わなかった。


 なんとなく、あの性格だとこういうやり方しかできないのだろう。


 変なところで意地を張る、どことなく男の子な生き方が私たちとは変わらないことに安心する。



「三十分後に出る」


「はい!」


 テントを出る、大量の荷物と人で動きにくい空間だった。


 その人々の合間から、明らかに目立つ白髪の女性が通り過ぎていくのが見えた。


 まるでその人だけが発光しているような、不思議な雰囲気を纏っている。


「…あの人!」


 私はその人を知っている気がした、遠すぎる記憶のどこかにその人はいた。


 人と人の間をすり抜け、走ってその人を追いかける。


「あっち…何もないはずじゃ…!」


 何もない岩の壁が続く方角へ、ゆっくりと——それでいて早い足が私を導いていく。



 人ごみをすり抜け、見失ったその人の方向へと走り続ける。


 どうして私はこんなに焦っている?


 走っている?


 知ってる?私はあの人を今初めて見たのに?


 何もない壁に突き当たり選択を迫られ、直感で右へと走った。


 こんなところに、人が来るはずがない。


 幻想、幻覚じゃないかと疑った。


 それでも私のスピードは落ちない。


 すると、壁に大きな穴とその先に広がる小さな空間を見つけた。


 息を切らしながら、その洞窟の中へ足を進める。




「こんな、とこが?」



 洞窟の真上に穴が空いていて、日光が刺している。


 日光の当たる場所にだけ、綺麗に白いような青いような花が咲いている。


「綺麗…」


「あなたですか、私をつけていたのは」


 美しい光景に目を奪われ、花の向こう側にいるその人に気が付かなかった。


「あ!あの、すみません…私どこかであなたを」


「知りませんよ、知っている気がするのなら…それはあなたではない誰かの記憶です」


「誰かの…記憶?」


 美しい、白と黒の混在した衣装に身を纏い、虚弱なイメージの薄い肌に少女のような声をした落ち着く声。


「あなたに会いに来たので私は知っていますよ、あなたの知りたがっていることが」


「知りたがっている…こと?」


「呪いのこと、あなたの過去のこと」


 不気味と引き切らぬ恐怖を重ね持ち、長い前髪の間から見える蒼白の目には私が映っている。


 理想と現実を同時に見据える、私が欲した時代遅れな目を。


 私は迷わず答えた。


「教えてください」


 たとえどんな答えでも、私のすることはひとつだ。


「えぇ、ならまずは呪いのことから…まぁこれについては何もありません」


「何も…?」


「あなたに呪いなんてありません」


 なら、私が戦場で使えているあの空間は?


