第七話「hope and worthless」
寒い朝、冷たい風が体を刺した。
海が嫌いなったのは、きっとこの風のせいだろう。
「行こう、ロボハン」
和束が笑って意気揚々としている。
「よし」
靴紐を結んで二人並んで、一斉に走り始めた。
このランニングを始めてから二百三日目、朝起きて気付けば海辺にいた。
…
「…凄いな、ロボハン」
船の上での戦い、残り十五人を一人で相手していた。
もはや相手に余裕はなく、こちらに敵は攻撃している場合などではなかった、ロボハン一人を集中して攻撃しても不利は変えられない。
以前、ロボハンを路地裏で試しにナイフ突き刺そうとしてみたことがある。
神速とも言える動き、そして文字通り力強い。
あれでも手を抜いていたと今理解した。
正直、もう目で追える状態じゃない。
"未来予知"があってなんとか理解できている。
もし、ロボハンを相手にしてもこの能力はなんの役にも立たないだろう。
「覚えておきなさい、止国の人間と殺し合うなら視覚情報はほぼ意味をなさないと」
ナレイが同じ方向を見つめながらそう忠告した。
「…人間って言っていいのかな、アレ」
百キロを優に超える人間を次々と投げ飛ばし殴り蹴りその肉体を崩壊させる。
目で見えないほどのスピードで行う、そしてそれを長時間持続して行える。
人間というより、アレは機械だ。
「…そろそろかな」
残り三人、ロボハンの中では長い時間に感じているんだろうけど、こっちの目からすれば本当に一瞬だった。
船が揺れる、ロボハンの動きから出る衝撃はまるで地震のようだった。
コンテナ、甲板には幾つもの穴が開いていた。
「この船、沈まないよね?」
「……」
その質問にナレイは何も答えない。
少し不安が増してきた。
…
電話の着信音と同時に表示された"坊主"の文字。
ボタンを押し、応答する。
「坊主、どうかしたか」
「バーナー?」
いつものように呼び捨ての、その坊主の声は酷く疲れていた。
「…どうした」
「船に乗ってたら謎の武装集団に襲われた、全員止国の装備だった」
理解した。
副総督の宣戦布告、その意味を。
まだそれが誰が送り出した集団なのかは不明だが、ここまで来ればもう明確だった。
「…装備の中身は確認したか」
「船の上に残っていた奴のマスクは外した、大体知らない顔だったけど一人だけ例外だ」
坊主の声は、深刻そうに聞こえた。
絶望や、困惑、それらが入り混じった声。
「それで」
「バレツァル・リーズナー、サズファーの教官"だった"男だと思う」
坊主が口にしたその名前は、寸分違わず死人の名前だった。
絶望の正体。
「それよりバーナー、レーリに電話してくれ」
…
廊下に倒れている一人の死体を見て、そっとリラにだけ聞こえるように言った。
「リラ、絶対に部屋から出ないで」
死体を見せないように、危険に晒さないように、二つの意味でそう告げた。
リラは私の声のトーンで察したのか、何か深刻なものを感じたのか、そっと無言で頷いた。
リラを残してドアを閉じ、廊下を一人で歩く。
曲がり角を曲がれば一人、その奥にまた一人の死体を見つけた。
そっと指でその体に触れる。
「それほど時間は経ってないか…」
話したことはないにしろ、その誰もが、顔を見たこと程度はあった。
出張所に来て数日経っているのだから。
「…これだから、誰かと仲良くなろうとしないのよね、私」
血で壁も床も全部汚れた廊下、初めて見るような光景だが、何故かこの体は慣れていた。
「結局、根本は止国の人間ってことか…」
でも、それでも。
この怒りはきっと、あの人と出会って手に入れた。
誰かを許せないと思うのも、誰かを儚いと思うのも、全部全部、和束から貰ったものだろう。
そこだけは違う、そこだけ違えばいい。
「…いいわ、全員相手してあげる」
間違いなく複数人の敵がこの出張所内にいる、それもすぐ近くだろう。
音も立てず、気配すら出さず複数人を殺害、相当厄介な相手と考えていいだろう。
警戒しながら、廊下を奥へ奥へ進み、その間にある扉を全て開いた。
その一つに、武器を保管するために使われている一室があった。
誰もいないことを確認して、中にある備品を拝借する。
使うことはないだろうけど、手榴弾を一応ベルトに引っ掛けて置いた。
「…あった、バレット…止国式じゃないやつ…」
止国式の狙撃銃は、反動が大きすぎて使えたものではない。
