童心の空白と空白の発狂

 こんな出来事がありました。


 久しぶりな友達との買い物にて、子供の頃に使っていたカードゲームのカードを目にしました。自分の中でとても懐かしく思い、久しぶりに見てみようかと自宅を探りました。が、奇しくも自分の記憶からそれの居場所に関する情報は消え失せており、見つけ出すことはできませんでした。


 前にも少し話したかもしれないですが、その時にはもう一度。

 数多の他人の中でこの出来事に対する反応といえば、普通に「どこおいたっけ?」と軽く悩んだ後、何も考えることなくその無意味な作業を終える、と言ったことでしょうか。

 しかし、自分の中でこの出来事はとても大きくショックを受けたものでした。自分の中で記憶が消えていることを改めて認識して、その時間の流れの強大さと自らの無力さを改めて実感しました。自分の中で、いずれ大切なものが消え失せていくのではないかと、恐怖心に抱かれました。


 自堕落を貪り、学校に行けなくなり、はや一年が過ぎようとしています。そんな空虚な毎日の中、自分の中で確かに何かが消えている。自分の中で大切であったものが消え失せることに、何の違和感も感じずに日々を過ごしてしまう。そんなものが実際に起こっていたことに、とても恐怖したのでした。



「人は不快な記憶を忘れることによって防衛する。」



 童心は、好奇心は、大切なものの記憶は、私にとって不快か。

 それは紛れもない悪であり、これを消すことが善なのか。

 こんなに空虚な善があるのか。


 自問自答無限苦言をそのままに嘆いている自分は、愚かなのでしょうか。



 今日はこんなところ。

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