第3話 社長に報告
ざっと見たところ十五人くらいはいそうだ。どのくらい時間がかかるのだろうと思っていたら「失礼します」と通る声が聞こえて奥にある部屋から一人出てきた。
部屋の前に立っていた総務部の
二年先輩で身長は百七十くらい、体重は平均よりはやせていて今年で三十歳になるはずだ。髪はボサボサで黒縁の眼鏡を掛けている。やるべきことをやっていれば身だしなみなどどうでもいいというタイプで常に理論武装し、準備もせず会議に出席した者は徹底的にやりこめる。敵には回したくない男だ。
五分ほどしてまた一人出てきた。物流課にいる
大水から聞いた話だがキリスト教系の宣教師をしているらしく何度も勧誘されたとのこと。浄土宗と言っていたがやはり古い宗教は結束が弱いから狙われやすいのだろう。現場に近い職場ということもありネクタイを締めていないが、小ぎれいにまとまっていて爽やかな印象を受ける。
自分の前を通り過ぎたとき正面の部屋から怒声が聞こえた。何を言ったのかは分からなかったが甲高い声の主は間違いなく社長だ。
もう一度声が聞こえて人事の
五分後鬼谷が出てきて並んでいる列の中間あたりで止まる。
「この中で次の報告をするつもりの者は手を挙げてくれ。男女平等、長子継承、お家乗っ取り、女系推奨」
覗くように見ていると一人二人と手が上がり結局自分以外はすべて手を上げていた。
鬼谷は先頭にいる者を両手で抑える仕草をしながら端から端まで見渡す。
「全員、いや手を上げていないのは資材調達の銀山だけか」
そう言って小さく頭を下げた「申し訳ないが手を上げた者は職場に戻って欲しい。どのような処置になるかは分からないが追って連絡する。せっかく来てもらって申し訳ないが帰ってくれ」
不安そうな者、怒りを露わにした者、すべてがエレベーターホールに移り鬼谷と自分だけが残された。一人だけ女性がおり、残った自分を恨めしそうに見ながら歩き去る。暗がりではっきり見えなかったが綺麗な人だなと思った。おそらくは社長のメールの文面をよく読まずに世界の趨勢や時代の流れで長子継承を薦めたりしたのだろう。
「銀山は何を報告するつもりだ」
「男系継承が日本に入ってきた時期です」
「それは意味でも根拠でもないだろう。認めるわけにはいかないから帰るんだ」
ここまで来てそれはない。
「今次長が言った項目にはありませんでした」
「それよりレベルが低いから言わなかっただけだ」
「しかし社長は断片的でもいいと言っていたではないですか」
「それ以前の問題だ」
「次の方はまだでしょうか」
奥のドアが開く。
「今行きます」
次長より先に答えた。
「怒鳴られても知らないからな」
自分が参加しなくて解決できるはずはない。そう信じて部屋に入った。
まず目に入るのは社長の背後に掲げられている社是『虫力』の文字が大きく書かれたパネルだ。壁は薄く水色が入った清潔感たっぷりの白色で、茶色のカーペットが敷かれた床は机の前が広く取られている。少し詰めれば三十人は入りそうだ。
「ここに立ってお話し下さい」
中にいた秘書課の
足の位置を確認して背筋を伸ばすと社長と向い合わせになる。まず目に入ったのはストライプのネクタイだ。左右のぶれもなく結び目もカチッと決まっている。
自分も同じようになっているはずだと思ったら、このネクタイは誰のために直されたかが気になってきた。その時は自分のためだと思った。しかし社長が不快な気分にならないためとも考えられる。それより一日に何度あの手で直してもらうのだろう。
「君の考えを言いたまえ」
いきなり怒鳴られるのも嫌なので先に探りを入れる。
「僕、いえ私の意見は男系の意味ではなく男系の思想がいつ日本に入ってきたかを考察したものです。社長のメールに断片的な情報でもいいとの記載がありましたので返信させて頂きました。このような内容では駄目なのでしょうか」
じっと見ていると目尻が下がる。とはいっても笑ったわけではなく普通の状態に戻っただけだ。
「続けたまえ」
ホッとして大水に説明したとき頭に描いていたことを話す。
途中で怒鳴られることもなく最後まで聞いてはもらえた。
「今のがすべてではないのだな」
「と言いますと」
「バックボーンとなるデータや考察などは他にもあるのだなと聞いている」
再び厳しい表情になる。何を出せば満足してくれるかは分からないがあると答えるしかない。
「その結論に思い至った考察はもちろんありますが今ここで話せばよろしいのでしょうか」
「その必要はない。次の者に替わりたまえ」
どうすればいいか分からずにじっとしていると姫山が終わりだと報告し外で待っていた鬼谷、羽黒、麦原を呼んだ。
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