第四章
その1
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「で、その前に」
言いながら、俺は厨房にあるキッチンタイマーを手にとった。時間を十分にセットして、皐月さんに渡す。
「すみません、十分だけ、店の外にでていってもらえませんか。ふたりとも」
「は?」
「え、伸一くん、どうして?」
「その間に、ちょっとやることがあるんだ。表通りはバスが走ってるから排ガス臭くて嫌だって言うんなら、裏口でもかまわないから。とりあえず、適当に無駄話でもして時間を潰して欲しいんだよ」
弥生さんに言い、つづけて俺は皐月さんにも目をむけた。
「べつに、おふたりがいない間に、この店の売りあげを持って逃げだしたりはしませんから、安心してください」
「あ、それは、まあ、べつに疑っているわけじゃありませんけど」
訳がわからないって顔をしながらも、皐月さんが立ちあがった。
「それに、店も休憩時間に入ってますから、特に問題もありませんし。じゃ、弥生、行くわよ」
「あ、うん」
皐月さんに言われて、弥生さんも大人しく店をでていった。さ、この間に、俺もやることをやらないとな。
「あの、もういいですか」
十分後、皐月さんと弥生さんが戻ってきた。
「じゃ、早速ですけど、ちょっとこちらで待っていてください」
言われるままに、ふたりがカウンター席についた。
「すみませんけど、厨房にある出汁と醤油ダレを少し使わせてもらいますから」
言いながら、俺は丼とお玉を手にとった。皐月さんに見えないようにしながら丼のなかにスープをつくり、カウンターにだす。
「麺は入れてません。これは、あくまでも醤油ラーメンスープの叩き台です」
俺は丼に、あらためてお玉を入れ、すくったスープをコップに移し替えて、皐月さんと弥生さんの前に置いた。
「ひと口づつでいいですから、味見をしてみてください」
「あ、はい」
「いただきます」
皐月さんと弥生さんが言い、それぞれのコップを手にとった。飲もうとして自分の口元に近づけかけ、急に表情を変えてお互いに目を合わせる。
「すごい鰹節の香り」
「私のつくってたスープって、こんなに鰹節の香りが強かったんですか?」
「種明かしはあとでしますので、とりあえず飲んでみてくれませんか」
俺の言葉に従い、ふたりがコップのスープを飲んだ。いきなり目を見開く。
「え、何これおいしい! 甘じょっぱくて。あと、コクがあって。なんか、いい味がする」
「中華の広東麺とか、天津麺とか、サンマー麺とか、ふかひれスープに似た感じですね。私のつくったスープとは違います」
笑顔でコップのスープを飲む弥生さんとは対照的に、皐月さんが難しい顔をして俺を見てきた。
「ただ、とにかくおいしいです。これ、何をやったんですか?」
「これとこれを入れたんですよ。俺が家から持ってきたもんなんですけどね」
言いながら、俺はカウンターにビンをふたつ置いた。片方は市販品だが、片方はオリジナルでラベルなしである。少しして皐月さんが驚いたように口を開いた。
「オイスターソースだったんですか。言われてみれば、その味です」
「え、お姉ちゃん、オイスターソースって何?」
「中華の調味料よ。オイスターってのは牡蠣のこと」
「あ、そうなんだ。――あの、伸一くん? もう一個の、このビンのなかの茶色いの、こっちは何?」
「これは鰹節の香味油だよ」
言いながら、俺も丼のスープをお玉でコップに入れた。
「ほら、先々週、皐月さんに訊いたでしょう? ほかの魚介系の出汁も使ってみたいと思いませんかって。そうしたら皐月さんは、やってみたいけど、いまの経営だと難しいって返事をしたんです。だから、安くて手に入る魚介の調味料を使ってみました。それがオイスターソース。ラーメンスープ一杯に小さじ二杯から、多くて三杯くらい入れると、こんな感じになります。ただ、オイスターソースは味の主張が強いので、入れすぎると、オイスターソースの味だけになっちゃうので、そこは気をつけてください。それから、もちろんそれだけ、醤油ダレは減らして塩分は調節してます」
説明しながら俺もスープを味わってみた。――あ、家で試作したときよりも甘みが強いな。やっぱりこうなるか。
「まあ、どうしても、ちょっと甘くなりすぎますから、あんまり甘くない業務用のオイスターソースを探すか、そうじゃなかったら、オイスターソースを減らして、代わりに牡蠣醤油を使うって手もありますね。もしくは、醤油ダレに入れるみりんや砂糖の量を減らすなりして、味の調整はしてください。あと、鰹節の香味油だけど、そっちは鰹節を袋のまま揉んで粉末にしたあと、鍋で焦げないようにカラ入りして、香ばしくなってきたところで、菜種油を投入したものです。鰹節の香りの成分はほとんが脂溶性だから、あとは放っておけば、勝手に鰹節の香味油になります。常温でも一ヶ月は保存が効きますし」
言って俺は皐月さんを見た。
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