正直に言えば、私は狙撃銃以外の武器は苦手だ、理由は特にないがこれが一番良く馴染む。
スコープを取り外し、弾を装填する。
入るのは十発、なら"十人以上"は容易に終わらせられる。
ドアに背中を合わせ、耳を研ぎ澄ませる。
微かに、微かに聞こえてくる足音。
「せーのっ!」
ドアを思いっきり開け、視界に一番目に入った一人目の敵の脳に銃口を向けて発砲する。
出張所に響き渡るような大きな音を立て、ヘルメットすら突き抜け、弾は対象の頭を掻き回し鮮血と共に舞う。
普通の銃が苦手だ、近接戦、遠距離戦、なんであれ私はずっと狙撃銃を担いでいた。
一発で終わらせてあげることが、敵に対するせめてもの慈悲、そう思っていたからなのかもしれない。
常備のハンドガンを使うことはあるにしろ、私にはこれしか合わない。
止国式の装備を着た何者かが複数人、一人の足音しかしなかったはずのその場には、視界に移るだけで八人もの敵が潜んでいた。
「…ったくいつの間に…っ!」
敵であることに変わりはない、微かな血の匂いと気配がなく人間ではないような違和感。
まして、出張所を私に気付かれず荒らせるような奴らだ、止国の人間と見て違いない。
それも相当な強い部類のだ、出張所の止国兵がこうもすぐ片付けられた。
「…ッ!」
リラを部屋に置いてきたのは正解だった、こいつらの狙い、"今は"私だけだ。
発砲から一秒もせず私に向けて全員が一斉に発砲、それを避けるように床を蹴り窓を突き破って外へ出る、それと同時にベルトに付けた手榴弾を一発投げ込む。
ハナニラの咲き誇る庭に出た、出張所には大きな穴が空いていた。
止国式の装備を着ている相手には、目眩し程度にしか使えないのに対し代償が大きすぎる。
「よし」
廊下で戦うよりはずっといい。
残り九発、敵の数は思ったより多い。
…
一部がボロボロになり死体が転がった貿易船の甲板上。
バーナーへの連絡も終わり、携帯をポケットに戻した。
「電話終わった?」
ナレイが、死体の顔写真を一枚一枚撮りながらそう言った。
「ああ」
「…レーリ・クラークが心配ならアーブストルクに戻る?」
忙しい二人とは対照的にミライがコンテナの上でくつろぎながら問いを投げてくる。
「いやいい、このまま止国に行く」
行き先は変更、このままテイーストルクには向かえない。
「大丈夫なの?レーリ・クラークも同等の人数送り込まれているとしたら?」
「俺は沈没しないように抑えてただけだ、レーリなら大丈夫だ」
「仮にも相手は止国兵だけど、絶対的に信頼ね」
「一応金階級だからな、他とは違う」
その一言に、ミライは何か感じた顔をしていた。
倒した止国兵は強さは、"あの男"を除いて全員が銅階級程度だった。
「亡骸の再生体だからね、筋力とかも多少落ちてるし動きはとても雑だったかな」
ミライは、その止国兵全員が死体だと先に知っていた。
疑問に思う点もあるが、ナレイから聞いた話と合わせれば辻褄は合う。
「私たちと同じ再生体なのにこうも違うものかしら、何よりこいつらにおよそ自我というものは感じられなかったし」
そいつらが明確に死んでいた人物だったのは確かだ、なら死体の再生利用というものら可能なのだろう。
「…お前もレーリの付き人も、本当に死んだんだよな?」
「ええ、本当に一度死んでるわ」
「聞かせてくれるか、そう思える経緯」
「…少しだけ長くなるけど」
…
白い部屋、白い服、白いベッド、そんな状況で目を覚ました。
「…」
不自然に、私は手を見た。
白い手、ただ普通の手だった。
「…イッ…」
胸に激痛が走る、必死に抑えて痛みを和らげる。
ボタンを外し、自分の胸を確認した。
そこには、明らかに刃物のようなもので刺された跡があった。
「…あ…え?」
何の傷なのかを思い出そうにも、何も思い出せないのだ。
文字通り、何も。
過去のことは全部、名前も、自分が今ここにいる理由も。
「…なんなの…これ…」
あまりにも困惑した状況に体の震えが止まらない。
すると、目の前にあったドアが開き、一人の男が立っていた。
「目を覚ましたかい、ナレイ」
その場に立っていたのは白い髪、顔に大きな黒い傷がある男だった。
「…誰?」
「君の名だよナレイ・イルマージ…あ、そうか、私の名はミーレ・イクツガ、止国という国の副総督」
「…止国?副総督…?」
「率直に言おう、君はその国で自殺した、そして一度死んでいる」
