第十三話「lake of hope, lacus」



 がやがやと騒がしい教室、たくさんの人がある一定の集団を組み話している。


 その中に一人、誰とも関わらず座っている男がいた。


 確か名前は、バーナー・ラステンクス。


 選別の成績はBか、確か俺の一個下だからそうだ。


「なぁ、お前バーナー・ラステンクスで名前合ってるよな?」


 そう声をかける。


「あぁ?そうだけど」


「うわ、感じ悪」


「それ言うお前もだろ…」


 横の席が空いていたから、腰を下ろした。


「お前、選別Bなんだっけ?どっちで落とした」


 選別は今から二年前、よく四歳、五歳でそんなことを調べても当てにならないとは言われているが、実際Dの人間が金階級に上がれる例はごく少数、数字には出ている。


 選別の科目は二つ、Bを取るなら片方は完璧、もう片方は後一歩と言ったところでなければならない。


 才能を試す試験だ、Bさえ取れば前線班には問答無用でなれる。


 射撃、近接、その二つが試験の内容。


「近接戦、考えて動くってのはどうにも向いてないんでな」


 近接が苦手、選別Bの男が言う苦手だ、ある程度改善すれば完璧になるのだろうが。


「射撃は完璧かぁ、なんなら俺が近接教えてやろうか?」


 その点、俺は射撃も近接もびっくりするほど得意だ、人に教えるのはしたことないけど。


「あのなぁお前、伸ばすために俺ら今日から訓練受けるんだろ?」


 今日から、嫌な言葉だ。


「明日から戦場に駆り出されるかもしれないんだぞ、これから伸ばすなんて言ってたら手遅れになるぞ」


「俺らはまだ駆り出されないだろ」


 油断。


「仮に例外があったとしたら?」


 俺たちは兵士。


「例外…?」


 死ぬ時は大抵、例外だ。


「ああ、俺らが必要になるかもしれないその時が仮に明日なら…?だから、これから強くなるんじゃねぇ今強く在るんだよ」


 そう言って俺は、バーナー・ラステンクスの顔に指を近付けて告げた。


「…おう」


「ヨシ、これからよろしくな、ラクス」


「ラクス?」


「言いにくいだろ、ラステンクス」


 まぁそんな例外、起こることはなかったけど。


「てか。お前の名前は?」


「アスヤって呼んでくれ」









 俺たちは同じ班、つまり行く戦場は常に同じだった。


「ラクス!弾くれ!」


 二人で行動することばかりだった。


 いつのまにか俺たちは、十五歳で銅階級まで上がっていた。


「ほらよ!」


 ラクスは走りながら器用にバッグからマガジンを取り出して投げた。


 勢いよく飛んできたそれをキャッチして、確認する。


「お前!これ違うやつじゃねーか!!」


 明らかに俺の銃と違う形、ラクスが時たまにしていた悪戯だった。


「うるせぇ!こんなとこ素手でどうにかなるだろ!」


 その一言を放った瞬間、ラクスは崖から勢いよく飛び降り、ボロボロになった街に突入する。


 それに続いて俺もラクスの背中を追いかける。


 笑っていた、どんな戦場でも俺たちは。


 人を救って笑える、俺たちは幸福だと思い込んだ、救われる人も俺たちも。








 とある紛争地帯で母親の亡骸に泣きつく少女を見た。


 俺たちが辿り着くのが数分遅かったから死んでしまった、唯一の犠牲者だった。


 少女は声を上げて泣いていた。


 俺たちはそれを見ることしかできなかった。


「…アスヤ」


 ラクスの視線は、亡骸と少女の方を向いていた。


「なんだよ」


「あの女の子、助けた時なんて言ったと思う」


「…」


「"私も死にたかった"だよ」


 一人でも幸福になれない人間がいれば、周りが一気に不幸になる、そういうわけではない。


 ただ、自分の幸福に罪悪感を覚えてしまう。


 人間、そんな生き物だ。


「…そうか」


 人を救って笑う、それができてると思い込んでいた。


 救えていない、ただ俺たちは笑っていただけだった。


「悲観するか、アスヤ」


 俺の顔を見て、ラクスは気にかけるような言葉を発した。