 ただ本当に、走馬灯のようにゆっくりと見えているだけなのか。


「それについては、私もわかりきっていませんから…この戦争が終わったら第二楼共和国にある童楼家へ向かってください」


 童楼家、製薬会社の名前で聞いたことがある。


「童楼…どうしてですか?」


「童楼澪という少女があなたの酷似している性質を持っています、彼女に会えば何かわかるかもしれません」










「終わったな」


 激戦ともいえぬ、ロボハンの一方的な蹂躙の後。


 倒れている人々は足を折られているか撃たれているかの二択、もれなく全員気絶している。


「アドリー、いなかったね」


「…あの男、諦めたのか?」


「それはないと思う…けど」


 アドリーという男は復讐心で動いている。


 ロボハンが止国兵だと気が付いていてもおかしくはないのに、今回は姿を見せなかった。


「とりあえず、やることはやったし帰るぞ」


「うん」


 そそくさと歩き始めるロボハンの背中を追いかける。


 二歩後ろ、ロボハンの背中を見ながら歩いた。


「なんか、浮かない顔してんな」


 帰りの方向を向いたまま、ロボハンが突然そう口にした。


「…わかる?」


「なんとなく、な」


 足を止めると、その音に乗じてロボハンも足を止め私の方を見た。


「何があった?」


 あの女性に告げられた二つの目の情報。


 何が来ても受け止める覚悟だった私に、混乱を残すものだった。


「私、過去のことが思い出せないんじゃなかった…」


「それ、どういうことだ」


「私ね、過去なんてないみたいなの」


 思い出せない記憶なんて、最初からなかった。


 母も父も、思い出すべきものなんてどこにも。









「数ヶ月前、世と理の…いえ…死人を保管する場所から一人抜け出した者がいました」


 "世と理の"、女性は何かを言いかけて別の言葉に言い直す。


「…簡単に言ってしまえば冥界ですね、呪いと同様、非現実的な話ですが」


 淡々と女性は話し始める。


「抜け出した一人は形だけを持ち、空っぽのまま人の理想、この戦争を終わらせてほしいという願望で埋め尽くされました」



 空っぽだったコップに、どこからともなく降ってきた雨水が満たされるように。



「誰かの記憶と誰かの記憶を繋ぎ合わせ、偽りの過去を作り出して」



 拾った布同士を縫い合わせるように。



「シィ、率直に言います」



 女性は深く息を吸う。



「あなたはこの戦争が終わりに向かえば向かうほど、役目を果たし力を失っていきます」



「…それって」



「ええ、銃を持つことも出来なくなるでしょう」



 確かに答えだった、呪いではない何かも。








 

 シィ、彼女に全てを伝えた私は"元の場所"に向けて足を進めている時だった。


 今頃、彼女と止国兵の少年は戦場にいるだろう。



「なんやエラいあのガキに加担するやんか、"童楼咲葉"」


 ポケットに手を突っ込んで、背後に佇む男が一人。


「アドリー、まだあのくだらない宗教に関わるのですね」


「くだらないのは君ぃらイクツガの人間も同じやろ?人類滅ぼすなんて趣味悪いわ」


「私はイクツガの人間ではありませんよ、私はただ協力を惜しまれればするだけです」


 そういう生き方しかできない、ある意味では動物や虫と何も変わらない。


「そのスタンスは自分を殺すんやないで、他人を殺すことになる」


「えぇ、知っていますよ…それはあなたも同じでしょう?」


 回り回って人を殺す、誰もがやっている。


 戦争ならば尚更だ。


「…あの止国兵は俺が直に殺すんや、勝手に死ぬわけやない」


 この戦争は長引かない、きっとアドリーは明日には死んでいるだろう。


 



…【夢の花】…






 空っぽだと思っていた心は実は満たされていた。


 しかし、今はこの戦争が終わりに向かうたびに空っぽになっていく。


 今はまだそうではなくとも、私は満たされて、満たされたまま死ぬ人間だったはずだ。


 充満する死の匂いから逃げてしまった瞬間から、全ては変わってしまったのかもしれない。



「別に、戦争が終わったら銃なんて持たないだろ」


 ロボハンは楽観的な答えを返す。


「でも、私の役目は…」


 深刻なようでいて、実は簡単だった。


 そう、彼も最初は満たされて生まれていたのだから。


「知らね…ここは止国じゃない、お前はこれから普通の人間として生きて、別の役目を探せばいいだろ」


 目的を持って生まれ、それを死ぬまで捨てることなんてできない境遇。


 私よりずっと過酷なはずだった。


「そう…だよね、なんかごめん」


「謝ることじゃない、銃を持つのは俺たちだけでいい、そうさせてくれってことだ」


 そう言ってロボハンは、私の腰についた銃を抜いた。


「戦争が終わったら、じゃない…今日でお前の役目は終わりだ」


「え…」


「明日は、ルータリから離れずここにいろ」


 そのままロボハンは抜いた銃を持って行ってしまった。













 ロボハンに言われたこと、あの女の人に言われたことを私はそのままルータリさんに伝えた。




「そうか、ならその指示通りお前は私のもとから離れるな」


 計画にはなかったこと、しかしあっさりとルータリさんはロボハンの指示を聞き入れた。



「…はい」



「落ち込むな、アイツはお前のことを思ってこうすると決めたのだろう」


「そう、ですかね…」


「私が同じ立場でもそんな決断はできないだろうな、止国兵故の強さ…それと優しさだ」


 私の役目は、ここまで。


 本当にそれでよかったのだろうかと思う。


 あんなに憎んでいた戦争が役目ではなくなった、清々しくなるはずだというのに。


 多くの人に望まれて生まれた私には、それしかないのではないかと。


 それ以外のことに罪悪感すら覚えるのではないかと。


「シィ、思い詰めた顔はやめろ」


「…あ、ごめんなさい」


 ルータリさんは、机の上に置かれた箱からタバコを取り出した。


 


