その6

「でも、あの、タバコは」


「だから、店のなかじゃなくて、店の入り口に張り紙をしておくんです。文面はこう。『この店には家族連れのお客様もいらっしゃいます。小さいお子様の健康のこともありますので、どうか、店内での喫煙はご遠慮くださいますよう、よろしくお願い申しあげます』」


 ここまで言い、俺は皐月さんを見た。ちょっと驚いた感じで目を見開いている。俺の意図に気づいたらしい。


「まあ、こういう文章にしておけば、店長のわがままでタバコを吸わせないんじゃなくて、小さいお子様のために言っているんですって形がとれます。これなら高圧的に思う人間はいませんし、皐月さんの印象も良くなると思いますよ。お客さんの健康を考えてるんだってことになりますから」


「わかりました」


 皐月さんが感心したようにうなずいた。


「あの、いまのは、すぐにやってもいいですか?」


「それはかまいません」


 このへんのマイナーチェンジは、テコ入れとはあんまり関係ない、小さい工夫である。やったって気づかないお客さんのほうがはるかに多いだろう。それでも俺が助言したのは、テコ入れする以上は徹底的にやるべきだと考えたからだった。


「あと、皐月さんの帽子なんですけど」


 あらためて俺はテーブル席につき、皐月さんの頭を指さした。


「その野球帽、抜け毛予防のためですよね?」


「あ、はい」


 俺が確認したら、皐月さんが素直にうなずいた。


「抜け毛がラーメンに入ったら大変ですから、それでかぶってるんです」


「ちょっとそれ、とってもらえますか」


「え、こうですか?」


 皐月さんが帽子をとった。ポニーテールの弥生さんと違って、皐月さんはショートカットである。料理人として、そこはきちんと意識しているのかもしれない。


「じゃ、今度は、後ろ前を逆にして、その帽子をかぶってみてください」


「はい」


 なんだかわからないって顔のまま、皐月さんが言われた通りにした。――やっぱりだな。


「そのほうがいいですよ。次からはそれで接客すると受けがいいと思います」


 皐月さんがよくわからないという顔をした。隣に座っている弥生さんもである。


「あの、これは?」


「これはセクハラで言うわけじゃないんですけど、皐月さんって、結構綺麗な顔をしてると思うんです。もちろん弥生さんもですけど」


 俺が言ったら、皐月さんが、ちょっと困った顔でうつむいた。


「セクハラって言うか、そんなこと言われたら、そりゃ、私だって嫌な気分にはなりませんけど」


「で、わかると思いますけど、男ってのはいやらしい生き物なんですよ。女性がいたら、どんな顔をしてるのかって、基本はのぞきにきます。ただ、先週、俺が思ったのは、皐月さんは野球帽をかぶっているから、つばのせいで顔が日影になっていて、わかりにくかったんです。後ろ前を逆にかぶっていれば、そんなこともありませんから。それで顔もアピールしてください。そういう形で男のお客さんも釣ります」


「え」


 俺の言葉に、皐月さんが眉をひそめた。


「あの、それって、ラーメンの味とは、何も関係ない話じゃないんですか?」


「その通り。何も関係ありませんよ」


 あっさり俺は認めた。


「ただ、それでも、リピーターは若干ながら増えるはずです。ほら、たとえばライトノベルって、かわいいイラストがつくでしょう? どうしてかって言ったら、それで売れ行きが伸びるからです。それと同じことをやってると思ってください」


 皐月さんの横で、今度は弥生さんが眉をひそめた。


「言ってることがズルすぎてクズすぎてヒドすぎる」


「こんなの、まだまともなほうだよ。これが秋葉原や池袋だったら、店の外観も内観も大改装してアンナミラーズみたいにして、それから若い女性のバイト店員を何人も雇って、メイドコスをさせて、メイドラーメンカフェで営業するように俺は言ってる。そうすれば、味がどうとかなんて関係なしにお客さんは入るから」


「な――」


「ただ、こんな住宅街でそんなことをやったって、くるのはお客さんじゃなくて近隣住民からの苦情だ。だから、この程度で抑えてるんだよ。前に言ったはずだけど、リピーターのつくラーメンメニューを考えるよりも、まずはお客さんのくる店にするのが先だから。これもそのための作戦のひとつだということで」

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