第12話 束の間の海
今日は烈火との約束の日だ。
酒を呑めばザルで、酔っ払ったら支えてくれようとする男気があり…なんだか烈火のことが頼れる妹のように思えてきて、気付いたら海へ誘っていた。
羽根を骨折していて、天空島から地上に降りたという訳ありな彼女を何となく放っておけなかったというのもある。
「よう。」
浜辺近くの木陰に烈火の姿を見つけて片手を挙げる。
「こんにちは。今日はよろしく。」
上目遣いで微笑んでくる。身長差のせいであってワザとではないと思うが、素直に可愛いなと思う。
「水着持ってきた。ここじゃなんだから、俺の診療所で着替えるか。」
「ええ。」
遠くも近くもない距離感で歩き出す。
外はそれなりに暑かったが、診療所の中は風通しがよく涼しい。
診察室の前で足を止める。
「じゃあ、俺はここで待ってるから。今日は休診で、誰も来ないから荷物そこら辺に置いていいぞ。」
「黒桜は?」
「俺は上脱ぐだけだから。」
そう言って、脱ごうとすると、何故か慌てる烈火。
「黒桜のバカ!あっちで脱いできて!」
怒られてしょうがなく移動する。どうせ脱ぐのだから、今脱いだって変わりはないだろうに。
やがて烈火が着替え終わったのか、扉からチラリと顔を覗かせた。
「黒桜、その、慣れていないものだから、これでいいのか分からなくて…。ちょっと見てくれない?」
そんなこと言われても、俺だって女モノの水着なんて分からない。
「隠れてられたら見えない。」
おずおずと烈火が診察室から出てくる。たぶん水着の着方は正しい。
「…おまえ、着痩せするタイプなんだな。」
「…黒桜。」
「いてててっ。」
結構本気で頬をつねられる。胸がデカくて褒めただけだが、気に障ったらしい。乙女は難解だ。
「悪かった悪かった。まあ、気を取り直して行こうぜ。」
診療所の玄関から出ると、太陽が烈火の身体を照らす。もともと色白のせいもあり、やけに眩しく見えた。
一歩砂浜に足を入れ、烈火は飛び上がった。
「裸足で砂の上を歩くのは、熱いものなのね。」
「そうか?」
慣れてしまって言われるまで気付かなかった。その場で忙しなく足踏みをする烈火を抱き抱える。
「これなら熱くないだろ?」
「…ありがとう。」
何故か目を逸らす烈火。
そのまま一歩踏み出して気付いた。胸が当たっている。
激しく動揺した俺は、そのまま全速力で海へ駆けて行き。
「きゃあ!」
烈火を放り投げた。
放り投げられた烈火は、顔を拭うと、思い切り水をかけてきた。
「うわ、バカやめろ。海水が目にしみる〜〜!」
「黒桜が最初にやったんじゃない!」
いや、あれは不可抗力というものだ。
ひとしきり水をかけて、満足した烈火が、仰向けで海へ浮かぶ。
「すごい。海って冷たいのね。それに魚がこんなに浅瀬で見れるなんて。」
スーッと浮かんでいた烈火が、不意に水の中に吸い込まれた。
かと思えば、バタバタしている。
「…は?まさか、溺れてる?」
慌てて抱き抱えると、苦しそうに咳き込んだ。
「大丈夫か?」
「黒桜、なんだか羽が、重いの。」
たしかに羽が水を吸って重そうだった。羽を犬のようにぶるぶる振って、水を飛ばす。
「もしかして、泳ぐの自体、初めて?」
「ええ。天空島には湖はあったけれど、足がつかないほどの深さではなかったし…。」
「そうか。じゃあ、俺が教えるか?」
翼がある人間がどう泳ぐかは知らないが、そこはいろいろ試してみるしかなさそうだ。
「…お願いします。」
「手はこう。足は、水を掻くように。」
「こう?」
「そうそう。じゃあ、俺が手を持っててやるから、足だけで泳いでみな。」
烈火は不安そうに腕を掴んでくる。
「力抜けよ。大丈夫、人間、浮くようにできてっから。」
天空島の人間はどうだか知らんけど、と思ったが、それは心の中に秘めておいた。
「一応進めている気がするわ。」
