第32話 文化祭

 校内に包まれるざわざわとした人の賑わい。活気が満ちる高揚感。普段学生のみの場所に見知らぬ老若男女が行き交う光景。ああ、文化祭が始まったのだと思う。


 人とぶつからないように避けながら廊下を歩く。するり、するりと間を抜けて、各教室を軽く覗く。


 ジェットコースター、お化け屋敷、劇。カフェにプラネタリウムなんてものまで。去年も見た出し物が各教室では行われていた。


 中には色んな衣装に身を包んだ人たちも沢山いた。皆楽しそうに接客をし、呼び込みをかける。中には入り口前に列が出来始めているところもある。自分のクラスはどうだろうか?


 自分の担当は午後からで、すぐに教室を後にしたのでどんな調子なのかは分からない。あれだけ八代さんが頑張って完成まで進めたのだから、上手くいって欲しい。


(……屋上にでも行くか)


 自分の担当の時間まではまだまだ時間がある。特に何かしたいことがあるわけでもない。そういった人が時間を潰す場所として旧校舎の屋上はかなり有名だ。


 行ったことないし、丁度いい。そう思って足を向ける。


 旧校舎の四階は出し物が入っておらず、人気はほとんどない。そのためそこから続く屋上もあまり人が来ない。


 先ほどの打って変わって、静かな廊下は異様に足音が響く。かつん、かつん、と。遠くの騒ぎ声にはっきりとした足音がくっきり浮かび上がる。


 階段を登った先、屋上を隔てる僅かに錆びついた鉄扉を開ける。蝶番がうるさく鳴いて、涼しげな風が頬を撫でた。


 ぽつぽつと何人かがベンチに座っている。周りは白のフェンスで囲われ、安全は意外としっかりしているらしい。

 そっと寄って見下ろすと、校門から入ってくる人だかりが見えた。


 空いていたベンチに腰を下ろす。


「はぁ」


 まさか、今年の文化祭がこんな形で過ごすことになるとは思わなかった。去年の自分なら想像もつかないだろう。


 去年はずっと色んな人と出し物を見て回っていた。やはり途中で気を遣ってしまうことが多くて息苦しかったが。


 そう考えると今年は身体が軽い。縛るものは何もなく息がしやすい。

 身体を預けていたベンチに横になる。見上げた空は青く、雲一つない。最近は寒くなり始めていた空気もほのかに暖かい。絶好のお出かけ日和だ。


 こんなにゆっくりするのはいつぶりだろうか。


 最近のような気もするし、凄く久しぶりのような気もする。……ああ、八代さんの隣でぼうっとしていた時と似ているのかもしれない。


 あの時間。何にも気にすることなく、ただ庭の景色を眺めていた時間は、自分が思っていた以上のものだったらしい。

 つい一、二週間前のことなのに、もう随分前のことのように思える。なぜかあの時間が無性に恋しい。


 ぼんやりそんなことを考えていると眠くなってきた。ぽかぽかの陽気が微睡を誘う。眠りに落ちる直前、膝に猫を乗せて撫でる八代さんの姿が浮かんだ。


♦︎♦︎♦︎


 階段に腰をかけ、ぱちり、ぱちり、とグラウンドで燃えるキャンプファイアを遠目から眺める。


 文化祭自体はあっという間に過ぎていった。去年も思ったことだが、こういう行事の時間が過ぎるのは本当に早い。

 去年よりも空いた時間は遥かに多かったはずだが、過ぎてみると一瞬だ。


 自分のクラスの出し物は十分成功したと言っていい。次々と訪れるお客さんに、料理を出すので死ぬほど忙しかった。

 ずっと列は消えず、メニューを提供しても提供しても全く減らなかったし、いつ終わるのかと戦々恐々だった。


 自分は裏方の提供準備を担当したが、多少気まずそうにされることはあっても、忙しさのおかけがそれ以上のことは何もなかった。……意外とこんなものなのだろう。


 衣装は想像以上に好評で、男だけでなく、訪れた女性からも可愛いと好評だった。3種類のパターン分けもアクセントになって評判は良かったらしい。


 ただし学校の男子が八代さんのウェイトレス姿が見れないと阿鼻叫喚だったことは置いておく。


 今は後夜祭の時間で、キャンプファイヤの周りを仲の良さそうな男女が二人組になって踊っている。去年もあった光景だが、こうして外から眺めるのは初めてだ。


 ただぼんやりと火を眺めているのも、案外楽しい。不規則な揺らめきが暗闇の中で浮かんでは消えていく。祭りの高揚が収まっていくように。名残が辺りに漂う。


 無事文化祭も終わったことだし、これでひと段落するはず。今日も昼間はずっと八代さんは忙しそうにしていたが、明日から落ち着くだろう。


 殆どあれから話していない。自分から避けていたこともあったが、八代さん自身が忙しかったことも大きい。


 落ち着けばまた猫を撫でに来るだろうか? 


 来そうな気もするし、もう来ない気もする。

 あれだけココアにご執心であれば、飽きるはずはないだろうが、自分が避けていることは向こうも気付いているだろう。

 何より教室での発言を知って近付こうと思うとは思えない。


 自分のあの選択を後悔はしていないが、やはり八代さんとの時間が失われるのは、もの寂しい。


「はぁ」


 あれだけ安らげる時間は他に無かったし、散々振られてきたが、妙な会話も振り返ってみれば楽しい時間だった。


 そんなことを振り返っていた時、隣に腰掛ける気配を感じた。


「……八代さん」


「こんばんは、一条さん」


 黒髪を手で耳にかけてこちらを見る八代さんが隣にいた。

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