第8話 『おサムライってのは作法が面倒でいけねえ』
ハンゾウは、城が近づくに連れ、周囲の空気が変わるのを感じる。
しかし、妖気というほどの、妖気は感じられない。
人ならざるものの気配が、うっすらと辺りを漂っている程度のものだ。
詰所で、ふたりの帰りを待っているであろうミトの顔が、ふと思い浮かぶ。
彼女だったら、こっちが臭う。などと言いながら、立ち所に気配の正体を探ってしまうであろう。
おっと——。
武家屋敷の間の路地を抜けて、城の正門に続く通りに飛び出したハンゾウ。
その通り沿いに並ぶ屋敷のうち、一件の前に、二人ばかりの人影が見える。
咄嗟に、飛び出しかけた身体を引っ込め、塀の影から、その人影を伺った。
ありゃ、ジュウベエじゃねえか——。
何をやってるんだ、こんな所で。
誰かと、話してるみてえなんだが。
相手は……見えねえな、どんなやつだ。
思わぬ場所で、思わぬ相手を見つけてしまったハンゾウは、暫し何事かに考えを巡らす。
その後、そっとその場を離れると、別の路地を通って、城の別の出入り口を目指すのだった。
日の暮れかかった中、ハンゾウは正門から幾らか離れた場所にある、使用人が出入りする門に辿り着く。
正門ほど厳重ではないにしろ、門の脇には番所が設けてあり、夜勤の番方が詰めていた。
ハンゾウとて、秘匿任務中であれば、顔を見せるだけでは、簡単には城内には入れない。
上役から預かった書状と、胸の認識票を併せて、やっと表御殿近くの一室に案内される。
部屋の中程に座り、背中のウツホラキリは外して、右脇に置いておいた。
やけに広い部屋の中、ぽつんと一人、今回に任務の依頼者を待つハンゾウ。
一人、二人……、襖の向こうに何人かの人の気配が感じられる。
取り囲むように配された人の気配は、おそらくはハンゾウが、何かしらの粗相をした時のためのものだ。
彼らは、ハンゾウの挙動におかしなところがあれば、即座に刀を抜いて、彼の始末に動くに相違ない。
おサムライってのは、作法が面倒で、どうにもいけねえ——。
自身も武士階級の身でありながら、その立場による不自由さを嫌い、冒険者となったハンゾウ。
今回の依頼に、今ひとつ気乗りしなかったのは、この城内での密談というのが一因でもある。
暫くの後、廊下を何者かが、この部屋へと進んでくる音が微かに近づいてきた。
わざとらしく居住まいを正し、頭を畳にこすりつけるように平伏する。
従者により、すっと襖が開かれ、奥の部屋の一段高い所に、今回の依頼者は鎮座していた。
依頼者が何事か従者に囁くと、従者は部屋の外へ出て行き、次いで周囲を取り囲んでいた気配も消える。
「くっくっくっくっ」
依頼者は、堪え切れないように笑い声をたてる。
「ふっふっふっふっ」
ハンゾウもまた、噛み殺したような笑い声を上げた。
「はっはっはっはっはっ」
ついに依頼者も、顔を上げたハンゾウも、大声で笑い始める。
「久しいのう、ハンゾウ殿」
依頼者は、奥から、のしのしと出てくると、ハンゾウの前にどかりと腰を下ろした。
精悍な顔立ちに髭を蓄え、その体躯は、以前と比べても
「お館様も、お変わりないようで」
ハンゾウも足を崩し、胡座をかく。ふたりの顔からは、抑えきれない懐かしさが溢れて出ていた。
「なんのなんの、ハンゾウ殿こそ、あの頃のままではないか」
そう言うと、領主は懐より布に包まれた物を、大切そうに取り出し、目の前に差し出す。
「これを……。再びハンゾウ殿と
訝し気な表情でハンゾウは、差し出されたそれを受け取ると、布を捲って、ちらりと中身を改めた。
「これは、あの時貸したやつか……。良く取ってあったなあ」
「それのお陰で、儂は、彼の地より無事に戻ることができたのだ」
「今の俺には、こいつはもう……。だがお館様の気持ちだ。有り難く返して貰うとするぜ」
「これで肩の荷を、ひとつ降ろした気分だ。とは言え、まだまだ荷は多いのだがな」
「その荷の多さこそ、お館様の生きた証だろう。俺にはとても真似できねえ」
儂なぞ、自分で選んだ道とは言え、余計なしがらみばかりが増えていきおるわ——。
領主は誰に聞かせる風でもなく独り言ち、ハンゾウもまた、受け取ったものを大切そうに懐に仕舞う。
今回、気乗りはしないものの、ここまでやって来たのは、依頼者が、この領主その人であったからだ。
もう何年前のことになるか、領主の遠い血縁の者が治める地で、その末端の配下が起こした不始末があった。
その事件の収束のため、この領主は、自らがハンゾウと共に乗り出したことがあったのだ。
