天皇の男系継承メカニズムを解明せよ
流位
理論編
第1話 社長からきたメール
皇位継承について近年行われた世論調査で女性天皇を容認する割合は85%、女系天皇で79%という結果が出た。理由としては継承者の先細り、男女平等の観点から等様々ではあるが、男系の意味を理解して回答した者がどれだけいたであろうか。
理論編
十月も半ばを過ぎて朝晩が寒く感じられるようになったころ、出社してパソコンを立ち上げると九つのメールが来ていた。差出人にさっと目を通す。見慣れたアドレスの中にあり得ないものが混じっていた。自分のアドレスにもある会社名〝
『社員の皆さん、社長の立羽です。
皇位継承問題における「男系」の意味、根拠を知っている人は返信のこと。不確定、断片的な情報でも構わない。詳しい内容は後で聞く。九時まで。以上』
無駄を嫌う社長らしいメールだった。宛先から見てアドレスを持つ全社員に送られているはず。文は自身で作成したと思われるが発信時刻が昨夜の十時三十二分になっているので送信に関しては秘書か総務の管理職あたりがとばっちりを受けたのだろう。
驚いたのは内容だ。七年前に卒業した大学の人文学部で研究テーマに選んだのがまさにこれだったのだ。とはいっても男系を証明するものではなく逆に疑問符を付ける発案だ。
その内容は後で詳しく話すことになると思うが、着眼点は女性天皇の発生時期が偏っていることだった。飛鳥奈良時代と江戸時代に分かれるが奈良時代の後期と江戸時代は社会科の教科書に書かれている通り適齢期の男性がいない場合の代行だ。しかし最初の女性天皇である推古は違っている。優秀な男性である聖徳太子がいるにもかかわらず崩御まで譲位することはなかった。
それ以前の歴史は不明瞭でかつ女性天皇時代が終わる直前に古事記や日本書紀が編纂されている。所詮歴史書など当時の支配者が自分を正当化するために作るものだから、これらを統合すると推古以前は女性天皇の時代だったと推測できる。男系継承は神武天皇から続いているのではなく推古以降の歴史ということ。
テーマを決める報告会でその案を発表したところ塩屋教授は困惑した表情で六年前に
当然どんな女性だろうかと想像する。清楚で上品なお姉様が頭の中に出来上がる。
緻密に構築された論文であったが、豪族たちを納得させた理論については外国から入ってきたと軽く流すだけで考察はされていなかった。そこを重点的に考えてみたかったが万世一系を否定するテーマは完璧な理論を展開しない限り受け付けないと言われ、その時は断念した。
社長が求めているのは間違いなくそれだ。八年前の落胆を払拭するためにもやるしかない。
「ねえ
隣席の
朝一番からこんなことをしていてもいいかなと思いつつ周りを見渡すと所々でパソコンを見ながら話をしていた。早く返信したかったが邪険にすると後で怖い目に遭う。
「少しの時間なら」
視線を戻すとニコッと笑った。真正面から見つめられるとドキッとして思わず引いてしまうが悪い気はしない。
「皇位継承って天皇陛下のことでしょ。この男系って何なの」
「どの天皇も父の父というようにたどっていくと必ず神武天皇にたどり着くというもので、これを万世一系と言います。母親のみが天皇家の場合は女系と言ってその子どもが天皇になったことは過去に一度もないということです」
「神武天皇って有名な人なの」
「一応初代の天皇だから知ってる人は多いと思うけど」
一瞬えっという表情を見せてすぐに怒った顔に変わる。
「あっ今バカにしたよね」
大きく手を振って体を引く。
「馬鹿にはしてないよ。でも憶えておいた方がいいと思うけど」
不安そうな顔になる。
「そっか。社長からのメールに関係あることだから知らないと話題について行けないもんね。他にもいっぱい教えてよ」
ディスプレイ右下の時計はまだ八時二十分なので少しくらいなら大丈夫だ。
「古事記って知ってる」
「コジキ」
