第二十一話「save」



 作戦開始から六分ほど、戦闘開始から十二秒ほど——だったか。


 一撃一撃が重い、ガードしようと受け流すたび、地面と空気が揺れている。


 これが"レクタ"、呪いの回収者の力。


「っと!」


 その静かな高速の一撃は重い——が、それは——


「僕の次に———ッ!」


 カウンターによる重撃———レクタを後方の壁へと衝突させる。

 

 この時点で相手の力量を測りながら戦うのは終わり。


 ターンはこちらに切り替わった。


 レクタの腕に拳の跡がついた、呪いであっても物理ダメージは通ることは分かった。


「充分…」


 

 レクタの体重は殴った瞬間の感触と後退した距離から推測するに百十キロ程度——。


 単純な筋力量なら、"サズファー"より上だが——力の使い方がまるでなっていない。


 言葉通り、力任せだ。


「強いな、和束優」


「お褒めに預かり光栄だよ」


 割れた地面を踏み、体を速度の世界へと追いやる。


 一瞬、視界が全て白く消え去るほどの速度から放たれる空間さえ凌駕する拳の一撃。


 レクタはさらに壁の奥へと一直線。


「———!!」


 衝撃の反動はありとあらゆるものを崩壊させる。


 その影響が最も最初に来るのは、"自身の心臓"。


「う…ぐっ!」


 心臓が空気の入れすぎた風船のように体の中で弾け飛んだ。


 第二に影響する地面が崩れ、弾け飛んだ心臓のダメージと共に足場が崩れる。


 体制を崩し、口から流れ出る鮮血を割れた地面に垂れ流す。



「やっぱり…ロボハンの真似事なんてしてみるものじゃないな…」




 壁と地面が粉々になった土煙で悪くなった視界の奥から埃まみれのレクタがゆっくりと歩いてこっちに向かってくる。


「…自身の心臓すら破壊する一撃か、流石の威力だ」


「——自分でも驚いてるよ…」


 心臓がグチャグチャと音を立てて体の中で元の形を取り戻す。


 口から流れ続けていた血も止まり、再び体を鼓動が走る。


「なるほど、心臓が再生することを知った上で撃った一撃か」


「当然…でも、痛いからこれっきりかな」


「サズファーとの戦いで死んだと思われていたが生存していた、それが理由か」


「———僕を殺したいなら、心臓が動き出しても大丈夫なくらいバラバラにすることだね」




「あぁ——そうしよう」



 周囲の崩れた残骸、瓦礫がカタカタと揺れ始めた。


「…!」


 残骸の下から出てきたのは、ナイフ、包丁、刀、それら全て刃物の類と呼べるもの。


 何度か目にした呪い、周囲の物体を浮かせて自由に操作する呪いだろう。



「今更刃物…?」


 不可解な点は、刃物だということ。


 一般家庭ならどこでも置いてあるような包丁やナイフ、実用的ではない模造刀。


 僕にぶつける——そこまではわかる、ただ大したダメージにならないことも。



 そんな疑問を残した一瞬の最中、浮いていたナイフが一本視界から消えた。



「…え」


 頬から血が垂れている、いや——蒸発している?


 異常に熱い、傷口から煙が出ているのがわかる。


 


 まず理解していることは、見えない速度でナイフを飛ばしたということ。


 しかし戦闘に肥えた目を誤魔化すというのは、単純な速度では不可能だ。


 それほど異次元な速度を出したというのなら、まずナイフが先に原型を保たず崩れる。




「…認識違いだった」




 呪いの回収者なんだから、元から身体能力で戦ってくるはずもない。


 "バカ"なミスだ、最初から警戒すべきは身体能力ではなく呪い。


 ——ならその呪いとは?


  "無機物を無造作に操作する"


 否。


 "無機物を無造作に物質単位で操作する"



 物質単位で操作すれば、形が崩れることなどない。



「実質的な強化…か」


 呪い一つ解明するのに傷一つ、呪いの回収者レクタを相手取るには重すぎる代償。




「———いい加減、本気でやらないとな」












「…ミーレ・イクツガ」



 何度も何度も聞いた声、名前を呼ぶ声。


 暗闇だと思っていた空間は瞳の裏、目を開けば広がるのは見覚えのある廊下。



「あなたであったか」



 自身の名前を呼んだ声、そこに"童楼咲葉"が立っていた。


「不思議だな…そうか…ここが理と世の門の内側の世界か……」


「…不思議なのはこっちですよ、"一人目"」


 童楼咲葉が今まで会い続けた男、ミーレ・イクツガ、その同名である男で"別人が"目の前に立っているのだから、当たり前の反応だ。


「騙し続けてすまなかったな、"童楼の女"……それでこれは私の幻覚か?」


「…気付いていましたか」


 "童楼の女"