「役目を持って生まれる人間はそういない、持っていたとしても果たしたのなら…そいつは誰がなんというと自由になる、忘れるな」


「…はい!」











 あの月明かりの反射する湖の前で、黄昏るように寝転がるロボハンを見つけ、隣に座った。


「ルータリさんにも、同じこと言われちゃった」


「だろ?お前の考えすぎだ」


 湖の揺れる水の音、私とロボハンの声だけが流れる。


「…ありがとう、ロボハン」


 謝るよりも、感謝しよう。


 その瞬間、心はようやく晴れた。


「ロボハン、一緒に世界を見ない?」


 私は次の役目を探そう。


「…世界?」


「うん、いろんなとこに行ってみたい…童楼家にも出向かないとね」



「なんで、俺なんだ?」



 ロボハンは体を起こして、私の方を見つめる。



「……言わなきゃダメ?」



「別に、言いたくないなら言わなくてもいい」



「私、ロボハンのこと、好きだから」






「…そうか…まぁ、俺が金階級に上がったらちょっとくらいは付き合ってやってもいい」




「なにそれ?金?」



「止国の一番上の階級、上がったら自由に止国を出入りできる」



「…ん、じゃあ約束」




 私は小指をロボハンに向けた。


「なんだそれ」


「指切り、知らない?」













 私はもう銃を持たない。


 テントの中から、武器という武器は無くなった。



 ベッドと食料とランプ、それくらい。



 隙間から見える朝日、外に出るとそこには準備万端のロボハンがいた。


「起きたか?」


「うん、おはよう」


 腰にはいつもより多い数の銃、防弾チョッキなんてらしくないものも身につけてポケットには弾薬が入れてある、暑苦しく重そうな装備。


「発信機返した方がいい?」


「いい、持ってろ…」


「…そんなに装備いるの?」


「アドリーってやつがまだ未知数だしな、多分勝てるけど」


 手榴弾、特殊な形をナイフ、ありとあらゆる物がその装備に含まれている。


 それはおそらく止国兵、本来の姿。


 本来は戦闘機とかも諸々生身で対処するのだから、むしろ少なすぎる装備のようにも見える。


 ロボハンは小さな機械を取り出して、端についたスイッチを強く押して口元に持っていく。


「A-0401作戦開始二時間以内には帰還する、それ以降は死亡とする」


 ボタンから指を離し、そのまま私に向かって機械を放り投げた。


 受け止めはしたが、意味を理解していない私を察してロボハンはまた口を開く。


「俺が行方不明になったらそれそのまま止国に提出してくれ」


 止国の中で死亡届を受理するための証拠、ただそうはならないと確信していた私は何も言わなかった。


「じゃ、行ってくる」


「行ってらっしゃい」


 軽く手を振って、微笑みかける。








 開始から三十分。




 快晴だ。


 戦争中とは思えないほど綺麗な空、終わりを祝福しているのか


「シィ」


「…はい?」


「感謝する、ここまで耐えられたのはお前のおかげだ」


 突然ルータリさんが言い出したことに、私は驚きはしなかった。


 ただただ、嬉しかった。



「私、戦争はやっぱり嫌でしたけど…ルータリさんとロボハンに出会えてよかったと思ってます」


「ロボハン…あぁ、あの止国兵か…よかったな、私もお前に会えたことを光栄に思う」



 風が吹く、終わりを告げるのか———。


 水が揺れる、始まりを祝うのか———。


 草木が踊る、見届けるのか———。





 小さな爆弾も、銃も、もう私の手にはない———望んでいたものはきっと"手に入った"。


 暗闇はない。太陽の光を浴びて、私はきっと大地を歩ける。


 絶望はない。人の希望を見て、私はきっと並んでいける。


 


