第十話「wazuka's past」
『きっとあなたはこの国の、止国のことについて知りたがっているのだと思います。
あなたがどんな方法で、どんな道を辿ってここまで来たのかは分かりません。
でもここまで来られたのなら、きっと正しいやり方を貫いて来たのだとわたしは信じます。
止国とは、世界大戦で痺れを切らした世界各国が作り出した紛争、戦争の抑止力。
それくらいは誰でも知っているでしょう。
確かにその情報は合っている、でもそこには大雑把で必要なことがない。
きっと、止国はその情報をずっと隠そうとしていたのだと思います。
知っていてほしいのは、止国の上二つ、総督と副総督について。
総督という責務は代々テイーストルクの"和束家"の人間が背負い込んできました。
そもそも止国は他国の人間によって無理やり作られた国です、統治しているのは他国の人間でなければならなかった。
止国、建国当初、建国のために支配したその大陸に住んでいた人間には争いという概念すら存在しなかったのです。
他国に無理やり、文化、文明、殺し方、その全てを教え込まれたのが現在の止国の兵士でした。
人々は世界で禁止されていた非合法の技術、各国で選び抜かれた最も精巧な人の殺し方、それら全てを止国に封印しました。
そしてその国を統治するよう、テイーストルクのごく普通の一つの一家、和束家が命じられました。
第六次世界大戦の頃に活躍した童楼製薬と関わりが深かったという理由で、そんな単純な理由で命じられたのです。
止国建国に最も反対していた和束家が、止国を統治する。
皮肉にも運命は残酷でした。
そのうち和束家は大きくなり、このまま止国を統治するのか、止国を解体するかで分断されるようになりました。
一つの家の中で、争いが起き始めたのです。
何も知らない人間を利用し続けることに心を痛める人と、その地位を利用し続けて一生裕福に生きようとする人、その二つで。
ですが、止国を統治していた総督の地位に代々就き続けていたのは止国反対派の和束家の人間でした。
止国賛成派の人間にその地位渡すわけにはいきませんでしたから。
そのうち、賛成派の人間は
幾栂家の人間は、私たちを利用して副総督という地位を作り上げました。
それが今の副総督、ミーレ・イクツガです、そして初代副総督その人です。
彼は百年近く、その地位を有しています。
百年、疑問に思うかと思います。
人間はそんな長寿を生きられません、生きたとしてもその地位を維持するには脳が耐えられなくなるでしょう。
ミーレ・イクツガは名前をそのままに、三度入れ替わっている可能性があります、私の予想ですが。
ごめんなさい、私は百年生きているわけでもないし、彼のことは名前しか知らないから予想を立てるしかないの。
一人目の初代ミーレ・イクツガ、彼は今のように狂気的な人間ではなかったそうです。
むしろ、止国の人間を強化することを考えるだけでなく、負担を減らす方法すら模索しているほどだったと。
十年が経ち、彼は病に心臓を犯されました。
その数ヶ月後、彼は何事もなかったかのように職務に復帰したという。
そこが、一人目と二人目の入れ替わりだと私は思います。
調べた限り、その時代に心臓の周りの病に対処する方法はありませんでした。
人工心臓などもその時代には存在しません。
仮に手術可能な病であったとしても、心臓を犯されているのなら永くはないはずです。
百年生きることは不可能に近いでしょう。
二人目のミーレ・イクツガ、狂気の始まりというべきなら彼のことでしょう。
彼は、何というか止国の内部ではなく、外部に目を向け始めたのです。
最も効率的に人を殺すこと、紛争戦争を即座に殲滅することに目を向け、止国の人間に対して目を向けることはなくなったのです。
この時代から止国の人間の兵士としての質は確かに上がり始めました。
ただ、兵士としての質だけが上がり、人間性を失っていくところを和束家は代々止めることもできずただ見ていたのです。
和束家は総督の地位に就きつつも、止国本来の質を上げているのならそう簡単にそれを止めることはできないのです。
抑止力としての質が向上するのなら、他国からすればそれは良いことなのです。
正直、和束家に力があったかと問われれば、否でしょう。
