第十五話「complete change,handle with care」



 大雨に打たれながら、目の前にある墓石を眺め続ける少女がいた。


 手には何かを握りしめ、虚な目でそこにいた。


「…お前、風邪引くぞ」


 手遅れだが気休めに、持っていた傘で少女を雨から守った。


「いい、私風邪引いたことないから」


 少女は背後にいる見知らぬ俺に振り向かず、ただひたすらに誰かが埋まっているその土の上にじっと立っていた。


「親か?」


「母さん」


「どれだけここにいる?」


「分からない、時計持ってないから」


 きっと数時間は間違いなくここに立っていただろう。


 その少女は悲しそうな顔ではなかった、母親にそんな顔を見せたくないのか、それとも無情なのか。


「これから私は誰かも分からない人たちに引き取られるの、だから母さんにお別れを言わないと」


「…随分と長いお別れの言葉だな」


「何を言えばいいか…分からないだけ」


 残酷な運命というやつは、確実にある。


 悲惨な戦地を見てきた、親を奪われた子供の顔なんて数百、数千と見てきた。


 それでも慣れない、人の死体を見た直後に三食食える人間でもだ。


 一匹で生きていける生物なんてごく少数だ、少なくとも人間はそれに該当しない。


「———お前、俺の教室に来い」


 その状況で咄嗟に出た言葉がそれだった。


「…教官の人?」


「おうよ、バーナーっていうんだ」


「どうして?」


「どうして…も何も、俺の生徒の寮はここら辺だしな、そうすりゃここにいる理由もできるだろ」


 そう誤魔化したが、少女からは何か違うものを感じたからだった。








「ここ、使いな」


 少女を部屋に案内する、からっきしの寮だから部屋は選び放題だが、どの部屋もさほど大差はない。


 だから最上階の端っこの部屋に案内した。


 少女は無言でその部屋に入り、家から持ってきた荷物をベッドの上に置いた。


「引き取り先には俺から連絡しとく…えと…お前、名前は?」


 肝心なこと、名前を聞いていなかった。


「…私…レーリ、レーリ・クラーク」


 レーリ・クラーク、別に生徒の名前を忘れたりするわけではないが、いつしかその名前は脳の中で一際目立つ名前になった。


「レーリ…か、よし覚えた、他に連絡するべきところはあるか?」


「特には」







 ——数日後。


 レーリに提出された書類の希望班には、"前線班"と書かれていた。


 ただ、この前確認した試験の結果はDだった。


 ——つまり全てにおいて、殺し合いには向いていない人間ということだ。


「それでも、お前は前線班になりたいのか」


「…はい」


「普通ならな…こういう場合は丁重に諦めるよう説得するんだけど、残念ながら俺のところはそうしない」


「…?」


「レーリお前、"死に方くらいは選ぶ"って口だろ」



 その言葉を聞いたレーリは、硬直する。


 前髪で目が隠れるほど下を向いて、唇を少し噛んでいた。


「…!」


 顔を上げて、レーリはこう言った。


「私は…誰よりも強くなって、救いたいものを救いたい」


 少女の口から出た言葉は、少女の抱く心ではなかった。


「救いたいもの…ってのはなんだ?」


「分からない、でも母さんはそれが私だと言ってた…だから…いずれできる守りたいものを守れるように」


 俺たち止国の人間というものは、子供の時母親に手を握られるたびにとあることを考える。


