第16話 『その銃で、わたしを撃ちたまえ』

 ハンゾウは、その大きな顎門あぎとを広げ、彼を一吞みにせんとする大ウツボを躱し、あやかしの頭上高く飛び上がった。

 その勢いで大ウツボの鼻先に着地すると、標的の呪印近くまで一気に駆け上り、ウツホラキリの一撃を加えようと試みる。


 しかし、暴れる妖の頭の上では、足下を固めることもままならない。頭部を大きく振って、ハンゾウを振り落とそうと、もがく大ウツボ。

 そのぬめる粘液と固い鱗を力一杯踏み締めて、彼はもう一度高々と飛び上がり、今度は妖のあごの辺りに飛びついた。


 どこまでが頭で、どこからが胴体かはよく判らねぇが——。


 ハンゾウは、目の前の鱗の隙間に目をつけると、そこにウツホラキリを差し込む。


 まるで、蒟蒻か何かにやいばを突き立てているかのような、奇妙な手応え。

 僅かに押し戻すような感触があるものの、刃はすうっと妖に吸い込まれるように差し込まれた。


 と、その瞬間、足下が大きく揺れる。ウツホラキリを突き立てられた大ウツボが、苦しんで暴れているのだ。


 とっさに、ウツホラキリの柄を強く握りしめるハンゾウ。

 大きく身体をうねらせる妖から、振り落とされないよう柄を握りしめる彼の身体は、妖の尾に向かって鱗の上を滑り始めた。


 ハバキ近くまで、妖にその身を沈めたウツホラキリは、抜けることもなく、そのまま妖を三枚におろすように切り裂いている。


 大ウツボの尾の付近にまで滑っていったハンゾウは、粘膜に塗れながも妖に喰らいついていたが、その尾の大きなうねりに、ついにウツホラキリと共に宙に投げ出されたのであった。