その方針を彼は骨の病に犯されても死ぬまで突き通しました。
—彼の中ではそれが正しかったのでしょう。
彼の正義は、地獄を生んだのです。
三人目のミーレ・イクツガ、あなたもご存知でしょう。
彼は、三人の中でも特に異質で異常です。
あなたは、既に彼の愚行を知っているでしょう。
蘇生、つまり彼は止国の兵士を"人間"として認知しなくなったのです。
死んだ人間は全て彼の駒です、損傷が少ない人間のみですが。
お願いです。
もしあなたが彼に牙を向け立ち向かう勇気があるのなら、決して死なないでください、誰も死なせないでください。
そして、あなたの道を拒むものを殺してあげてください。
三度、その瞼を開けることなきよう。
そして見つけてください、蘇生の方法、その記憶の在り方、彼が何を企んでいるのか。
今の止国では世界は変えられない、ただ全てに銃口を向けて傍観するだけの国じゃ平和は訪れない。
彼を止めて、その過程、結果、全てあってはならない。
もし、その道が怖いというのなら私はあなただけなら救えます。
でもきっとここまで来たあなたは、自分だけが救われることは望まないのでしょう。
なら私はあなたをできるだけ助けたかった。
叶うならあなたたちのために旅立った希望が届いていますように。
終わらぬ百年の連鎖を終わらせようとするあなたの道は決して間違いではありません。
総督 wazuka riel ipheion』
数ページしか書かれていないノートを閉じた。
旅立った希望、それは私たちに確かに届いていた。
「そうよね、和束」
読み終わったそのノートを机に戻し、そっと薔薇の髪飾りを触った。
「…これは、あなたの物だったのね」
…
車の中で、ナレイはまた口を開いた。
「私、和束優とあなた達が関わりがあるというだけなら彼女の部屋を見せるつもりはなかったの」
旅立った希望の正体、和束優。
私たちの未来のために自分を犠牲した少年だった。
「和束優という少年のこともね…全部知っているわけでもないけど私は苦手だったわ、彼が正直に生きた結果がこれなんだもの…根本から全て否定されているような気がしてね」
和束は大切な人間のために命を、美しいことだけどそれを私たちに強要しなかった。
苦しい道を選ぶことは美しいことだと生き様で教えてくれたけど、決して私たちにその道を歩むように言うこともなかった。
多大な信頼はそんなところから来ていたのかもしれない、今になってそう思った。
その生き方が止国のようで止国とは違っていた点なのであろう。
「生き方に正解も不正解もないし、万人の幸せについて考えて他者のために命を捨てることすら厭わない和束の生き方を真似できる人なんていないわよ、あれは例外中の例外だもの」
私は最初、和束のことを止国の中にいる唯一の"人間"だと思って彼を見ていた。
喜怒哀楽、他者を想う気持ちが人間の証明だと信じ、人間だと思い続けてきた。
ただ、私も和束も人間とは程遠い存在だったことに気が付くその頃にはもう遅かった。
「…少し、眠っていいかしらナレイ」
そう言うと、ナレイはこっちを向いて私の顔を見た。
こう難しい会話をしていると体力を使う。
「レーリあなた、さては寝てないのね」
ここ最近、リラのことで眠ることができなかった。
流石に一週間近く不眠で行動するには限界があった。
「…おやすみ」
そこからは死んだように眠りに落ちた。
船に着くまでまだ三時間はある、十分に眠れるだろう。
…
深い深い幻想の中で、昔のことを思い出していた。
青い髪を靡かせた少年が夜空を眺めていた、その目に星が映る彼の横顔を私は見ていた。
「レーリ、あれが南十字星だよ」
少年は空を指差して、その目を私に向けた。
「南…十字…?他にも東と北と南もあるの?」
「いや、そういうわけじゃなくて…そういえばなんでなんだろう…南半球だからなのかな…?」
私が星について問うと、少年は指を唇に当てて考え始めてしまった。
その光景を見て、少し笑ってしまった。
私が笑ったのを見て、少年もどこか嬉しそうにしていた。
「…付き合わせちゃったけど、眠くはない?」
「いや、明日は特に何もないし、和束と話すのは楽しいからいい」
「なら嬉しい」
その少年といるのが好きだった、その少年と話すのが好きだった。
