第23話 猫カフェ

「はい、どうぞ」


「おう、ありがとう……」


 一応ラッピングが施された枕を手渡された。

 既に中身は分かっているのだが、贈り物としての儀礼的なものだろう。


「ぜひぜひ使ってみた感想を聞かせてください」


「おう。分かった」


「微妙だった時は私が引き取りますので安心してください」


「流石に貰ったものを返すなんてことはしないよ。一応これでもお礼として貰ったんだから」


 八代さんのごり押しで決まったとはいえ、一応貰ったものだ。人から貰ったものを突き返すほど失礼なことなど出来るはずがない。


「そうですか。猫枕を使うなんて、これで一条さんも猫好きの一員ですね。ようこそこちらの世界へ」


「いや、勝手に巻き込むのやめて?」


 八代さんはまるでもう仲間とでも言いたげだ。

 呆れてため息を吐けば、八代さんは赤い唇を尖らせる。


「いいじゃないですか、ちょっとくらい。素直じゃないですね」


「素直もなにも猫好きではないんだけど?」


「まったく。認めようとしないなんて、ツンデレですか? 男のツンデレは需要ないですよ?」


「……もうツンデレでいいや。それより猫カフェ行くんだろ?」


「あ、そうでした! 一条さんをからかっている場合ではありませんでした。猫カフェに行かないと」


「え、今聞き捨てならないことが聞こえたんだけど?」


 俺のことからかってたの? 本気で俺を猫好きに仕立てあげようとしているように見えたんだけど。


 八代さんはもう俺のことなど意識にないないようで、猫カフェに意識が向いている。

 よほど楽しみなようで、心なしか顔が輝いていた。


「猫カフェは駅前に入ってるみたいだし、戻るか」


「分かりました。早く沢山の猫ちゃんたちに会いたいです」


 いつになく目は丸く、声は明るい。ここに来たとかよりも早足で来た道を戻り出す。足取りはとても軽かった。


 駅前に戻り猫カフェの場所を調べると、どうやら猫カフェは駅ビルの5階に入っているらしい。

 エスカレーターで目的の階まで登る。


 前に立つ八代さんの後ろ姿をぼんやりと眺めながら、ゆっくり登っていく。

 時々彼女の綺麗な後ろ髪が揺れる。一体なんなんなのか。

 そっと足元に視線を下ろすと、八代さんは両足をぴょんぴょんと、踵をつけた状態からつま先立ちになって跳ねている。


 そんなに楽しみなのか。そっと八代さんの影で苦笑いを浮かべた。


 新しく出来た猫カフェは、意外と外観は普通のカフェだった。扉を開けて中に入る。

 待ち受けていたのは受付。その奥で猫たちがうろうろ歩いているのが見える。


 まずは1時間分だけにして、中に入れてもらう。受付からは見えなかった部屋全体が明らかになった。


 キャットタワーが3本立ち、真ん中には机、壁際には小屋がいくつも並んでいる。

 それらの至る所で、さまざまな猫たちが呑気に過ごしていた。


「わぁ!沢山います! 一条さん! 猫たちが沢山いますよ!」


「そりゃあ、猫カフェなんだからいるだろ」

 

「こんなに沢山いるの初めて見ました。ここが桃源郷……。私はここに来るために生きてきたんですね」


 しみじみと感動した様子で呟く八代さん。妙なセリフはかなり危うい。成仏するんじゃないだろうか?