「俺たちはこれからもっと同じ光景を見るのかと思うとな」


「こんな光景が生まれないために戦ってるんだろ」


「嘘つけよ、お前も人から争いがなくなるなんて思ってないだろ」


 その少女には、ラクスの連絡先を渡して俺たちはその場を立ち去った。


 案の定、その後その子達から連絡が来ることはなかった。








「俺たちはこれから、目的を決めていかなきゃな」


 帰り道ふと、ラクスにそう言った。


「目的?」


「お前、人を救いたい、そんな思いでこれからやっていけるのか」


「…さぁな」


「ラクス、お前目的はないのか、階級昇進とか」


「特にはな、別に世界平和だって願っちゃいねえしな」


「お前、さっきの発言と矛盾してるだろそれは」


「あのなアスヤ、"戦争のない世界"と"平和な世界"は違うぞ」


「…まぁ、確かにそうかもな」


 ラクスだって正論は言えるのか、そう思った。


「でもまぁ、なら二人で金階級に上ろうぜ」









「アスヤ・リリィス、今回の重役任務をあなたに任せます」


 教官にそう告げられた。


 おかしい、その発言は。


「待ってください、一人…足りませんよ」


「いえ、今回の任務はあなただけです、こなせば金階級にあなたを推薦します」


 そう言い終わると、教官はどこかへ立ち去ろうとした。


 背中を向けた教官を呼び止めようとした。


「俺はラク…バーナー・ラステンクスと共でなければ金階級には上がりません!」


 教官の足が止まる、呆れたような顔でこちらへ振り向いた。


「それは、何故ですか?」


「共に上がると約束した…ではダメですか」


 唇を噛みそうになりながら、教官の前に俺は立っていた。


「率直に言います、彼とあなたの実力は均衡していない」


「———っ」


 舌打ちを我慢する、現実は残酷だと再び思わされる。









「別にいいだろ、お前が上がるなら」


 ラクスは呆気なくそれを受け入れたような顔をしていた。


「お前…それでいいのかよ」


 自分勝手だけど、少しラクスにムカついた。


 お前にとって、あの約束はその程度のものだったのかと。


「ラクス、お前は俺より強い」


「…だからなんだよ」


「——でも、俺はお前より先に行くぞ」


「俺より先に…?」


「お前が俺にしてくれたように、俺はそれを返す」


「…お前」


「ああ、俺は教官になる」


 ラクスは、誰よりも辛い道をとる決意があった。


 その時ふと思った、コイツは最初から俺より凄いやつだったんじゃないかと。








 それから俺たちは、ただ辛い道だけを選んで生きてきた。


 笑うことも段々と少なくなった。


 戦場を走る人間が笑うなんて、傲慢だったのだろうか。





風が冷たく肌寒い海の前で、自販機の壁にもたれて缶コーヒーを開けずに持っていた。


「ラクスが先生か〜…似合わないな」


 ラクス、俺はそう昔からの懐かしい名前でその男の名前を言った。


 ラステンクス、フルネームで言う人間はそうそういなかったけど。


「うっせぇ…元から器じゃないのはわかってるての」


 正式な就任式を明日に控えたラクスを、俺は呼び出した。


「…んで…何のようだよ、俺明日就任式なのわかってんのか?」


「わかってるとも、ラクスに言いたいことがあるから呼んだんだよ」


 その時の俺は、口調は変わらないがどこか改まってしまっていた。


「…俺の息子のことだ」


「息子…?」


「あぁ、先日生まれた」


 子供が産まれた、ただ俺はその子の顔が怖くて見れなかった。


「…お前の奥さん、体悪いって聞いてたんだが大丈夫なのか」


 昔から体が弱い、それが縁結びで結婚したのはある。


 だが、


「だから、死んだ」


「…そうか」 


 少し悲しい顔していたのだろう、でも俺はそれ以上表情にはあまり感情を出さなかった。


「んで、今回の出来事で確信がついた」


 話が本題に入る、そんな口ぶりで。


「間違いなくnewが絡んでる」


「new?…あれの投薬は開発当時から世界共通で使用禁止だっただろ」


