その4

        2




「実は俺、最初に皐月さんのラーメンを食べたとき、鰹節、煮干し、豚骨、鶏ガラまではわかったんですけど、昆布がわからなかったんです」


 説明しながら、俺は厨房に目をむけた。黒い液体の入った容器がある。


「あの醤油ダレなんですけど」


 言いながら俺は醤油ダレの容器に近づいた。少し匂いを嗅ぐ。――やっぱり、醤油の匂いが強くて、それ以外の匂いはわからなかった。


「まあ、ラーメンってのは、うまければそれでいいんでしょうけど、俺みたいなのは、食っていて、出汁の成分がわからないと、ちょっと悔しいんですよ」


 匂いを確認し、俺は皐月さんと弥生さんの前に戻った。ふたりとも、とりあえずは俺の言うことに耳を貸している。


「で、正直に言うと、こういうことは過去にも何回かあったんです。それでどうしたかっていうと、俺も、自分の舌が未熟なんだな、と思って放っておいたんですよ。ただ、今回、俺は皐月さんのお店のテコ入れを引き受けちゃったでしょ? だから、このままじゃまずいと思って、本格的に調べたんです」


 ここまで言い、俺は皐月さんと弥生さんを見た。無言だが、ちょっと興味深そうにしている。話の続きを聞きたがっているようだった。


「で、その理由がわかりました。醤油と、それから味噌は発酵調味料ですよね? こういうのって、独特の香りがして、それが匂い消しの役割を果たしているんです。さらに言うなら、醤油にはメチオールって物質が存在して、これが強力らしいんですよ。カツオの刺身に醤油が合うのも、血合いの生臭さを、メチオールが消してくれるから、なんだそうです」


 皐月さんと弥生さんからの反応はなかった。まだ俺が何を言いたいのか、予想できていないらしい。


「それでですね。皐月さんのラーメンの醤油ダレ。これ、昆布醤油だそうですね? ということは、普通に考えれば、昆布出汁の主成分のグルタミン酸は醤油に溶けこみます。さらに、天然昆布ならではの風味も醤油に溶けこんでるはずなんですが、それとメチオールが真っ先に作用するか何かして、それで昆布の風味を消してしまっているらしいんですよ。だから、昆布の風味がまったくしないということになっているんだと思います」


「はあ」


「あ、そうなんだ。ふうん」


 皐月さんがよくわからないって顔でうなずき、弥生さんが、もっとわかってないって顔でうなずいた。


「で、それがなんなの?」


 弥生さんが訊いてきた。


「お姉ちゃんは、ネットで検索して、それで昆布醤油のつくり方を見つけて、その通りにつくってきたんだから、べつに間違ってないじゃない。それに、昆布が嫌いな人だっているだろうし。そういう人のことを考えたら、グルタミン酸だけが味わえて、昆布の風味が消えてるのって、何も問題ないと思うけど」


「もちろん問題はないんだよ」


 俺も弥生さんの意見を否定しなかった。


「ただ、こういう言い方もできるんだ。昆布から旨みであるグルタミン酸だけを引きだして、昆布本来の風味はゼロ。だったら化学調味料で代用しても同じことになる」


「あっ」


 ここで驚きの声をあげたのは皐月さんだった。気づいたらしい。ただ、弥生さんは、相変わらず、わからないって顔をしていた。


「何を言ってるの? 化学調味料なんか使ったらダメじゃない」


 また偏見な意見を言ってきた。


「そんなものを使うから、天然出汁の味がわからなくなるとか、素材の味が無茶苦茶になるって聞いたことあるけど」


「そういうのって言うべきじゃないよ。最悪、食品メーカーに訴えられるから」


 一応の忠告をしてから、俺は皐月さんに目をむけた。


「それで、考えたんですけどね。まず、昆布出汁は」


「ちょ、ちょっと待ってよ」


 やっぱり弥生さんが口を挟んできた。

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