第十八話「redemption」



 支えの地面が抉れても、その男の心臓を目がけて。









「——」





 






 だがその拳は、その男の左手によって止められた。


 しかし、止まり、それでもその拳は止まらず。


 ———そんな単純に、簡単に、止められてたまるか。



 完全に停止し、ここまでの威力が完全に途絶えたとはいえ、それだけで拳を止める理由にはならない。


 限界振り絞り、全てを超える一撃は、奇跡と共にやってくる。


「———!!」


 宙に鮮血を撒き散らしながら跳ぶ左腕、しかしそれは自身の左腕ではない。


「——油断したな」


 その男、サズファーの左腕。


 だが一瞬、全てを上回った右腕は、もう動かない。


「ったく、フェアじゃねぇなホント」


 全身血塗れ、視界の大半が赤。


 大量出血、骨も折れ、右腕は完全に死に、視界は奪われた。


 それに対してサズファーが失ったのは左腕。


「あぁ本当に残念だ、バーナー」


「俺の負けだ、先に逝く———安心しろ、すぐにお前も来ることになる」


「それは、誰への期待だ」


 俺が期待を寄せる人物、そんなの十数年前から決まっている。


「…わかるだろ、馬鹿三人組レーリたちがお前を殺す」


 解答だけど聞いたサズファーは、千切れた左腕を拾うこともせず、その場を立ち去った。


 同時に自身おれ勝利しぼうを確信したから。


 口から咳と共に血が流れ始める。


「もう少し長生きして、あいつら三人ばかが揃ってるとこ見たかったが…流石に贅沢だよな」











 船の一室で、気絶したレーリの手当てを済ませた和束は、その次に俺に目を向けた。



「…ロボハン、その手は?」


 和束に言われて、気が付いたことがあった。


 右手の甲だった。


「なんだこれ」


 黒いあざのような、紋様、のような。


 擦っても、とれる気配はなかった。


「何か変なものでも触った?」


「ミーレ・イクツガの顔面ぶん殴ったぐらいだぞ」


 和束が、唇に指を当てて考える素振りを見せたとき、だったか。


「———ロボハン、それ、殺したんだよね——?」



「殺したけど」



「殺された後に発動する残痕呪…だとしたら?」


「ミーレ・イクツガの呪いってことか…でもまぁ、変化が出るまでわかんねえしな」









 どこかの壁の瓦礫に背中をもたれさせ、最期の空を見上げる。


 瓦礫は背中から流れる血で赤黒く染められていた。


 曇った空が、雪を降らせ始めた。


「…こんな時に雪かよ、運がいいのか悪いのか、だな」


 空を見上げていると、一人の足音が近付いてきた。


「ラクス」


 懐かしい名前を呼ぶ声、しかし助けではない。


 掠れた声で友人の呼びかけに応答する。


「アスヤ、残念だが———もう助からねぇよ」


 出血が限界点に達している、もって後数分——。


「アホか、見ればわかる」


「他の奴らは…見つけたか?」


「あぁ、肝心の俺の息子以外はな」


 機械坊主だけがいない、いや、とっくにここを去ったのだろう。


 それもそうだ、和束と合流してレーリを他の教官のいる場所へ連れて行ったはずだ。


「アイツならとっくに船に戻ってるはずだ、心配いらねぇよ」


「ラクス…お前はどうする」


「そうだな…死んだ後に適当な墓にでも埋めてくれ」


  アスヤは俺のこの後のことへ、一切文句を言わなかった。


 それが友人であるからなのか、どうしようもないからなのか。


弟子じょうちゃんへの———伝言は?」


「考えてなかったな…レーリと…あと、そうだな…リラにも頼む」


 今は敵に回った、リラという少女の名前が出てきたのは至極自然だった。


 必ず、レーリならあの子を取り戻しにいく、そして連れ帰るという確信があったからだった。


 


 それから俺は、あいつらの教官せんせいとして伝えるべきこと、バーナー・ラステンクスとして伝えるべきことをアスヤに託した。


「わかった、伝えるよ、ラクス」


 それから、すぐのことだったか。


 異常なほど、眠くなった。


 