あの頃は、儂もまた若かった。領主にはなったばかりで、もう少しこの身にも自由があったものだが——。
領主もまた、ジュウベエの上役と同じく、自ら動きたい気持ちを抑えて、日々の御役目を果たしているのだった。
「して、今回の依頼とは
ハンゾウにしては、柄にもなく丁寧な態度で話に水を向ける。
「うむ、息子を助けて欲しいのだ」
その簡潔ながら、苦渋に満ちた領主の言葉に、思わずハンゾウも身を乗り出す。
領主の子息の、身体の調子がおかしくなり始めたのは、ひと月ほど前のことだという。
幼き頃は、身体が弱かったものの、今ではすっかり健康体となった筈の子息である。
その子息が衰弱しているのを
屋敷で床に伏していた子息だが、医者にも、その原因は判らず、彼は日に日に衰弱するばかりであった。
それと時を置かず、子息だけでなく、屋敷に出入りする臣下の者や、使用人たちまでもが次々に倒れ始める。
それを機に、子息には郊外の別邸に居を移し、療養に専念するようにさせたのだという。
「その後の出来事が、また面妖なのだ」
子息と共に、数少なくなった使用人を、その別邸に向かわせたのだが、彼らと連絡が取れないのだというのだ。
その後、平時は城の警護などをしている番方を、日を置かず数人派遣してみたものの、彼らもまた一人として戻っては来なかった。
そして、見舞いに行った許嫁もまた行方知れずとなるに至って、領主は古い
「それで、俺のところに話が来たという訳だ」
話を聞いていたハンゾウは、深く頷く。
跡取りが原因不明の病に臥せってるというだけで、この城にはかなりの動揺が走る筈だ。
ましてや、跡取りの屋敷の者も倒れ、行方知れずの者がこれだけ出てしまえば、余計な争いの火種も生まれよう。
「どうやら、一筋縄じゃいかない事件のようだな」
ハンゾウは、更なる話を領主に促す。
「少し、気になることがあるのだ」
何年か前のあの事件の折り、あの一族の筆頭の屋敷に、不気味な黒い宝玉が祀られていたのを憶えているだろうか——。
それと似たような宝玉を、子息の屋敷で見たという話を聞いたらしい。
しかも、その宝玉を持ち込んだのは、子息の許嫁に関して、曰く付きの男だという。
子息の許嫁は、領主とは、古くからの付き合いのある家臣の娘であった。
不幸にも何年か前に、娘の両親である家臣とその妻は、相次いで流行病に倒れてしまう。
一人残された娘を領主は引き取って、子息とは、それ以来兄妹のように育てたようである。
一緒に暮らすうちに情が芽生えたのであろう、その娘と子息は将来を誓い合う仲になったという。
その後、子息は領主一族の習わしとして、都の武士団にて一年間の修行を行うため、国許から旅立つことになる。
そして事件は、子息が不在の間に起こった。
その事件を起こしたのは、やはり領主の古くからの家臣の息子であった。
家臣の息子は、子息の許嫁の娘に横恋慕した果てに、無理矢理言い寄ったものの、相手にはされなかったらしい。
業を煮やした横恋慕息子は、近隣の町のゴロツキを雇い、卑劣な方法での実力行使に出たという。
しかし、許嫁が気丈だったのと、娘ながら領主の子息直伝の剣の腕を持っていたため、全員を返り討ちにしたらしいのだ。
——息子共々腹を切る。家臣はそう言って聞かなかったが、なんとか領主が宥め、その処遇を財産没収の上、領内でも僻地への蟄居を命ずるに留めた。
その家臣も昨年、病で亡くなった。事件を起こした横恋慕息子は、出家したとの噂も聞いたが、その行方はようとして知れない。
事件の顛末を領主の口からは、子息に伝えてはいない。しかし許嫁本人から、修行から戻って来た子息と再会した折りに、その場で語られたという。
横恋慕息子らしき男が、再びこの町に姿を現したという話が領主の耳に入ってきたのも、やはりこのひと月の間の話であった。
もとより、仕官を志すこともなく、ぶらぶらとしていた横恋慕息子は、子息とは面識がないのだろう。
それを良いことに、何をか企んだ末、使用人として子息の屋敷に入り込んだものと思われる、とのことであった。
「今回の件と、何か関係があるのか迄は判らぬが、嫌な胸騒ぎがするのだ」
領主の思い悩む様子に、ハンゾウまでもが、苦々しい表情を浮かべた。
今夜は、話を聞くだけに留めておくつもりであったハンゾウであったが、領主の顔を見て、考えを改める。
こいつは、早いところ問題の別邸に踏み込んだ方が良さそうだ——。
決意を新たにするハンゾウの瞳は、早くも
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