 "不安な手"。


 小さな子供を、自分達を守ってくれるための手だというのに消えてしまいそうで酷く不安な手だと。


 それが家族の愛だとか、意図的なものだとか、大体はそういうことを知らずに最期を迎える。


 でも確信があった、レーリは、この少女はきっとそれに気付く、もし戦場に出ても他の兵士とは違ってそれ故の優しさという苦悩を抱いていくようになるだろう。


 止国の兵士として生きた人間が一生気付けないものを、忘れてしまうものを、待ったまま戦場を走り抜けていく子になる。


 この子は、強くなる。


 もうすぐ春が来る、また訓練が始まる。


 俺はその書類に承諾の印鑑を押して、保護者の欄に"バーナー・ラステンクス"と記入した。






 訓練が始まる一日前、俺はレーリを呼び出した。


 部屋の椅子に座らせて、机の上には紅茶と菓子を置いておいた。


 レーリはその並べられた物に手をつけることなく、俺の話を聞いていた。


「…筋力?」


「そ、筋力、それが課題、お前の試験の結果詳細を一通り覗いた…体力は文句なし、射撃に関しては初見だし完全に才能」


「筋力…ってその、具体的に?」


「言ってしまえば重い物を持ち上げたり、戦場で言ったらアサルトライフルとかを撃つ時に来る反動を押し抜けて正確に照準を合わせるための力だな…」


 俺は別の原因で射撃が苦手だったが。


「射撃の成績が悪いのもこれが多分原因、ただこれはお前が悪いんじゃない、男と女ってのは生まれ持った筋力に圧倒的な差がある」


 仕方ない、スポーツならこの言葉で済ませた。


 だが、今俺がこの少女に教えているのは戦場を生き抜く術。


 誰かを守る術だ、妥協は決してできない。


「…先生、私…狙う力はあるんですか?」


「ある、俺よりはな」


「…?」


「頭の回転と集中力、お前のそれは銅階級レベルの兵士と大差ないだろうよ」


 銅階級、それは"一人で戦場に送り出してもなんの問題もない"、言ってしまえばそれぐらいの兵士。


 まあそれはあくまで問題がないというだけで、勝敗は問われない、ただ生きて帰ってくることは可能、その程度のことだ。


 それでも銅階級、銀階級、金階級、上位三階級はこの止国という国では一握りしかいない。


 数十年間前線にいたとしても、銅階級に上がれるという保証は決してない。


 特に、Dから金階級に上がるというのは不可能に近い、事例がないわけじゃないがそれも数十年前。


「つまり、お前は訓練すれば紫階級には確実に行く、銅に行くなら筋力、もしくはそれをカバーできる何かだな」


 レーリは瞳を閉じて唇に指を当てて考える、そして開口。


「じゃあ、先生の部屋にあるそれください」


 レーリが指差したのは、ダンベルだった。






 情勢は最悪、戦争が禁止となった今。


 そもイレギュラーの戦争に"ルールというものがない"。


 兵器の縛りや、争いの場、そういうものが定められていない。


 そう、逆に戦争がしやすい世界になってしまったのだ。


 戦闘区域から民間人を避難させる必要すらないのだ。


 


 難しい話じゃない、例えば集落が一つあったとする。


 その集落では、暗黙のルールで人を殺せば他の住民に殺される。


 しかし月日が経ち、その集落に警察が来て、「人殺しをした者は捕まえて牢屋に入れる」と言ったとしよう。


 さて、警察が来る前と来た後、人殺しをするリスクはどちらの方が高いだろうか。



 そう、間違いなく前者の方がリスクが高い。


 