「おい、勝手に人生を全うするんじゃない」


「はっ! そ、そうでした。猫たちに囲まれて暮らすという私のプランがまだでした」


「そんなこと考えてたのか……」


 変わらない猫好きっぷりに呆れつつも、どうやら正気を取り戻したらしい。

 ぱっちりとした瞳で、可愛らしい猫たちをじっと眺めている。


「どうした? 触りに行かないのか?」


「触りたいですけど……」


 何やら言い淀み、はっきりとしない。

 それでも触りには行くようで、恐る恐るゆっくりと一番近くにいた三毛猫に近づいていく。


 一歩。また一歩。驚かさないように足音に気をつけて優しく寄る。

 だが、残りあと少しとなったところで、三毛猫はしゃーっと威嚇して逃げ出した。


「あっ……」


 しょんぼりと肩を落とす八代さん。名残惜しそうに遠くに行ってしまった三毛猫を見つめる。


「あー、本当に猫に嫌われるんだな」


「だから、そう言ったでしょう」


 触らなかったことが不満だったようで、ちょっぴりとだけ語気が強い。


「なんでそんなに嫌われるのかね」


 八代さんの警戒のされように首を傾げる。別に八代さんの近づき方が悪かったわけでもないし、こういうお店の猫なら人懐っこい猫が殆どだろう。

 不思議でついぼやいていると、足元をくすぐる感覚があった。


「あっなんか来たぞ」


 足元をうろつくグレーのブリティシュショートヘアの猫。すりすりと甘えるように身体を寄せてくる。

 人懐っこい姿はとても可愛い。身体も撫でさせたもらえるようで、快く俺の撫でを受けてくれる。


「ず、ずるいです」


 顔を上げると羨ましそうにこっちを見る八代さんがいた。猫に気を引かれて忘れていた。


「八代さんも撫でてみたら?」


「そ、そうですね。では……」


 俺の隣に屈んで白い陶磁のような手を近づける。俺に撫でられているおかげか、今度は猫は逃げ出さない。

 もう少しで触れられる。そう思った時だった。


 バシッと猫パンチが八代さんの手に飛ぶ。猫はプイッとそっぽを向いて離れていってしまった。


「な、なんで……」


 引き止めるように八代さんは手を伸ばすがもう猫はいない。恋人に振られた人みたいだ。


「ほんと嫌われすぎだろ」


 次の猫を探して、八代さんから離れる。ちょうど中央にいた白い綺麗な猫がこちらを向いていた。


 屈んで呼んでみると、とことこと寄ってきてくれる。そっと毛に手を触れさせた。


 白い毛並みはふわふわとしていて心地いい。思わず息が漏れだす。

 猫の方も気持ち良さそうに目を細めているので、まだ撫でさせてもらえるだろう。


 何度も手を往復させて、心地いい毛並みを堪能していると、空いていた左手に擦り寄る気配があった。

 今度は真っ黒な鋭い目の猫だった。こちらも撫でて欲しそうにしているので、左手で撫でてやる。


 屈んでいるのも疲れるので、あぐらで床に座り直す。するとさらに、もう1匹薄茶色のココアに似た猫があぐら上で丸くなった。


「うぉっ」


 思わず声が漏れ出てしまった。なんか凄い寄ってきてないか?


 どうやら気のせいではないようで、既に3匹を相手にしているというのに、4匹目が俺の右太ももにお尻をつけて座り込んだり、5匹目が背中をすりすりする感覚がある。


 最近ココアに相手にされなくなっていたので、ここまで寄って来られるのは悪い気はしない。

 ついにやけそうになるのを抑えながら、全員を相手し続けた。


 少しの間夢中で全員の猫を撫でていたのだが、ふと前に立つ気配がして顔を上げる。


 そこには、口をきゅっと結び、眉を寄せる八代さんがいた。


「ど、どうして一条さんがそんなにモテているんですか……!」


 羨ましそうに目を細めて、俺が猫を撫でているのを眺めている。

 どうやら八代さんは全敗したようで周りに一匹も猫はいない。寂しい雰囲気を纏っていた。


 普段、八代さんは俺からココアを勝ち取るとドヤ顔をしてくる。それが微妙に悔しかったが、今は立場が逆だ。

 つい口角を上げる。


「あれ? 八代さんは猫にフラれちゃったみたいだね」


 八代さんの口元がさらに強く結ばれる。悔しさを滲ませて俺を睨んできた。


「……つ、追放です。一条さんは猫好き達の世界から追放します。もうクビです」


「いや、入った覚えはないんだけど……」


 さっき勝手に入れておいて、今度は追放らしい。ちょっと、勝手すぎない?


 あまりに理不尽ではあったが、八代さんの悔しそうな表情を見れたことでチャラにしておこう。


 その後も何度も羨望の眼差しを向けられたが、日頃勝ち誇られている分をやり返せたので満足だった。


 



 


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