語尾が強く跳ね上がる。違う言葉を想像しているようだ。
「知らないかな日本の昔の話が書いてある本だけど」
「日本昔話のこと。あれって貧乏な人が書いた本なの」
全部説明していたらとても三十分では終わりそうにない。
「今の時代だったら三笠宮家や高円宮家が書いたと思えばいいんだ。その中で一番重要なのが誰と誰が天皇になったかということ。その一番目に来るのがさっき言った神武天皇」
「それって今の天皇陛下まで書いてあるの」
妙に興奮してきた。
「いや千三百年も前の話だから当時の天皇しか書いてないよ。それよりなんでそんなに意気込んでるの」
「だって皇室の話好きなんだもん。他にも好きな子いっぱいいるよ」
意外だった。
「どんなことに興味があるの」
「雅子様のティアラ見た。めっちゃきらびやかでセンスがあって、晩餐は高級フランスワインなのよ。そこらの芸能人がいくら頑張ったって皇室にはかなわないんだから」
聞くんじゃなかったと思う。大水は「そうだ」とうなずいて上着のポケットからA7サイズの手帳を取り出した。
目を近づけてパラパラとページをめくる。滅多に見ることのない真剣な表情だ。なぜスマホにしないか一度聞いたことがあるが使っている最中にバッテリーが切れて大事な情報を入れることができなくなり、それ以来メモ帳に変えたとのこと。数年前に比べれば機械の性能は飛躍的にアップしているが一度そういう経験をすると信じられなくなるらしい。
「あった」
手帳を左手で持ったまま机にシャープペンで何かを書き始める。体を伏せたため長い髪に遮られて見えなくなった。時間を確かめ書き終わるまで待つことにする。それにしてもこれだけ机を有効利用している者はいないだろう。
そんなことを考えていたら髪を大きくかき上げて視線を固定したままぐっと近づいてきた。
「これ社長の一族なんだけどね」
声のトーンが下がる「社長には娘が二人いるんだけど長女の
情報収集力もすごいがなかなか素晴らしい勘だ。
「そうだね。社長の子の世代だと男性も女性も全部男系になるんだけど、その次の世代ではこの久史氏の子どもだけが男系ということになるから一族の血筋はこの人にかかっているということ」
「聞いてよかった。それってめっちゃヤバいかも」
「どういうこと」
「総務の
今の二人は職場の親睦会をよく開くことで有名だ。会費が全部会社持ちになるから人気があるのもうなずける。
「それより男系男子って一人だけなの」
「分からないよ。だって創業者から全部でしょ」
さすがの大水にも限界はあるらしい。
「でもそんな大事なこと全社員に相談するかな」
社長も長くないのかなと思っていると遠くで咳払いが聞こえた。気が付くとキスでもしていそうな距離になっている。思わず体を引くと課長がこちらを向いていた。大水は大急ぎで握った拳の小指側を丸く動かして机の字を消す。
「それより社長のメールはどうするの」
「僕が知っているのは男系が日本に入って来た時期だけだし」
「だってここに不確定とか断片的って書いてあるもん。ねえねえ送ってみようよ。もしかすると冬のボーナスがドーンとアップするかも」
こういう計算は早い。
「それは上手く行ったときの話。社長がマイナスの査定をしたら逆にボーナスが下がりますよ」
「失敗を恐れていたら何もできなくなっちゃうよ。人生もっと楽しまないと」
この人の場合は失敗を考えていないことが恐ろしい。それより早く返信しないと間に合わない。他にどんな人が返信するかは分からないが本気で問題を解決するなら自分の存在は必ず必要になる。八時五十七分を過ぎた。
『立羽社長 調達部、資材調達課、
後で聞くとあったが三十分や一時間程度では招集がかかることはないと思い、日々のルーチンワークである納入品の検収を行うため工場に併設している資材受入れ場に向うことにする。
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