「…は?え?…死んだ?自殺…?」
「今は好きなだけ困惑するといい、君はサズファーという男の付き人だったのだがね」
サズファー、その名前にだけ妙に聞いた覚えがあった。
不思議だった、何も覚えていないのに、その男の顔だけが分かる。
気持ち悪いような、すっきりしない気分。
「サズファーはその国を壊そうとした、君は暴挙に耐えられず自殺した」
「…はぁ、ならここは冥界とでも?」
「いや、正真正銘君が自殺を実行した世界だよ」
「生き返らせた、とでも言いたいのですか?」
「そう、生き返らせた、君を含めて三人」
ベッドの前にあるだけの一つの椅子に、その男は座った。
気味が悪い、顔も口調も偽っているのを皮膚で感じた。
「…生き返らせて何がしたいんですか」
「別に、ただ記憶がないのは想定外だった、今後君の面倒を見てくれる人を決めなければならない」
「…そろそろ替えが必要だと思っていたし、君は総督の付き人になるといい」
私はその後、もう一度死ぬなんて馬鹿げた行動に出るはずもなく、総督の付き人として一定の情報を与えられた。
あの副総督には、スミレトスという男が付き人として就任したらしい。
それ以降、私には付き人としての役目しかなく、ただ総督の言う通りに行動だけしていた。
色んなことに慣れ、普通というものに染まりつつある私には疑問があった。
あの時、副総督は"替えが必要"と言った。
そう、私の前に誰か、私と同じように働いていた人がいたはずなのだった。
その人は何処へ行ったのだろう、直前までこうしていたのだろうか。
「私も、替えられるのかな」
疑問を残しつつ、私は結局ここにしか落ち着く場所がないことを知っていた。
その後、私はまた副総督と会う機会があった。
白だけの、冷たい廊下に立つ二人。
「久しぶりだね、どうだ、慣れたかい」
「ええ、慣れるしかありませんから」
その男は何も変わっていなかった、逆にそれが不自然だった。
あれから二年は経っていた、なのに記憶のまま、一ミリも変わらない姿だった。
「知りました、副総督とは収容されているのだと」
「ああそうさ、止国の人間は私に従う、だが私の存在を知るものは私を恐れているからね」
「…一つ質問します」
「なにかね」
「私の他に二人、生き返らせた人がいますよね、一人はスミレトス」
「そうだね、私の付き人だ」
「…もう一人は誰なんでしょう」
一人はスミレトス、一人は私、三人ではなく私な二人の情報しか持っていなかった。
「リラという少女だ、スミレトスの娘でね、スミレトスの実験だよ」
「実験…娘を蘇らせたかったという親心ではなく?」
「記憶を失っているのだよ、そんなものがあるはずもない」
その時のスミレトスの口は笑っていた、嘲笑うかのような形をしていた。
「…どのような実験で?」
「さぁね、私は蘇生以外には関与していないから、ただきっと私にとって有益な実験であることに間違いはない」
スミレトスはそう言うと、そそくさとその場を立ち去っていった。
「気持ち悪い人」
純粋に思ったことを口にした。
…
「…どうしよう…」
部屋に取り残されて十分が経った。
とてつもなく長い十分、勿論信頼している、あの人は死なないと。
爆音や銃声もきっとあの人が起こしたものだと分かっている。
それでも体は残酷にも震えている。
「レーリさん…」
部屋の隅っこにただうずくまる、自分が何もできないことへの悔しさなんてものはなかった。
ただ不安だけが襲ってきた、尚更辛い。
次第に、呼吸はどんどんと荒くなる。
胸を強く抑えて、呼吸を整えようとする。
ただ、何故なのか、初めてではないような気がした。
うずくまってただひたすらに安堵を求め続ける恐怖感。
「なに…これ…」
見たことがない、炎の景色が目に映る。
炎の真ん中には、一人の男が立っていた。
その姿は、話に聞いた"サズファー"という人間に酷似していた。
「…どう…して…」
私はその場で死んだような、そんな気がした。
手に力が入らない、呼吸はただ荒くなる。
体が何かに侵食されるように、間違いなく、それは"私ではない"誰かの記憶だ。
…
舞い上がる土、散らされる花びらの空気の中で、敵を減らしていく。
黒い止国式の武装をした相手は顔なんて見えない、まるでただ任務を遂行することだけを考えている兵器。