 声も、形も、童楼咲葉に違いない。


 しかし、何か決定的なモノ、童楼咲葉にはないモノをその女から感じ取った。


「童楼澪…それならば、ここが門の中の世界…ということに納得がいく」


 死者の魂が集う場所に、私はいる。


「…ミーレ・イクツガ、あなたの行為には不可解な点がいくつか」


「"動機"であろう?…私もついこの瞬間まで忘れていたよ」





「私は、イクツガの名を持つべきではなかった」





 童楼家は、一度滅びた人類を再構築した。


 永遠大戦という数千年前に醜い殺し合いがあった。



 今の人間に比べてひ弱な連中が、知恵を絞り尽くして外敵を殺すことだけに集中してありとあらゆる兵器を作りだした。 


 そう、それこそ"ニュートラル"のような。




 一つ国が滅び、二つ国が滅び、次は四つ、最後には国は一つになった。



 あとは想像もつくだろう、残った人々はまた殺し合った。



 そんな中、戦争に一切関与しなかった連中がいた。


 "童楼家"


 永遠大戦における、生き残り。


 今の人類を再構築した人物がそこにはいた。



 "童楼澪" "童楼咲葉"


「君たちは人類を救った」


「しかし、たった一人の少年の心は救えなかった」



 永遠大戦という今や誰にも知られぬ出来事を知った人間、それが私。


ミーレ・イクツガだった。



「戦争が跋扈する世界で、永遠大戦という地獄の再来を恐れた」


 私は、あのサズファーのような決断をできなかった。


「再びあの悲しい結末を回避するために、人類を滅ぼすという選択肢は私には取れなかった」



「だから、せめて争いのない人類を創り出すしかないと」




 あらゆる助力を得て、あらゆるモノを失った。



「童楼澪」



 



「力を貸してほしい」






「失敗への後始末をしたい、あなた達や…A-0401、レーリ・クラーク、彼らの姿を見て気がつくべきだった」






「争わぬ人類を創り出すことはできなかった、しかし失うに値しない人々がいたことに……彼らの功績を無駄にしないのが、私の最後の仕事だ」



 長々と話を聞いていた童楼の女、一言も口を挟まず閉じていた口が再び開いた。



「それで罪が消えることもなく、それで心が晴れるわけではないとしても?」



「私自身の罪、"二人目"の罪、全て背負って私は罰を受け続ける」




 







「僕、本気出すからさ、そっちも本気で来てよ」




「——和束、優」



 その一言に、レクタは空間そのものの雰囲気が一変したことに気が付いたのだろう。



「躊躇うなよ、筋肉だるま。


さっさと来いって言ってんだよ」




 目の前に立つ、レクタに指で挑発する。




「——あぁ、余興は終わりだ」



 


 空間の震えとともに発射されたそれは全速で、強化され、目で追うことすら不可能の刃物の数々。



 ——致命傷になる部分だけ防げばいい。



「ッ!!」


 一直線にレクタ、その巨体めがけて肉体を加速する。


 狙ったわけではない、がそこに発生する風圧はありとあらゆるモノを受け付けなかった。


「———!」



 神速を超え隙をついた拳の一撃は、巨体を文字通りぶっ飛ばした。


 後退するその巨体を見逃さない、地面を蹴り飛ばし接近する。


 二度の直線を見逃すはずもなく、巨体はすかさず反撃の構えを空中で取った。


「——だろうね」


 巨体の目の前まで一直線に接近した肉体を、無理やり空気を蹴って捻る。


「!?」


 捻った体は放たれた拳の反撃を受け流し、腕の内側、間合いに入り込む力へ変換した。

 

 次は二撃、みぞおちへ拳、横腹へ蹴りを巨体へとぶち込んだ。


「———ゥ!!」


 巨体の痛みを表す声は掠れている。


「くたば——れ!」


 すかさず首を左手で掴み、ずれなくなったがんめんに蹴りを入れる。


 大きな鉄の塊が爆弾で壊されるような、ド派手な音が響き渡る。


 しかし左手で掴んだ首は決して離さない、そのまま左腕を地面めがけて振り下ろした。


 もう一度、次は後頭部めがけて右手の拳を全力で———!!


