第3話 『 始まり。第一歩 』
【side颯太 】
――4――
教室に赴く前に、颯太には寄る所があった。
「いくらアリシアから勇気もらったとはいえ、やっぱ普通に緊張するよな」
扉に手を掛ける直前、颯太は深い吐息を数度繰り返した。
今、颯太が立っている扉は職員室だ。理由は当然、担任に復学の挨拶。
「あのー。ちょっといいですか」
「あ、すいません」
中々決心が着かず右往左往していると、職員室に用があるのであろう生徒に迷惑そうな顔をされた。颯太は小さく頭を下げ、扉から数歩下がった。
「失礼しまーす」
颯太とは違って平然とした顔で職員室に入る生徒を見て、颯太は少し敗北感を味わった。
「あーくそ、いつまでもうじうじしてる訳にもいかないよな」
頭を掻いて、颯太は自身にそう言い聞かせる。立ち止まっていては何も始まらない。こういう時は勢いが大事だ。
扉を開けるのに深呼吸はやめて、颯太も先の生徒と同じように、やっぱり少し頬は強張りながらついに扉を開けた。
「失礼します。二年二組の宮地颯太です。伊藤先生はいらっしゃいますか?」
一歩中に入ってそう訊ねた瞬間、職員室にいた先生の半数が颯太に視線を集めた。あまりの注目度に凝然としていると、一人の先生が「ちょっと待ててね」と颯太に応じた。
「伊藤先生ー、生徒がお呼びですよ」
「ん、私にか?」
随分と久しぶりに聞いた声は、職員室の奥、応接室から聞こえた。その懐かしさについ笑いそうになるも、颯太はグッと堪えた。
「えぇ。……はい。そうです。宮地颯太くんです」
「え⁉ ほんとに⁉」
先生が来るまで呆けた顔で待っていると、途端に職員室中に鳴り響いた大声にびくりと肩が震えた。そして、応接室から慌ただしい音が聞こえると、その女教師は驚愕を敷き詰めて顔を出した。
「宮地!」
「お久しぶりです、伊藤先生」
伊藤先生はいまだ信じられないものでも見たような顔をしながら颯太の元までやってきた。
彼女は少し戸惑い気味に、けれど心の底から安堵したような表情で颯太の肩に手を置いた。
「良かった。また、学校に来てくれたんだな」
「はい。色々と迷惑かけて、すいませんでした」
頭を下げる颯太に伊藤先生は後ろに一本に束ねた髪を揺らすと、
「迷惑なんて誰も思ってないよ。……体の方は、もう大丈夫なんだな?」
「えぇ。大丈夫です」
不安そうな顔での問いかけに、颯太は力強く肯定してみせた。その颯太の顔を見て、伊藤先生は満足そうに微笑んだ。
「うむ。その顔なら、もう心配はなさそうだな。本当に、キミがまた学校に来てくれて安心したよ」
「心配してくれて、ありがとうございます」
「いいや、教師としては不甲斐ないばかりだよ。あの時、落ち込んだキミに声を掛ける事すらできなかったんだから」
視線を落とす伊藤先生に、颯太は首を横に振った。
「先生が責任感じることないです。それに、今はまた学校に来れましたし」
「そう、か。宮地がそう言ってくれると私も助かるよ。クラスの皆も、キミが戻って来るのずっと待てたんだからな?」
「本当ですか?」
「当たり前だろ。皆、心配してたんだ。一度、全員がキミの家に押しかけようとしたくらいだ。私が全力で阻止したが」
「ありがとうございます。先生のおかげで我が家の安全が保たれました」
クラス全員が宮地家へ突撃すれば、あの頃の颯太だったら二度と学校には行かないまでに煩わしくなったはずだ。故に、伊藤先生の判断に下げた頭が上がらなかった。……そうなりかけた元凶はおそらく茶髪の陸上部マネージャーだろうが。
「とにかく、キミが復活してくれて私は一安心だ。おかげで、新学期が気持ちよくスタートできそうだ」
その言葉に嘘はなく、伊藤先生はホッと胸を撫でた。
「……と、ここまでは一個人の感想で、ここからは一教師としてキミに言うぞ」
「――――」
先程の空気が一変、眼鏡から覗かせた鋭い視線に和やかだった雰囲気が消えた。