銃弾は全て使い切った、当たり前だがリロードする時間などあるはずもない。
十発で十五人持っていった、それでも敵はまだ六人残っていた。
一人だけ、一人だけとてつもなく洗練された動きをする兵士がいる、そのせいで攻めにくい。
間違いなくこの六人で最後だ、もう後には誰もいない。
体力も限界に近い、早く終わらせなければならない。
全員が全員、銃を使わず接近戦で攻めてくる。
受け流すだけで精一杯の状況だった、どうにかして打破しないと。
「…ッ!」
すると、視界に見覚えのない白い髪をした男が映り込んでいた。
一瞬の出来事だった、瞬きから目を開いた、その刹那だった。
六人を一気に、十五メートル近くも後退させた、何を使ったのかは見えなかった。
多分、蹴り、だとしてもとてつもない威力の。
「大丈夫か、嬢ちゃん」
その男の人は、どことなくロボハンに酷似していた。
いや、酷似しているというよりこの人は。
「…ロボハンのお父さん…?」
「ロボハン…誰かは分からんが、今は目の前に集中しな」
敵が体制を立て直してこちらに向かってくる、しかし、一度崩れてしまったことが彼らの敗因となる。
白い髪のその人は、向かってきた一人の敵のヘルメットに拳を放った。
一瞬で粉砕される、内部から大量の鮮血が飛び出たと同時にその敵は出張所の柵まで吹っ飛ばされた。
残り五人、ここまで来ればあとはこっちの番。
地面を蹴り、体を上手く捻り敵兵の腹に装備の上から平手で強く打つ。
装備の上からでも、関係なく骨は砕ける。
残り四人、結果は分かりきっている。
乱雑な動きなら同じやり方でも、対処できる。
問題は一人、正確な動きをする"男"。
一対一に持ち込まれたからか、逆にその動きはより俊敏になる。
「…っ!」
避けるだけで精一杯、体力をまた無駄に消耗している。
下手に距離を取れば一からやり直しだ、このまま隙を探し続けるしかない。
———隙は自分で作るものだよ、レーリ
追い込まれた状況からか、脳の何かしらが働いて聞き覚えのある声が聞こえてきた。
懐かしい声、忘れていたことを思い出させてくれる。
一歩踏み込み、ベルトの手榴弾のピンを抜く。
あえて見えるように抜いたことで男が一歩引く、それに合わせて詰めれば状況は一転する。
一撃に賭け、拳を鼻に向けマスクごと粉砕する。
怯んだ瞬間、その男の顔は"私ではない誰かの"一発の弾丸により粉々の肉片へと変えられた。
即座に手榴弾にピンを刺し直し、爆発直前だったそれを停止させる。
止国式電子手榴弾は爆破する前にピンさえ刺し直せば停止させることができる、フェイントに使えることなんかも想定された優れもの。
ただ、爆破するまでの時間は一秒半しかないある意味欠陥品である。
「凄いな、さてはバーナーのとこの生徒だな」
男の顔面を撃ち抜いた本人、ロボハンに風貌の似たその人が拍手しながら歩き寄ってきた。
バーナー、その人の口から出てきたのは最も聞き慣れた名前。
「…あなたは?」
「俺はアスヤ、アスヤ・リリィスだ」
電話が鳴る音、きっとバーナー先生からの着信だろう。
「はい、レーリです」
「レーリ、出張所は無事か」
「いえ、全然…とりあえず、今は生存者の確認が先なので後でまた」
そう伝えると、なんとなくバーナー先生が電話の先で頷いているような気がした。
電話を切ると、アスヤというその人が携帯をじっと見ていることに気が付いた。
私も思っていた疑問がある、先にそれを問いかける。
「さっき撃った銃、止国式ですよね」
「ああ、旧型だけどな…歩きながら話そう」
出張所はもう安全な場所ではない、リラを迎えに行ったらすぐに生存者の確認を済ませてここを出よう、そう決めて私は歩き始める。
その横をその人はついてきた。
「…どうしてあの状況で止国式の装備を着た人間が敵だと分かったんですか?」
「あいつらに襲われたのは君が初めてじゃない、ということだ」
全部分かりきっている口調と表情、やはりこの人は。
「ロボハ…A-0401のお父さんですよね」
そう聞くと、その人は数秒沈黙し、また口を開く。
「話は聞いてるみたいだな」
「つい先日、童楼製薬について調べに行って消息不明になってるいると本人から」
ロボハンから聞かされた父親の話、死んでいるか生きているかすら分からなかったその人物が今は目の前にいた。
「ラクス…いやバーナーにも迷惑をかけた…さっき、俺のことを伝えなかったのは感謝するよ」