できることなら、その時間が無限に続けばいいとまで思った。
でもその少年はどこか遠いところにいるような感じで、少しでも目を離せばふらっといなくなりそうで、叶う希望はなかった。
その後、結局朝までそこにいた。
星は太陽で見えなくなっていたけど、その少年はまだそこにいた。
「そろそろロボハンと走る時間だから、またね」
「…うん」
そう言って、立ち去ろうとする少年に手を振った。
何故かさよならは言えなかった、手を振りかえしてくれた少年はもういなかった。
その一週間後、私はとある国の紛争地帯へと向かった。
宗教同士の争いだそうだ。
独立政権や国同士の争いがなくなりつつある世界でも、結局はそうして人と人とが殺し合っていた。
ぽつん、と何もない平野の上に軍用テントが並べられていた。
そこにいる止国の兵士は少なかった、全員で十二人程度だった。
その他の人間は全員が現地の人だった、タオルケットに包まり隅でうずくまっていた。
その人たちの目からは、光という光が消え去っていたように見えた。
「村が争いの場になって、保護された人々だ」
一人の兵士がそう口にした。
「村は…」
「火と血の海だ、俺たちがついた頃には生き残っていた人は一割程度だった」
自分が守っているものが何なのか分からなく光景だった、この九倍も守れないなら無力に等しいのではないかと。
決して抑止力になんてなれていない、そう思った。
「…宗教って言うのは?」
「数年前にできた宗教でな、呪いどうとかで信者を集めていつの間にかその他宗教に喧嘩を売り始めたらしい」
「そんなのは…」
「ああ宗教じゃない、ただの洗脳だ」
国同士の争いに比べば、確かに小規模。
ただ、争う理由であれば戦争なんかよりずっとくだらなくて醜い。
「じゃあ、その宗教の敵を狙えばいいんですね」
「いや、争いに加担した人間は全員殺せ」
その兵士は予想外のことを口にした。
「どうして?だって、悪いのは」
「いいか、争いに善悪なんてものはない、紛争を起こし無関係の人間まで巻き込んだのは争いに加担した人間全てだ」
兵士は光のない目でそう言った。
それは守りなのか、止国が守るのは戦うことを選ばなかった人間だというのか。
戦うことを勇敢だと思うことも、気付くこともできないのか、守るという行動にも関心を持たないのかと思わされる。
あくまで戦争を止める国としてあり続ける、その意味すらないものなのだろうか。
だとすれば、この国は悉く意図を外している。
間違った抑止力に、間違った正義に、間違った戦いを強いるだけの国になるだろう。
私はその後、一人でその宗教の本拠地らしき場所へ向かった。
単独で、命令も無視してこの場に私はいる。
自分が正義と悪の区別がついている保証はなくとも、"彼"ならどちらを悪とするかは分かった。
正義でいることはできる、たとえ止国が戦争という悪の敵であったとしても。
異様な服を着た教団だった。
「子供…?」
私を見た教団の一人が呟いた。
その人は銃を持っていなかった、それどころか誰一人として銃もナイフも持っていなかった。
本当にこの人たちが、戦争を仕掛けて人を殺しているのかと思った。
見渡しても、武器どころか何かしらの道具すらない、ただコンクリートの壁と地面が広がっているだけ。
「武器はどこに隠しているの」
そう私が問うと、それに返すようにその人が目を丸くした。
「武器…?何を言っているんだい?」
私は一瞬、来る場所を間違えたのかと思った。
腰に隠した銃を取ることを躊躇うほどに。
「そんなもの、必要かい?」
そう言ってその人は瞼を大きく開いて笑った。
「—」
殺気とは違った、単純な狂気。
人を殺さないように見えたのではなく、人を殺すことになんの罪悪と躊躇もないのだった。
すかさず銃口を顎下に撃ち抜き、他の人間にも発砲した。
もがく人間も、抗う人間もいなかった、抗えない程の速さで始末したからでもあるが何よりその場の死体全てが笑っていた。
狂気の意味を知ったような気がした、背筋が本当に凍りそうになった。
それでも殺して殺して殺し続けた。
もうその笑い顔も見たくないと思うほど殺して殺して殺して。
いつの間にか私はそのコンクリートと死体の先の先、奥にいた。