「う———あぁぁぁぁぁっ!!!!」


 喉が枯れるほどの声で、雄叫びを上げながら一撃を叩き込んだ。


 頭ごと地面に着弾した拳は、地面を大きく砕き地震のような衝撃波を巻き起こした。


 周囲の建物が一気に倒壊する。




 


 土煙と瓦礫の雨が止まないまま、轟音は鳴り響き続ける。



 その瞬間、巨体が体を捻った。


「!?」



 真似た、半端ではあるが攻撃を受け流した。


 瓦礫の隙間から白い腕が首を掴んできた。


「グ…ッ…まだやるか、バケモノ——ッ!!」



 腕の先にある白い巨体めがけて、もう一度全力の一撃を放った。


 その時、自身にも反撃の拳が放れていたことに意識を割く余裕がなかった。


 しかし、それが良かった。



 頭にとてつもない衝撃が走った、反撃を喰らったことに気が付いたのは——その巨体を自身の拳が貫いたあとだった。


 血飛沫が空中で混ざり合った。


 落下は終わりを迎え、地面に衝突した。


 その衝撃で吹き飛ばされた自身の頭に反撃による負傷があったことに気が付くと同時に、拳が敵にとどめを刺した感覚も思い出した。


 全てが埋められていく、目の前に積もられていくその瓦礫の下にあの巨体——"レクタ"がいるのだろう。



 彼にとって、呪いを使えば勝てていた瞬間であっただろう。



 何故そうしなかったのは分からない。


 ただ、その行為に少なからず敬意を表したくなる心があった。


「………さて、あと二仕事かな」


 頭の血を拭い、"少女"のもとへと足を進める。











 ボロボロになり、大きなクレーターが出来上がったレクタの埋もる街の瓦礫をゆっくりと登っていく。


「周りに人がいないとこで、ホントに助かったな…」


 哀しげな風が吹いていた。


「ロボハンなら、もう少し上手くやったかな…」


 首がキリキリと痛む、心臓はバクバクと鳴り続ける。





「本当に、不愉快ね。和束優」


 一部始終を見ていた少女が、そこに立っていた。


 金髪で綺麗な青い目をした、黒いドレスに身を包む、"リラ"。


「レクタがいないと何もできない———はずだよね?」



「"何もできない"…そうね、その通りだけど、時間を稼ぐ手段がないのなら、することは一つだけだから」


 リラは地面のナイフを拾って、自身の心臓に刃を突き立てる。


 "自死"


 そう、リラの目的は至極簡単なコト。


「どうするの?和束優」



「別に、どうもしない」


 ナイフを瞬時に取り上げれば阻止できる、それくらいの余力は有り余るほどある。


 だが、そうする気は一切なかった。



「そう、なら———」



 リラが突き刺そうとしたナイフは、刃からボロボロに崩れ落ちた。


「……」


 黙って、その光景を見つめていた。



「…どうして?」


 瓦礫の底から感じる、微かな生気。


 そんな空気の異変にリラが気付いたのは、疑問の言葉を吐いた数秒後だった。


「そう、あなたね———偽物リラ!」


 

 残痕呪は、一つの人格を形成した。


 レーリやバーナー先生が知る、もう一人のリラ。


 そして目の前にいる真のリラ、彼女がレクタが敗北したと確信した時点でこうなることは決まった。


 残痕呪レクタの主導権が、門の向こうにいるリラになった。


 ナイフを破壊したのは、紛れもなく門の向こうにいるリラという少女の心。


「どうして…あなたはレーリ・クラークへの罪悪感で自分を卑下したというのに!!まだ生きようというの!?」


 叫ぶ———。


「さっさと死ねば、この苦しみから解放されるのに!」


「さっさと消えれば、もう何も感じないのに…!」





 ゆっくりと叫ぶ少女のもとに、足を進める。



「…もういい、私は同じ人間とだって、分かり合えないのね」




 諦めたような彼女の顔を見た。



「——終わらせて、和束優」



「うん」




 重い腕をゆっくりと上げ、少女の脳天に振り下ろした。










 

 



 小さな掠れた映像、残っている記憶がある。



「先生!この子、医療班にどうです?」


 私は赤い髪の大人に、一人の教官のもとへ連れて行かれた。


 その大人の名はラウ・クラーク、元気そうに振る舞うその人は——死の間際にいた。


「…えっと?この子は?」


「ほら、自己紹介して」


 大人の大きな腕に連れられる小さな私の限界は、名前を言うことぐらい。


「リラ・リン」











 小さなベッドで、目を覚ました。


 私は——死んだらしい。



 真っ白な記憶、自分が何者かもわからない。


 カーテンの外に見えるのは、海と空と雲——それ以外何もわからない。


 コンクリートで固められたあの塔は?そこを歩く人々は?


