8

 絵本の一件以来、小桜は嫌なことがあると癇癪かんしゃくを起こすようになった。人間で言うところのイヤイヤ期にでも入ってしまったらしい。


「小桜ちゃん、もうおねんねしよっか?」


 昼寝をさせようとしても、小桜はぶんぶんと首を横に振った。


「ねるない!」

「それを言うなら、『ねない』でしょ?」

「ねないない!」

「そうじゃなくて」


 動詞の否定形がまだ上手く理解できていないようで、ひたすら嫌がる姿もどこか憎めなかった。


 おやつの時間になっても、小桜は周りをちらちら見るだけで、手をつけようとしなかった。今日のおやつはクッキーだ。私がクッキーを手に取って、小桜の口に近づけても食べてくれなかった。

 ほとんどの犬人がおやつを食べ終える頃合になって、小桜は私たち職員の目を盗んで、部屋を出て行った。


「あっ、待ちなさい!」


 追いかけたが、足の速さではとても犬人には勝てなかった。小桜は中庭に用があるらしく、開いている窓を見つけると、ひょい、と軽やかにジャンプして外に出た。ここが一階で良かったと冷や汗をかいた。

 非常口から外に出る。辺りを見回すと、花壇の近くで腰を下ろしている小桜を見つけた。


「小桜ちゃん、何やってるの?」


 呼吸を落ち着かせて声をかけると、小桜が振り向いた。耳と尻尾が、私の来訪を読み取ったように、ぴんっと伸びている。

 小桜の足元を覗き込むと、粉々にしたクッキーが、アリの巣穴の近くにまかれていた。


「ありしゃんにあげるの」


 アリたちはいくつかの欠片を運びんでいる。それを眺めて、小桜は無邪気に笑った。


「だからクッキーを食べなかったの?」

「うん」

「小桜ちゃんは優しいのね」

「せんせ、たべるだめだからね」


 小桜は口を尖らせた。


「落ちてる物は食べないよ」

「たべる……ない、たべない?」

「そう。たべない。食べるの否定形」

「ひてーけ」

「でもね、アリさんは自分が食べる物は自分で見つけるから、小桜ちゃんはおやつをあげなくても大丈夫なんだよ」

「ほんと?」

「ほんと。だから、はい」


 私は犬人の報酬用にいつも持ち歩いている個包装のクッキーを差し出した。小桜はそれを受け取って、私を見上げた。


「いい子ね」


 私が撫でようと手を伸ばすと、小桜は一瞬、拒否するように体を固くしたが、すぐに頭をこちらに向けた。


「せんせは、じぶんでたべるものみつける?」


 子供らしい質問に、私は笑った。


「そうだね。自分で見つける」

「こざくらは? じぶんでみつける?」

「小桜ちゃんはいいの」

「なんで?」

「それは……そうだね、小桜ちゃんがまだ子供だからかな」


 小桜ちゃんが犬だから。犬人だから。

 その答えは口にしなかった。


「せんせ、たべる、いい?」


 小桜は袋を破きながら訊いた。


「まだ駄目。手を洗ってからならいいよ。だから一緒に戻ろっか」


 私が手を差し出すと、小桜は握ってくれた。

 小桜は片手に持ったクッキーを振り、「ありしゃんばいばい」と元気に言った。


 遊戯室に戻ると、小桜がクッキーを持っているのを見たためか、他の犬人たちが私に近寄って来た。


「せんせーい、わたしにもちょうだい」

「ねー、わたしにも!」

「だーめっ! せんせ、こざくらのっ」


 小桜が犬人たちにえた。ぐるる、と低い声でうなった。取り巻きたちの一匹が、威嚇されたのにもかかわらず前に出た。


「いつもだけど、なんで、こざくらちゃんばっかり伏見せんせいとあそべるの? ずるーい!」

「ごめんね」


 私は仲裁に入った。


「小桜ちゃんはちょっと教育が必要な子なの。みんなも理解してくれると嬉しいな」


 それで納得してくれたとは思えず、私はみんなにもクッキーをあげた。小桜一匹が不満そうに、私にくっついた。

 ことの経緯を眺めていた谷村さんが「大変よね」と慰めてくれた。


「公平に扱おうにも、ね」

「うん。それに毎度、お菓子でごまかすわけにもいかないし……」

「研究者でもない人は、犬人の対応に困った時どうしてるんだろう?」


 犬人が売買されるようになって、世間に普及したとはいえ、犬という動物をいかに扱うについては未だに議論が絶えない。

 それでも言えることがあるとすれば、一般人の動物に関する教育レベルは依然として低いことだ。メディアによって学説や実験内容が誤って伝えられたり、すでに疑問が投げかけられているステレオタイプな学説があたかも事実として扱われていることはよくある。


