その8
3
「え」
「ちょっと待ってよ伸一くん。それ、どういうこと?」
皐月さんが疑問不調に聞き返し、弥生さんも不思議そうに声をかけてきた。
「とりあえず、きちんと説明します。まず、たとえ話なんですけど、俺がここの近隣住民で、前の店長が経営していた『中華 白桃』に出入りしていた客だったと想像してください。これはいいですか?」
俺が真剣な調子で言ったら、皐月さんと弥生さんがうなずいた。
「それで、ある日、客の俺がこの店にきたら、前の店長だけではなく、お若い女性が働いていた。これが昔の皐月さんです」
つづけて言い、俺は確認のために皐月さんを見つめた。
「わかります。それで?」
「で、普通だったら、客の俺はこう思うわけです。ああ、店長も年なんだな。ひとりじゃ店を経営できないから、アルバイトを雇ったんだろう。――まあ、こうなって当然だと思うんですけど」
「あ、はい。それはわかります」
「お姉ちゃん、最初は本当にアルバイトだったし」
「そして去年の四月だったか、急に前の店長が引退をして、それで皐月さんがこの店を経営することになったわけです。ただ、中華料理屋からラーメン屋に転向したことは周囲に公言してませんでした」
ここまで言い、俺は皐月さんと弥生さんを交互に見た。ふたりからの反論はない。
「で、客の俺がいつものように、この店に入ったとします。すると、普通ならこう考えるでしょうね。あれ、前の店長がいない。お若い女性が仕事をしている。あのお姉さん、アルバイトじゃなくて、前の店長の娘さんだったんだ」
「あ、ちょっと待ってください」
ここで皐月さんが困ったように手を挙げた。
「私、前の店長の娘じゃありません」
「そりゃ、俺はわかってますよ。ただ、普通のお客さんはそう思うだろうって話です。そして、さらにこう思うでしょうね。あ、前の店長のときとメニューが違う。中華料理屋だったはずなのに、酢豚も青椒肉絲もない。あるのはラーメンとチャーハンと餃子だけ。しかも、そのラーメンの味も変わってしまった。前の店長の味をきちんと継承していないぞ。つまり、二代目の女性店長は、料理を振るう腕がなってない」
「「あ!」」
皐月さんと弥生さんが驚きの声をあげ、お互いに顔を見合わせた。やっと気がついてくれたか。
「で、こうなったら問題ですよ。俺は、なんの事前情報もなしで皐月さんのラーメンを食べたから、きちんとした仕事をしてるってのはわかっています。ただ、ほとんどの人間は思いこみで食事をしますからね。一度、この女性店長は駄目だって判断したら、うまいものを食ってても、まずいって脳味噌が言いだすんですよ。かつての常連さんがこなくなった理由はこれだと思います」
「で、でもあの」
弥生さんが手を挙げた。
「ほら、お店の看板。『中華』っていう文字は、もう白く塗りつぶしちゃったから」
「そんなのは誰も見てないって。同じ場所に同じ店があって、同じ人間が働いてるんだから。急に趣旨替えしたなんて誰も気づかないよ。ほら、皐月さんだって、高校生のときに食べて感動したラーメン屋の名前を覚えてなかったでしょう? 同じ場所に行けば、またあると思って、ちゃんとチェックしてなかったって。人間なんてそんなもんですから。もちろん世のなかには、友達と一緒にラーメンを食べに行ったり、食べログに口コミを書きこむような人種もいます。そういう人たちなら店名も頭に入ってますけど、それは少数派ですね。もっと言うと、ここに住んでいる皆さんは、弥生さんと同じで、ラーメン屋と中華料理屋の区別が付いてないって人がほとんどだったんでしょう。そうなったらアウトですよ」
「――どうしよう」
俺の説明に、皐月さんが青い顔でつぶやいた。隣に座ってる弥生さんもアタフタしてる。
「あの、伸一さん、いまから、実はラーメン専門店になりましたって言うのは――」
「それじゃ、経営が厳しいから言い訳してるって思われる危険が高いですね。それよりも、こういう手を使いましょう」
言い、あらためて俺はナップザックに手を突っこんだ。
「確認してください。チラシ作戦です」
ナップザックからだしたコピーを、俺は皐月さんと弥生さんに手渡した。俺が家のパソコンで簡単につくったものである。
文面はこうだった。
『いつもご贔屓にさせていただいております。白桃です。昨年四月、中華料理店からラーメン専門店へと華麗なる転身を遂げた当店ですが、この度、お客様からの熱い要望に応えまして、自慢のラーメンをさらにリニューアル、おいしさをグレードアップさせることにいたしました。和のテイストである鰹節の香りをよりいっそう高めた一品になっております。つきましては、この香り高いラーメンを、なるべく多くの方に楽しんでいただきたいと考えまして、今月、一日~七日までの間に、このチラシを持って入店してくださったお客様に、ラーメン中盛り|(一・五玉)一〇〇円のところを無料に、大盛り|(二玉)一五〇円のところを五〇円で提供させていただきます。ご家族連れの場合は、全員分、この金額設定でサービスいたします。
※昔懐かしい昭和を彷彿とさせる、レトロな飾りつけの店内で美味しいラーメンをお召しあがりください』
文章を読んだ皐月さんと弥生さんが顔をあげた。
「俺が調べたら、この近所に商店街があって、そこに広告代理店もありました」
ふたりが何か言うより先に俺は切りだした。
「そこに頼めば、なんとかなると思うんですよ。で、来月の頭に、こういう感じのチラシをつくって、このへん一帯のポストにいれまくります。これもやってくれると思うんで」
「あ、あのう」
皐月さんが申し訳なさそうに声をかけてきた。
「こんな宣伝、やっちゃっていいんですか? だって、味をリニューアルとか、そういうの、いままでの話で、全然でてこなくて」
「ああ、安心してください。それはそれでちゃんと考えてあります。きちんとリニューアルもグレードアップもしようと思ってますから」
心配顔の皐月さんに俺は返事をした。
「ただ、これは優先順位の問題で。この店の場合は、リピーターがつくラーメンメニューを考えるよりも何よりも、まずはお客さんのくる店にするってのが第一だったんです。だから俺はチラシ作戦を用意してきました。これ以降は、とにかくこれをやる。話はそれからだってことで納得して欲しいんですけど」
「でも、あの」
まだ納得してないって顔で皐月さんが言ってきた。
「こんな宣伝をすると、みんな、それはそれで、今度はそういう思いこみで食べちゃうじゃないですか? さっきも言いましたけど、それって、なんだかあざとい感じがして」
「ああ、言ってましたですね」
俺は大げさにうなずいてみせた。きたな。ここから先が最初の説得の場だった。
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