 集落を世界、住民を国、警察を止国と置き換えれば話は簡単だ。


 いつか止国に対する対策を立てられて戦争される、その可能性だってある。




 だとすれば気になるのは、止国が誕生してから戦争は減ったのか、という点だ。


「結論から言うと、減ってない」


「そうなんですか…?」


「止国も同時に相手しようとするアホと小さい紛争ならどうにかなると思ってるバカの二通りはいるんだよ…後は止国建国前からある国同士のいざこざだな」


 第五次世界大戦の爪痕がまだ尾を引いている地域というのは多い。


 アーブストルクと第一楼共和国とか。


「それじゃ…私たちが戦おうとしてる理由って…」


「戦争で被害を被る人間を減らす、それをただ続けていく」


「先生…それ」


「でもまぁ、止国のおかげで減ったものもある、例えば…空爆とかだな」


「空からが…ですか?どうして?」


「そうだなレーリ、空から攻撃するメリットは?」


「相手の国の工場や軍地基地を破壊できる…とかですか?…今は無人で動くものもありますしリスクも少ないですし…」


「それもある、だが今話しているのは戦闘における話だ」


「戦闘における…話…」


「反撃されにくい、それがメリットだ…ある程度敵の懐に潜り込んじまえばそれで一方的に攻撃できる」


「確かに…簡単な話ではないですけど」


「今はほぼ不可能だ」


「…それは、止国の影響ですか?」


「あぁ、止国兵にとっちゃあの手の空からの戦闘機は"撃ち落とせば終わり"だからな…無人機を使うにも結局撃ち落とされて無駄な鉄屑を増やすだけだ」


 それが戦争を仕掛ける負担、リスクを圧倒的に増加させた止国の所業。


「レーリ、これは進歩だと思え」


「進歩…」


「そう、俺たちが強くなればなるほど、より強く戦争という行為そのものを縛れる」


 いつの日も、人と国を縛るのは恐怖。


「先生は…それでいいんですか?」


 無邪気な顔でえげつないことを言う、まったく末恐ろしい、子供とは。


「…まぁ、それだけじゃダメだな、そもそも戦争なんてせずに済む世界が来れば万々歳だが、それはもっと先の話だな」


 恐怖はいずれ克服される、それは縛る側と縛られる側の均衡が崩れた時に。










 レーリは、一言で言うと"向いてない"のだろう。


 それに尽きた。


「私はきっと才能がないんですね」


 レーリもそれを自覚していた。


「なぜそう思った、レーリ」


「力もないし、銃を撃つのも下手だし、体力もない…」


「自分の欠点を見つけ、才能がないと断じるのは才能がある証だ、レーリ…んで、そこから精進するのが努力ってやつだ」


「努力…」


「勝手な法則だがな、凄い奴ってのは自分の長所よりも短所を意識してる」


「バーナー先生も、そうなんですか?」


「俺は…」


 そもそも、俺は"凄い奴"で良いのだろうか。


 確かに、あの"憧れた男"とも並んだ。


「ああ、そうだ」


 レーリに会えてからか、俺はキッパリ自分を凄い人間だと思えるようになった。


「ああ、そうだ、一つ…レーリお前、サズファーって奴は知ってるか」







 知っている、よく知っている。


 サズファー、あの男は止国史上最強の人物で最悪の人物だと。


 最悪、違うな。


 止国に生まれ最も才がある人間に生まれたのなら、誰であれ、"正常な人間"であれば誰であれあの思想に行き着くだろう。


 自分以外は弱者、世界も全て、最も弱者を思いやる立場でサズファーという男は一つの結論に辿り着いた。


 弱く縋り付くことしかできない、弱い生物である人間を滅し、悪性で溢れた人類を滅ぼして、"戦争が絶対に起こらない世界"を実現しようとした。


 それもそうだ、俺たちは戦争をなくすために戦争を抑圧してきた。


 しかし、あの男はもっと簡単な方法として戦争の原因を潰してしまえばいいという答えに辿り着いてしまったのだ。


 あの男には、いや、元より止国の人間であれば世界人口全てを一人一人殺して回るなど造作もなかったのだ。


 何故誰もそうしなかったのかといえば、それは止国という集団であったため、あのサズファーはどうだ。


 止国という枠に収まらない、あまりにも強靭すぎる強さを手に入れてしまった。


 何にも属さないのではない、何にも属せない。


 だから"戦争がない世界"を他にない方法で実現させようとしてしまった。


 


 それが、あの事件だ。


 レーリが炎の瓦礫に焼かれ、大量の兵士が虐殺され、街は破壊され、機械坊主が重傷を負い、和束優という一人の少年によって終結に至った。







 終結に———至った?




 その男は今、俺の目の前にいるのに、か?


「サズファー」


 サンスクリットの"死体"と、その前に立つ最悪の男。


「俺の呪いは決して他者の非人間的能力に干渉されない、ミライはそう言っていたな…」


 ミライ、あの少年が未来視でサズファーが生きていると気付くことができなかったのは、その呪いによって完全に情報を読むことができなかったからだったのだろう。


「…非人間的能力か…」


 呪いだけが対象じゃない、ただあんな超能力的なものが呪い以外にあるとは思えない。


 なら何故、非人間的能力だと言ったのか、あの少年は他にも何か知っていたのか。






 それは、和束家に一人の子供が産まれた日のこと。


「呪いは人の意識の集合体だ」


 サンスクリットに、そう伝えたことがあった。


「イクツガ、それは…」


「人々全てが同じ思想を持っているとは言えぬが、言語や民族が違えど誰であれ当たり前の概念というものがある」


「当たり前の概念…か」


 机の上にあったコップを持ち上げた。


「私が今、このコップをひっくり返せば誰であれ中の水は落ちると思うだろう…これは何故だ」


「何故も何も、重力に水が引っ張られるというだけの話だろう」


「別に、理科の話をしているのではない…言ってしまえばこれら全ての事象は"人がそう思うからそうなる、人がそう願うからそうなる"とすれば、水はコップから落ちると誰もが思うからそうなっている」


「…つまり、この世は人の思想という物理法則で動いていると?」


「ああ、古代に魔法や呪術と言ったものが本当に存在していたのなら、それは人々が自身の行いの結果知らなかったからではないかと思うことがある……その結果が呪いであり、現代にまた回帰しつつある"魔法"だよ」