一人の男が座っていた、異様なことに変わりはないが服が違う、その男がこの教団を仕切っている人物だとすぐに理解できた。
他の人間と同様に、銃口は向けていた。
ただその男の真意が知りたくて話しかけた。
「…こんな狂った教団を作ったあなたは何者」
男は振り向いて、私の顔を見て口を開いた。
「—狂っている?ふむ、どうしてそう思ったのかね」
落ち着いた声だった、でも警戒心を解けない、そんな男だった。
「武器も持たずに無関係の人間に争いを持ちかけて、その上死ねば笑って終わる…これが"普通"?」
「後者は表情一つ変えず教団の人間三百十七人を殺した君に問われるのは愚問だな、それに君のような子供がこのような荒事に参加しているのも異常であろう」
「戦争に大人も子供も関係ない…体にも心にも強さがあるのは人間だけ、私たちはとっくに人間の生き方なんて捨ててるもの」
男は私の言葉を聞いて呆れたような顔をした、この人も狂っているようで人間なのだと理解した。
「…君はこの教団が何を信仰しているか知っているかね」
「私は醜い争いを止めにきただけ、あなたたちに興味はないわ」
引き金に力を入れた。
「呪い、私さ」
発砲寸前で、男はそう口にした。
意味のわからない言葉に引き金を引く指が止まる。
「呪い…?」
「私には生まれつき呪いがあってね、不思議なギフトを他者に与えられる」
男の口から出た、呪いという単語。
その頃の私は、その意味を知らなかった。
「そのギフトを求めて、私を信仰していたのだよ彼らは」
「彼らは…"笑って死んでいっただろう?"」
その光景をその男は見ていない、それでも知っていた。
こうなることを知っていた。
「私を信仰した時点で彼らは私のギフトを受け取る、"私のために死ねば"殺した本人を私が操れる」
意味を理解する頃には遅い。
気付かなかった、私の体は既に銃を撃つことが不可能になっていた。
指先が動かない、それどころか体を動かすことすら重い。
「…ッ!」
「他の宗教に争いを持ちかけたのはそういう理由さ、私のために彼らが死ねば他の宗教を操ることができるからね」
信者たちは意図的に殺されていた、他者に争いを持ちかけて『負けに持ち込めば勝てる』という力だということが分かった。
「こう荒れた国の人間は馬鹿で助かるな、騙して駒にするのも容易かったぞ」
男は私が思っていたよりも何億倍も邪悪だったのだろう、異質な力を異質なまま利用した。
「…あなた…ッ」
この男のために、何人が死んだのか、それを考えるだけで怒りで動かない体も壊れてもいいと思うほど力が込められた。
指先が動いた、でも引き金を引くには届かない。
「…ほう、あの人数分の呪いを受けてまだ動けるのか…」
「…もしや、君は」
銃声が男の声をかき消す、渾身の力で放った銃弾は男の顔の皮膚を掠った程度だった。
「もう何を言おうと…あなたを殺すことに変わりはない」
体に重い鎖が何重にも巻かれているようだった、それでも今は怒りが勝る。
存在しない鎖がギチギチと音を立てて私の体を拘束しようとする。
「…ア…ッ」
呼吸すらままならない。
「もう君に、私を殺すことはできないよ」
男は私の首に指先を当てた。
「ここで終わりだよ、もしかしたら君は私と同じだったのかもしれないね」
体が完全に動かなくなった、朦朧とする意識の中で男の言葉だけが聞こえていた。
私はここで、こんな呆気なく死ぬのかと思った。
そこに恐怖も憎しみももうなかった。
結局のところ、私は私が殺してきた人たちと何も変わらないのかもしれないと思った。
「—悪いけど、ここまでだよ」
聞き慣れた声、その声とともに体の鎖が解ける。
開いた目に映ったのは、腕を切り落とされた男と
「…大丈夫?レーリ」
和束優、青くて長い髪をした少年の姿だった。
「—お前ッ!!」
男はもう片方の腕で少年の首を掴もうとした。
「ああ、"呪い"はこう使うんだよ」
和束はまるで全てを知っていたかのような口振りでいた、その口からは"呪い"という単語すら出ていた。
足蹴りで体を捻られた男はコンクリートの壁へ頭から激突させる。
鮮血を流して男はもう、それっきり動かなかった。
「ごめん、ちょっと遅れた」
「遅れたも何も…和束…どうして」
その少年がこの場に来るはずがない、本来なら私とは違う班の人間であるのだから。