 死の寸前の現れだと気付くには簡単すぎるほど。



「———頼んだ、アスヤ」



 薄れゆく意識が、自然とその言葉を口にした。







 船はすぐに動き出した。


 それは勿論、あの男——サズファーを恐れてのことだった。


「そうか…死んだのか」


 バーナーは死んだ。


 船に合流した父親が、最初に俺に伝えたことがそれだった。


 "ラクスは、バーナー・ラステンクスは最期まで戦い抜いた"と。


 いや、むしろその可能性の方が高かったのだから、覚悟はできていたが。


 そうなるはずがないという、無意味で不可思議な葛藤があった。


 そしてナレイ、アイツは———。


 片足がない状態で発見された、一命は取り留めたが———その、とても今までのナレイとは言えない状態だった。


「親父、俺たちはすぐに出発するよ」


「…それは、何処にだ」





「サズファーを殺して、レーリの付き人を取り戻して来る」


「…それを、一人でか?」


「いや、和束あいぼうを連れて行く、というかアイツは必ず来るだろうよ」


「そうか、それがお前の判断なら…俺は止めはしない」


 親父は、あっさりとその言葉を承諾した。


 相手がサズファーというのに、至極あっさりだった。


 席を立って、背を向けたまま親父に感謝した。


「サンキュー親父、止めないでくれて」


「待てロボハン…同じ金階級の兵士としては別だ、行くな」


 "兵士として"の立場、から言えばこの戦いは無謀すぎるし、止めるのは当たり前のことだ。


 だけど、俺と親父なら違う。


「…せめて、親父としての言葉を聞かせてくれよ」


「それを今から言う———必ず殺せ、絶対勝て」


「——」


 背中を強く押された、そんな感じがした。


「ロボハン、俺はお前を信じてる…この世でお前に勝てる奴はいないってな」



「…当たり前だろ、アイツもいるし、元から俺は親父の息子だ…この世で一番強いとも」








 ベッドの一室で意識を取り戻した。


 乗ってきた船だ、きっとバーナー先生はここまで運んでくれたんだろう。


 狭い部屋を見渡しても誰もいない。


 ベッドの横には椅子が二つ並んでいた。


「…?」


 足と手に巻かれた包帯を見て、何処か懐かしい感じがした。


「あれ、この巻き方って…」


 違う、そんなはずがない。


 そう思いながらも、あの時の少年を思い出す。


「和束…?」


 だが今は、それよりも包帯を見て頭によぎるのはリラだった。



「リラが敵に回ったって…どういうことなんだろう…」


 それが本当なら私は——。


 "何があろうと、リラだけは利用させない。


 これ以上、誰も死なせない。


 これ以上、誰も"


 何一つとして、守れない。




 取り戻しに行かなきゃ。



 ベッドから抜け出し、部屋を飛び出した。


「——!」


 そこに立っていたのは、ロボハンの父親、アスヤさんだった。


「リラちゃんを…助けに行くのか嬢ちゃん」


「…はい、私が今一番守りたい人だから」


「そうか、なら…伝えるべきことを伝えるよ、嬢ちゃんならきっと受け止められる」


 アスヤさんは拳を強く握っていた、何か葛藤があるような、悔やむような、そんな顔で。


「——バーナーからだ」


 アスヤさんは、自分の口から、先生の言葉を一言一句全て発した。



 "レーリ、必ずリラを取り戻せ。


お前に間違いはないし、お前のすること全部俺が許す。


自分の強さを誇れ、信じて、過信して、"野郎"を殴ってやれ。


抱きしめてやれ、信じてやれ、"お前ら"なら必ず勝てる。


そして百年後でも、二百年後にでもいい、俺のところに報告しに来い。


『勝った』って、『守れた』って。



それが俺からお前に伝える最期の言葉だ、教官としてじゃなく、一個人バーナー・ラステンクスとしてだ。


分かったら、さっさと行ってこい。レーリ。"