「止国…」


 ここは止国しせんという国だと知ったのは、数時間後だった。


 その時、病院の人に私はもう一つ質問をした。



「私、なんで生きてるんですか?」


 答えは至極簡単で、複雑だった。


 "わからない"


 死亡届が受理された直後だったらしい。


 一度死ぬ前の私の荷物から、私は私のことを調べた。


「医療班の…リラ・リン」


 今まで積み上げてきたものは、もうない。


 過去の私は死んだ、死亡届はそのままにして、今生まれたばかりのリラ・リンを大切にしようと思った。



 一番育てる兵士の数が多い教官なら、ひっそりと一人増えても問題ないだろうと幼くて馬鹿な私はバーナー教官の授業を受けるようになった。


 多分、その時からバレていたのだろうけど、バーナー教官は私に何も言わなかった。





 前線班と医療班の合同演習である人を見かけた。


「レーリ・クラーク…」


 記憶なんてほとんどないはずの私の目に、何故かその人は一際輝いて映っていた。


 赤い髪と金色のイヤリング、その容姿は見覚えがあった。



 まだ、覚えてるものがある。


 

 少しでもいい、残っているものがあるなら見つけようと思ったのだった。



 それが私、偽物のリラがやるべきことの一つだと思った。





 数ヶ月が経過し、彼女は金階級になった。




「あ、あの…」


「…ん?」


 


「…誰?」




「あ、あの、付き人ってもう決まってますか…?」




 それが、私の始まりだった。










 気絶した少女リラをゆっくりと持ち上げる。


「えっ軽」



 身体の中が空洞なんじゃないか、と思うほど体重の"た"の字もなかった。



「やっぱり魂にも重さってあるんだな…」


 彼女の魂は門の奥、"助ける"とレーリに誓ったからにはその魂を取り戻すことが必要だろう。



 一刻も早くロボハンに加勢が必要、だけどまずは———。


「門…!」


 レーリのもとへ。








 炎を巻き起こす、破壊の演舞。


 恨みはなく、ただ拒み合う——無情の戦闘。


「——」


 サナ・イルマージの残酷呪、それは衝撃の前借り。


 数十秒後、自分が相手に喰らわせるであろうダメージを前借りする。


 当然、この呪いには明確な弱点がある。


 前借りという本質上、前借りに使用した攻撃に衝撃、ダメージは発生しない。


 先手を取る代わり、一手捨てるという暴挙的なモノ。


 しかし、彼女にはそれを補って余りあるほどの体術、戦闘技術が身についている。



 スピードや筋力、ありとあらゆるステータスが私を上回っている。


「…ッが」


 右腕に衝撃が走る、残酷呪による攻撃を喰らったのだと体は脳よりも速く理解する。


 もし、それが次の攻撃を前借りしたモノなら、それは距離を詰めろという合図。


 瓦礫を踏み抜き、風になって拳を突き出す。


 当然、サナも反撃の姿勢をとる。





 ——簡単な話だ、ずば抜けた体術同士の戦いならどちらが勝つか。


 より洗練された方、それは如何に拘るか。



 呪いというサブウェポンを戦闘に組み込んだ彼女の戦い方は、体術の質をほんの数センチか落とすことになる。


 彼女はその戦い方をどれだけ長いほどしてきたか分からない、ただ確定しているのは昔から呪いを持っていたということ。


 呪いを使うことに、"なんの抵抗もない"。



 それが私とは違う、私が呪いを手にしたのは数時間前、体術に呪いを組み込むという思考はない。


 例え呪いで先手を取られようと、私の体術がその先手を上回ればいい——。


「だ——!」


 突き出しの拳をサナは右手で受け止め、左拳で私の右腕に攻撃を浴びせる。

 

