第16話

 1時50分


「あ、あの、……柊梓の保護者代理で来ました。柊アオトです」

 ……お兄、ちゃん……?

「え、梓ちゃんのお兄さんなの?」

「かっこいー! モデルさんみたい!」

「なんか見たことあるような……」

 お兄ちゃんの入室とともに、教室が生徒の声で僅かな騒がしさを見せる。

「あのぉ、わざわざお越しいただいて申し訳ないんですけど、もう授業は終わりました」

「え!? あっ、ホントだ……」

 腕時計を確認し、お兄ちゃんは露骨に落ち込む。

 というかどうしてお兄ちゃんがここに来てるの?

 確か今日はドラマの収録があるって言ってたはずなのに。

 私が思考を巡らせていると、

「あーーー‼」

 一人のクラスメイトがお兄ちゃんを指さして叫ぶ。

「この人知ってる! 一昨日テレビで見た!」

 その発言が発端となり、

「え!? 有名人なの!?」

「すげぇええ‼ げーのー人来たぁ‼‼」

「マジで‼ やべぇええ‼」

 生徒が騒ぎ出す。

 今まで学校に有名人が来たことなんてなく、初めてのことに生徒たちは興奮で暴れるようにはしゃぐ。

「あれ、もしかして朝ドラに出てる人じゃない?」

「あっ! もしかして忠司役の?」

「あら、どうしましょう!? サイン貰っちゃおうかしら?」

 今度は生徒だけでなく、お兄ちゃんの存在を知っている保護者の人まで賑わいだす。

「お、落ち着いてください! ほら皆! 席に座って!」

 先生が事態を収拾しようとするも、もはや一教師では手の付けられない状態にまでなっていた。

 この混乱状態に、私もお兄ちゃんも戸惑っている。

 私はまだ状況すらよく呑み込めてないのに。

「ねえ! あの人梓ちゃんのお兄ちゃんなの!?」

「え、え」

「モデルさんなの? 俳優さんなの?」

「あ、あの」

「教えてよぉ! 梓ちゃん!」

「ちょ、えっと」

 やがて矛先は私の方に向き、怒涛の質問攻めにあう。

「ご、ごめん! ちょっと待って!」

 激しい攻撃に耐えかねて、私は自分の席を逃げ出すように立ち上がり、渦中の人であるお兄ちゃんの元へと向かう。

「お、お兄ちゃん。どうしてここに?」

「その、実は父さんと母さんが来れないらしくて、代わりに僕が」

 言いにくそうに視線を逸らしながら、お兄ちゃんは告げる。

お父さんとお母さんが来ない。

 それを聞けばショックを受けるはずだったのに、今は状況も状況で気にもならないことだった。

「そうじゃなくて! お仕事あったんじゃないの!?」

「ああ、抜け出してきた」

「抜け出したぁ!?」

「うん」

 抜け出したって、そんな……。

「だ、大事な収録なんでしょ!」

 初めてもらった大役だって、前に嬉しそうに報告してくれたのに、私の参観日のためなんかに抜け出しちゃうなんて。

 そんなことしたらいっぱい怒られちゃうんじゃ。

 私が心配していると、お兄ちゃんはポンポンと頭を優しく叩き、微笑む。

「妹の参観日に比べれば、収録なんてたいしたことないよ」

「っ!?」

 強がりで言っていることなんてすぐにわかった。

 きっとお兄ちゃんがここに来るまでたくさん悩んだはずだ。

 なのに、

 私はそれが——。

「今更来てもおせぇんだよ! バァアアカ‼」

 騒がしい教室を切り裂くように、一つの怒号が鳴り響く。

 声の主は亮太くんだった。

「両親来るって言ってたのに結局来なかったじゃねぇか! 嘘つき!」

「そ、それは」

 確かに、私が嘘をついてしまったことに変わりはない。

「だいたい、終わった後に来たって意味ねぇんだよ! バカじゃねえの‼」

「……」

 彼の怒鳴り声が怖くなり、お兄ちゃんの後ろに隠れ、私の肩辺りにある兄の服の裾をキュッと掴む。

「有名人の兄貴なんて連れてきやがって‼ 自慢でもしたいのかよ‼」

「そ、そんなこと」

 亮太くんの勢いに圧倒され、強く言い返せない。

 言い返したい気持ちと恐怖で手が震え、裾を掴む力はより一層強くなる。

 そんな私の手をお兄ちゃんは優しく握る。

 見上げる兄の顔はいつも以上に頼もしい。

「兄貴に任せな」

 そっと震える私の手を優しく剥がし、お兄ちゃんは亮太くんの元へと歩く。

「な、なんだよ……! や、やんのか!」

 急に自分より大きな相手に迫られたせいか、亮太くんは少し怯えながらも臨戦態勢を取る。

 温厚なお兄ちゃんのことだし、いきなり子供相手に殴りかかるようなことはしないだろうけど、一体どうするつもりなんだろう?

 と兄の言動を気にしていると、お兄ちゃんは亮太くんの耳元に顔を近づけ、何かを囁いているようだ。

 すると、その数秒後。

「なッ!? ち、ちち、ちげぇし‼ だ、誰がこんなブスッ‼‼」

 茹で上がった蛸のように真っ赤な顔で、亮太くんは何かを否定している。

 その様子をお兄ちゃんは微笑ましいものを見るように、ニマニマと笑っている。

 い、一体何を言ったんだろう?

「ば、バァアカ! バァアアカ! アホぉおおおお‼‼」

 捨て台詞のようにひたすら暴言を吐いた後、亮太くんは教室を飛び出してしまった。

「あっ! ちょっと! 亮太くん!?」

 それを追いかけるため、先生も教室を飛び出していった。

「お、お兄ちゃん……。一体何を言ったの?」

「いやぁ、それは僕の口からはちょっと言えないかな」

「……?」

 小悪魔めいた笑みで言葉を濁される。

 訳が分からない……。

 しかし、亮太くんのことよりも他に問題がある。

「ねぇ! お兄さん芸能人なの‼」

「ノートにサイン頂戴!」

「ずるいぃ! 私も!」

「わっ! み、みんな落ち着いて」

 雪崩のように押し寄せる生徒をお兄ちゃんが宥めようとするも、雪崩を一人の人間の力で止められるはずなどなく、勢いは増すばかりだ。

「あ、あの!」

「ん?」

 そんな人の雪崩の中、一人の存在にお兄ちゃんが気付く。

 って、伊万里ちゃん!?

 い、いつの間にお兄ちゃんのところに……。

「わ、私、梓ちゃんの友達の、伊万里っていいます。その、……いつもお世話になってします!」

 男子相手でも喧嘩するほど気が強い伊万里ちゃんが、お兄ちゃんの前ではか弱い乙女のようだ。

 確かにお兄ちゃんはカッコいいと思うけど、まさかあの伊万里ちゃんを……。

 お兄ちゃんは片膝をつき、伊万里ちゃんと目線の高さを合わせる。

「そっか、いつも梓と仲良くしてくれてありがとう。伊万里ちゃん」

「は、はい♡」

 お兄ちゃんの笑顔によって、伊万里ちゃんのハートは見事に射抜かれてしまった。

 アニメ的表現とかではなく本当に伊万里ちゃんの目が♡に見える。

 我が兄ながら、恐るべし……!

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