第7話 マッサージ 

 私がりおうに突き放されてから一週間ほど経った。地下に太陽の光はささないので時間感覚を失いがちだ。


 バタン!


 大きな音を立ててりおうが倒れ込むように薬屋に入ってきた。


 「店内ではお静かにね〜。」


 百夜がのんびりと言う。


 「おい、サイコ女。」


 呼ばれて文句を言う間もなく。


 「ちょっと!」


 よろけたりおうを支える。


 「マッサージ、頼む。」


 「それよりも寝た方がいいんじゃない?なんだかとても具合が悪そうよ。」

 

 「まあ、当の本人がそう言っていることだししてあげたら?りおうがマッサージを頼むなんて珍しいし。奥の部屋は空いているよ。」

 

 百夜が指差す。

 

 「あんたがしてくれるって言ったんだからな。お代はお前持ちで。」


 そう言うとガクッと私の肩に寄りかかる。ちゃっかりしているりおうに呆れつつ、引きずるように部屋まで運ぶ。


 「言っておくけど、私はまだ手のマッサージしかできないわよ?」


 聞いているのか聞いていないのか分からないが、うーんと唸っている。


 椅子に座らせる。子どもだと思っていたがなかなかの重さだ。


 気分を落ち着かせる効果を持つ香のオイルを手に広げる。


 「…では、失礼します。」


起きているのかいないのかわからないりおうに声をかける。眉間に皺が寄っているから、多分起きているのだろう。


 そっとりおうの手を包み込むように手を這わせ、オイルを浸透させてから揉み込む。


 「わ!」


 「びっくりした!冷たかった?」


 急に大声を出されて驚いてしまう。


 「いや…、気持ちい。」


 そうつぶやいてそっぽを向くりおう。


 指の隙間も、手を繋ぐようにマッサージする。百夜に教えてもらった通りに優しくさする。


 右手を終えて、左手も丁寧に揉み込む。


 「…りおう、終わったわよ?」


 顔を上げると、眉間のしわがすっかりほぐれ、すやすやと眠るりおうの姿があった。


 寝顔だけなら可愛いのに。


 りおうの前髪をなでる。長いまつ毛。


 「コンコン、烈火様、僕です。マッサージ終わりました?」


 扉越しにとわの声がした。


 「ちょうど今終わったところよ。とわ、りおうが寝てしまったから、私の部屋で休ませようと思うの。運ぶのを手伝ってくれない?」


 相当疲れていた様子だったから、寝かせておいてあげたい。


 「了解いたしました〜。」


 とわが扉を開けて入ってくる。その後ろから百夜が顔を出す。


 「あとのお客様のマッサージは僕がやっておくから、烈火ちゃんはりおうについててあげてもいいよ。」


 「百夜様がマッサージすると、こう…薬屋ではなくいかがわしいお店のようになるのでダメです。」


 じと目のとわに却下され、しょんぼりする百夜。


 「あはは。百夜様、私がやるので大丈夫ですよ。りおうを部屋に置いたら仕事に戻ります。仕事終わりに、りおうを家まで送ってきますね。」


 「わかった。遅くなるようなら、代わりの者を付けるから言ってね。」


 「はい。ありがとうございます。」


——


 「ふう。さすがにりおうはもう帰ったかしら。」


 マッサージが好評でつい遅くなってしまった。


 自分の部屋のドアを開ける。明かりはついていない。


 「りおう…?」


 「ん…。」


 まだ、寝ていたようだ。ベッドで寝返りを打つ。  


 「りおう、一旦起きて。」


 「ん…。あれ、はぁ?!何であんたがここに!」

 