 new、それは本来その薬を"投与された人間"を表す言葉で実際は薬を指す名前ではない。


「考えてみろバーナー、投薬を使う使わないなんて、この隔離状態の国じゃバレるわけもないだろ」


「確かにそうだが…」


「だから俺は、今の金階級の地位を利用して薬について突き止める」


それは、多大な時間が必要であり、多大な賭けに等しいものだった。


「……お前、子供はどうする気だ」


 ありきたりな質問をされた。


 ラクスなら答えはわかっているはずだった。


「…お前に、任せたい」


 襟を掴まれ、感情を吐露される。


「ふざけんな…誰も望んでない道だろうが!」


「わかってる…だが…」


 ラクスはゆっくり襟から手を離し、一旦冷静になり、落ち着きを取り戻す。


「…誰かが止めなきゃいけないんだな、アスヤ」


「あぁ…頼むラクス」


 忘れていた。


 決意した人間を止めるのは間違いだ、それはあの時のラクスから学んでいる。


「それでアスヤ、当てあるのか」


「…あの薬を開発したのは童楼製薬だ、本社はテイーストルク」


 決意がある、当てもある、理由もある、それだけ条件が揃っているならラクスも俺を止めない。


「止めるのは無理でも、止国との繋がりがあるのかだけは確認する必要がある」


 俺は就任式と同時刻に出発すると言った。


 息子の面倒を、できる限り見れるようにすると言ってくれた。


「お前一人に、何人もの命を背負わせるのは辛い、だから早く帰ってこい」


「わかってる、それにラクスだって明日から人の命預かる身だろ」





 それが俺たちの最後の会話だった。





 それから十数年が経った、とある女の子に出会った。


 レーリ・クラーク、何処か不安定で、それでも強い少女。


 一目で分かった、"アイツ"の生徒だと。


「…ロボハンのお父さん…?」


 そう言われた。


 最初のことか分からなかった。


 その子は電話でアイツと話していた。


 ただ、何かを察していたのか俺のことは伝えなかった。


 俺もその方が好都合だった。


 まさか十数年探り続けて、何も得られず、失うばかりだったとは思わなかった。


 それなのにアイツは色んなものを失いながら、それ以上のものを得ていた。


 断言した通り、アイツは今俺より先に行った。






 その後、止国に帰って、俺は何より先にとある女に会いに行った。


 レーリ・クラークは前日に止国を出て、息子ももうすぐ教官と共に副総督のもとへ出発する。


「…友人に挨拶はしないのですか、アスヤ」


「俺は十六年近くここに帰らなかったんだ、バーナーに殴られるな」


 ラクス、という名前を人前で使ってしまう癖は薄れていなかった。


 それでも、この女の前でだけは一度たりともだってそう呼んだことはなかった。


「バーナー教官は今や最も生徒数の多い教官です、言ってしまえば一番優秀なんですよ」


 話に行き詰まり、たわいもない話をしようとしているのがわかる。


「アイツ、教官になる前はそれが一番怖いって言ってたよ」


「—怖い、ですか」


「ああ、兵士を育てるんだからな、百人いても数年後に九十人になってるかもしれない、それが怖いと」


 それは、誰だって怖いだろう。


「ですが、彼の生徒で失われた者はいません、優秀なのは確かです」


 それでも、アイツが失ってきたものは多い。


「それは、彼女を見れば十分わかるさ」


 希望の砦、いや、希望の旗。


「…レーリ・クラーク、彼女なら何か変えられるかもしれませんね」


 彼女の目は、アイツとよく似ている。


「イクリス、一時間後に船を出してくれ、後から追いかける」


「あなた一人のために…めんどくさいですね」


「あの副総督が相手じゃ確実に一人は死ぬ」


「そうですね、でもその前にあなたが知っていることを教えてください」



「…newのことか?」


「いえ、全部です」


「そうだな、ありゃ副総督のやってることだ、総督はとっくに死んでるから好き勝手できるんだろ」


「——死、総督が?」