アーブストルクでの一件とは違い規模が小さく、それほどの人員も割かれていない。
そのため少年がこの場にいることは断じてあり得ないことなのだった。
それで救われたのは確かだった。
「ちょっとバーナー先生に掛け合って無理言って来させてもらったんだよ」
「…そ、そう…」
「そういえば、和束は"呪い"が何か知ってるの…?」
私自身、その呪いついて不明確だったが先の男で確かに存在していることは分かっていた。
「…まぁね、ちょっとしたオカルトみたいなものだよ」
和束は何かを知っていた、でもそれ以上は話さなかった。
「でも、覚えていてレーリ…いずれ"呪い"は止国にも—」
—ああ、確かそんなことも言ってたっけ。
その後、結局私の勝手な単独行動が咎められることはなく、むしろバーナー先生には賛称されるほどだった。
ただ、結局救えなかった命ばかりだった。
…
目が覚めた、車が静かな音を立てて海を眺めながら走っている。
「随分、長いこと眠っていたわねレーリ」
ハンドルを握ったまま、目線を合わせずとも私が起きたことにナレイは気付いていた。
「…今になって和束が関わってくるなんて思ってもいなかったから夢の中で思い出していたの、昔のこと」
不安、悲壮、残酷、そんな夢ではなかった。
今の私には昔の私を正しいと言ってあげられるから。
「やっぱり…過去って簡単には切り離せないものなのかしら」
ナレイはそう疑問を口にした、ナレイには過去がない。
自身の記憶からも消え去ってしまった、存在していたはずの過去も亡きものになってしまった故の言葉だった。
「どうかしら、切り離したいことに限って切り離せないだけで、大事なことでも幾つか忘れているかもしれないし」
「あなたが覚えていなくても、きっと他はあの子は覚えていてくれるわ」
「…あの子?」
「リラ・リン、私はずっとあの子を疑っていた」
ナレイの口から出たのは、とある一人の少女の名前だった。
「過去も記憶もない、それなのに正しいことばかり口にして、間違いなんて恐れずに前に突き進んじゃうあの子の姿をね、私…ずっと嫉妬してたの」
正解を知らなくても、自分の力で正解を求めて突き進む、臆病な性格でもリラという少女のとっている行動に間違いと言えることなんて何もなかった。
私の付き人になったことも、バーナー先生の生徒になったことも、全て彼女一人の判断で、あの子は周りの人間をいつの間にか幸福と救いに導いてくれた。
そんな彼女が私は好きだったのだと、気付いた。
「だから私、あなたがあの子を大切にしてるんだとやっと分かった」
ナレイは笑っていた、今まで見せた表情の中で彼女の横顔を美しく輝かせた。
「…レーリ、リラはあなただけではなく止国にとって今一番の希望よ、死んでも守り通しなさい」
リラを疑っていたとは思えないほど真剣な声だった。
「分かってる」
一言そう、ナレイに返した。
「…それとナレイ、あなたは知っているのよね」
「呪いのこと、かしら」
ナレイはミライと接触している、ならミライの呪いのことだけでも知っているはずと、そう思った。
「…呪い、正式名称は残痕呪、ミライはそう言っていたわ」
…
巨大な球体の物体、外見だけでは何なのか理解できない代物であり、理解したくもない一品だった。
そんな"兵器"を見て、ミーレ・イクツガはこう口にした。
「スミレトス、人間を最も殺せる兵器とは何だったと思う?」
至極簡単な質問だった、"止国"と関わっている人間なら迷わず答えを出せる。
「人間ですか」
「そう、止国のな」
するとミーレ・イクツガは球体に手を伸ばし、手のひらでその鉄の塊をゆっくりと撫でた。
「この球体の中には、いや、この兵器の材料には止国の兵士が使われている」
「…ミーレ様、それは」
「軽蔑するなよスミレトス、君が娘の命で実験をするように、私もまた死人の命を弄んでいるだけに過ぎない」
「軽蔑などは…しかし、人間を素材にしたところで何が行えるのですか」
「兵器とは人間を殺すならば相当な威力を発揮する、しかしそれ以外に及ぼす被害は甚大だ、故に広範囲で高威力の武器というものは開発されない」
「広範囲というのは、どこまでを指す言葉でしょうか」
私の率直な質問に、ミーレ・イクツガは笑って答える。