 「マッサージの後、気持ち良さそうに寝ていたから、私の部屋に寝ていたの。でも、遅くなってしまったから、ご家族が心配しているわ。家まで送るから用意して?」


 居心地悪そうにもぞもぞベッドから出るりおう。


 「別に、心配するような家族いないし。いいよ。帰る。」


 「そういうわけにはいきません。」


 テコでも動かない私に、りおうはため息をつく。


 「…勝手にすれば。」


——


 「お邪魔します。」


 最下層の町外れにりおうの家はあった。小さいアトリエのような、意外とおしゃれな家だ。


 「あ、りおうお帰りなさい!えっと、そっちのお姉さんは?」


 りおうより年齢が低そうな子どもに出迎えられる。長い白髪とぱっちりとした目が可愛らしい男の子だ。


 「初めまして。私はりおうのお友だちの烈火よ。あなたは?」


 「はじめまして。僕はりおうの友だちの久音。一緒に住んでるんだ。」


 ひねくれ者のりおうに、こんなに素直そうな友だちがいたのは意外だ。


 この子たち、両親はいないのかしら。


 そう思ったが、家には他に人の気配はない。


 「それじゃ、私は帰るわね。久音、またね。」


 「ええ!ダメだよ!こんな夜遅くにお姉さん一人で出歩いちゃ!りおう、送ってあげてよ!」


 「今送ってもらったとこなんだよ!…俺が。地下に夜も朝もないだろ。アホくさ。」


 確かに、りおうに送ってもらっては、りおうを家に送り届けた意味がなくなってしまう。


 「それじゃあさ、お姉さんうちに泊まっていきなよ!」


 「はぁ?!」

 

 「ありがとう、でもそれは悪いわ。」


 やんわり断る。


 「いいでしょ?りおう。」


 うるうると久音に見つめられて、りおうが狼狽える。


 あら、弱点発見かしら。


 「でも、こんなに綺麗なお姉さんがいたら、緊張して寝れないよね。」


 久音がこちらをみてもじもじする。 


 「は?綺麗じゃねえわ!余裕だわ!いいよ!泊まってけよ!」


 りおうが切れて布団に潜り込む。年下でも久音の方が上手だったようだ。


 「お姉さん、見ての通り、ここ狭いし、布団も人数分ないけど、夜も遅いし泊まってよ。」

 

 百夜が心配するかもしれないという考えが頭をよぎったが、気にしてくれてのことと思うと断れず。


 「そう?ではお邪魔するわ。」


 躊躇いがちに靴を脱いで家に上がる。暗くてよく見えないが、そこら中に絵が飾ってあるのがわかる。


 この状況に戸惑いながらも、着物を緩めて、りおうの隣にそっと横たわる。


 「僕はここで寝るね!」


 久音とりおうに挟まれる形になった。


 なんとなく、りおうの方を向くのは躊躇われたので久音の方を向いて横向きで寝る。


 久音と目が合うと、照れたのか慌てて向きを変えた。


 「お姉さん、りおう、おやすみなさいっ。」


 「おやすみなさい。」


 久音の子どもらしい素直な態度に癒される。しばらくすると、寝息が聞こえてきた。


 背中にりおうの熱を感じながら、明日は寝坊しないようにしなきゃと呑気に考える。


 「りおう?」


 「ん。」


 「来てくれてありがとう。嬉しかった。」


 「…」


 あら、無視かしら。まあいいわ、と寝ようとすると。


 「痛っ!」


 急に肩と顔を掴まれ強引にりおうの方に向かされる。


 りおうと目が合う。よく晴れた海のような、コバルトブルーの瞳。美しくて、冷たくて。一瞬見惚れる。


 「え、何…。」


 両頬をりおうの両手が包んで、少し顔を上げると。


 「あむ。」


 唇が食べられたと思った。突然のことに息をするのも忘れる。


 混乱の最中、さらにりおうの舌がゆっくり下唇を舐める。次は上唇…。


 「…ぁっ。りおう、待って!」


 やっと息継ぎが出来て息切れする。


 「昼間のお返しに気持ちよくしてやるよ。」


 自分の唇をペロッと舐めてニヤリと笑うりおう。


 内心パニックだったが、冷静を装って言う。 


 「しなくていい!そんなこと、望んでないわ…。」


 「身体はこんなに熱いのに?」


 りおうの唇が首筋へ移動する。その動きが気持ちよくて思考を放棄しそうになる。


 「やめてっ。」


 やっとの思いでりおうを突き飛ばし、乱れた肌着の胸元を押さえる。心臓がうるさい。


 「…いてーな。わかったよ。もう何もしないから、あんたも寝ろ。」


 じとっと疑いの眼差しで見る。


 「そんな物欲しそうな顔してももう指一本触れないからな。発情して俺の弟に手え出すなよ。」


 「出さないわよ!」


 少し大きめの声が出てしまい、慌てて久音を見る。幸い、起こしはしなかったようだ。


 りおうに背を向け、今度こそ目を瞑る。なんだか一気に疲れが出て、すぐに意識を手放した。


 その頃、久音。


 もう、りおう!ここで始めちゃうのかと思ったよ!


 バクバクいう胸を押さえ、必死に寝たふりを貫き通していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る