「——」


 口が空いて、自然と涙が流れていた。


 それはあの人の死が悲しかったからじゃない、いや、それもあるが——何よりあの人が私を誰よりも信用してくれていたことを思い知らされたから。



親友おれより、生徒の方が大切だってよ…いい先生だな、アイツは」



 袖で涙を拭う、目の下が赤くなるくらい力強く。


「ありがとう、アスヤさん」


「…いや、俺はやるべきことをやっただけだ…行くんだろ、あの子の所へ」


「——はい」



 アスヤさんに背を向けて、私は廊下を進む。


 包帯の内側の痛みも、心の迷いも、もうない。


「…これはアイツに伝えるなと言われていたが言っておこう…"一度くらい、お前を父親みたいに抱きしめてやりたかった"…それが本当の最期の言葉だ」


「———」


 その言葉に、少し微笑ましくなった。


 同時に、絶対に勝ってリラを取り戻すと言う心も芽生えた。










「行くのですね、レーリ・クラーク」


 入り口に白い髪をした不思議な女の人が立っていた。



「…あなたは?」


「童楼咲葉、時間がありませんから自己紹介はあなたが帰ってきた後です」


 その女の人は、私の視界を逸らすように、部屋の一室、そのドアを指差した。


「あなたが行くべきところは、アーブストルクの出張所です、あそこにあなたのするべきことが待っている…そしてあの部屋には、その答えが」


 私は、その言葉を疑わず、その女の人に感謝の言葉も渡さず、その部屋のドアを開けた。


 締め切った窓に、少し血のついたベッドには、黒髪の女が横たわっていた。



「…ナレイ」


 ゆっくりと近付いて、もう一度、声をかける。


「ナレイ」


「…」


 ナレイはゆっくりと目を開けて、私の方を見た。


「ナレイ、私…レーリ」


 意識がまだ朦朧としているのか、私を見ても反応を示さなかった。


 しかしそれも数十秒、閉じられていた口は緩やかに開き始めた。



「…レーリ……あの、ごめんなさい…思い出せなくて」



「———!」



 その全てを言葉から理解する、理解させられる。


 記憶が、もう私の知っているナレイはここにはいない。



 かけられた布団の影を見て、もう一つ気付くことがあった。



「片足は…?どうしたの?」


 震えた声で、記憶のないナレイにそう問いかける。


「目覚めた時には…もうなくて…」



 その瞬間、私はナレイに強く抱きついた。


「——!?あ、あの…どうかしたんですか…!?」


 ナレイはひどく困惑していた、それでも私は抱きつくのをやめられなかった。



「ごめん…ごめんね、ナレイ…!」


 謝っても、謝っても、足りないと。


 私だ、私の責任だ、例え私の行動に間違いがなかったとしても、その結果から起こっていることなのだから。


 あの時、私はナレイと別れて行動するべきじゃなかった。


 ロボハンとすぐに合流できる、合流すれば敵に襲われても大丈夫なんて思い込んでいた。


「ごめん…ごめん…ッ!」


「あ、あの…!」


 私の戦うべき相手、それは——ナレイの記憶と…片足を奪った本人、そしてそれはとっくに想像がついている。


 サンスクリットはバーナー先生が対峙して、きっと倒している、サズファーと戦っていたから根拠はある。


 ミーレ・イクツガは死んだと聞かされた、あの爆発もその男が死ぬことで発動する物だったと。


 サズファーは違う、ナレイは元々付き人だし、襲われたなら片足だけで済むはずがない。


 残りはリラと——そう、あの場から、孤立していた人物。


 "サナ・イルマージ"だ。



 私が対峙して、私が彼女を逃した。


 逃したと言うよりは引き分けだ、あのまま戦えばどちらも死ぬと分かっていたから。



 私の呪い、"反転"を彼女は見抜けていなかった。


 私は彼女の呪いの正体を知っている、しかし彼女はそれを補って余りあるほどの接近戦能力があった。


 私は情報という面で勝っていたが、戦闘という面で負けていた、互いにそれを理解していたからあの結果が生まれた。



 あの状況を作ってしまったのが私の失敗だ、あの場で殺せていれば"ナレイは"こうはならなかった。



「…本当に…ごめんね、ナレイ、今はわからなくてもいいから謝らせて、私、このあがないは必ずするから」



「———レーリ…さん?」





 ナレイを抱き締めていた腕を解き、また涙を拭いた。



「…行ってくる」




 何かを察したのように、ナレイは微笑んで。



「——行ってらっしゃい、レーリ」








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