第7話
ソラが食卓へ到着した時には、もうすでにラインハート家の面々が揃っていたようだ。
「すみません、お待たせしたようで。いいお湯だったのでつい長居をしていまいました」
ソラは慌てて頭を下げた。浴室への賛美も忘れずに添えておく。
「気にする必要はないさ。家族みんな、ライアンが言う美人に興味津々で、早く集まりすぎたのさ。それに、キミはこちらが招待したお客だから気遣う必要はないよ」
レオナが笑ってそれを許した。
「本当にすごい美人だと思うよ。姉上の恋人じゃなくてよかったって思ったくらいだよ」
「ど、どうも……」
美人なんて言われてどう返せばいいか、ソラにはわからない。曖昧に答えて、縮こまってしまう。
「はは、どうやら褒められ慣れてない様子であるな」
そう言って目を細めたのは、白髭を蓄えた鋭い目付きの御仁である。レオナの方が柔らかい目付きをしているが、よく似ている。彼がこの領地の領主で間違いないだろう、ソラはそう当たりをつけた。
彼がスッと手を上げると、控えていたハンセンが一礼し、扉の向こうへ消えて行く。
「では、食事が来る前に、お互いに軽く名前だけでも紹介しておこうか。私はこのあたりの土地を管轄している、ジャガー=ラインハートだ。改めて、ゆっくりしていくといい」
彼は白髪白髭だが、肌や子どもたちの年齢を見るに、それほど歳を取っているようには思えない。わざわざ染めているのだろうか? とソラは顔に出さないまでも、心にそっと疑問を抱く。
「妻のレイラです。可愛らしいお客が来てくれてとっても嬉しいわぁ」
鷹のように鋭い目を持つ夫の妻は、ふわふわとした金髪の、柔らかい雰囲気を放つ人だった。鋭と柔、もしかすると相性が良かったのかもしれない。
「僕はライアン。長男だ。もう15だけど、まだそそっかしい所が抜けなくて困ってるよ。庭先では叫んだりして悪かったね」
「大丈夫です、気にしてませんよ」
「よかった!」
ライアンは母の遺伝子を色濃く受け継いだようだ。優しそうな目をしている。なんとなく、この顔で服芸に長けていたとしたらもの凄く怖く感じる人物になるなとソラは思った。
「ライアンはそろそろ父上の本気の扱きを受けないとな。お前のためにも」
「なに、本気と言っても知り合いから顔付きが変わったとよく言われるようになるだけだ。気負うなよ」
「……覚悟しておきます」
サッとライアンの顔から血の気が引いていく。
他人事のソラも苦笑いしている。貴族の世界は厳しいらしい。
「さて、もう知ってるだろうが私はレオナ。長女だが、私のわがままで冒険者をさせて貰っている」
貴族の娘といえば政略結婚が浮かぶが、それを免れるだけの力をこの家は持っているのだろうか。
もしかすると公爵クラスだったり……? ソラは背筋をスッと伸ばした。
「私はソラです。旅の者ですが、本日はお招きいただきありがとうございます」
ソラの番が終わると同時、見計ったかのようなタイミングで食事が運ばれてきた。前菜、スープ、主菜、デザートのコースになっている料理だ。
「主菜は油の乗った頭突きイノシシのソテーになります。当家の皆様のお好みは把握していますが、ソラ様の焼き加減は如何しましょう?」
ハンセンが給仕に加わりながら、ソラに尋ねた。まさか焼き加減にまで気を配って貰えるとは思わなかった。ソラは嬉々として答える。
「レアは可能ですか?」
「もちろんでございます。本日仕留められたばかりの新鮮なお肉ですから、お任せください」
「ではお願いします!」
SIOでも肉料理は大体レアで食べていたソラ。吸血鬼という種族の特性により、血の滴るようなレアが堪らなく美味しく感じるのだ。
その味を思い出して、満面の笑みを浮かべた。
そんなソラを、ラインハートの面々は微笑ましく見つめている。
その視線に気づき、恥ずかしそうに頬を染めたソラ。
ラインハート家にとって、本日は桃色に染まるソラこそ、一番の主彩であった。
「ところで、ソラ殿は美しいマジックバックをお持ちのようだが、高名な冒険者なのだろうか? 失礼ながら見聞が狭く、その名を初めて耳にしたものでな」
