その7

「あの、それは、わかりましたけど」


 なんか、少し恥ずかしそうな感じで皐月さんが口を開いた。


「でも、それだと、私、男のお客さんにジロジロ見られるってことになりませんか?」


「そのへんは我慢してもらうしかありませんね。男のお客さんがきたときは、自分は料理人じゃなくて、TVにでている芸能人なんだって言い聞かせて、がんばって愛想を振りまいてください。それに、皐月さんみたいに綺麗な人が、野球帽を後ろ前にしてかぶるなんてボーイッシュなことをやっていたら、意外なギャップってことで人気がでるかもしれませんし」


「あの、話はわかったんだけど」


 横で聞いていた弥生さんが手を挙げてきた。


「いままで普通に野球帽をかぶっていたのに、いきなり後ろ前にかぶって、何があったのかって聞かれたらどうするの? いまの理由なんか正直に言ったらドン引きされるんじゃ」


「そのときはこう言えばいい。いままで抜け毛予防で普通に帽子をかぶっていたけど、これだとつばの部分が日影になって、自分のつくっているラーメンがちゃんと見えていないってことに気づいたんです。帽子の後ろ前を逆にすれば日影になりませんから、店内の照明の下で、きちんと集中してラーメンをつくれます。それで、こういうかぶり方にしたんです」


「あ、あの、ちょっと待ってください」


 ここで皐月さんが口を挟んできた。


「私、この帽子を普通にかぶってて、ラーメンをつくっていて、よく見えなかったってことはなかったんですけど」


「そこは申し訳ありませんけど、嘘をついてもらいます」


 俺の返事に、皐月さんが驚いた顔をした。まあ、これは反則になるんだけど、仕方がないだろう。さすがに言葉のマジックでは通用しないことだからな。


「俺だって想像はつきますけど、野球帽のつばっていうのは、水平に飛んでくる球をバットで打つとき、日光をさえぎるために必要なもので、店のなかで下をむいてラーメンをつくってるときに、邪魔になるとかならないとかって代物じゃないはずです」


 俺の説明を皐月さんと弥生さんは無言で聞いていた。


「ただ、だからって、さっき弥生さんが言ったように、馬鹿正直に、男のお客さんを釣るのが目的で、よく顔が見えるようにかぶってるんですとは言えない。だったら言い訳をするしかないでしょう。それに、この程度の嘘は許容範囲内だと思いますし。ちょっと確認しますけど、皐月さんと弥生さんは学校で、何かまずいことがあったとき、罪を全部認めて、何もかも自分が悪いんですって返事をしたことはありますか?」


「「それは――」」


 ふたりして何か言いかけ、同時に黙ってしまった。やっぱり女子だな。人前ではかわいい顔をしているが、家でひとりのときはダラついてる、何かやらかしたら言い訳をするっていう生活が基本だったんだろう。まあ、これは俺もやっていることだから、あんまり他人を批判できる訳でもないんだが。


「というわけで、これについては必要最低限の嘘をついてもらうってことで。それからこれなんですけど」


 俺は、この店のメニューに手を伸ばした。開く。


「この店のメニューって、醤油ラーメン、塩ラーメンが七五〇円、味噌ラーメンが八五〇円、トッピングチャーシューが二〇〇円って書き方になってますよね? で、ラーメンは一〇〇円値あげするって話はしましたけど、それだけじゃなくて、醤油チャーシューメン一〇五〇円、塩チャーシューメン一〇五〇円、味噌チャーシューメン一一五〇円っていうのを書いて欲しいんです」


「え、ちょっと待って。それ、なんの意味があるの?」


 弥生さんが不思議そうに訊いてきた。


「醤油ラーメンが一〇〇円値あげして八五〇円、それにトッピングチャーシューを注文すれば、醤油チャーシューメンになるじゃない。醤油チャーシューメン一〇五〇円なんて、わざわざ書かなくたって同じことでしょ?」


「それが同じじゃないんだよ。これをやらないと味噌ラーメンが売れなくなるんだ」


「は?」


「俺はさっき、味噌ラーメンを一〇〇円値あげして、九五〇円にして欲しいと言いました。千円でお釣りがくるから許容範囲内だって。ただ、それでも、やっぱり、どうしても高いわけなんですよ。それだけを見ると」


 言いながら、俺はメニューの味噌ラーメンを指さした。


「だから、その下に、味噌チャーシューメン一一五〇円というのを書いておくんです。できれば写真つきで。するとお客さん側は錯覚を起こすんですよ。味噌チャーシューメンは千円を超えるのか。高いな。それに比べたら、普通の味噌ラーメンは千円でお釣りがくるから安いぞ。じゃ、それを注文しよう」


 言って俺は顔をあげた。


「まあ、要するに、バイアスがかかるわけです。それで味噌ラーメンは普通に売れますよ。これは俺みたいな素人じゃなくて、プロの経営コンサルタントも言ってることですから。飲食店では、二番目に高いものが売れるって。だからチャーシューメンの金額は表記しておくのが良策です。お客さんは、味噌チャーシューメンを選べる立場だけど、自分は選ばないだけだって思ってるんでしょうけど、実際はそうじゃなくて、普通の味噌ラーメンを選び安くなるようにコントロールされてるんですよ」


 ここで俺は話を区切った。少し待ったが、皐月さんと弥生さんが何か言ってくる気配はない。俺の言ってることがズルすぎるのであきれてるのかもしれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る