「宮地、キミは他の生徒より数カ月も遅れてしまった。キミが学校を休んでる間、皆は一年後の将来に向けて模試や部活に励んでいた。中にはまだ漠然とした者もいるが、それでも各々が進路を定め始め、それに向け勉強している。その意味が分かるか?」
「……分かってます」
教師として生徒を導く立場にある伊藤先生のこの言葉はただの正論だ。そして、挑発的な問いかけに、颯太は促されるまま答えた。
「遅れた分は取り返します」
「――――」
真剣な顔で応えた颯太に、伊藤先生はジッとしたままだった。数秒、二人は睨み合いを続けていると、眼鏡の下でクスッと笑い声が聞こえた。
「ん、ちゃんと自覚を持っていてよろしい。まぁ、堅いことをいったが、そんなに身構えなくていいぞ。私はキミを信頼しているし、信用もしている。成績が何よりもの証拠だ。だから、遅れた分は着実に取り返していけばいいし、困ったことがあれば何でも言ってほしい。私は、キミの担任なんだからな」
「はい。ありがとうございます」
「おいおい、そう何度も頭を下げるなって。これじゃあ、周りに私が厳しい先生に見えるじゃないか」
先程の真剣な空気は霧散して、また穏やかな気配に戻った伊藤先生はおろおろし出す。頭を下げている颯太は顔が見えないことを良いことに静かに笑いながら、ゆっくりと顔を上げた。
「……今更だが、宮地、良い顔つきになったな」
「そうですかね」
「あぁ。以前よりもずっといい。私は今のキミの方が断然好きだぞ」
「ありがとうございます。でも、俺今、カノジョがいるので」
「そういう意味で言った訳じゃ……って、うええ⁉ キミ、カノジョいたのか⁉」
「なんですかそのリアクション」
何故か復学の知らせを受けた時よりも驚愕な顔をしていて、胸中で心外だと思わずにはいられなかった。
「そっか……キミにもカノジョがいたのか……うぅっ、いいな。先生もそろそろ本気で婚活始めようかな」
「あ、なんか悲しい事情が見えたのでそろそろ教室戻っていいですか」
涙目で指をもじもじさせる伊藤先生を見て、颯太はつい目を逸らしてしまった。
そんな颯太の返事を受けて、伊藤先生は少し頬を紅くして咳払いすると、
「そ、そうだな。教室に行って、皆に会ってくるといい。きっとクラス全員の驚いた顔が見られるぞ」
「だといいですけどね」
「謙遜するな。キミが思う以上に、クラスの皆はキミに会いたがっている」
それが先生なりの配慮なのだと分かっているが、おかげで颯太も教室に行く勇気はもらえた。
「それじゃあ、そろそろ戻ります」
「あぁ。行ってきなさい」
本格的に職員室を後にしようとした瞬間、
「そうだ、宮地。一つ言い忘れた」
「? なんですか」
扉を手に掛けた手前で踏み止まり、颯太は伊藤先生の声に振り返った。
「改めて、戻って来てくれてありがとう。それから、卒業までよしくな」
「――はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
最後に今までよりずっと深く頭を下げた。それから、颯太は職員室を後にした。
「ふー」
ちらりと職員室玄関の時計を見れば、時間は五分ほどじか過ぎていなかった。体感時間では三十分は居たはずだった。それだけ、緊張していたのだと遅れて実感が涌いてきた。
「……教室、行くか」
伊藤先生に挨拶するのもかなり精神的に疲弊したが、颯太は立ち止まる間も自分に与えず職員室を去った。
そして、目的地である自分の教室に向かおうと――した時だった。
「そ、颯太……?」
聞き覚えのある声音に前を向くと、颯太も「あ」と声が漏れた。
そこに立っている少女は颯太が学校にいることに余程驚愕しているのだろう。肩からリュックがズレ落ちて、まるで幻でも見ているかのように何度も颯太を見ては目を擦るのを繰り返していた。
「よ、朋絵」
愕然としている彼女に挨拶すると、彼女――三崎朋絵は大きく口を開けて、
「えええええええええええええええ⁉」
そんな絶叫が、校舎中に響き渡ったのだ。
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「いやホント驚きなんだけど! 学校来るなら言ってよ!」
