最終話

 私は部屋に飛び込んだ。そのままベッドに直行。枕を濡らす。

 いつの間にか私の意識は夢の中で、気が付いた時には朝を迎えていた。

「おはよう。」先に起きてゲームをしていた直希と朝ごはんの支度をしているお母さんとあいさつを交わす。おはよう。おはよう。

「お姉ちゃん。ちょっと待って。」

「何。」

「これ、昨日の夜調べたんだけど、精神科の病院。お姉ちゃん、唇と睫毛、治したいわよね?ごめんね。何も気づいてあげられなくて。今日学校終わったら一緒に行きましょ。」

「わかった。」

 母が提示した紙は、メンタルケアクリニックのチラシだった。今まで大学病院で勤務していた優秀な先生が最近開業したらしい。

「これ、直希。ゲームやってないで学校行く準備しなさい。」

「はいはい。」

「『はい』は一回でよろしい。」

母と弟の何気ない会話が私の心に重くのしかかる。中学校より小学校のほうが遠いので、直希は私より早く出発しなければならない。いつもランドセルを背負って駆けていく弟を、私とお母さんで見送る。今日も元気で頑張ってね、そんな思いを込めて。お母さんも弟が家を出てすぐに出勤する。だから、いつも私が戸締りをして、最後に出発する。誰もいないのだから学校をサボっても特に誰にとがめられるということもない。でも、私は意地でも毎日真面目に通っている。でも。

 今日くらいいいかな。

 理由はいくらでも作れる。昨日泣いて、目が腫れているのを見られたくないから。仮病を使ってもいい。英語、数学、国語、理科、社会。主要五科目なんて呼ばれているけど、人生でそんなもの必要?私は要らないと思う。もっと大事なものがあるはずだ。それなら、勉強に追われなくたっていいじゃない。サボったっていいじゃない。苦しいときは、休めばいいじゃない。

「お姉ちゃん?」

 あ、しまった。ボーっとしていた。母は心配そうに私の顔を見つめる。そして何事もなかったかのように直希に檄を飛ばした。

「直希!もう行く時間でしょ。また朝ごはん食べずに行くつもり?」

「別にいいだろ、腹減ってねえんだからよ。

 もう行く。」

「こら。ちゃんと食べていきなさいよ。」

「じゃ、母ちゃん。み、瑞希……。

 行ってきます!」

 私ははっとした。瑞希って呼ばれた。直希が私のことを「瑞希」って呼んだ。

 思わず涙が溢れる。その理由は、自分でもわからなかった。

「わ、私ももう行こうかな。」

「食べないの?」

「お腹すいてないや。ごめん。」

「もう。一生懸命作った意味がないじゃない。」

「行ってきます。」

「行ってらっしゃい。瑞希」

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綺麗な唇をください。 紫田 夏来 @Natsuki_Shida

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