第5話 『 友と恋人と 』

【 side颯太 】


―― 6 ――


「――という訳で、今日の予定は以上! 始業式だけだったが、皆お疲れさん。それと、午後がフリーだからって羽目外さないように。部活がある者たちは頑張れ」

『はーい』

「それじゃあ、本日は解散」


 伊藤先生の挨拶を合図に、クラスは一斉に騒がしくなった。殆ど同じタイミングで他の教室も騒がしくなり、颯太はようやく肩の力を抜けた気がした。


「お疲れ、颯太」


 帰り支度に取り掛かろうとした時、そんな労いの声が聞こえてきた。颯太は一拍間を置くと、隣の席に向かって溜息を吐いた。


「まさか、お前と隣だったとはな」

「何よ。なんか文句あるわけ?」

「ない。けど……腐れ縁が過ぎるんだよな」


 颯太の物言いに頬を膨らませているのは朋絵だ。なんと、颯太の隣の席は朋絵だったのだ。それだけでなく、


「それに、前にはお前がいるしな」


 朋絵から視線を外して前を向けば、その席には陸人が座っていた。

 颯太の隣席と前席は、驚くことに朋絵と陸人だったのだ。これが颯太にとっては嬉しいことか悲しいことなのかは一旦置いておいて、陸人が前髪をキザった風に掻き上げながら言ってきた。


「おいおい。親友よ、なんでそんな嫌な顔してるんだい。仲良し二人組が前と隣にいることを光栄に思うべきじゃないんですか?」


 挑発的な口調の陸人に反論しようとたが、意外にも朋絵が同調してきた。


「そうそう。授業で困った時があったら助けてあげられるよぉ? 颯太、クラスの皆とあんまり話したことないんだから、聞くのも一苦労でしょ」

「俺を勝手にコミ症にするな。あと、お前らが心配してる勉強に関してはまったく問題はない。家で暇な時勉強してたから」

『え、家で勉強するの⁉』

「何に驚いてんだお前ら……今のでそこはかとなく心配になったわ。それに、お前たちの方が今まで聞いてきた側だろ」

『うぐっ⁉』 


 朋絵と陸人の口撃にも動じることなく、颯太は二人に正論を叩きつけて大人しくさせた。

 二人とも、お世辞にも成績は良い方とはいえないはずだ。今は知らないが、去年の期末では陸人は追試が二つ、朋絵は颯太が試験範囲で対策する箇所を教えたことと一夜漬けの甲斐あって真ん中だった。ちなみに、颯太は学年で十五位だったのと、二人からもれなく肩パンを喰らった。

 そんな二人が勉強に関してマウントを取って来たのだが、生憎、颯太も二カ月ただ自堕落な生活を送ってきたわけではない。どうしようもなく暇を持て余した時や、アリシアが勉強しているのに感化されてしっかり予習復習済みだ。これも、母の完璧主義な性格が息子に引き継がれたが故なのだろう。

