第5話
自分の部屋に戻った私は、ベッドに転がり込んだ。右手人差し指の爪を、皮膚が剥がれかけたところにひっかける。そして親指と人差し指で皮膚を挟み込み、左に引っ張った。
ペリペリ ペリペリ
私の皮膚は剥ける。地肌が露出して、唇の動きを遮るものはもうない。そっと舌で剥いたところを舐めると、血の味がした。表皮だけでなく、皮下組織も傷つけてしまったようだ。痛い。でも、気持ちいい。
だからどうしてもやめられない。何度やめようとしてもやめられない。このペリッと剥いたときの、解放感?なんて言えばいいのかわからないけど、これが良くも悪くもクセになる。
今度は左手人差し指をめくれた部分に引っかけ、皮膚を剥いた。ペリペリ。ペリペリ。気持ちいい。気持ちいい。
そして、向ける唇の皮膚がなくなると、私はまつ毛に手を伸ばす。親指を人差し指で毛を挟んで、グイっと引っ張る。すると、プチっと毛根が私から分離して、さらにゆっくり引き出すと、一本の立派なまつ毛が取れる。
私は無我夢中で、毛を抜き続けた。
「お姉ちゃん、ご飯よ!」
「はーい。」階下まで聞こえるように、大声で返事をする。
音を立てずに移動して、リビングの扉を開けると、びっくりされた。
「うおっ!姉ちゃんもっと気配出してよ。」直希だ。
「なあ、姉ちゃん今日調子悪いん?」
「あら、そうなの、お姉ちゃん。」母も直希の発言に乗っかる。
「別に」
会話は途切れた。
両親は、私を「お姉ちゃん」と呼ぶ。違う、あんたの姉なんかじゃない。私はあんたの娘だよ。瑞希だよ。
「お姉ちゃん、また唇あれてるわね。ワセリン塗っときなさいよ。」
「わかってるよ」
「直希はそんなことないのにねえ。お姉ちゃんだけ荒れるん、なんでかね。」
「姉ちゃんよく口触ってるじゃん。それでしょ。」
「お姉ちゃん、あんま触っちゃいかんよ。」
「わかったわかった。」
母も弟も、私の唇に気付いているくせに、何もわからない。私の気持ちなんてわからない。だから私も、家族なんて信じない。信じる価値なんてないの、家族なんかに価値なんかないの!
「ところでさ、お母さん、私の名前漢字で書ける?」
「なに言ってんの。娘の名前くらい当然書けるわよ。」
「だよね。よかった。
だけど直希は、姉ちゃんの名前書けないってさ。今日家庭科の先生がさ、家族の名前を全員分漢字で書けるかって授業で話題にしたんだよ。まさか書けないわけがないと思ったけどさ、直希に聞いてみたら案外そうじゃないのね。お母さんはさすがに大丈夫でしょ。」
「そんなの、当たり前よ」母は唐揚げを口いっぱいに頬張った。
「うーん、この唐揚げ美味いわ。自分で作っといて変な感じだけど、本当においしい。」
お母さん、もう私の話に興味ないんだな。
お母さんは、私の話より、自分が作った唐揚げの自慢にしか興味がないらしい。
ああ、イライラする。こんなやつの子供に生まれたから、唇がボロボロになった。まつ毛も、抜きすぎてかなり少なくなってる。こんなの、全部、家族のせいだ。
「お母さん、私の話、まだ途中なんだけど。ねえ、私のことにも興味もってよ。」
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