第33話 後夜祭

「こんばんは、一条さん」


 宝石のような綺麗な双眸がこちらを向く。暗闇の中の赤い炎が八代さんの瞳にちらついている。


「えっと、久しぶりだな」

「はい。本当に」

「実行委員お疲れ」

「なんとか上手くいきました」


 小さく漏れる吐息。流石に本番の怒涛の忙しさのせいか疲れが見える。


 一度ゆっくり息を吸うと、八代さんは控えめに呟く。


「……どうして、あんなことしたんですか?」


 あんなこと。それは八代さんがいなかったあの日のことだろう。

 真っ直ぐに射抜く八代さんの視線があまりに痛い。逃れるように前を向く。


 どう、言えばいいのだろうか。自分の中の言葉を探る。いや、探るフリをする。


 パチリ、パチリと木の燃える音がやけに大きく聞こえる。その音に溶け込ませるように口を開く。


「……自分からそうしたかったからしただけだ」

「本当に?」

「ああ」


 疑う雰囲気が隣からひしひしと伝わってくるが、これは事実だ。自分が納得して、今回の選択をしたのは間違いない。


 分かりやすく、ため息が八代さんの口から吐かれる。


「私が休んだ日の前の日。一条さん、私に言いましたよね? もう一回舞達に頼めって。舞達が八代さんに協力するようにしておくとも言ってました」

「言ったな」

「正直、神楽坂さんが自分に協力するとは思えませんでしたが、実際登校してすぐに頼んでみたら、あっさり協力してきました。クラスの人達も協力的でしたし」

「……そう」


 白々しい言い訳の数々が頭に浮かぶが、見透かすような八代さんの視線がそれを発言することを許してくれない。


「随分私に同情的でした。なんでも一条さんが色んな女子を弄ぶクズ男で、そんな男に狙われて可哀想だとか。まさか、本当に一条さん、私のことを狙っていたんですか?」

「だったら?」

「そんなわけがないでしょう。接していれば私に興味がないのは分かりますから」

「でも、俺は確かにあの日、教室で八代さんのこと狙ってたこと宣言したぞ」

「それが本音とは限らないでしょう。その後、なぜか都合よく皆が私に同情して協力するようになりましたし、お陰様で文化祭も成功させることが出来ましたから」


 なぜか、と言っているが、八代さんの目が「分かっている」と訴えている。まあ、この1週間の視線から気付かれていることは、薄々察していた。


「私のため、ですよね?」


 眉をへにゃりと下げて、悲しむような、でも、どこか不満そうな問いかけがくる。もう、誤魔化すのは無理だろう。それなら。一度息を吐く。


「……確かに、八代さんのことが放っておけななかったからってのはある」

「こんなことをされて私が喜ぶとでも? 一条さんが悪く言われるようになって、変な誤解をされて」

「あれだけフッてきた相手なのに優しいな」

「それとこれは別です」


 視線を鋭くされて、肩をすくめる。


「……確かに八代さんのことを助けたかったってのはあるよ。けど一番の理由は別だ」

「別、ですか?」

「自分もさ、信頼出来る人を大切にしようと思ったんだよ。八代さんも言ってただろ?」

「それはそうですが……」

「元々さ、結構人間関係で問題が起きないように気を遣うことが多かったんだよ。だけど、そこまでして関係を保つ必要あるのかって思ってさ。結局、大事なのは、信頼出来る人だろ?」

「そうですね」

「だから、今回のは丁度良かったんだよ。面倒だった関係を全部終わらせられて、かつ大事な人を助けることが出来て。だから八代さんは気にしなくていい」


 語り合えて息を吐く。これで全ての想いは吐露した。


 結局、俺がしたことは自己満足で自分のためで。そのために今回の機会を利用したに過ぎない。

 何か機会がなければ人間は変わろうとしない。今回がたまたま自分にとってそのきっかけだった。


「八代さんには感謝してる。こういう関係もあるんだって気付かせてくれて、変えるきっかけをくれてさ。本当にありがとな」

「……そういうことですか」


 ゆっくりと頷き、そう呟く。それから一度目を伏せて、それからもう一度こちらを向いた。


「分かりました。一条さんがそう言うのなら、仕方ありませんね。納得は出来ませんが理解はしました。でも一条さんの誤解だけは解かせてもらいますから」

「いや、別にそれは放っておいても」

「ダメです。一条さんが悪く言われるのは許せません。文化祭までは準備を進めるために、そして一条さんがそう望んでいたので我慢していましたが、これからは遠慮する必要がなくなりましたし、どんどん言わせてもらいます」

「せっかく、クラスで浮かなくなったのにか?」

「別に、浮いていても気にしませんから。それは一条さんが分かっているでしょう?」


 強気な瞳がきらりと輝く。

 ああ、まったく。本当にブレない人だ。いつだって変わらない八代さんに苦笑が零れる。闇夜の炎の明かりに照らされる八代さんが綺麗に見えた。


「あれー? 二人で何してるの?」


 突然、話し合っていた俺たちの間に一つの声が割り込む。声の方向を向くと、舞がこっちに歩いてきていた。

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