「一回行ったよ、副総督の差金に邪魔に入られたんでな、死んだのを装って途中までしかそこにいれなかったが」


 俺は全て知っていることを、話した。







「…んで、久しぶりだな、ラクス」


 昔とは違う、低い声でそう言った。


 意識不明のレーリ・クラーク、目の前にはラクスと副総督ミーレ・イクツガ、この状況をどうする。


「二人でやるか、アイツ」


 ラクスの背中を見ながら、提案をする。


「ダメだ、レーリが負けたなら何かしらあの男は隠しているものがある」


「なら俺は今この嬢ちゃんの応急手当てをする」


「了解、任せたぞアスヤ」


 ラクスが地面を踏み込んで蹴る。


 その刹那、一気に副総督の顔面に踵を突き入れる。


 揺れた、二秒ほど地面が。


 そして地面には吹っ飛ばされた副総督が通った跡がわかるほど抉れ衝撃波が周りの柱に次々とヒビを入れていく。


「アイツ…」


 近接線が苦手、考えて動くのが苦手だった男の動きではなかった。


 全てが完璧、それどころか威力、破壊力は昔のラクスより数十倍とある。


 副総督の背後に既にラクスは回り込んでいた。


 もう一度蹴り飛ばす、笑っていない。


 あれが戦場で笑っていた男の顔とは思えないほど真剣な目をしていた。


 それを失ったと言うか、得たと言うかはアイツ次第だ。


「———何故だ、呪いが使えない」


 副総督が血を吐きながら、そう呟いた。


 密かに聞こえた、何のことは分からない、ただそれが隠しているものだと言うことは分かった。


「ア…スヤ…さん」


 掠れた声でレーリ・クラークは俺の名を呼んだ。


「嬢ちゃん、意識はあったか」


「副総督は…複数人に…視認されてさえいれば…呪いを使えません…」


「呪い…?」


「本物の攻撃を偽物に…偽物の攻撃を本物にできますが…事実を上書きするうえで…必要なのは共通認識です…真実を知っている人間にさえ目視されればいいんです…」


「…そりゃ難しいな、嬢ちゃんの手当てをしながら嬢ちゃんの先生の動きを目で追えってことだろ?」


「…なので、私が目で追います…手当をお願いできますか…」


「追えるのかい、アイツの動きを」


「…ええ、私はあの人の生徒です…から」


「分かった、強いんだな嬢ちゃん」


 その言葉通り、レーリ・クラークは目を開いたままアイツの動きを目で離さず追い続けた。


 ただ、動きがわかると言ってもそれは体力を消費し続ける。


 それができるのは、跡数分と見積もるのが妥当だろう。


 傷を消毒している最中でさえ、ラクスは容赦がないほど本気でその男を殺しにかかるせいで地面は揺れ続けている。


 一瞬視界に入ったラクスの目は、狼のような目をしていた。


 今のアイツは、ずっとずっと俺より先にいるのだろう。


 誰も追いつけないところまで行ってしまったのだと確信した。


 ——それでも。


「嬢ちゃん頼むぞ、俺はアイツに死んでほしくはない」


「…それは、私も同じ…ですから…」


 荒い呼吸でそう、横たわりながらレーリ・クラークは言う。




「…それより嬢ちゃん、さっきからここに流れてるガスはなんだ…」


「お二人は…大丈夫です…でも、ナレイとリラ…ロボハンだけには吸わせないでください…」


 レーリ・クラークの息は少しつづ整い、それどころか体力まで回復しているようだった。


「…わかった、嬢ちゃんは?」


「私は…今どうにかなりました…」


「…今?」


 体が熱くなっている、まだ処置していない傷の血が止まっている。


 顔と腕の皮膚のところどころに、矢印の痣が浮かび上がる。


「…嬢ちゃん…」


 スゥと息を吸いては、ハァと何度も一定のリズムでゆっくりと呼吸をし続けている。


 塞ぎかけだった瞼がどんどんと開いていく。


「バーナー先生を…死なせるわけには…いかない」


「待て、嬢ちゃん…」


 自分の手で立ちあがろうとしている、腕は震えて、足も動ける足とは思えない挙動をしている。


 上半身の傷が止血されていても、足の傷はまだ治っていない。


 まで口から血は流れてくる、それでもレーリ・クラークは立とうとする。