「人々が"呪い"という現象を願っているのか、ありえないだろう」


「違うな、呪いは君同様一人で背負い込むものであるように…一人の願いが数十億人に匹敵しつつあるということだ」


 全人類の当たり前を塗り替えるほどの、一個人の願いが大きくなっているということだ。


 そして、それがその先に辿り着いた時、一つの事象として"呪い"となる。


「それが、童楼咲葉が"五百年という長い時間を掛け辿り着いた結論"だ」


 そう言い、私は席を立つ。


「イクツガ、どこへ行く…お前はここに収容される身だろう」


「いいや、それも終わりだ、私は代替に過ぎない…」


 私の代替という言葉に、サンスクリットは何かを察したような反応した。


「そうか、"三代目"ミーレ・イクツガ」


「あぁ、長い役もこれで終わりを告げる」


 かつて、ミーレ・イクツガという心臓の病で死んだ男がいた。


 かつて、ミーレ・イクツガという骨の病で死んだ男がいた。


「私は、私の席で、最期の時まで責務を果たす」


 そして、あの男が帰還する。


 私はそれまでの代替に過ぎなかった。


 何処かで無様に死ぬ影武者に過ぎなかった。


「サンスクリット…和束総督はもう殺したのか?」


「あぁ…総督だけではなく、和束家に産まれたばかりの子供以外はな」


「最後の命令だ、これから身を潜め、サナ・イルマージと共に私を監視しろ」


「その間、お前の付き人はどうする」


「問題ない、最悪なくてもいいが、いざとなれば二人程度は用意できる」


 その言葉を聞いたサンスクリットは、部屋を退室しようと背を私に向けた。


 そして一瞬、足を止めて、私に告げ口をした。


「いざとなればイクツガ…お前が死する時、それは俺が死ぬ時だ」




「そうか」






 サンスクリットは部屋を出た。





「行くのね、イクツガ」



 私が最後の部屋に向かう時、サナがそう声を掛けてきた。


 まだ幼い子供だったが、何処か不思議な女だった。



「お前にも、身を潜め監視しろと命じたはずだぞ」


「本当に無愛想なのね、付き人なんだから最後に会話ぐらいするわよ…さっきの会話、サンスクリットとの話は聞いたわ」


「…」


「まさか、自分の思想を完全に塗り替えて"呪い"に昇華させるなんて方法でその力をモノにする気だったのね」


 帰還するあの男のために、私が呪いを手にする必要があった。


「ああ、だからもしだ、もし、私が私でなくなった時、狂気の道に堕ちた時、サンスクリットに私を殺すよう伝えてくれ」


 少し悲しげな表情を浮かべ、サンスクリットと同じように私に背中を向けた。


「…そ、多分彼にそれはできないけど、一応伝えといてあげる」






 全くもってその通りだった。


 私が狂って、それを自覚してもなお、彼、彼女らは決して私を殺すことはしなかった。


 それどころか、私があの教官とレーリ・クラークの攻撃を喰らった時に守ろうとすらした。



 そして、最後まで無様な影武者として私に演じさせてくれた。


 ミライという少年、彼が最後に私にとどめを刺した。


 それまで決してサンスクリット、サナが私に手を下すことはなかった。








「はぁ…はぁ…」


 一分間、自分の存在を忘れるほど全力で蹴り続けた。


 それでもなお、目の前の女は死なない。


「レーリちゃん…満足?」


 首を狙ったナイフさえ、ぎりぎりで交わしたとはいえ傷から血は出ている。


 それ以外にもまだまだ傷はある、骨だって確実に折れている箇所もあるというのに立っている。


「悪いけど、もう終わりなら殺す」


 そう言って私の方を見つめた。


「最後の慈悲、あなたは呪いで殺さないであげる」


 拳を握り、疲労した私にゆっくりと近づいてくる。


 あぁ、———なんだ。


 どれだけ相手が格上でも、勝ちってこんなに——。


「あっさりなんだ」


 私に振り下ろされた拳は、全く逆の方向へと跳ね返された。


「え、な——」


 一瞬、動揺したその女に向けて私は本気の一撃を放った。


 今まで聞いたことのないほどの衝撃がその空間に響いた、間違いなく肋骨は砕いた。


 それが臓器まで及んだかは、わからない。


 だが、決定打であったのは確か。



 顔が熱かった。


 殴ったその拳も、赤い矢印の刻印が浮き出ていた。