 深く息を吸って———。




「———」



 銃声が響き渡る。









 


 作戦開始から四十分程度で敵は撤退した。


 止国が動いたと理解した途端、これだ。


「…バカな連中だな」


 もう互いに銃を向け合うことのない大地に俺は立っている。


 シィのいる場所に帰ろう、やるべきことはやった。


 終わらない役目の一項目にチェックがつく。


「…そういや、あのアドリーってやつ…最後まで」


 "アドリーが、いない"


 途端———突然体を走る嫌な寒気。


 眼球が収縮するような本当に嫌な違和感。



 息を吐いて全力でその場を走り去る。


 押し返す風を殺すように足をひたすら動かす。





 装備を全て投げ捨て、ひたすらスピードを上げる。



「シィ…!」



 予感、あの予感だ。



 "和束が迷わずにサズファーに向かっていった時"のあの———寒気。








 



 初めて撃たれた。


 最初で、最期の弾丸———?


 アドリーが何故、ここに?


 あの男の目的は止国兵、ロボハンのもとに現れるはずじゃ———?


「あ…れ」


 ———今、私はどこにいるんだっけ?



 暗くて視界が悪い、緑色と土。


 テントの中だろう。


 撃たれてから十分は経過したのだろう、妙に腹が熱い。


 無意識に右手が張り付いている腹部は、きっと血を止めている。


 体はもう、それ以上のことはできない。


「……」



 息一つ一つが重い、深い水の中にいるようで。


 ルータリさんはどこだろう、大丈夫かな。


 撃たれてないかな、逃げられたかな。


 ルータリさんなら倒してくれたかな。



 あまりにも体を蝕む熱は、聴覚を疎かにしていた。


 飛び交う銃声に意識が巡らなかった。


「…違う…よね…頼るのは」


 鮮血まみれの左手を赤く満たされた地面に強く押し付け、体を起き上がらせる。


 全身をまた別の熱が襲った、それでも体はゆらゆらと揺れながらも立った。



 机、箱、ありとあらゆるものに体重を支えられながら外へ向かう。


 倒れ込むように体重を揺られでた外には、男がいた。


「なんや、まだ死んでなかったんやな」


 どうやってロボハンを掻い潜ってここまで来たのかは興味しらない。


 男は腰についた銃を抜き、私の目前の地面に投げつけた。


「やるんやろ?とれや」


 炎の中、あの日見た死体の山々と回帰する曇天。


「…!」


 例え勝てなくても、この男———を。


 血を垂らしながら、地面に落ちた銃に手を伸ばす。


「やめろ!シィ!」


 背後から聞こえる声。


 よかった、ルータリさん生きてたんだ。


 なら、尚更私は銃を持たなきゃ。


「ごめん、ロボハン」


 しかし私が動かしたその腕は、突然視界に現れた大きな手に優しく阻まれた。


「…!」


 見上げると、そこに立っていたのは大きな男性だった。


「その傷じゃ無理だ、君はルータリと逃げろ」


 その人はルータリさんを指さして私に優しい目を向けた。


「…えっ…あなたは」


「なんや、お前」


 アドリーがゆっくりとこちらに近づいてくる。


 男の人はアドリーの方へ振り向いて、歩き出した。


「不終の生き残りだな、お前の探していた止国兵だ」


「止国兵…だと?」


 止国兵、その人は間違いなくそう言った。


「お前…!バーナー・ラステンクスか」


 ルータリさんが私のもとに駆け寄り肩を貸してくれて、そう言った。


 バーナー、その人は何も言わない。


 完全に目の前の人間と殺し合う、そういう雰囲気をしていた。


「逃げるぞ、シィ」


 おぼつかない足をルータリさんに支えられながら歩く。


 急げと鼓動が言っている。




「あ…発信機…」



 ロボハンが持たせてくれたあの発信機、もしかして———。







「止国兵、お前らはいつもいつもいつも…!!!」



「さっさと来い、恨みがあるなら」



「全員、ぶっ殺してやる———ガキもテメェも!!!」



 男がこちらに向かって全力疾走で走ってくる、遅い。


 武器は銃———違う、腰に隠したナイフだろう。


 走る構えからして何か格闘や武術を使ってくる人間ではない。


 アドリーだったか、坊主が一度逃したのなら何かしら策を持っているに違いはない。


 間合に入った途端、自身の右拳を繰り出した。


 瞬間、男は背後に突然スピードを上げたのか消えたように移動した。


 

