第2話 『 それぞれの責務 』
【 side颯太 】
―― 2 ――
午前七時。
「ん、くあぁ~、もうこんな時間か……」
スマホのアーラムが五月蠅くなって、颯太は瞼を強く瞬きながら目を覚ました。
アリシアのおかげでこの時間に起きるのも慣れたが、やはりまだ眠っていたい衝動が強かった。欠伸をかきながら階段を下り、颯太は縁側の最奥、洗面台へ向かっていく。
太陽はすっかり空に昇っていて、今日から始まる二学期には最高の青空だった。最も、奥の学生は夏休みが開けることなど望んではないだろうし、当然、颯太も永遠に夏休みが開けて欲しくない派だ。
「あ、おはようございます、ソウタさん。よかった、ちゃんと起きれたんですね」
と眺めていた庭の反対のリビングから愛らしい声が聞こえてきて、颯太は振り返った。
「おはよ、アリシア」
「なかなか起きてこないので心配しましたよ、なんでしたら起こしにいこうかと迷ったくらいです」
「大丈夫。というか、起きるのには早いくらいだよ。むしろ、あと三十分寝てても間に合うから」
トタトタと寄ってくるアリシアに颯太はそう答えた。ふと脳裏に過った、朝アリシアにモーニングコールされるのも悪くない、と思った事ことは隠しておいて、
「一応、学校復帰初日だからね、先生にも挨拶しに行かなきゃいけないから、早めに出るつもり」
「そうなんですね。それでしたら、早く顔を洗って、朝ご飯食べましょう。もう支度済ませてありますから」
「おぉ、朝からアリシアの手料理食べられるとか、今日一日頑張れそう」
「こうやって朝食の支度ができるようになったのも、ソウタさんがみっちり料理の稽古してくれたおかげですよ」
笑顔でピースサインを作るアリシアに、颯太はつい感慨深くなる。いつかの揚げ物爆発事件以降、めげずに努力を続けたアリシアは朝食を任せられるほどの成長をみせてくれた。料理のレパートリーも少しずつ増えてきて、いつかソウタを越す日も遠くないかもしれない。けれど免許皆伝はまだまだ先の話だ。
「それじゃあ、アリシアが用意してくれた朝食も待ってることだし、早く支度済ませてこようかな」
「はい。食卓で待ってますので、支度、整えてきてください」
上機嫌なアリシアに背中を押され、颯太は洗面台へ向かっていく。彼女とのこんなやり取りが、胸に渦巻く緊張を和らげてくれた。アリシアの笑顔が、いつだって勇気をくれた。
「ありがとう、アリシア」
「? 何か言いましたか?」
「ううん。じゃあ、すぐ行くから、待ってて」
「はいっ」
にぱっ、と破顔するアリシアは髪を靡かせて食卓へ戻っていった。彼女の鼻歌を聞き届けながら、颯太は廊下の踏みしめていくのだった。
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アリシアとの賑やかな朝食も終わり、颯太は自部屋に戻った。
――この制服に袖を通すのは、実に二カ月ぶりだ。
真っ白なワイシャツのボタンを一つ一つ締めていく。半ズボンを脱いで、紺のズボンを履いた。ワイシャツを閉まって、革のベルトを腰に回していく。久々の制服のズボンは言い知れないむず痒さがあった。
そして、最後に首元にネクタイを通していく。この作業も久しぶり過ぎて、輪っかを作るのにも通すのにも時間が掛かってしまった。
「よし、こんなもんかな」
キュッ、とネクタイを引き締めると、自然と自分の気も引き締まった気がした。
「そろそろ、行く時間か。あー、アリシアと離れたくないなー」
今日は始業式のみ。予定通りなら、今日は午後には家に帰れるはずだった。それまでアリシアとは離れ離れ、中々に苦行だったが、これからは日中アリシアに会えない日々が続くのだ。颯太にとっては、学校に行くことよりもアリシアに日中会えないことが学校に行きたくない最大の理由だった。
「ぐじぐじしてても仕方ないか。よし、行こ」
部屋を出る前に深呼吸。閉じた瞼をゆっくりと開けて、颯太はドアノブを捻った。
廊下に出て階段を下っていく。玄関が目先に見えた時、アリシアが壁際でそわそわしながら待っていた。
「わざわざ、出迎えなくていいのに、アリシア」
「うえ⁉」
階段を下り切り、廊下から玄関への短い距離を歩きながら颯太はアリシアに苦笑した。
何故か颯太よりも緊張しているアリシアは声にビクッ、と肩を震わせて、遅れて反応を示した。目を白黒させながら颯太に振り向いたアリシア。その顔は強張りから一転、息を呑みながら瞳を爛々に輝かせた。
「これが制服姿のソウタさん……スゴく、カッコいい!」
「いや普通だけど、ていうかなんで涎垂らしてるの⁉」
