その2
「皐月さん、それ、ちょっと開いてもらえますか?」
「え? あ、はい」
皐月さんが言われた通りにメニューを開いた。あたりまえの話だが、醤油ラーメン、塩ラーメン、味噌ラーメンがある。
「このメニュー、見ていて、何か気づきませんか?」
「は?」
皐月さんがメニューを凝視した。少しして顔をあげる。
「豚骨ラーメンがない、ですか?」
「あ、それももちろん、そうなんですけどね。それは仕方がありません。この厨房で、ワンオペで豚骨スープまでは無理だと思いますから」
本当は業務用で豚骨スープを仕入れてしまえばいいんだが、それは言わないでおいた。言うとしたら、あとで繁盛したときに、どうするか? という話題である。それよりも俺には言いたいことがあった。
「俺が皐月さんに言いたかったのは、スープなし系のメニューが存在しないってことだったんです。もっとぶっちゃけちゃうと油そば」
「あっ」
俺の言葉に、皐月さんが気づいたような感じで声をあげた。
「言われてみれば、考えてませんでした」
「たぶん、鰹節の香りが効いたスープをつくることばかりに集中しちゃってて、スープなしの麺メニューもあるってことに気づかなかったんでしょうね」
とりあえず、俺はフォローしておいた。
「ただ、昔ほどのブームじゃありませんけど、いまだって油そばは人気です。割と簡単につくれるし。それに、妙にお客さんの入りがよくて、出汁がなくなっちゃった場合でも、油そばだけはお客さんに提供できます。鰹節の香味油をつくるんだから、油そばでも鰹節の香りを強調できますし」
「ちょ、ちょっと待って」
説明をはじめた俺に、またもや弥生さんが困惑顔で声をかけてきた。
「あの、油そばってどんなものなの? おいしいの?」
「――は?」
弥生さんの質問に、俺も困惑顔のリアクションをとってしまった。
「油そばって、コンビニのカップ麺でも普通に売ってたりするんだけど。弥生さん、食べたことないの?」
「あ、あの、実は、ないんです」
なんか、しょんぼりとした顔で弥生さんがうなずいた。
「油そばのカップ麺そのものは、確かにコンビニで見たことはあるんだけど、なんかカロリー高そうな名前だし、コレステロールもすごそうだし、身体に悪そうだし、私だって太りたくなんかないし、それで」
「あー、食わず嫌いだったわけか」
まあ、女性なら、それはあるかもな。弥生さんが食べたことないっていうのも仕方がないだろう。――と、俺も自分に言い聞かせた。
「えーとだね。要するに、普通のラーメンスープで言う、出汁の部分がなくて、タレだけで食べるラーメンなんだよ。あと、いろいろ具材が乗ってる。――そうだな。さぬきうどんの、釜玉うどんを中華麺にして、さらに豪華版みたいなもんだと思ってくれたら近いかも」
どう言えば伝わるかな、と思いながら説明しかけ、俺は気づいた。
「というか、さっき、チゲ味噌ラーメンの話をしたじゃん? 駅前の日高屋の。あそこに行けば、汁なしラーメンって名前で油そばも販売してるから、今度食べてみるといいよ」
「あ、うん。わかった」
俺の説明に、弥生さんも納得した顔で返事をした。それから小さく口を開く。
「日高屋ってすごいんだね」
「大手チェーン店は強力だよ。バイトで入ってきた人間でも、一日でラーメンがつくれるまでオペレーションは簡略化されてるし、薄利多売でガンガン攻めこんでくるから。正直に言うと、俺のバイトしてる豚骨ラーメン屋も、それでお客さんをとられてやばかったんだし」
もっとも「とんこつラーメン ひずめの足跡」は、「うちは豚骨ラーメン専門店です。薄利多売のチェーン店とは違う種類のラーメン屋なんですよ」という顔をすることで、なんとか差別化できたんだが。
「というわけで、油そばのことは考えておいてください。それからわかると思いますけど、油そばって、スープなしって言ってるくせに、食べたあと、タレが残りますから。追い飯くらいはサービスでつけておくといいと思います。少しは原価率もあがりますけど」
「わかりました」
「あと、できれば、ソース焼きそばも欲しいですね」
「は?」
ここで、今度は皐月さんが少し不思議そうにした。
「あの、ソース焼きそばって、中華麺じゃなくて、蒸し麺ですよね? あれも仕入れるんですか?」
「あ、それはしなくていいです。普通に中華麺を茹でて、それでソース焼きそばをつくってくれれば問題ありません。で、メニューに、『中華麺でつくった特別なソース焼きそばです。ラーメン専門店ならではの食感をお楽しみください』なんて書いておけば、お客さんのほうで勝手に納得して食べますから」
「はあ、そういうもんなんですか」
「小さい子には、ラーメンよりも焼きそばのほうが人気って場合もありますからね。あとはつけ麺。これくらい用意しておけば、麺関係のメニューも充実して、お客さんも、いろいろ選べて楽しめると思います」
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