 代表的なのは「アルファオス」という、イヌの群れの統制を説明した有名な理論だ。これは一匹の強いリーダーのオス個体が集団を支配するという趣旨のものだが、現代では疑問視せざるを得ない部分が多く、否定している学者も多い。

 アルファオスの理論は研究施設で人工飼育されるオオカミの群れを観察したものだったが、イヌの祖先がオオカミであることを理由にイヌの行動研究にも応用された経緯がある。決して、イヌの観察記録から提唱されたものではない。しかも近年の研究によると、アルファオスの理論は野生のオオカミの群れではまったく通用しなかったことが確認された。イヌがオオカミから完全に分岐した種であることを考慮したとしても、野生のオオカミを説明できない欠陥的な理論をイヌに採用し続けるのは無理がある。

 イヌの社会には明確化された序列は存在しないと考える方が自然だ。五十匹のイヌの集団は一位から五十位まで厳密には決まっていないし、ペット動物が家族内の人間の序列を決めているとする説も科学的根拠に欠ける。それでもこの理論が世間で支持されているのは、力関係で全てが決まる構図は野生動物──理性なき獣のイメージにはうってつけだからだ。飼い犬に対しては「アルファオス=飼い主」の関係に切り替えれば、動物に対する自分たち人間の優位性を確立することもできる。

 世間の人々は、あくまでも人間を中心に置くことでしか動物を理解しようとしないのだろう。


 いつの時代も人々が信じるものは、真実により近いモデルを模索する科学サイエンスではなくて、簡単で受け入れやすいお話ナラティブなのだ。


 有名な「パブロフの犬」も被害者だ。

 パブロフの犬は誰でも「条件反射のこと」と物知り顔で説明できるが、この説を唯一の正義として掲げた行動主義心理学が現代の科学界ではめっきり衰退していることを知っている人は少ない。

 イワン・パブロフの発見──実験用のイヌが、食べ物が口に入る前から唾液を分泌することが多々あったという。そこで鐘を鳴らしてから餌を出すようにすると、イヌは鐘の音を聞いただけで唾液を分泌するようになった。パブロフはこれをイヌが餌と鐘の音の関連性を学習したと主張し、当時の科学界もそれを優れた学説として認めた。その後、パブロフの条件反射の理論を基に、動物は反射さえ制御すれば全ての行動を操れるとする行動主義心理学は広まった。

 ただし、この学説には誤りがあった。その後の研究によると、動物たちは因果関係のある刺激の関連性は学習できたものの、恣意的な関連性は学習できないことが明らかになったのだ。特定の餌を食べると腹を壊す事象や、レバーを倒すと餌が落ちてくる機構には明確な因果関係があるので動物たちは学習できた。それとは反対に、餌を食べている途中に前触れなく電気ショックを与えられるなど、二つの刺激の間にまったく因果関係がないものは何度繰り返しても学習できないという研究結果が報告された。人間以外の動物でも推論能力を有していると確認され、古典的な条件反射の理論は部分的に覆されたのだ。

 世間からこの事実が無視されている理由は、「パブロフの犬」の実験結果自体は正しいからだ。餌と鐘の音には明確な因果関係があるから、イヌは推論できる。ただ、当時の行動主義心理学者たちが主張したのは、関連性のない刺激でも短時間に同時に与え続ければ、いずれは両者を結びつけて学習するという極端なものだった。

 当然、二十一世紀にもなると行動主義心理学は凋落ちょうらくした。動物を対象にした科学的研究の大半は、現代では動物行動学やそれから派生した学問が占めている。


 それなのに──動物行動学者なのに、結局は犬人たちのいさかいを食べ物で収めることしかできない。私は自分に腹が立った。

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