「立て…立ちなさい…!」


 自分の体を叩いて言い聞かせている。


 加勢をする気だけは変わらないようだった。


 自分が死の淵であることすら忘れて、何度も、何度も。


 それを止めようとは思わなかった、決意を決めた人間を止めることはできない。


 それがラクスの生徒なら尚更だ。


 そろそろ、この無駄にでかい部屋も限界だ。


 ラクスと副総督の戦いでそこらじゅうに穴が空いている。


 無駄にでかい柱も残り四本程度しか残っていない。


 天井からは粒々とコンクリートのかけらが落ちてくる。


 二人が戦っているのは分かる、だがその姿は見えない。


 遅れてやってくる音と煙が視界を遮っている。


 繰り返される破壊の音、これだけ長引いているのは二人の実力が均衡しているからだ。


「そもそもあの男、あのラクスの攻撃モロに喰らって何故動ける…嬢ちゃんの自分で止血したそれと同じやつかい?」


「…ええ、あれは私よりも上でしょうね…」


 いつの間にかレーリ・クラークの上半身の完全に治癒できていた。


 副総督も同じものを持っているから、ラクスの攻撃を耐えながら反撃ができているのだろう。


 傷も、何もない。


 血の痕が服に残っているだけだった。


 そして血の流した足でその場に立っていた。


「行くのかい、嬢ちゃん」


「…今の私じゃ足手纏いです…だから、状況を作ります」


 レーリ・クラークは腕を高らかに上げた。


 何もない暗闇に崩れた天井に、まるで星でも掴むような手で。


「———。」


 手を握った瞬間、地面が点々と光出す。


 地上に星でも咲いたように。


 そして、レーリ・クラークの右頬には、まるで人の手によってつけられたかのようにくっきりと、矢印の痣が浮かび上がっていた。


 その瞬間、ミーレ・イクツガは天井へと叩きつけられた。


「———っぐ」


 何が起こったか、理解できなかった。


 天井に背中をぶつけたミーレ・イクツガが、まるで釘でも打たれたのかと思うようにへばりついて降りてこない。


「…そうか…レーリ・クラーク!!」


 ミーレ・イクツガは虚な目で笑ったまま、レーリ・クラークを見下ろした。


「君はモノにしたな!呪いを!!」


 叫んでいる、まるで喜んでいるように。


「乗り越えた!君は試練を!!」


 ラクスも、俺も、手が止まっていた。


 何が起きたか理解できなかった。


「…試練…?嬢ちゃん…」


「レーリ…お前…」


 ラクスはレーリ・クラークを見ていた。


 その傷だらけの体と顔の痣を。


 レーリ・クラークは高らかに上げたその腕を下に下ろして力を使い切ったかのように倒れた。


 ミーレ・イクツガもそれに合わせて天井から落ちてくる。


「呪い…それは…」


「これが…newの…本質です…」


 掠れた声で、


 驚きの言葉が出た、new。


 ある薬品を投与された人間たちの名称、忌々しい名前。


「new…君たちが…?」


「…いえ、厳密には私の母親が…です」


 レーリ・クラークの母親はnewであったと、レーリ・クラーク本人の口から聞かされた。


「母…親?」


「ずっと不思議だったんです、私とロボハンだけが何故…副総督に目をつけられていたのか…」


「それが、母親が原因だと…?」


「ロボハンの母親同様、私の母親もnewだったんです…」










 さっきのレーリの攻撃を喰らったミーレ・イクツガの様子がおかしい、即時再生していた傷がいつまで経っても治らない。


 それどころか傷が悪化していっている。


「なるほど、正を負に入れ替えることで再生を破壊へと入れ替えられたか…」


「お前、レーリの呪いを狙って出させたのか」


「…いや?この場であの散布させたガスを使って状態不能を継続させるつもりだったのだよ」


「ガス…?」


 さっきから部屋の柱の所々から出てるアレか。


「newに投与した薬、"M-Redevelopment"は既に呪いを持つ私と呪いも持たない人間には都合がいい」


 持ちかけ、レーリは完全に発現していないそれを持っていたということになる。


