第2話 最下層

 あの女の人を拾ってから数週間が経った。


 怪我をしているらしい彼女は、最初は何も言わず、飲まず食わず今にも死にそうな顔をしていたが、最近やっと喋るようになってきたらしい。


 らしい、というのはあれ以降あの女の人に会っていないからだ。


 地下街最下層に存在する薬屋に預けて、俺は地上に働きに出ていたのだ。


 薬屋といっても一般的な、薬草を引いて薬として売るこじんまりしたものではなく、この薬屋はアロマを焚いてマッサージをしたり、美味しい薬膳が出てきたり、薬草の温泉があったりと、巨大なリラクゼーション施設となっている。


 地上に出れない地下の人間たちのオアシスだ。


 「百夜(びゃくや)ー?」


 暖簾をあげて、薬屋の主の名前を呼ぶ。


 「ああ、りおう。丁度よかった。」


 百夜が手招きをする。その仕草の色気は薬屋の亭主というよりは遊女のようだ。残念なことに、男だが。


 「どうかな?なかなか様になっているだろう?」


 百夜の指さす先には、海で拾った天使がいた。何故か薬屋の店員がよく身につけているメイド服を着ている。目が合うと、おずおずとお辞儀をされる。


 「烈火と言います。小さいお方、先日はありがとうございました。」


 「なっ…?!」


 小さいと言われてムッときて黙る。


 百夜が笑ってフォローする。


 「烈火ちゃん、小さくてもりおうは男の子ですよ。年も今年で15、6歳になります。」


 「それは失礼しました。りおう様、私は烈火と申します。地上の方々が、天空島と呼ぶ空の島から参りました。」


 「行く当てがないと云うものだから、しばらく薬屋で働いてもらうことになったんだ。」


 「どうして、天空島の尊い方が地上なんかにお出ましで?」


 天空島から人が降りてきたという話は御伽噺の中でしか聞いたことがない。だから、まさか本当に人が住んでいるとは思わなかった。


 それくらい、天空島の人というのは珍しいものなのに、驚きもせずちゃっかり自分の店で働かせてしまう百夜には少々呆れる。

 

 「お恥ずかしい話なのですが、私は天空島で犯した罪のせいで、羽を折られ、地上に落とされたのです。」


 そう言って、自分の羽を撫でる。羽は閉じられてはいるが、美しく、とても折れたようには見えなかった。


 「ふーん、天空島のお偉い方々からしたら、地上は流刑地か。」


 「あっ、ごめんなさい。侮辱するつもりでは…。」


 白い女、烈火が慌てて弁解する。


 「たしかに、天空島の人たちは、自分たちの住処を尊ぶあまり、地上を蔑ろにする傾向がありますが、私はいつかこの地を踏みたいと思っていました。」


 「で、感想は?」

 

 烈火は目を輝かせる。


 「地上は全てのものが色付いて美しい。ですが、私は不思議に思うのです。何故、人々は太陽に照らされた地上ではなく、地下に住んでいるのでしょう。」


 言ってから、また慌てる。


 「すみません、地下の街を貶すつもりはないのですがっ…」


 百夜が顎に手を添えて微笑む。


 「いいんだよ。外から来た人が不思議に思うのは当然だ。この地域がこうなってしまったのは地上に住まわれる一部の貴族が原因なんだ。」


 百夜の整った顔に憂いが浮かぶ。


 「この地下街には階層があって、それぞれの階で、採れる鉱石が違う。そして、住んでいる階層がそのまま身分のカーストになっている。」


 「地下街で一番マシな身分なのが、炭石が採れる第一層にすむやつら。で、一番価値が高い宝玉、虹色鉱石が採れるここ、第十二層は最悪の身分。医者もいないから野垂れ死には日常茶飯。」


 「その虹色鉱石?というものがありながら何故立場が弱いのですか?」


 烈火が首をかしげる。


 「地下街で採れる鉱石は地上のクソ貴族に没収されるからな。」


 「貴族の役に立てば階層が上がるか、運が良ければ地上に上がって貴族の使用人になれる。地下に住む者はそれを夢見て必死に働くんだ。」


 「どう足掻いてもクソ貴族に搾取されるんだよ。クソな世界だろ?」


 烈火は何か考え込むように黙ってしまう。


 「ごめんごめん、バイト初日からこんな話して。せっかく接客用の服に着替えてもらってなんだけど、今日はりおうと一緒に地上に薬草を取りに行ってもらえるかな?」


 「はぁ?!なんで俺が。」


 「頼むよりおう。烈火ちゃんはまだ地上に来たばかりだから、いろいろ案内してあげて。」


 百夜に頼まれると弱い。百夜もそれを分かっていて言うからタチが悪い。


 「分かったけど、その格好は目立つからやめろ。地上では、誰とも目を合わすな。」


 「そう怖い顔をしない。じゃあ、着替えさせるから、店の前で待っててよ。」


 烈火が百夜に背中を押されて去る。俺はひとりため息をついた。


——


 「あの、百夜様、服くらい自分で脱げます。」


 百夜の長い指が帯を解く。止めるものがなくなった着物がはだける。


 「いいから。地上の着物は慣れていないだろう?」

 

 慣れた手つきで簡素な着物に着替えさせられる。


 「そうだ。これを渡しておこう。」


 百夜から無色透明なガラスでできた首飾りを渡される。


 「これは?」


 「この世界の身分証のようなものだよ。無色は一番位が低く、基本的に最下層からは出られない。まあ、りおうが通行証を持っているから、りおうについて行けば最下層と地上は行き来できるよ。」


 「他の色もあるの?」


 「地下で一番位が高い、黒色の首飾りを持つ者は、地下ならどの階層にも入ることができる。」


 百夜が髪をすくう。


 「地上の貴族はどこでも出入り自由な金か銀の首飾りを持っているらしいけど、僕は見たことがない。」


 百夜が髪を一つに結い終わったようだ。


 「さあ、これでよし。気をつけていってらっしゃい。」


 百夜に送り出され、薬屋を後にした。

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