スープ料理を堪能し、次に主菜が運ばれてこようかというタイミングであった。
ジャガーの問いに、ソラの肩がびくりと跳ねる。もうその話題にはならないだろうと油断していたところへの不意打ちに、動揺を隠せなかったのだ。
「実力はそれなりにあると自負しています。ですが、これまで目立つような実績は残していないものでして」
「なるほどな……」
明日は真っ先に冒険者ギルドへ向かう。だから、冒険者の印である冒険者カードを見せろとだけは言わないでくれと、ソラは心の中で神に祈るような気持ちになった。
『娘の祈りが父に届いた!!』
すると、待ってましたとばかりに登場する創造神。
『安心せい、既にこういうこともあろうかと冒険者カードをポーチの中に創り出しておる!』
『……それは偽造じゃないのか?』
『儂が人間の証明書如き、完全に再現出来ないわけが無かろう? 因みに登録場所は東の方の国、大島国に設定してある。ソラの使う小太刀のような武器が主流になっておる国じゃ。完璧なカードに疑う余地などないのじゃが、信憑性が増すじゃろう?』
『それは! ありがとうお父さん!』
『娘のためじゃ、どうってことないぞ! むふぅ、ありがとうお父さんは親ポイント高いぞぅ?』
どうやら娘に親らしく服の着方や身体の洗い方を教えた美の神に対抗心を燃やしたようで、【親ポイント】なるものをいつの間にか作り出し、競い合っているようだが……ソラはその会話を頭の片隅に追いやった。
それよりも、いま贈られた冒険者カードについて思考を落とす。
大島国はSIOでも存在していたフィールドである。てっきり江戸の日本をモチーフにしたフィールドかと思っていたのだが、偶然この世界にもそういう文化が生じていたようだ。
これで誤魔化せる! 出身地もできた! ソラは身分の証明が出来ず、街門の通過が出来そうにないことを気にしていたが、それが思いがけず解決したことに内心で歓喜する。昼頃は煩わしくて仕方なかった頭の中での二人の会話も、何かしらのメロディーに聞こえてくるほどだ。
「ソラ殿はよっぽどソテーを楽しみにしておられたようだ。先程から心此処に在らずと言った様子だな」
ソラが意識を地上に戻すと、目の前には薄っすらと焼き目がつけられたソテーが用意されており、ラインハートの面々はウキウキなソラに目線を集めていた。
もしかしたら何か話を振られていただろうか?
「す、すみません」
「いや、私たちもそれほど喜んで貰えて嬉しいよ。では、メインを頂こうとしよう」
どうやらそういうことはなかったようで、皆がナイフとフォークを手にし始める。遅れたソラも少し慌ててそれに続く。
ナイフを肉に入れると、ピンク色になった肉汁がサァーっと流れ出す。これだ、このドリップの香りと旨味が堪らないのだ。
ソラはごくりと喉を鳴らし、出来るだけ上品に口へ運んだ。
「美味しい!」
それは、幾らでも食事に注ぎ込めたSIOでも食べたことがないほどの美味。頬は旨みを堪能するまで落ちるわけにはいくまいと奮起しているかのように上気し、色っぽく染まる。
「はぁ〜」
本来イノシシ肉は臭みがあるものなのだが、新鮮なためか、それとも香り付けがなされているのか、どちらにしろ素晴らしいものである。旨味と相まって、名残惜しいが嚥下した後、思わず感嘆の息が漏れてしまったほどである。
もう一口と、夢見心地でナイフを動かすソラ。
――だが、その至福を邪魔する警告が、脳内に鳴り響いた。
『緊急事態じゃソラ!!』
『今すぐそのお肉を食べるのを止めなさい!!』
何を、娘の至福を邪魔するのかと訝しむソラだが、血気迫る様子の二人は、衝撃の事実を告げてきた。
『レアの肉を食べた瞬間、ソラの瞳が赤色に変わったんじゃ!!』
ソラは思わず、手に持つカトラリーを落としそうになった。
そして、恐る恐る顔を上げる。
残念なことに、すぐにジャガーと目が合った。
「――ソラ殿。今、瞳が紅く染まったようだが、どういうわけだろうか?」
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