「そうだな。まあ、今日できなくても、またいつでも教えるし。上出来上出来!」
そう言って頭を撫でる。
「黒桜!手、離さないで!」
即行で怒られたが。
烈火の足が付く深さまで連れて行ってやると、さっきまでくっついていた烈火が素早く身体を離す。
「全く、おまえという奴は…。」
「だって、こんな格好で黒桜に抱きつくのは恥ずかしいもの。」
単なる水泳指導だと思っていれば平気だが、抱きつく、と言われてしまっては意識してしまう。
「〜〜っ。」
意識しないように、こいつは妹のようなものだし、何より薬屋の店員に手を出したら百夜に悪いし…とぶつぶつ念仏のように呟き、邪念を追い払った。
「少し休憩するか?」
こくんと頷くのを確認して、陸に上がった。
「あ、烈火。これ、水分補給な。」
「ありがとう。…黒桜?」
名前を呼ぶ声が笑ってるけど笑っていない。この美味しそうなビールに何が不満なんだ。
「あ、冷えてないことに怒ってる?すまんな、家からダッシュで取ってくるわ。」
「そうじゃなくて。…もういいわ。」
チビチビ呑み始める烈火の頬に自分のビールの缶を軽く当てる。
「乾杯!」
上機嫌で乾杯した俺たちの耳に、不穏な声が聞こえる。
「こっくおうくーん!」
ん?やけにはっきり空耳が聞こえる。まあ、気のせいだな。
「黒桜、無視しないでよ。」
今度は白尾の幻覚まで見えてきた。暑さにやられたのかな。
「なんか幻聴が聞こえるんだが。」
「黒桜、たぶんそれ、現実よ。」
烈火が冷めたく現実を突きつける。
「なんだ、白尾か。酒ならやらんぞ。」
「ん?もう呑んでるけど。」
いつのまにか俺のビールを横取りしていた。…油断も隙もない。
「烈火ちゃん、水着姿よく似合ってるね。可愛い。」
俺もまだ言えていないことをサラッと先に言われてしまって絶句する。
烈火はバッと身体を腕で隠そうとしたが、寄せられた胸の谷間が強調されただけだった。
「白尾も泳がないの?」
烈火がそのままの体勢で尋ねる。自分だけ水着で不平等だとでも思ったのだろうか。
「あー、俺はいい、かな。」
白くてカッコ悪いしという白尾の呟きを聞いて閃いた。
「いいから脱いどけ。」
「えー。俺男に脱がされる趣味ないんだけどなぁ。」
と言いつつ無抵抗で脱がされる。
確かに白かったが、かなり鍛え上げられた身体をしていて、脱がせ損だった。
「この裏切り者!ムッキムキじゃねえか!」
「え、黒桜も十分筋肉質だよ。いたいって。」
軽く殴る。それをあしらう白尾。
「烈火、帰ってこいつを潰そう。」
「もう、黒桜といるといつもお酒を呑んでいる気がするわ。」
「いいけど、俺、酒強いよ?」
呆れ顔の烈火とほのぼの笑う白尾を引きずっていく。
診療所に戻ると、全く酔っているそぶりを見せない烈火と白尾に完敗したのであった。
——
「ぁ…っ。百夜様、痛い。」
「我慢して。烈火ちゃんが悪いんだから。」
海で遊んで帰宅した夜。
火傷のような日焼けに、百夜に泣きついたのだった。
「烈火ちゃん、日焼け止めって知ってる?」
「海に入ってれば大丈夫かなって。つい…。」
百夜の手が滑らかにすべり、炎症止めを塗っていく。
裸でうつ伏せに横になっているが、羞恥よりこの火照りをなんとかしたい気持ちが大きい。
「はい。終わったよ。前は自分で塗ってね。」
「…はい。大変お手数をおかけしました。」
手早く薬を塗り込んで、着物を着る。
「百夜様、ありがとうございました。…おやすみなさい。」
「ん。おやすみ。」
百夜の手が触れるのが気持ちよく、少し痛みが弱くなった気がする。
百夜に何度もお礼を言って、扉を閉める。
いつもお世話になっているから、この恩は仕事で返そう。
仕事に備えて早めに寝ることにしたのだった。
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