第三章

その1

        1




「じゃ、説明をします。まず、そもそもが、このチラシは、この店のラーメンの味をリニューアルしたことをアピールするためのものじゃありません」


 いきなりぶっちゃけたら、皐月さんと弥生さんがキョトンとなった。


「は?」


「じゃ、なんなのこれ?」


「このチラシの第一目的は、この文章なんです」


 俺は皐月さん立ちの前にあるチラシの文章を指さした。


「『昨年四月、中華料理店からラーメン専門店へと華麗なる転身を遂げた当店ですが』。これを書くことによって、この店は、もう中華料理屋じゃない。ラーメンしかやってないんだってことを周囲にアピールできるんです」


 ここまで言い、俺は皐月さんを見た。


「さっき皐月さんが言った、この店はラーメン専門店になりましたってアピールは、基本はするべきなんです。ただ、いまからそれを第一の目的として言いだすと、やっぱり言い訳に聞こえるんですよ。だから、いかにも、味をリニューアルしましたってことを宣伝するついでに、あたりまえのように言っておくって形にするんです。これで、ここのご近所さんで、昔、この店に常連だったお客さんも、こう判断すると思いますよ。――ああ、自分が知らなかっただけで、あの店は、もう中華料理屋じゃなくなってたんだな。だったら麻婆豆腐や天津飯がないのも仕方がないだろう」


 俺は言葉を区切り、皐月さんと弥生さんの反応を見た。


「で、次なんですけど」


 返事がないので、俺は話をつづけることにした。


「このチラシの第二目的。それがこの文章です」


 あらためて、俺はチラシを指さした。


「『自慢のラーメンをさらにリニューアル、おいしさをグレードアップさせることにいたしました』。これを書くことによって、値あげしたことの理由付けができるんです」


 皐月さんと弥生さんは黙って俺を見ていた。なんだか驚いた顔をしている。飲食店業界の悪い内情をはじめて知ったって感じだな。少し良心がチクチクしたが、とにかく俺は話をつづけた。


「ほら、この店だって、まったくお客さんがこなかったわけじゃないでしょう? 何人かはきていたはずです。で、そういうお客さんは、この店の金額設定を知ってるはずなんですよ。で、それがいきなり値あげをしたら、なんなんだって話になりますから。ところが、チラシにはリニューアルとかグレードアップとか、景気のいいことが書いてありますからね。これで、ほとんどの人間は納得するはずです」


 ここで俺は言葉を区切り、皐月さんを見た。その手があったかって顔をしている。いままで、本当に純粋な想いでラーメンをつくっていたらしい。申し訳ないけど、それじゃやっていけないんですよ。


「で、ごく小数だと思いますけど、値あげしましたねって言ってくるお客さんがいたとしましょう。そのときは、笑顔でこう答えてください。――いいものをつくろうとしてがんばってたら、ちょっとコストが。でも、それだけ、味には自信がありますから」


「あ、あの、ちょっと待って」


 ここで弥生さんが声をかけてきた。


「そんなこと言っちゃって、まだラーメンの味のグレードアップも何もしてないのに。それに、お客さんがまずいって言いだしたらどうするの?」


「それはほぼないと思っていいと思う」


 俺は即答した。これは「とんこつラーメン ひずめの足跡」での経験から断言できることだった。


「そもそも、皐月さんのラーメンは、最初から、かなりきちんとした出汁をとってました。それに、店主が自信満々に、どうです、うまいでしょう? と言ったら、お客さんってのは、だいたいが勢いに飲まれて、そうですねって返事をする。これも思いこみの力なんだ。皐月さんの言うとおり、こういうのはあざとい方法なのかもしれないけど、今回はそれを使わせてもらうから。で、それとはべつに、一〇〇人にひとりくらいは、まずいって言いだして、絶対にひかない奴がいる。そんなものはネットの荒らしと同じだと思っていい」


 俺は弥生さんから皐月さんへ視線を移した。


「もし、そういうお客さんがきたときは、こう言ってやってください。申し訳ありませんでした。自分の理想とするおいしさと、お客様の好みは違ったようですね」


 言いながら、俺は頭を下げた。すぐに顔をあげる。


「で、こんなふうに謝罪をする。これは何回やってくれてもかまいません。頭を下げるなんてタダですから。ただし、お代は結構ですだけは言っちゃいけません。一度でも悪い例をつくると、十年でも二十年でもひきずりますから。食った以上は金を払ってもらう。これは絶対に忘れてはならないことです。あんまりうるさいクレーマーがいたら、そのときは警察に電話するってことで」

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