  ○ ● ○ ● ○



 その山の頂きは、聞いていた通り、ひらけた広場となっていた。

 大きな円形のそれは、日頃この場まで登ってきた旅人は一服つけ、商人などは背負って来た荷を改めたりしているのであろう。


 しかし、今はヌエどもが巣食う、忌むべき地と化している。


 頭上には何体かが旋回し、また地面には何体かが寝そべる。

 そして、その殆どのヌエは……。


「やーねー。あれは共食いしてんのかしら」


 ジュウベエに追いついてきたミトは、彼の背後から怖々と、そのおぞましい光景を覗いている。


 ある妖は千切れ飛んできた四肢に齧りつき、ある妖は吹っ飛んできた腹に頭を突っ込み、同族の肉を貪っていた。

 辺り一面には、異臭が漂い、赤黒い血だまりが広がり、臓物のようなものまでが、あちらこちらに転がっている。


「うむ。だがあれは血のように見えるだけだ。妖に血など通ってはおらんからな」


 ああして、妖力の回復でもしておるのであろう——。


 吐き捨てるように言ったジュウベエは、足下の地面をじっと見つめている。


「なに? なんかあるの、地面に」


 踏み込もうとするミトを、手を上げて制すると、ジュウベエは顔を上げ、広場のあちこちに視線を走らせた。


「この場の全てが、陣となっているようだな」


 彼が、刀の先端で足下の地面を軽く突くと、刀に纏わりつくように火花が走り、何もないように見える地面には陣の一部が浮かび上がる。


「そして……あそこを見るが良い」


 全体的に黒いもや越しに見ているような広場の、彼が刀で指し示された先には、どす黒い煙の、大きな固まりのようなものが見えた。


「うわー、あの広場の真ん中の黒いもやもやが、この臭いの素? あんなにたくさん湧いてるなんて。どおりで臭い訳だよ」


 おまけに、また目も耳も痛くなってきちゃった——。


 鼻をつまんで、顔をしかめているミト。


「ちょっと、その拳銃を撃ってみなさい。あの黒い煙の下辺りの地面に向かって」


「ふぁい」


 吹き溜まる瘴気と、ヌエどもから漏れ出る妖気で、咽せていたミトだったが、懸命に銃を構える。


 ややあって、引き金を引いたミトの銃から、白い光の矢が放たれ、見事狙い通りの場所に吸い込まれていく。


 次いで、ふたりの足には地面の深い方から、ずんっという軽い音と、振動が伝わってきた。


「よし、命中っ! 止まってる的なら当てやすいや」


 ジュウベエを見上げようとした、ミトの得意気な笑顔が途中で凍りついた。

 それまで同族の肉に貪りついていたヌエどもが、その血飛沫の飛んだ顔を、一斉にふたりへと向けたのであった。



  ○ ● ○ ● ○



「この小僧は何をやっとるんじゃ。元の使い手は、もうちっと、ましじゃったぞ」


 はて——。


 そこまで考えて、ウツホラキリは、見えない首を傾げる。


 儂の前の主は、慢心しおった料理人だった筈だが、今の記憶は——。


「よっと」


 宙で二転、三転として勢いを削ぎ、浜にひらりと着地するハンゾウ。

 大ウツボの横腹には、きれいな横一直線の傷がぱっくりと開いている。

 傷からは血の一滴も流れてはいないが、赤黒い肉塊のようなものが見えていた。


 妖の腹ん中ってのは、何回見ても気分のいいもんじゃねぇな——。


 ハンゾウは独り言ちる。目もそうだが、腹ん中まで人か獣に似せてやがる。


 人や獣かに成り代わろうってのか。まったくアイツらにゃ腹が立つ——。


 ハンゾウは握っているウツホラキリを見る。


 血糊も脂もなく、きれいな鎬。刃先には刃毀はこぼれひとつない。

 妖相手なのだから、当たり前といえば当たり前であるのだが。


 妖によっては、妖気が血や肉のように、斬った刀に残ることも多い。

 鋭い切れ味を見せた、その刀身から冷たい光を放つウツホラキリに、彼は思う。


 お前、やっぱり包丁なんじゃないのか——。


 まだ息はあるものの、自然に滅するのも時間の問題かと思われる大ウツボ。


「さて、今度こそ引導を渡してやるぜ」


 だが、このまま妖気を撒き散らしながら、くたばって貰ったんじゃ、この浜が新たな妖の温床になっちまう——。


 ハンゾウはトドメを刺すべく、大ウツボの呪印目掛けて、その巨大な身体に飛び乗った。


 順手に握ったウツホラキリの切っ先を、真っすぐ捉えた呪印に突き入れる。


 厚い粘液も固い鱗も難なく通る。一瞬、何か固いものに当たる感触があったも

のの、やいばはそのまま妖の奥深くにまで届いた。


 ハンゾウはウツホラキリを通して、大ウツボの奥深くに力を送り込む。と同時に呪印からは、目映い真っ白な光が溢れ出した。

 光が収まるのを確認したハンゾウは、大ウツボから飛び降りると、振り返ってその巨体を仰ぎ見る。


 呪印のあった辺りから、大ウツボの身体は徐々に白く、まるで塩の結晶のようなものに変質してゆく。

 その身体は、自身の重みに絶え切れず、白くなった端からざらざらと崩れ、浜の上へと落ちていった。


 巨大な身体が全て崩れ落ちると、そこには、縦に鋭く亀裂の走った、大きな妖石が、ひとつ残されていたのであった。



  ○ ● ○ ● ○



「うひゃー。みんな、こっち見てるよ、ジュウベエ」


 ミトはヌエを指差し、わたわたと大慌てで、ジュウベエとヌエを順番に見比べる。


「ふむ。この場のヌエどもはすぐには襲ってはこないようだな。おおかた、この場を守っているつもりなのだろう」


 既にジュウベエは刀を構えて、臨戦態勢に入っており、その視線は、広場中央のどす黒い煙の固まりへと注がれている。


 どす黒い煙は、人に似た顔に変わり、胴に変わり、獅子に似た四肢に変わる。ついには獅子の背中からは、鷹のような翼が生え始めた。

 ふたりが見ている間に、どす黒い煙は妖を産み出し、その妖はゆっくりと翼を羽ばたかせ、頭上で旋回する群れに加わる。


「ヌエってあんな風に生まれるの? 気持ち悪ーい」


 ミトは、自身の胸を抱き、ぶるっと小さく震えた。


「ふむ。先刻と同じところを、もう一度撃ってみたまえ」


 彼女の怯えなど目に入らないかのように、ジュウベエの表情は変わらない。


 なに、呑気なこと言ってんのよ——。


 ミトは文句を言いながらも、したる動揺もなく、言われた通りに陣に向かって引き金を引いた。


 再び、白い光の矢は陣を打ち抜く。続いて、先ほどより大きな音と振動が、ふたりの足下に響く。


 虚ろな瞳で、ふたりををじっと見つめていたヌエどもが、のそりとふたりの方へ向かってきた。


「あーっ、アイツら、こっちに来るじゃないっ。どうすんのよ」


 ふむ——。


 ジュウベエは陣の中へと一歩踏み出す。


 途端に、ジュウベエの足首には、先刻と同様、纏わりつくように火花が飛び散り、足裏からはちりちりと煙が上がる。


 だが、彼はして意に介した様子もなく、力強く踏み込むと、構えた刀を大上段から振り下ろした。


 振り下ろされた刀から、打ち出された一撃は、暗い靄を切り裂き、道を塞ぐ妖を吹き飛ばし、陣中央に淀む、どす黒い煙さえ振り祓った。


「ジュウベエ、上っ、うえっ!」


 背後からのミトの声にジュウベエは、急降下してくる妖どもを一瞥すると、脇から構えた刀を斜めに振り上げる。


 彼の放った特大の斬撃は、宙の妖を一掃し、ぼとりぼとりと千切れた妖どもの肉片が落ちてきた。


 つかつかと、どす黒い煙が湧き出していた辺りに歩み寄ると、しゃがみこんで、何やら刀の先で何度も地面を突き刺している。


 やはり、直に撃ち込むのがよかろう——。


 ジュウベエは、やにわに立ち上がると、ミトを振り返った。


 ミトに向かって、上段の構えをとったジュウベエから、彼女には信じられない言葉が届く。


「その銃で、わたしを撃ちたまえ」

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