「あの人はあれでも怒りっぽいですから」
「そうか、あいつはまだ"優しい"んだな」
きっと、この人は私よりもバーナー先生を理解しているんだろう、先生としてではなく人としての。
私よりもきっと普通の人間に近い、そう思って。
「止国には必ず戻る…俺の息子…いや、ロボハンにだけそう伝えてくれ」
その人は、少し嬉しそうな声でロボハンと発音した。
名前のない少年に愛称が付けられていたこと、会話の中でそんなことを感じ取っていたのだろう。
「…分かりました」
ボロボロになった出張所の中を歩く、戦いが終わって気付く思っていたより大きな被害。
わざと距離を取ったため、私の部屋は無事だった。
バーナー先生には、生存者の確認なんて嘘をついた。
そんなもの、私がドアを開けた頃にはいなかった。
自分の無力さではなく、これを引き起こした人間に今は怒りをぶつけようと体はしていた。
「副総督は君にも目をつけた、早急に止国に戻るべきだ」
ボロボロになった、景色を見渡した隣の人がそう告げる。
私はドアノブに手を掛け、開けるのではなく強く握りしめた。
「やっぱり、そうだったんですね」
顔はその人にも見せなかった、今私は人に見せられる顔なんてしていないだろう。
リラにも見せられない、そう思って普通の顔ができるようになってからこのドアを開けよう、そう思った。
目的も今の私には明確になった、もう戻ることは本当にできないのだと確信した。
「リラ、大丈夫?」
心を整え、そのドアを開けた。
…
あの戦いから一時間近くが経過した、ミライは暇を持て余してずっと海を見つめている。
船の甲板上は荒れているが、どうやらテイーストルクまでは行くらしい。
「距離的にもテイーストルクの方が近いし、妥当な判断だな」
沈没の恐れもある、どこからあの敵が混ざったのかも調べる必要がある。
携帯の通知が鳴る、電話ではなく、メールの音だ。
画面を開いて一読する、バーナーからのメールには以下のように述べられていた。
「…副総督からの教官招集命令が出た、一週間後」
「本気の宣戦布告ね、最悪のタイミングよ」
敵に近付こうとする俺たちとは裏腹に、その男は自ら俺たちを引き寄せるつもりだ。
「あと…レーリの付き人が倒れた」
リラ、今のレーリにとって最も重要で大事な人間と言っても過言ではないその少女は、部屋の中で意識を失っていた。
「…あの子を止国に連れ戻すのね」
「不服か、ナレイ」
「ええ…スミレトスの実験台で記憶もまるで当たり前のように過去の記憶もあったかのように振る舞ってる、異常よあの子は」
ナレイは人一倍、レーリの付き人、リラのことを疑っていた。
疑う要素が多すぎて、逆に信じる要素は少なかった。
レーリの近くにいることすら偶然とも言えないのだから。
「あなたもレーリ・クラークの側にあの子がいること、少し不安なんじゃないのかしら」
「…確かにな、だけどあの子をレーリは信じると言った」
「それであなたはレーリ・クラークの安全が保証されると思っているの…?」
「…」
何も答えられない、根拠のない答えに意味はない。
「結局、人間は自分以外に価値なんてないのさ」
海を見つめながらミライがそう呟いた。
「大切、大事な人、好きな人、それは自分にとって都合のいい人間に使う言葉だよ、無価値に変わりはない」
「ロボハン、君はレーリ・クラークに害があってもいいと思ってる、自身に害はないからね」
「——そんなことは」
「いいやあるよ、レーリ・クラークが君にとって価値のある人間なのなら君は無価値なリラ・リンを側に置くことを許さないはずがない、危険には晒さない」
その言葉は、いつもの十代前半の少年の言葉ではなく、ミライそのものとしての言葉だった。
「ロボハン、君はリラ・リンを敵の駒と知って自身の前に置けるのかい?自身を危険に晒せるかい?」
「…ッ」
ナレイは腕を組んで、ただそのミライの言葉を受ける俺を見ていた。
「君にとって大事な人に価値があったのなら、和束優は死んでいない、また同じ過ちを繰り返すことになる」
結局俺は、和束優という男の意志をただただ、継いでいるだけ、自身の心からそんなことは望んでいない、そう言うようだった。
「それでも君は、リラ・リンを彼女の側に置くと?」
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