その5

「何、いまの? どういうこと? 私、何か変なこと言ったの?」


 不思議そうに質問してくる。知らないってのは恐ろしいもんだな。仕方がない。


「化学調味料は悪でもなんでもないんだよ。東池袋大勝軒、くじら軒、なんつっ亭みたいな有名ラーメン店も、化学調味料を使ってるって平然と言ってるし」


 皐月さんへの講義は後回しにし、俺は弥生さんに講釈することにした。


「そもそも、化学調味料は糖蜜を発酵してつくられてるんだ。アルコールの製造方法と何も変わらない。で、毎日、ふたりの人間が同じ量のアルコールと化学調味料を摂取したとして、先に身体を悪くするのはアルコールを摂取しつづけたほうだろう。それに、昆布出汁の主成分はグルタミン酸、化学調味料もグルタミン酸なんだ。要するに同じものなんだよ」


 言って俺は弥生さんを見つめた。とりあえず返事はない。


「もちろん、残念ながら、まったく同じってわけでもないんだけど。化学調味料のメリットは、低安価で、昆布出汁と同じ旨みが得られること。デメリットは、天然昆布出汁の百倍くらいの旨みが簡単にだせるから、使いすぎると、それだけの味になってしまうことなんだ。実際に俺も、あるラーメンチェーン店で、そういうラーメンを食べたことがあるし。あれは論外。まあ、これはオイスターソースにも言えることなんだけど」


「それは――うん。さっきも言ってたね。オイスターソースは味の主張が強いって」


「そう。それから、ある低価格ラーメン屋の店長が言ってたよ。化学調味料を使わなくても、同じ味のラーメンはつくれる。ただ、それをすると、ラーメン一杯が五五〇円になる。ラーメンは高級料理じゃなくてB級グルメだ。自分はラーメン一杯をワンコインで提供したい。だから化学調味料を使ってるんだ――」


 言って俺は皐月さんにも目をむけた。これは皐月さんにも聞いて欲しい話だったからである。相変わらず返事はない。


「更にちょっと質問をします。具体的に名前を言っちゃいますけど、牛丼チェーン店の松屋。あの店にあるバーベキューソースとかポン酢って、外側のラベルに『無添加』って書いてありますよね? で、皐月さんとか弥生さんが友達と食べ物の話をしていて、松屋はバーベキューソースやポン酢が無添加だから安心して食べられるよね、なんて話になったことがありますか?」


 やっぱり皐月さんと弥生さんから返事はなかった。というか、返事に詰まったみたいな顔をしている。まあ、そうなって当然だろう。


「これでわかったと思いますけど、B級グルメを楽しむ側からすれば、無添加だの無化調だのって話は、基本的にどうでもいいことなんですよ。もっと言うと、故人なんですけど、炎の料理人と言われた中華料理の周富徳さん。あの人も、化学調味料をあたりまえのように使ってました。それに、この店の場合は、無化調ですってメニューに書いてありません。もっと言うなら、前の店長がこう言ってたそうですね? 料理の味付けは化学調味料任せだったって。俺は前の店長の料理を食べてないから、その言葉が本気だったのか、冗談だったのか、謙遜だったのか、そのへんのことはわかりません。ただ、言葉通りに受けとるなら、この店の常連だったお客さんは、化学調味料で味付けされた料理を食べていたことになります。そういうお客さんに無化調のラーメンなんかだしたって、味がぼやけてるって感想がくるだけなんですよ」


 皐月さんの表情が少し変わった。自分の提供したい味と、お客さんが望んでいる味の違いに気づいたらしい。


「もっと言うと、この店のラーメンは、確かに塩分が薄めでした。それを補って、食べる人間を満足させる方法のひとつに、旨み成分を強くするっていう手があります。だから、そのへんのことも考えると、化学調味料は使用するべきだと思いますね。もちろん、使いすぎるのは絶対厳禁ですけど」


「わかりました」


 少しして皐月さんが返事をした。


「では、伸一さんの言う通り、昆布醤油はなしにします。そうですね、この店にある昆布は、煮干しと同じように、フードプロセッサーにかけて」


「ああ、ストップストップ」


 俺は皐月さんの言葉をさえぎった。まだ少し勘違いしていたらしい。


「それで、さっきの話に戻るわけですよ。ここは、昆布をもっと多めに使用して欲しいんです」

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