「しょうがない」とは
今回は少し自分語りが過ぎるかもしれません。
私は、タイトルの通りうつを患っているみたいです。抑うつとかいうやつなんだとか。そのため、学校や部活に長く行けていない時期が続いています。
その最中、コンクールと言われる私の部活の大会の中で最も重要なものがありました。そのようなものがありながら、そのようなものにおいて重要かつ責任の重い位置で部活のパートを任されていながら、その抑うつによりその責任とかどうでも良くなっていて、簡単にすっぽかしてしまいました。
同級生は、私が来ないことに来てくれないのかと不安を寄せ、また来ることに関してもコンクールという生半可な気持ちじゃ済まないものに来るのかと不安を寄せ……、私の行動はどうもその同級生にとって救いようのない悩みになっていたみたいです。
部長である女の子(以後「彼女」と表現します)は、その責任の重い地位と抱え込みやすい彼女の性格とも相まって、かなり苦しんでいたようでした。彼女の発言曰く「(休んでいる私がそのコンクールへ)来ると言っても来ないと言っても、私(彼女自身)は泣きます」と。
以上が、先日私が聞いた私のいない間の世界観でした。このことを話してくれた方はこれに関して「きっと病気であなた(私自身のこと)は全てのことがどうでも良くなっていたのだから、彼女が泣いていてもしょうがない」とおっしゃっていました。
質問です。
しょうがなかったら、
彼女を泣かしていいのでしょうか。
私はうつです。かと言って名乗ったところでこの病気に関して私は私自身を信じられていません。この病気の名にあやかって結果サボりのようなことをしでかしたのではないかと今でも私自身を疑っています。
彼女は私のような人間に優しくするような人でした。どうも私如きじゃ救えないような、そんな重みを背負っている人でした。
私はそんな彼女を泣かせてしまったのでした。まるで私自身の存在が彼女を不幸にしているようで、私が私自身を呪う日々が続きそうです。
うつってなんなのでしょう。
私はうつという名の下に他人を不幸にしているのではないかと、私の存在は不幸の権化のようなものなのではないかと、とても終わりの見えない思考を繰り返しています。
こんなことを書いて、私は他人に救いを求めているつもりなのでしょうか。文の脈絡もクソもない文章で、他人に意見を求めているつもりなのでしょうか。
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