第31話 文化祭準備

 文化祭の準備は順調に進んでいる。もう明日まで迫ったが、衣装の準備は万端に終わり、あとは教室の飾り付けのみ。あと一時間もすれば終わるだろう。


 黙々と進む準備の傍らで、一人で教室の隅で佇む。


 誰も自分に視線を向けない。意識して逸らしているそんな雰囲気。無視されている。


 俺に関する色んな噂も校内に広がっているみたいだが、陰口程度。露骨ないじめのようなものはない。


 時期が文化祭前というのも大きいのだろう。他に大きな話題が有れば、下衆な話題は広がりにくいし、悪化しにくい。


 散々気を遣い、相手の期待する反応をしてきたこれまでと比べれば、はるかに現状は身軽だった。


 手持ち無沙汰を解消するため、読書に耽る。


 教室の内装組の手伝いをしようかとは思ったものの、今の自分があの中に割って入るのは邪魔にしかならないのだから、これが最善の選択だろう。


 これまで教室で一人で本を読むなんてなかった自分にはなかなか新鮮な体験だ。


 そこに、凛とした声が割り込む。


「一条さん」


「……なに?」


 顔を上げると、絹のような下ろした黒髪を揺らす八代さんがいた。目を合わせると、八代さんは気まずそうに瞳を揺らす。


 八代さんが学校を休んでから話していないので久しぶりの会話だ。


 準備の中心ということもあって、この1週間八代さんはずっと忙しそうにしていた。


 それはつまり、ココアを撫でにくるということもないわけで。教室で接点を持たない自分が、八代さんと話す機会はこの1週間一度も訪れていなかった。それに。


 ……俺が避けていたこともある。


 久しぶりに正面から見る八代さんは、以前と違い顔色は良さそうだ。


「一条さん--「八代さん、何してんのー? 蓮なんてほっときなよー」」


 口を開いた八代さんの声を遮る一つの声。黒板近くの机に座って舞がこっちを見ている。舞はぷらぷらと足を遊ばせ、髪を弄る。


 どこか嗜めるような口調にちくりと空気が尖った気がした。隣の悠真がその雰囲気に言葉を溶け込ませる。


「八代さん気をつけなよー。そいつ、八代さんを弄ぶために狙ってたみたいだしさ。それより、こっちきてこの後のこと教えてよ」


 悠真の掛け声に、八代さんは悠真に視線を向ける。


「一条さんはそんな人じゃ……」


「えー? でも、本人が言ってたんだぜ? なあ?」


「ああ、そうだよ」


 嘲る悠真の言葉を認めるのは癪だが、事実なのは間違いない。当然、と投げやりに頷いてやる。

 

 なぜか八代さんは困ったように眉をへにゃりとさげた。何か言いたそうに、何度も迷うように瞳を揺らす。


 でも、今彼女の言葉を聞く必要はない。俺は俺の選択をしただけなのだから。


「……呼ばれてるし、行ってこいよ」


「ですが……」


「文化祭を成功させるのが、八代さんの仕事だろ。俺なんか庇ってどうするんだよ。早く行け」


 しっしっと手を振って追い払う。本に視線を戻し、会話を終えたことを態度で示すと、足音が去っていく。


 これでいい。下手にこんなところで関わって、順調に行っている今を壊す必要はない。そんな言い訳が頭に浮かぶ。


 それが誰に対する言い訳なのか、分かっているはずなのに。去り際の困り顔の八代さんの表情を無理やり頭から追い出した。

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