 ぷるぷると体を震えさせている二人に、颯太は失笑しながら言った。


「お前らそんなんでよく夏休みの課題終わらせられたな……」

「あたしは友達とやりながら、どうにか一週間前には終わらせられました」

「俺は昨日終わらせました」


 二人とも、最後は意気消沈だったのだろう。死んだ目がそれを如実に語っていた。

 颯太も重い空気に釣られて遠い目をしていると、途端に陸人が声を上げた。


「くそ、お前からやっと勉強でマウント取れると思ったのに!」

「そーだ! そーだ! やっと颯太と図書室で勉強しながら良い雰囲気になれと思ったのにぃ!」

「その下心を引っ込めてくれたら、勉強はいつでも見てやるよ」

「え、ホント⁉」

「先生ー! 俺もお願いします!」

「泣きつくなよ! というかお前ら、二カ月も学校休んでたやつに勉強教わるとか恥ずかしないのかよ」


 すると二人はお互いの顔を見合い、数秒後に真顔で振り返って、


「それで成績が上がるなら」

「それで竹部先生に怒られなくて済むなら」


 と答えた。

 颯太は深い溜息を吐かずにはいられなかった。


「ホント、厄介な二人と友達になっちまったなぁ」


 口ではそう言いつつも、颯太の口角はほんのわずかに上がっていた。

 それを当然本人が気付くはずもなく、だから、颯太は目の前の二人が呆けているのを不思議がった。


「……二人揃って、なんだその顔?」


 首を傾げる颯太に、朋絵と陸人は双子のようなシンクロで目を擦った。それからお互いの顔を見つめ合い、何かを確かめあったところで颯太に向かって言った。


『颯太変わったな(ね)』


 それは今日関わってきた人たちに言われた言葉だ。これまではどことなく、その言葉に納得ができた。伊藤先生から替わったと指摘された時は、気持ちの面で。クラスメイト達の時は、接し方の面で。しかし、今のこの二人とのやり取りに関しては何故言われたのかが全く理解できなかった。

 難色を示す颯太に、朋絵は「あはは」と可笑しそうに笑った。


「こういうところの鈍さが、颯太なんだよねぇ」

「だよなぁ。俺たちの颯太が返ってきたって感じだわ」


 朋絵の言葉に納得と頷く陸人。二人だけが分かっていて颯太が分からないのが、どうしてか無性に気に食わなかった。


「おい、俺のどこが変わったんだよ、教えろ」

「えー、どうしようかな、朋絵~」

「ねぇ、どうしようかな、陸人~」

「うぜぇぇ⁉ いいから教えろ!」

「ダメ~、面白いから秘密~……っていひゃい! いひゃい! ぼうろくはんらいら!」

「ならさっさとお・し・え・ろ!」

「これららいえないらろ!」

「何言ってんだ⁉」


 颯太は露骨に挑発する陸人の頬を抓んで引っ張った。陸人は涙目で降参しようとするも、さっきまで散々弄られた鬱憤を晴らすべく颯太は悪魔的な笑みを浮かべて続行した。

 そんな男子生徒二人のじゃれ合いを朋絵は愛しそうに見つめながら、


「そういう所だよ、颯太」


 もうしばらく、朋絵は二人のじゃれ合いを堪能することにした。

 朋絵が参加するのは、陸人が颯太に本気で泣かされる直前だった――。



           **********************************



 ――早く、キミに会いたい。


 焦燥する心のまま、颯太は帰路に着く。

 駅を抜け、寄り道することなく真っ直ぐ進む。途中、八百屋のゲンさんに軽い挨拶をして、家に着くための坂道を上った。坂を下るときは真っ青な空と隣の県またぐ河口が見るが、逆は灰色の壁と無造作に伸びる竹しか見えず鮮やかさがない。普段ならこの景色に白銀が足されるから、余計に地味に思えた。