「…つまり、最初からレーリをここに呼ぶつもりだったと?」


 だとするならばガスは対レーリ用だった。


「彼女は必要ないが…彼女の付き人は私にとって必要でね」


「お前、最初からリラを呼び出すために…!!」


「ああ、でも今は不都合になってしまったな、あの少年とレーリ・クラークの呪いを同時に治癒するのは困難だ」


「逃げる気か?」


「いいや、まさかバーナー・ラステンクスとレーリ・クラーク、アスヤ・リリィスを同時に相手にして逃げれるはずもなかろう」


 静かに構えをとる、レーリが与えた傷があるなら今ここで殺してしまえる。


「…なら、どうする」


 この状況でさえ笑みを浮かべるその男に、嫌悪と恐怖、何より危機感を感じた。


「全員、殺してしまおう」


「——ッ、アスヤ!レーリを連れて逃げろッ!!」









「つまり、次は私のせいで殺し合いが起きるんですか…?」


「ええ、あなたのその呪いを必要としている人間は大勢いますから」


 咲葉さんの残酷な声でそう告げられた。


「…そうですか…」


「リラ・リン、しかしあなたの行動一つで結果は変えられます」


「…え?」


「——あなたが死ねば、この殺し合いは終わるでしょうね」


「私が…死ねば…?」


 確かにそうだった、私を守るために戦ってくれる人と私を奪うために戦う人がいるなら。


 ——私が死ねばこの殺し合いは終わる。



 私には銃があるのだから、今ここでも死んでしまえる。


「…そう…か、私が死ねば…」


 咲葉さんはもう何も言わない、冗談を言うような人でもない、だから無駄なことは言わない。


 レーリさんを裏切る?


「——。」


 命をかけて守ってくれた人を裏切って、自殺する?


「———。」


 でも、そうすれば苦しむのはそれが最後になる。


 私は、決断は早い方なのかもしれない。


 私にはおあつらえ向きの銃がある、頭に撃てば死ねる。


 止国の人間だ、自分の命なんて安いモノのはず。


 手が震える、その場に膝をついて体も震え始めた。


「…できないなら、それでいいのですよ」



 沈黙だった、数分間、それが続いたのだろう。


 私にとっては一瞬だった。






 上手い返答が思いつかなかった。






「——いえ、本来なら私は死んでるはずの人間なんです、守られる価値なんてなかったんです」


 そうだ、守られる意味なんて、価値なんてなかった。


 別に自分の命に価値をつけているわけじゃない。


 ただ天秤の乗せた時の重さの話をしているだけだ。


 それは価値ではない、ただの重さだ。


「私は、ここ——で」



「——あ」


 その時、ポケットからこぼれ落ちたものが一つあった。


 箱が一つ、地面に落ちた。



「リラ、トランプする?」


「…どうやって遊ぶんですか?」


「適当に、一時間もあれば考えて遊ぶ時間もあるでしょ」


 今でも覚えている、その会話を。


 たわいもないし、意味もない、そんな会話を。


 あの時、あの場所で、買った一つのトランプだった。


 レーリさんがあの場所で私にくれた物だった。


「…え、あ」


 そうだ、私はまだ失っていなかった。


 どうしてこんなに、レーリさんを失うのが、傷付くのが怖かったのか今わかった。




 そうだ、私じゃない。


 私の呪いの記憶がそう言っているんだ。


「…咲葉さん、呪いは前世の自分という認識で間違いはないんですよね…」



「…ええ、それ以外にはありませんし」


 私が出張所に行った数日後に、バーナー先生から電話がかかってきたことがあった。


 でも、その時、不思議と電話番号だけで誰かわかった。


 だからと言って、その記憶は自己蘇生する前の私じゃない。


 



 とある一つの戦場で、母親を失って助けられた一人の少女の記憶だった。




 その少女は言ったのだ。



「私も死にたかった」

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