 一撃目に衝撃はない、しかし二撃目は純粋な攻撃となる。


「遅いッ!」


 来ると分かっている攻撃を馬鹿正直に受けるはずがなく、右腕は衝撃を受け流し、そのまま振り解いた拳をサナの顎目掛けて突き上げた。


 その衝撃音は高らかに響き、互いの血が空中で混ざり合う。



 瞬時に足の力を抜き、体勢を低くした体重を軸の左腕で支え、駒のように一回転し目前の足目掛けて蹴りを喰らわせる。


 衝撃で浮いた彼女の足を掴み、コンクリートの瓦礫目掛けて投げ飛ばす。



 砂と破片が大量に舞い上がる。


「…はぁ…はぁ…はっ」


 この一秒にも満たない駆け引きの最中、もっとも消費したのは肉体ではなく"脳"。



 戦力、風、空気、地形、光、状況を作り出す全ての要素から導き出されるたった一つしかない正解を見つけ出す。


 この行為を、毎秒———常に探し続ける。


 その思考を一つ間違えれば———


「…ッあ」


 右足に走る激痛——それは私が思考を間違えて、今から数秒後に攻撃を喰らったということ。



 背後から右足を撫でるような感覚を感じ取り、振り向いた刹那———とてつもない衝撃とともに視界がブラックアウトする。


「はや…すぎ」



 自身も瓦礫の渦に叩き込まれたと理解したのは、視界が正常に戻った瞬間だった。


 渾身の一撃を喰らわせた相手が、怯みもせず背後まで光より速く現れる。


 今私が戦っているのは、これまでとは次元の違う"人間"だということを理解する。


 あの男——サズファーと同類の人間である、と。




 "大切な人より、大義を優先する"


 次元が違うとはそういうことだ、強さじゃない。


 何も得ず大義を成そうとする男と、全てを捨てて大義を成そうとする女——。


 違いはないはずだ、それが完璧であるならば。



「…」



 空気の変化、それは今私の考え方の変化によって生じた事象だと断言できる。


 その変化を真っ先に感じ取ったのは私ではなく、目の前に立つサナだということにも。


「…レーリ…ちゃん」


 サナは驚いた顔をしていた。


 それもそのはずだろう。


「どう…?呪いは使えなくなったんじゃない?」



 私の体に、突然現れる衝撃はなくなった。


 それもそうだろう。


「悪いけど、私は今から徹底的に"弱者"だから」




 自身を弱者と理解し、それを踏まえた上での弱者ゆえの立ち回り。



 全力で"頭"だけを使って勝つ———!


「——ッ!!」



 視界から風を立てて消えるサナ、私の眼前に迫ってくるまでの数コンマ。


「正直、分かり合えないなら殴り合いたかったけど———私は"分かってしまうから"」


 攻撃が見える必要はない、いつ攻撃が来るかさえ分かればいい。


 サナの一撃、一撃は私には一つも届かなかった。


 顔の皮膚が熱くなる、またあの"紋様"だろう———呪いを使うと現れる、矢印のアザ。


 連続して使用するたび、身体が侵食されていくのを神経を通して分かった。


 それでも、脳が考えることは一つだけ。


 "ひっくり返れ"



 自身にに降りかかる衝撃という衝撃を全て——マイナスへ。


 私に当たる拳、足、それら全てが血飛沫をあげて崩れていく、痺れを切らしてサナが一歩を後退する。


 その隙を逃さない、すかさず呪いを解除し全力の一撃で前進する。


 拳が腹部を貫通したその瞬間、戦いの終わりを風が告げる。


「…そう、便利な呪いね」



 血を流して笑うサナ。


「——卑怯な手だけど」


 血を流して見つめる私がいた。


 引き抜いた拳は鮮血で染まり、赤黒く証を残す。


 体重すら支えられなくなったサナの体を私は全身で受け止めた。


「殺し合いだもの、卑怯も卑劣もない、それは対処できない人のミス」


「サナ・イルマージ、私はあなたを最後まで"殺したい"と思えなかった」


 自分が流した血を、無意識に自分の足で踏んだ。


「…どうして?」





「あなたはサズファーと一緒だった、何もかも捨てて、目に映る全てを敵に回してでも大義を優先する」


「うん、そう」


「…サズファーには何もなかった、でもあなたにはナレイがいたんでしょ?」


 サナの顔は見えなかった、その一言を聞いた彼女は数秒黙り込んだ。


 何を考えていたかなんて、私には到底わからない。


 

 

 冷たくなっていく彼女の体、あまりにも早く。



「だからもう…ナレイは心配は、私に任せて」


 

 残痕呪が身体を侵食する、体温を奪って生きながらえようとする鬱陶しい音色。




「バカなレーリちゃん…ありがと」



 彼女の心臓が止まったのを、肌に伝わる振動で理解した。


 私は、救いたいものを救いたい。










 

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