アリシアが何に対して興奮しているのかが理解できず、颯太は凝然とした。
きっと、アリシアは自分の制服姿が珍しいから興奮しているのだろう。颯太はそう解釈すると、その場で兎にように飛び跳ねるアリシアに照れ臭そうに問いかけた。
「どうかな、アリシアから見て、何か変な所ある?」
「どこもありません! ものスゴく、カッコいいですよ、ソウタさん!」
「そう、アリシアがそう言うなら安心だな」
一番信頼しているアリシアがそう絶賛するなら、間違いないのだろう。おかげで、俄然気合が入ってきた。
「さてと、それじゃあ、行って来るかな」
「忘れ物ありませんか? ハンカチとティッシュ持ちましたか? お財布と教科書ちゃんと持ってますか?」
「なんだかアリシアがお母さんみたいだな……問題ないよ。全部確認してある。なんだったら、アリシアが最後に点検する?」
鞄を渡そうとした瞬間、アリシアが「いえ」と手を突き出した。
「ソウタさんが断言するなら大丈夫です。そういえば、ソウタさんは私よりしっかり者でしたね」
「いやぁ、俺よりアリシアの方がしっかりしてるでしょ」
「む」
「ムム」
登校前だというのに、玄関で睨み合い始める二人。そうなった理由も大したものではないのが実に二人らしかった。
「ふふふ」「あはは」
数十秒睨めっこして、互いに耐え切れなくなって吹き出してしまう。
そして、充分に笑いあった後、
「よし、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
靴を履き、戸を開ける前にアリシアに手を振る。アリシアもまた手を振りながら笑顔で見送ってくれた。
名残惜しくも戸に体の向きを戻し、颯太はようやく戸を開けた。ガララ、と音を立てて開いて、外の暑い空気が颯太を迎えた。
後ろではまだアリシアが手を振ってくれている気配があって、それが心底嬉しかった。
この家には自分の帰りを待ってくれる人がいる。それだけで、颯太は前に進む勇気が出た。
入道雲が浮かぶ青空の下、宮地颯太は再出発したのだった。
△▼△▼▽▼
【 sideアリシア 】
―― 3 ――
「さて、私も私の仕事をしないとっ」
ソウタを見送り終えたアリシアは、自分の仕事を全うするべく気合を入れた。
ソウタが学校でいない日中、この宮地家の家事がアリシアの仕事だ。今まではソウタのお手伝い感覚だったが、これからは責務を持ってやっていかなければならない。
「ソウタさんが安心して学校生活を送れるよう、家事がしっかりできるということを証明しないといけませんからね」
腕まくりをした風にみせて、アリシアは鼻息を強く吐いて洗面所に向かっていく。
「まずは洗濯と……あ、洋服がもう入ってる、もう、ソウタさんたら、こんなとこまで気を使わなくていいのに……」
洗濯機の蓋を開けると、そこにはすでに洋服が詰まっていた。アリシアは悔しさに頬を膨らませるも、ソウタの配慮に頭を下げた。
初めは一人で全部こなすのは大変だろうから、少しだけ作業が楽になるように工夫してくれたのだろう。おかげで余裕が生まれて、アリシアは手順を思い返しながら作業ができた。
始めにピッ、と洗濯機の電源を点けると、
「えーと、水槽に洗剤とバケツを入れて……そういえば、お水は浴槽の残り湯を使うんでしたっけ。ホースは、あ、あったあった」
きょろきょろと周囲を窺うと、これもまた分かりやすい場所に置いてあった。きっと、ソウタがアリシアが見つけられやすいよう置く場所を変えてくれたのだろう。
「よし、水の量はこれくらいで十分かな。あとは設定してと……あれ、どうやって選択するんでしたっけ?」
ボタンをあれこれと押しているうちに教えられた設定が分からなくなってしまい、アリシアは慌ててポケットからメモ帳を取り出した。『家事メモ帳』これにはソウタから教わった家事のいろはが書かれている。
アリシアはぺらぺらとページをめくり、洗濯機の回し方が書いてあるページを開いた。
「メモしておいてよかった。そうだ、こうするんでしたね。――よし、スタート!」
胸を撫で下ろしながら、アリシアはページを睨めっこしながらボタンを操作していく。ようやく最後の手順まできて、アリシアは差し指を天井に掲げると、
「よろしくお願いしまーす! ……一度、やってみたかったんですよね、これ」
前に一度見た映画のシーンを再現しながら、アリシアは洗濯をスタートさせた。
何はともあれ洗濯は完了。これだけで額から汗が滲み出したが、仕事はまだ沢山の残っている。
「さてと、洗濯の時間は40分……なら、その間に食器を洗っておこうかな」