「対象は全人類、範囲は全世界…破壊という行為を行わず人間だけを殲滅してくれる、"この世で最も優しい兵器"だ」
その為の材料が人体、人間を殲滅する、理にかなった究極の兵器とでもいうべきだろう。
「欲を言えば、サズファーに止国全ての人間を殺してほしかったものだが」
「そうすれば、私の願いも今頃叶い、この世から人間がいなくなり、止国の実験体共が繁殖し争いなどない最高の世界が訪れていたのだがな」
彼にとっての平和が、万人にとっての平和かは知らない、しかしそれは確かに平和であることに変わりはない。
むしろ、"平和を求める良心"があっただけでマシだろう。
「—さて、材料の方から出向いてくれるとはな」
ミーレ・イクツガの声色が変わる、この場にいる三人目の誰かに対する声だった。
私自身は気付いていなかった。
「強引な招待状を貰いまくったんでな」
薄暗く天井は排気口と換気口で複雑に入り込んでおり、人が入り込むには絶好の場所だった。
白髪の青年、資料で見たA-0401、その人だった。
レーリ・クラーク同様のnewの資質を継いだ子供の一人、その期待に応えDから金階級にまでのぼりつめた功績がある。
素晴らしい素体であり、ミーレ・イクツガが欲している肉体の体現者とも言えるだろう。
「この場は任せたぞ、スミレトス」
ミーレ・イクツガはその青年に背中を向け、その場を立ち去ろうとした。
「君が到着しているということは、教官方も到着しているのだろう」
そのまま青年を横切って進む、青年は何も言わない、止める気配すらない。
ミーレ・イクツガが姿を完全に消し、目の届かないところに行ってしまったが、青年はそれでも静寂だった。
「あんただろ、副総督の付き人」
青年は銃を片手に、ゆっくりとこちらへと向かってくる。
ただ、撃つ気配がない、青年はそれを脅しに使うことも、武器として使うこともないようだった。
「あんたの娘がレーリの付き人になったのはただの偶然でいいんだな」
「ああ、何も仕組んでいないとも、アレは自身の思考で有能な判断を取ってくれたようだ」
「アレ…だと?」
「ああ、あれは表面上は私の娘だよ、ただその中にいるのは生前私の娘にくっついていた寄生虫にすぎない」
…
「あれはね、胎児に寄生して一部の不死性と何かしらの力を残していく、それがいい方向に働くことなんて殆どないから"呪い"なんて言われてるの」
ナレイは、そうミライから聞いた情報を淡々と話していく。
「ミライの呪いは言ってしまえば先読み…未来予知よ、ただ無条件で使えるわけじゃなくて出血することが必要で、その量が増えるに応じてどれだけ先まで鮮明に見ることができるかが決まるの」
「…じゃあ不死性って言うのは?」
「寄生された部分のことね、例えば右腕に寄生されたなら右腕だけは刺しても撃っても潰しても再生するわ、それが心臓や目と言った極小の寄生だった場合…破壊することすら不可能になる」
ミライが呪いのために好きなだけ出血することができたのはそれが理由だったのだろう、血液に寄生されたミライは好きなだけ血液を消費し先を読み、時間経過と共に血液を回復するという戦法を今までとってきたのだろう。
実際、そうでなければ手加減したとはいえ、ロボハンの攻撃を喰らって数日で復帰ができるはずがない。
「後はそうね…これは人によって個人差があるけど、ミライの場合は異常なレベルで身体強化がかかってると思うわ」
身体強化、私自身はミライの戦いぶりを拝見したわけではないからそこまでは分からない、だがロープウェイの時に私とリラの前に現れたミライは一瞬でその場から姿を消した、止国兵レベルで人間技とは言えない速さだった。
「永続的に身体強化なんて…それこそ止国が欲してるものよね」
ナレイが不思議なことを呟いた、何か一つ引っ掛かるような気がした。
「永続的な身体強化って…」
「—確かロボハンの言っていた…」
止国の人体実験とかでロボハンが言っていた。
「new…だっけ」
—でも、覚えていてレーリ…いずれ"呪い"は止国にも関わってくる。
—ああ、確かそんなことも言ってたっけ。
『The curse from the wound編 終幕』
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