 問題ない、とそのまま背後にいる男に向かって右肘を喰らわせた。


「———ガ——ッあ」



 男は声を上げ、そのまま地面に強く叩きつけられた。



 抉れた地面に埋まる男はぐちゃぐちゃになった肋骨を剥き出しに震えた手を伸ばす。


「な…なん…でや、俺はお前ら止国兵を殺す…た、ために」


 恨みの声、戦場でどれほど聞いたかわからない声だ。


 もう慣れている、決まっていつもそういう奴には何も言わずにその場を去る。


 

 ただ、今回ばかりは男を見下ろした。


「…バーナー、来てくれたんだな」


 ゆらゆらと歩きながら、片手に銃を持って坊主はその場にやって来た。


「お前がケリをつけろ」


 坊主は"言われなくても"、という顔で倒れた男に銃口を当てた。


「呪っ…て…やる、地獄から…お前ら全…」


 声に重なる銃声、男が何かを言い切る前に坊主は銃口を引いた。


「あぁ、地獄でな」









 いつか、あの女性に会った洞窟に雲のせいで今日は太陽の光を差し込まない。


 身体からどんどん力が抜けていく感じがした。


 全身を駆け巡った熱はもうない。


「待っていろ、シィ…弾丸を抜いたらすぐに止血する」


 痛みはもうない、心臓がドクドクと制限時間を早めていく。


 ルータリさんは手慣れた手つきで私の傷を見てくれる。


「弾は抜けた、あとは止血だ」


 片手で小さな道具を器用に扱うルータリさんは、どこかカッコよかった。



 私の身体から抜け出した弾丸を見た、不思議な形状をしている。


 弾丸、というよりは注射器のような。



「…ルータリ、待て」



 洞窟の外に立っていたのは、ロボハンだった。



「ロボハン…ようやく来てくれたんだ」


 どこか浮かない顔をしている、それでもそこには私の待っていた人がいる。


 その手には、私がさっきアドリーに拾えと投げつけられた銃があった。


 アドリー持っていたのだから、私を撃った時に使ったのもきっとあの銃だろう。


「…ルータリ、シィは撃たれてから何分立った」


「五十分ほどだ」


 汗を流すルータリさんはロボハンの方を振り向かずに、私の止血をしながら受け答えをしていた。


 ロボハンは私の方へゆっくりと歩み寄ってくる。


「…シィ、お前に撃ち込まれたのは毒だ」



 あぁ、どうりで変な弾丸が———。



「止国兵、解毒はどうすればいい」



 ルータリさんがロボハンに質問を投げかける。


「………」



 ロボハンは唇を噛みながら黙っている。


「解毒はどうするのかと聞いている!」


 ルータリさんがロボハンの服を引っ張った。


 ロボハンは下を向いた。


「……無理だ、普通の人間は十分程度で死ぬ、そんな毒がシィの体には完全以上に毒が回ってる」


「私は解毒の方法を聞いている!」


「…ない、その毒は大戦で童楼製薬が作った戦争用の古物だ…解毒薬なんて開発されてない…」


 