「…そう、レーリちゃん、あなたはnewだったわね」


「ええ、あなたと同じ」


「なら、一時撤退ね」


 殴った箇所の傷と内部の骨が音を立てて、修復されていく。


 その女の、上半身は呪いに蝕まれていた。


 再生が早いのは、newが体に適合しすぎているから——と考えるのが妥当だろう。


「私には、あなたの呪いが何かわかった」


「そ…じゃあリラちゃんの奪還は諦めて別の作戦を立てるとするわ」


 私にはミーレ・イクツガから受けたダメージがある、そして彼女には私の呪いを暴けず自身の呪いの正体がバレている問題点。


 この状況で戦えば、互いに完全な決着で終われず、相打ちの可能性が増したということになる。


「…でも、必ずあなたを殺すから」


「ええ、それがいいわね」



「それと…あなたの名前、姓は知ってるから」


「サナ、"あの人"から貰った名前よ」


 その女はその場から姿を消した、きっとまたすぐに会えるだろう。


 たった数分で、どうしてここまで分かり合えたのかという疑問はある。


 いや、私が一方的に分かられたのかもしれない。


 私が彼女について理解したのは二つ。


 呪いの正体。


 そして彼女はついさっき、"何かを"亡くした顔だった。





「バーナー先生、もう少し待っていてください」


 アスヤさんを落とすために呪いによって作られた大穴、その中に私は身を落とした。







「ロボハン、スミレトスを殺したのね」


 ナレイは今にも溶けて消えそうなその死体を見て、そう言った。


「奥にレーリの付き人と童楼咲葉って奴が向かって行った、ナレイ…追ってくれ」


「…?なんでよ、あなたはどーするの」


「俺がやるべきことは、今"そこ"にいるからな」


 ナレイは"そこ"と言う言葉を聞いた途端、地面を蹴り、背後にいる何かから距離を取った。


「…もっと早く言いなさいよ…」


 背後にいたのは、長身の、顔に黒い傷跡のようなものを持った男。


「よぉ、さっきとは違う奴だけど…多分お前なんだよな」


「違う奴?ロボハン…あれが誰か知ってるの?」


 その男はじっと、俺の目を見つめていた。


「知らん、けど…あいつが"ミーレ・イクツガ"なのは確かだ」


「…あれが…?確実に別人じゃない…」


 構えをとり、無言で見つめるその男をひたすら警戒する。


「正体が完全に分からない以上、これは俺一人で対処する、だから先に行っててくれ」


「上が片付いたらレーリもこっち来ると思うから、勝てないって分かったらそれまで耐えて」


「…できたらな」


 ナレイがその場から走り去るのを確認して、その間不動を貫いていた男が、足を動かし始めた。


「ミーレ・イクツガ…だな」


「あぁ、君の想像する人物とは違うがな」


 さっき、スミレトスと一緒にいた男じゃない。


 だが、その男はミーレ・イクツガだ、雰囲気が全く同じだ。


 気持ち悪い感覚に襲われる。


「お前の方が後に出てきたってことは…こっちが本体か」


「別段、彼が影武者という気はない…代替ではあるがな」


 男は一歩一歩、ゆっくりと近付いてくる。


「…違いに違いを殺さなきゃいけない…だけどさ、最後に聞かせてくれよ」


「なにかな」


 その男の眼前まで、のろのろと近付いてくる男に苛立つように間合いを詰めて最も言いたかった疑問を投げかける。


 自分でも驚くほど、不快な心で、怒りの声で。


「———ミライは無駄死にだったってことか?」


 自分でも視認できない程の速度でその男を殴り飛ばした。


 十数メートル先にある岩の壁に男は激突し、粉々にそれを粉砕した。


 およそ、本当の怒りという感情を"あの男"以外に向けたことがない俺にとって、その拳がどれだけの意味を持っていたのか。


 外道と言ってもいい、人の道からとうに外れていた少年だった。


 ただ一人、サズファーという一人のヒーローに憧れただけの子供だったのかもしれない。


 それでも、消えてほしくはない命の一つだった。



「まさか…大量の死人を見てきたはずのキミが…今頃たった一人の少年のために怒るのか」


 男は無傷だった、受け身も取れていたし、近付いてきた時から衝撃を流す体勢だった。


「バカ言うんじゃねえよ、俺は和束じゃねえし、見ず知らずの人間の為に悲しむほど優しくねぇんだよ」


「…なら、どうする」