「あれ? 言ってなかったっけ」
「言ってないし! そんな素振りも全然見せなかったじゃん!」
横で騒がしい朋絵に耳を塞ぎながら、颯太は教室へ向かっていた。
「ていうか、わざわざお前に報せる必要なんかないだろ」
「ぐっ。それはどうだけどさ……でも、言ってくれればクラスの皆に教えられたし、それに一緒に登校もできたじゃん」
「いや無理だろ、だってお前、朝練あるじゃん」
「……颯太ってなんでこう、女心が分からないんだろうね。そんなじゃいつかアーちゃんに愛想つかれるんじゃない」
「ぐはっ⁉ それは絶対ダメだ!」
「ちょっとあたしとアーちゃんとで反応極端すぎでしょ!」
朋絵の一言に颯太の胸がずきりと痛んだ。アリシアに愛想つかされるなど想像もつかないが、想像しただけでも絶望感が尋常ではなかった。
一人で顔を蒼くしている颯太に、隣で朋絵が「はぁ」と辟易としながら、
「相変わらず、仲が良くて羨ましい限りですよ」
「なに当たり前のこと言ってんだ。俺はアリシアしか眼中にないぞ。そんで、アリシアも俺のことが好きだからな」
「ケッ。朝からのろけやがって」
しれっと返した颯太に、朋絵は心底忌まわしそうに唾を吐いた。
「……というか、颯太、そんなアーちゃん依存症でよく学校にこれたね?」
「さりげなく患わせるな。確かにアリシアに会えないのは辛いけど、アリシアの傍に居るためには前に進むしかないからな」
「はーん。やっぱ学校に来たのもアーちゃんがきっかけなんだ……ちょっと妬くな」
「? 何か言ったか?」
「別にぃ。ちょっとアーちゃんに嫉妬してただけですぅ」
「はぁ? 今の会話にどこにアリシアに妬くとこがあったんだよ」
訳が分からず眉根を寄せる颯太に、朋絵は「だって」と置くと、
「あたしが颯太を学校に連れ戻そうとした時は一切動こうとしなかったのに、アーちゃんの為なら学校に来るんだもん」
「あ……」
指摘されて初めて、颯太は自分の無神経さに気がついた。
そうだった。朋絵はずっと、颯太が学校に戻ってくるのを待ち望んで、その上説得までしに来てくれたのだ。どれだけ拒絶されても、諦めず何度も。颯太の帰りを待っていた。
気まずい空気が二人に流れ始めて、颯太は朋絵への謝罪の言葉を探した。
「朋絵。その件に関しては、悪いと……」
「すとーっぷ!」
謝ろうとして、しかしそれを防いだのは朋絵だった。
朋絵は颯太の顔の前で大きくバッテンを作ると、
「あたしは別に颯太に謝って欲しいわけじゃないの。ただ、少しくらい、あたしにも感謝の言葉が欲しいだけ」
見つめてくる双眸は、ただひたすらに颯太の言葉を求めていた。
「――は」
だから颯太は思わず笑ってしまう。朋絵の私欲の低さに。それだけでいいのなら、今の颯太は朋絵に感謝の想いは容易く伝えられるから。
「ありがとう。朋絵。こうやってまた学校に戻ってこれたのは、お前が何度も俺を誘ってくれたからだ。おかげで、またお前と学校生活が送れるよ」
「ちょ、そんな真面目な顔で言われたら……こっちが恥ずかしくなるんですけど」
顔を真っ赤にする朋絵に、颯太は挑発的な笑みを浮かべて、
「……感謝しろって言ったのはどっちだよ?」
「近い、近い! お願いだからドキドキさせないで! また好きなっちゃうから!」
「あ、それは本気で悪い。俺にはアリシアっていう超絶可愛いカノジョがいるから無理」
「おいぃぃ⁉ ときめきを返せぇ! そしてあたしにもっと感謝しろ!」
「感謝はしてる。でもアリシアに勝てないから」
教室までの道のりを、颯太は騒がしい親友と肩を並べて進んでいく。それは颯太が初めて感じた、学校での『楽しさ』でもあった。
これから颯太は、親友たちと新たな生活を送り始めていくことになる。
そして、教室が朋絵の時のような絶叫に包まれるのは数分後の話だった。
―― Fin ――
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