一息つく間もないまま、アリシアは次の仕事に取り掛かる。
洗面所を抜け出して足はリビングへ、テーブルを越えて、台所に来た。
「これはもう何度もやってますからね、手慣れたものですよ」
と食器を洗うのにやたら自信満々なのは、地球に来てからずっとやっていたからだ。料理がまだ全然できなかった時、アリシアが厨房に立てるのはこの食器を洗う場面だけだった。
その自信の通り、アリシアの食器洗いの手順は実に鮮やかだった。
スポンジに水を少し加えて、食器洗剤を数摘垂らす。揉んで白い泡が立ったのを確認すると、アリシアは鼻歌をうたいながら食器を洗いだした。
「――その勇気この瞳映ってるから~」
最近ハマったアニソンを歌い終えたところで食器も洗い終わり、水切り籠にはピカピカに輝いた食器たちが並んでいた。
「ふー。次は何をやりましょうか」
水分補給に麦茶を飲みながら、アリシアは顎に手を置いて思案した。
時間的に洗濯機はまだ回っている最中。少し休憩してもいいが、もう一つくらい仕事を終わらせておきたい。
「そうだ。ならお風呂掃除でもしておこうかな」
目的が決まり、アリシアは麦茶をぐいっと飲み干す。空になったコップを桶に入れて、アリシアは再び洗面所へ向かった。
ゴンゴン、と音を立てて回っている洗濯機を通り過ぎて、アリシアは風呂場の扉を開けた。
「ピカピカになーれ、ピカピカになーれ」
スポンジに泡を立たせて、浴槽、壁面、床を磨いていく。黙々と洗っていく内に、一面が真っ白な泡に包まれて、
「少しやり過ぎちゃったかな」
と鼻に泡を乗せながら反省したのだった。
「ま、まぁその分綺麗になりますからいいでよね」
綺麗に越したことはないの理論でアリシアはシャワーで泡を流していく。白い泡の最期が排水溝に流れたのを見届ければ、
「これならソウタさんも、気持ちよくお風呂に入ってくれそうですね」
我ながらに上出来だと褒めるほど、そこにはぴっかぴかの風呂場が広がっていた。お風呂場の電気が付いていないにも関わらず輝いていて、アリシアも若干やり過ぎた感が否めなかった。
そんな光り輝くお風呂場の前で仁王立っていると、扉越しから甲高い音が聞こえてきた。それはアリシアが長らく待っていた、洗濯完了のお知らせだった。
「丁度いいタイミング! さすがは私ですね」
むしろ、これほどグッドタイミングで洗濯が洗い終わったなら時間を掛けて風呂掃除して良かったくらいだ。
アリシアは上機嫌に風呂場から出ると、ステップを踏むように洗濯機へ向かった。
「あとはこれを干すだけ」
洗濯物をカゴに移し替え、アリシアは両手で抱えながら洗面所を後にする。
「正直、ソウタさんと一緒に家事をしてた時とあまり変わりませんね」
それが、一通り一人で家事をこなすアリシアの感想だった。
勿論、ソウタが居ない分、全ての家事を一人で担わなければならないから大変だ。けれど、家事内容でいえば、アリシアは居候を始めてた時から殆どの家事を手伝っていたのでこれといった苦労は感じなかった。
「でも、やっぱりソウタさんと一緒にできないのは寂しいなぁ」
この洗濯物を干場へ持っていくのも、今まではソウタと一緒に談笑しながらだった。食器洗いも風呂掃除もそうだ。綺麗にしたと見せれば、ソウタはすごいとその場で褒めてくれた。それが無くなってしまったのが、アリシアには一番堪えた。
「やっぱり私、ソウタさんに甘えてたんだなぁ」
こうやって一人で家事をこなしてみて、アリシアはソウタという存在の強さを改めて実感した。
何をやるにも、何処へ行くにも、今まではソウタが常に一緒にいてくれた。そのおかげでアリシアは躊躇う事なく色々なことに挑戦してこれた。けれど、これから一人で考え、行動していかなければならない。ソウタに相談したとも、隣にはいないのだ。
「私も、ソウタさんの隣に立っていられるよう、頑張らないと」
いつまでも頼りになるソウタに甘えている訳にもいかないのは百も承知だ。だからこそ、アリシア自信も成長していかなければならないのだ。
その為に、まずは目の前の仕事をしっかりこなさなくては。
「よーし、沢山干しますよ!」
渡り廊下からサンダルを履き、庭の洗濯干場へ歩いていく。カゴを置いて洗濯物を一つ手に取ると、皺を広げて洗濯ハンガーにかけた。
太陽の下に靡いていく服が、一つ、また一つ、アリシアの手で干されていく。
「ソウタさん、今頃何やってるのかな」
真っ白な服たちを眺めながら、アリシアはそんなことを思うのだった。
―― Fin ――
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