第五章

その1

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「ちょ、ちょっと待って。言ってることがわからないんだけど」


「私もです。そんなことをしたら、出汁をとった意味がなくなっちゃうんじゃ」


「もちろんなくなります」


 俺はうなずいた。


「ただ、それでもうまければいいんですよ。ほら、弥生さん、先週、この店から帰る途中、日高屋のチゲ味噌ラーメンの話をしたと思うんだけど、覚えてる?」


「え? あ、それは、まあ」


「あれが、まさにそのパターンなんだよ。日高屋の元アルバイト店員を自称してる人がネット場にレシピを紹介してるからわかるんだけど、あれには鶏ガラスープが使用されているんだ。ただ、実際に食べてみても、鶏ガラスープの風味なんて、どこにも感じられない。あまじょっぱくて、辛くて、ご飯に合いそうなスープってだけなんだよ。でもおいしいし、人気もある。あれを食べにくるお客さんで、鶏ガラスープの風味を楽しもうなんて思ってる人間は皆無だと断言していいだろう。もちろん俺も含めて。つまり、料理としてはバランスが悪いが、商品としては大正解だったということになる」


 ここまで言い、俺は皐月さんと弥生さんを交互に見た。いつものように黙りこくっている。


「それと同じことをやったのが、この味噌ラーメンスープなんだ。そもそも日本で、味噌を超える味で、簡単に入手できる調味料と言ったら、カレー粉、タバスコ、豆板醤、XО醤の四つが挙げられる。ただ、カレー粉を入れたらカレー味噌ラーメンになっちゃうし、タバスコや豆板醤を入れたら辛味噌ラーメンにはなるけど、普通の味噌ラーメンとしては成立しない。あとに残る選択肢はXО醤ってことになる」


「あの、でも」


 皐月さんが声をあげてきた。


「それでも、このスープ、まだかなり辛かったように思うんですけど」


「そりゃ、市販のものをそのまま使ったからです。だから皐月さんには、オリジナルの、辛くない和風XО醤をつくってほしいんです」


「は?」


「これが基本レシピです」


 俺はナップザックからだしておいたA4用紙をカウンターに置いた。


「これそのものは、プロのフードコーディネーターがネットのブログに掲載していたレシピなんですけどね。それをアレンジして欲しいんですよ」


 俺はレシピに目を通す皐月さんの前で要所要所を指さした。


「まず、干し貝柱の代わりにおつまみ用の貝ひもで代用できるってありますけど、これはそのまま採用します。経費は押さえておきたいので。それから、ハムを使うってありますけど、ここはラーメン屋です。チャーシューがあるんだから、その切れっ端で代用できるでしょう。あと、オイスターソースを入れるように書いてありますけど、オイスターソースは醤油ラーメンで使ってるから、ここではウスターソースにするといいと思います。それと、醤油は入れなくていいと思いますね。そのほうが塩分も低めになりますので、皐月さんの理想にしているラーメンの味に近づきますし。で、もちろん唐辛子関係は一切抜き。ラー油とゴマ油は菜種油に切り替え。それから、刻んで混ぜるんじゃなくて、フードプロセッサーで粉砕して、ペースト状にしてから中華鍋で火を通すといいと思います。そうすれば均等に混ざりますから、あっちの味噌ラーメンにはサクラエビが塊で入ってるのに、こっちには入ってない、なんて不平等なことも起こりませんし」


「なるほど、わかりました」


 レシピを見ながら皐月さんがうなずいた。


「それに、そもそもが、XО醤は中華の調味料ですからね。これ、私でもできると思います」


「そりゃよかった。中華料理屋で働いていたのが、ここで生きてきましたね」


 俺は皐月さんの返事に笑い返した。


「まあ、これに関しては、本当につくってもらわないと、どうなるかわかりませんけど、俺も期待してます。あと原価率なんですが」


「そのへんも、なんとかします。醤油ラーメンや塩ラーメンに比べて、一番お金がかかるのは間違いないと思いますけど」


 言いながら皐月さんが顔をあげた。


「先週、伸一さんが言っていたラーメンは全部一〇〇円値あげするって、こういうことも考えて言ってたんですね」


「そんなところです」


 この点でも納得してくれたか。いままでと違い、俺の口に浮かんだ笑顔は愛想笑いではなく、心からの笑みだった。


「宣伝のチラシをつくる以上、何かしらの変化やイベントは必要。そして味を変化、向上させる場合、どうしても、いままで以上に金がかかる。それを考えた場合、値あげは当然ですからね。逆算していくと、どうしても、こういうことになっちゃうんです」


「――驚いた」


 ここで弥生さんが言ってきた。見ると、言葉通り、本気で驚いた顔をしている。いや、感心した顔だったのだろうか。


「そこまで考えてたの? 先週の、チラシ作戦の時点で?」


「だって、全体的に、いろいろ考えてなんとかしようとすると、そういうことになっちゃうから」


「伸一くんって、本当にすごかったんだね。こんなレベルだとは思わなかった」


 感心した顔のまま、弥生さんが言ってきた。


「あのさ、ぶっちゃけちゃうけど、伸一くんって、クラスのなかじゃ、結構軽く見られてたんだよ? ラーメンばっかり食ってるグルメ気どりのオタク馬鹿だって。だから、私だって、最初に伸一くんに声をかけるの、かなり抵抗あったし。何を考えてるのかもわからなかったから。でも、見直した」


 感動した調子で、ものすごくひどいことを言ってきた。横にいた皐月さんが青い顔で弥生さんのほうをむく。


「ちょっと、弥生」


「ああ、いいですよ。そういうふうに思われていたってのは知ってましたから」


 まあ、実際に、面とむかって言われたら凹むのは事実なんだが、これは否定しても仕方のない話だった。


「話を戻します。とりあえず、これで、醤油ラーメンスープ、塩ラーメンスープ、味噌ラーメンスープのリニューアルをどうするか? は提示しました。ここまではいいですか?」


「はい、もちろんです」


 皐月さんがうなずくのを確認し、あらためて俺は口を開いた。


「じゃ、次は新メニューの開発に行きますから」


「「は?」」


 一瞬おいてから、皐月さんと弥生さんがほうけたように返事をした。


「あの、これで終わりじゃないんですか?」


「ラーメンの味がよくなったんなら、それでいいんじゃない?」


「最初に言ったはずですよ。言いたいことは山ほどあるって」


 俺は意識的に真面目な顔で皐月さんと弥生さんを見つめた。


「そもそも、俺は金をもらってませんけど、この店のテコ入れを頼まれて、それできてるんです。もちろん本気で。で、適当なことをやって、返ってこの店の経営があぶなくなったらシャレになりません。俺だって責任はとれないし。だから、やる以上は徹底的にやらせてもらいます。そういう約束だったと思いますけど?」


 本当はそんな約束なんてしてなかったんだが、ここははったりと雰囲気と会話の流れである。俺は言い切ってふたりの反応を見た。少し待ったが、反論はない。その通りですと返事がきたと判断してよさそうだった。


「では、つづけます。まずは、肝心の麺メニューなんですけどね」


 さっきと同じく、大真面目な顔のまま、俺はカウンターに置いてあるメニューを指さした。ここから先は既存のメニューの改良ではなく、新分野への挑戦である。

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