 逸る鼓動と足は立派な門の前で一度落ち着きを取り戻した。ここをくぐれば、五時間十五分ぶりに少女に会える。


「ふぅ」


 門を潜り敷石を越えていく。そして、玄関に手を掛けた。

 ガララ、と音を立てながら引かれて、颯太はようやく我が家へ帰った。


「ただいまー」


 と大声で言うには彼女に会いたがっている感が強い気がして恥ずかしくなり、普段通りの声音で発した。

 そんな颯太の恥ずかしさとは対照的に、彼女の足音は颯太の帰りを待ち望んでいたかのように五月蠅かった。

 ドタドタと、慌ただしい音が渡り廊下から聞こえてくる。あまりに大きな足音に、颯太は堪え切れず吹いてしまった。

 そして、目の前に大輪の笑顔を咲かせた少女が滑るように現れて――、


「おかえりなさい、ソウタさん!」


 愛しい少女――アリシアの出迎えに、颯太も微笑みで返した。


「ただいま、アリシア」


 靴を脱いで廊下に上がると、アリシアがすぐ傍にやって来た。その顔には興味津々と書いてあって、


「それで、それで、学校の方はどうでしたか⁉」


 案の定、聞かれたのは学校のことだった。


「別に、アリシアが期待してるお見上げ話はないよ。ごめんな、学校爆発とか朋絵が陸人にゲンコツされた話できなくて」

「そんなお話期待してませんけど⁉ あれ、何か気になるお話が……」

「気のせいでしょ」


 本日のアリシアの驚愕した顔を頂戴しつつ、颯太はリビングに向かっていく。隣でアリシアが小首を傾げているが、あえて触れないでおく。


「俺の学校の話はまた後で、アリシアの方は何も問題なかった?」

「はいっ! それは勿論! しっかり万事、家事は完了してます! あとは洗濯物が乾くのを待つだけです!」

「そっか。偉い、偉い」

「えへへ」


 胸を張って答えたアリシアの頭を撫でると、彼女の顔がふやける。堪らなく幸せそうな顔をしてくれるから、颯太も止め時が見つからなかった。


『ぐぅ~』


 そんな颯太に助け船を出してくれたのは、自分のお腹だった。


『あ』


 颯太とアリシアの声が重なり、なんだか無性に可笑しくなってしまった。それからひとしきり笑って、


「お昼、まだ食べてなかったんですね」

「あぁ。俺もお腹なるまで忘れてた」


 学校にいた時からずっと続いていた緊張が解けたからなのだろう。途端にお腹が空いてしまった。


「アリシアはお昼食べた?」

「いえ、私もこれからです。てっきりソウタさんはお友達とお昼を食べてくると思ったので、何も支度してないんですが……」

「なら、朝はアリシアが用意してくれたから、昼は俺が用意するよ? 冷蔵庫に何かあった?」

「午前のうちに食材の買い出しは終わってるので、色々ありますよ」

「お、流石アリシア。ちなみに、肉ある?」

「えぇ」

「なら、お昼は豚バラ炒めにしようかな、アリシアはそれでいい?」

「ソウタさんが作るものなら何でも美味しいので、異論ないです」


 アリシアの賛同も得たことで、二人の昼食も無事決まった。


「よし、それじゃあ俺はさっさと手洗って、着替えてくるかな」

「なら、私はお米を研いでおきますね」

「ん、よろしく」


 颯太とアリシア、互いにやる事が決まり、早速行動に移ろうとする。

 リビングから台所へアリシアが向かおうとした時、アリシアは「あ」と何か思い出したような声を上げた。


「そうだった。ソウタさん。夜はご飯の支度要らないそうです」

「え、なんでさ?」


 首を捻る颯太に、アリシアはふふ、と微笑むと、


「みつ姉さんが、お祝いに来てくれるんですって。ソウタさんの復学祝いだそうですよ。お寿司用意するから楽しみに待ってて、だそうです」

「マジか……なら、お昼はあんま食べないようにしよっかな」

「私はお昼もしっかり食べて、お寿司も楽しみますよ!」


 意外と欲張りなアリシアな返答を受けて思わず苦笑い。

 お寿司、と聞いて、颯太もアリシアも今からが楽しみだった。きっと、夜は宴会になる。それも含めて、二人は夜が待ち遠しかった。

 なにはともあれ、


「まずは、目前の腹ごしらえ、ですよ、ソウタさん!」

「おぉ、日に日に、アリシアの成長を実感するよ。そうだな。目前の腹ごしらえ、だな」


 日本語を巧みに使いこなすアリシアに感動する颯太。彼女の日々の成長も、颯太の楽しみの一つだった。

 台所に向かっていくアリシアを見届けながら、颯太は微笑みを浮かべて呟いた。


「ホント、俺の人生変わったよ、爺ちゃん」


 きっと、今もどこかで自分と――そしてアリシアを見守ってくれているであろう祖父にそう投げかけたのだった。

 忙しない日常がやって来た。けれど、その日々に、颯太の心はどこか弾ませていたのだった――。

   

  ―― Fin ――



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