第2話

 

 そう思った日から、僕は学校へ行くのをやめた。

 自室に籠り、ただただテレビを眺めるだけの毎日が続いた。

 中学三年の三学期という大事な時期なのに、僕は日々を無意味に浪費している。

「お兄ちゃん、今日も学校休むの?」

 朝方からカーテンを閉め薄暗い僕の部屋の扉を開け、優しい声色で梓が声を掛ける。

「うん、ちょっと体調が悪くて」

 もうこの言い訳を二週間以上使っている。

「そっか、……じゃあ私学校行ってくるね」

「ああ」

 素っ気ない二文字で梓を見送る。

 梓が小学校に向かうと、僕は布団を頭からかぶり、テレビの電源を付ける。

 この時間帯はニュースか朝ドラくらいしかやっていない。

 僕は一通りすべてのチャンネルの番組内容を確認してから、朝のワイドショーを見る。

 別に、テレビが好きということはない。

 ただ、これしかすることがなかったのだ。

 何かをしていないと、今の自分の惨めさに耐えられないから、僕は薄暗い部屋でテレビを見続けている。


「ただいま」

 玄関から、梓の声が聞こえてくる。梓が帰ってきたようだ。

 トントン、と階段を上がってくる小さな足音。

 梓が僕の部屋へと向かってきている音だ。

 コンコン、と扉をノックする音。

「お兄ちゃん、部屋にいる?」

 扉越しから梓が尋ねる。

「いるよ」

「そっか、じゃあ今から晩御飯作るけど……その、今日は一緒に食べない?」

「……」

 ここ最近、僕は自室に籠りきりだ。

 それは食事の時も例外ではない。

 トイレ以外で僕が自室を出ることはなく、もう何日も梓と顔を合わせてはいない。

 そんな僕を気遣っての、誘いだった。

 ——けれど、

「いや、いい」

 断った。

 今は、誰とも顔を合わせたくない。

「……そっか、………じゃあ、いつもみたいに扉の前に置いておくから。ちゃんと食べてね」

「ああ」

 残念そうな梓に対し、僕はまた素っ気なく返してしまう。

 

 

 コンコン、というノック音で目が覚める。

「お兄ちゃーん、起きてる?」

「今起きた」

「そっか! じゃあ私学校行ってくるけど、夕飯リクエストとかある?」

「別に」

「そう? なら今日はお兄ちゃんの大好物のハンバーグにしちゃおっかな!」

「そうか」

 梓の声がいつもより明るい。

 どういう心境の変化なのだろうか。

「それじゃあ、いってくるねっ!」

「ああ」

 相変わらず僕は、素っ気なく返す。



 テレビを見ていると、「ただいまー!」というハツラツとした梓の声が聞こえてくる。

 トントントントン、と駆け足で階段を上ってくる音が続いて聞こえる。

 次に、バンッ! と勢い良く僕の部屋の扉を開ける音。

「お兄ちゃん、ただいま!」

「ああ」

 僕は振り返らず、テレビに目を向け梓の声を聞く。

「今日ね、お兄ちゃんに話したいことがいっぱいあるんだ!」

「そうか」

ガチャガチャとランドセルを開けながら「まずねまずね!」と待ちきれない様子で中身を漁る。

「じゃーん! テストで百点取ったんだ!」

「すごいな」

「えへへ、そうでしょ」

 空っぽな誉め言葉にもかかわらず、梓は嬉しそうだ。

「それでね、先生にも褒められたんだよ。私勉強できないけど、今日のテストのために頑張って勉強したんだ」

「そうなのか」

「うん! ——他にもね、いろんな話あるの。例えば~、……これっ!」

 梓は何かを取り出して僕に見せているようだが、振り返っていない僕にはテレビの画面しか映っていない。

「これね、友達の由美ちゃんと交換こしたんだ。可愛いでしょ、このキーホルダー」

「……」

 共感を求められるも、僕は無言だ。

「ほ、他にも話あるんだっ! 昨日の体育の時間に転んじゃったこととか、一昨日の音楽の授業でリコーダー忘れて先生に怒られちゃったこととか」

「……」

 梓の声色からは若干の焦りの色が見える。

 どうしてそんなに必死になってまで話を続けるのか、僕にはわかりかねない。

 それ故に、僕は——。

「あっ、そうだ!」

 何かを思い出したように、梓はまたランドセルの中を漁る。

「そう、これっ! 図工の時間で描いたんだ」

「……」

「これ誰と誰だかわかる? 下手っぴだからわかんないかもだけど、これ、お兄ちゃんと私なんだよ」

「………るせぇ」

「あんまり嬉しくないかもだけど、これお兄ちゃんにあげ——」


「うるせぇんだよッッ‼‼」


 手元にあったリモコンを投げつけ、怒鳴り散らす。

「きゃっ!?」と短く悲鳴を上げた梓は、その場にへたり込む。

 リモコンが当たったわけではない。

僕の怒声に驚いてしまっただけだ。

——こんなこと、しちゃダメだ。

「何なんだよさっきから‼」

わかっているのに、僕はまた声を上げてしまう。

理性のブレーキが働かず、僕は苛立ちに任せて声を荒げる。

「一体何がしたいんだよお前ッ‼」

「わ、私はただ——」

「いちいち話しかけてきやがって、うぜぇんだよッ‼ なんだよ! そんなに引き籠ってる兄貴に話しかけるのは楽しいのかよ!? なあ‼」

「そ、そんなこと——」

「どうせお前だって俺のこと惨めだってそう思ってんだろッ‼ 引き籠って学校にも行かずテレビばっか見てる兄貴の姿はさぞ滑稽なことだろうな‼ 第一なんで——」

 そこで、言葉が止まる。

 梓は、泣いていた。

 へたり込んだままこぼれ続ける涙を拭っているその姿は、儚く、今にも壊れてしまいそうだった。

「わ、私は、……うっ、……た、ただ、……ぐすっ、お、お兄ちゃんに、……元気になって欲しくて……」

 ……わかっていたんだ。

 最初から梓が僕を励ますためにそうしてくれていたと。

 でも、それを認めたくなかった。

 励まされれば励まされるほど、自分の存在が惨めで醜くなってしまう気がしたから。

 気を遣われれば遣われるほど、僕が憐れでしょうがなかったから。

 けれど、実際どうだろうか。

 認めなかった結果がこれだ。

 自分の唯一の味方さえ、……僕は傷つけてしまった。


 僕は自分本位な人間なんだ。

 そのことを痛切に感じる。

 励まされていることを認めるとか認めないとか。

 自分が惨めで醜くて憐れだとか。

 そんな自分のことばかり考えている。

 一体梓が、どんな気持ちで僕に話しかけてくれたかも知らずに。


 本当に、僕って最低だ。


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