 今目の前にいる、ミーレ・イクツガ、この男が本当の黒幕で、きっとここまでは計画通りに進んでいたのだろう。


「——お前もここで無駄死にしろ」


「A-0401、わかった、全力で相手をしよう」




 空間が歪む、それは一秒後に起こる現象を危惧して地球そのものが貼った地球を守るための防御策。


「——」


 ——踏み込む。


 その男と同時に踏み込まれた地面周囲、原型などなくなるほどに粉々と分割され、宙に石と砂になって浮き上がる。


 銃があるわけではない、剣があるわけではない。


 それでも、空間に閃光が走り続ける、男の拳は何発も俺の身体を当たっている。


 だが不思議と、痛みはない、閃光より速い一瞬を無駄にするなと、身体が言っている。


 血が舞う、互いの拳は鮮血を帯びて風を切る。


  

 その戦いの最中で理解する、止国の人間の異質さ。


 戦いの戦火を銃でも爆弾でもなく、肉体のみで起こすという脅威。


 自身の威力でありながら、一撃で空間すら粉々にしてしまう破壊力。


 そもそも"七十億より強い一がある"と言うことすらが異質なことなのだと。


「———違う——?」


 俺だけの力じゃない、スミレトスと相対して疲労した肉体、それを踏まえても圧倒的な力が働いている。



「違うさ、ようやく理解したか」


 血を流してもなお、怯まぬミーレ・イクツガの恐怖に近い何かを察知して、数歩の後退を余儀なくされる。


「……やっぱ、俺だけの力じゃないな」


——残痕呪、ミライと同じだ。


「なぁ、やっぱ俺にもあるんだろ———親父」


 その場にいる、いつからいたかは分からない、そんなもう一人の男に問いを投げた。


 アスヤ・リリィス、名前しか知らないはずの父親がその場にいた。


 いや、厳密に言えば赤子の頃の記憶が、あの男が親父だと告げている、だから名前しか知らないのは少し違う。


「でかくなったな」


「親父が育児放棄してる間にな」


 多分、その運命を辿ったから今の俺がいる。


 むしろ感謝すべき事だろう。


 ミーレ・イクツガ、残痕呪のバフ付きでも長期戦になる。


 むしろ残痕呪がデメリットに働く前に終わらせたい。


「手伝えよ親父」


 するとその父親の男は、俺の隣に並んだ。


「父親として、お前に初めて———俺の知っていることを教えてやる」


 同じ一点を見つめ、背中を合わせる。


 今、その大きな背中を合わせる父親が、初めて俺に父親としての役目を、行おうとしている。


「親父、こいつ倒したら俺の名前教えてくれ」


「残念だけどお前の名前は母さんが決めたがってたから決めてねえよ」


「なんだよそれ」


 その言葉から理解する、元々この人は俺の前に帰ってくる気はなかったのだと。


 いや、元より今こうして命がある状態でここにいることが奇跡だと、親父もそうおもっているのだろう。


「ミーレ・イクツガ…いや、二代目ミーレ・イクツガ、ようやく会えたな」


「十数年、私のことをこう探し求め、ようやく見つけたと思えば放棄し続けた息子の力とは…無様だな」


「——俺の息子だからな、俺より優秀なのは当たり前だろうが」




 "奇跡"


 "運命"


 その二つが折り重なって、今ここにいる。


 今こうしている。


 勝利の兆しとは違う、ただ光が差し始めた。


 多くを失い、母を失い、友人を失い、少年を失い、失い続けるだけだった道に、手に入れたモノと奪い返したモノが光を放つ。



 今ここが、全てのターニングポイントだ。








 "The strongest rebellion"




「いいか、お前の父親は…強えぞ」


 親父が微笑む。


「いいや、育児放棄してた親父より絶対…俺の方が強い」


 それに合わせて、俺も微笑みを返してやった。


「いいとこ取りすんなよ、親父」


「かっこいいとこ見せさせろよ…えっと…ロボハンだったか——?」


 ロボバン、それは親しい人間につけられた名前。


 夢のように遠いところへあるようで、近くに居続けてくれた名前。


「——あぁ、誰かさんが名前考えてなかったからつけられた…"最高ばかのあだ名"だよ」


「じゃぁ機械狩人ロボハン、合わせてやるが———俺を見て学べ」





 

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