「…くそっ!」


 ルータリさんがロボハンの服を力強く離した。



「シィ、お前は必ず助ける…病院に行くまで耐えろ」



「ルータリさん、もういいんです」


 もういい、純粋で完全な崩れそうな本心だった。


 ヒビだらけで、今すぐにでも消え去りそうな心を口にした。



 でもこれ以上悲しい顔をする二人の顔を見たくなかった。


「いいわけがない、お前が死ぬのだけは私は!」


「私の役目は終わったんです…」


 ルータリさんは察した顔をした、今まで見たことのないような驚いた表情。


「ありがとうございます…私、ルータリさんがいなかったらきっと役目を果たす前に…きっと」



「ロボハンも…ありがとう、私は何も返せないけど…」



「…いい、感謝するのは俺の方だ…お前が俺に言ってくれた夢は必ず俺が果たす」


 ロボハンはさっきまでの悲しい顔とは裏腹に、強い眼差しで私を見た。


「流石、ロボハンだね…うん」


 希望が見える死に際、本当はもっと———。



「ほんと…は、本当は…」



 何かが込み上げてくる、涙が流れてくる。



「ルータリさん…ロボハン…もっと一緒にいたかった…」


 視界が涙でぼやけて、身体の弱った筋肉が震える


「もっと生きて…ロボハンと…世界を旅したかった…」

 

 震える手を、二人は強く握ってくれた。


「…あぁ、行こうな、お前が次来る時までには、お前が欲しがってた世界にするからな」


 ロボハンの優しい声で安心して、目を瞑ってしまいそうになる。


「止国もない、戦争もない、シィがいる世界にな」


「ありがとね…ロボハン」


 重い頭を動かして、ロボハンの顔に迫る。


 ゆっくりと、ロボハンの頬にキスをする。


「本当に…本当に…」


 止血したはずの傷口から鮮血がまた流れ始めた。


 無理をしすぎたのだろう、今が奇跡なのだから、これ以上欲張るのはやめよう。


 青白い花が、私の紅で染まっていく。


 視界もいつしか紅い、もう目を開けていられない。


「待て——いくな、いかないでくれ!」


 今にも消えそうな私を、彼は必死に呼びかける。


「——て、———い!」


 もう体は動かない、戻ることはできないのだろう、そう理解した。


 最期に残りゆく意識、心の中で何度もなんとも、消えるまで"ありがとう"を言い続けた。


 二人にはきっと届いている。




「ありがとう」









 洞窟の中で、ただ立ちすくむ坊主とルータリの背中。


 その二人の姿は、いつかの雨の中で母親の墓を見つめる少女の姿に酷似していた。


 坊主はゆっくりと振り向き、洞窟の出口まで歩いて来た。


「また来る」


 その言葉はきっとこの場にいる誰に当てたものでもない。


 他でもない自身に言った言葉だった。


「帰るか、坊主」


「あぁ」


 どこか震えた声、目元は見えなかったが想像はできた。


「世話になったな、ルータリ」


「……止国兵、感謝する」


 ルータリは、少女の遺体を見つめ続けたままそう言った。


「バーナー、あの発信機…ありがとうな」


「…本来とは用途は違ったが、お前の選択は間違ってない」



 そう言うと、坊主は何も言わず下を向いたままその場から去っていく。









 戦争は終わった。


 一人で戦争を終わらせた坊主の行動は、無断で単独ではあったもののその功績は大きい。


 それに、金階級の条件も満たしている。


 稀有な事例ではあるが、サズファーも似たような理由で金階級に上がったのだからこうなることはわかっていた。


 普通なのはアスヤは積極的に任務に参加していたし、イクリスも医療班とはいえ同様な理由だ。


「これより、等級昇格式を行う」


「昇格者は前へ」


 この国の役割は単純、どこかで戦争が起きたら止める、ただそれだけ。


 それ以上は知る必要はない。


 それ以上は知らされていない。


「A-0401、前へ」


 

 昇格式が終わった、これで金階級がまた一人増えた。


 会場から出てくる坊主はとても喜ばしい顔ではなかった。


 金階級に上がって喜ぶ人間なんてのは、見たことがないが。


「これでお前は晴れて金階級だ、まずは付き人を」


「バーナー、悪いけど俺…当分止国には帰ってこない」


「…そうか」


「キイチ先生には伝えてある」


 また坊主はあの日のように無言で立ち去って行こうとした。


「待てよ、坊主」


「…なんだ」


「外に何しに行くんだ」


「父親を探す」



「……よし、行ってこい」


 正義の国、ここがそう言われ始めたのはいつからだっただろうか。


 




◇Country to stop.【Believe and end】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る