第15話 赤面

「あー、その、俺の家の中で撫でるか?」


「は?」


 一瞬で険しい表情を浮かべる八代さん。彼女の警戒がありありと伝わってくる。


「えっと、確かに最近は一条さん相手ですと、少し気を許していたかもしれませんが、それはあくまで友人という意味です。そういうのは遠慮してもらえると−−−−」


「はいはい。狙ってない狙ってない」


 もうフラれるのは慣れた。今回は特に予想していたし。

 それにこっちとしても、相手が勘違いして好意を持っていないのがわかるので楽だ。


 もはや気にもならず雑に扱うと、八代さんは少し不満そうに唇を尖らせる。


「なんですか。その雑な反応は」


「いや、だってもう何回フラれたと思ってるんだ。流石に慣れるって」


「なるほど。慣れてしまいましたか……はっ!フラれているのにショックを受けないなんてまさかM!?」


「ちょっと、八代さん?」


 八代さんはドン引きした表情を浮かべて一歩俺から離れた。失礼すぎる。流石に俺でも怒りますよ?


「変な勘違いはやめてくれ。ただ単に興味がないってことだから。安心できるだろ?」


「それはそうですけど」


「とにかく、今はそんなことはどうでも良いんだよ。家に撫でに来るかって話。まあ、八代さんが警戒するのは分かっていたし、別に一応提案してみただけだから。今日撫でなきゃいけない訳ではないんだし、忘れてくれ」


 元々八代さんが提案にのってくることは期待していない。一応言ってみただけ。自分の罪悪感を薄めたかったのも大きい。その意味では提案した時点で十分だ。


 かぶりを振って歩き出そうとすると、袖をクイっと引かれた。

 振り返ると、八代さんが俺から顔を逸らしてぷいっと横を向いていた。その横顔には僅かに赤みが差している。


「……待ってください。別に嫌とは言ってません。一条さんが私のことを眼中に入れていないのは分かりましたし、それなら猫ちゃんを一条さんの家で撫でるのもやぶさかではありません」


「おい、良いのか? 男の家だぞ?」


 まさかの乗り気に、提案したこっちの方が不安になる。わかっていないことはないだろうが……。


「ココアちゃんを撫でられるなら構いません。それに万が一手を出してきた時は、然るべき手段を取るだけなので。潰します」


「あ、そうですか」


 鋭く睨まれれば、万が一にもそんなことができるはずが無い。


「まあ、一応あれだし、玄関のところで撫でる感じならいいか?」


「そうですね。そうしてもらえると私としても気が楽です。夜も遅いですから、軽く撫でるだけですし」


「本当かよ。軽く撫でて終わるやつが、わざわざ男の家に入ってまで撫でようとは思わないだろ」


「……何か言いましたか?」


 低めの声で威圧され、その顔には「もう言うな」と書いてある。なので気を遣い「いや、なんでもない」とそれ以上追及するのをやめた。……決して怖かったからじゃないです。


 家へと到着して、玄関へと案内する。庭には何度も案内したが、玄関になると新鮮で変な感じだ。扉を開けて中に入る。


「お邪魔します」


「ああ、そこに座ってくれ」


 玄関には段差があり、そこに座ってもらう。靴を脱いでココアを連れて来ようとすると、ココアがやってきた。


 アーモンドの吊り目が俺を見て、その後俺の後ろにいる八代さんを認識する。「にゃー」とどこか甘えた声を上げた。


「あ、ココアちゃん」


 名前を呼ばれてココアが翔り寄る。一切こっちを見ずに、八代さんの元へと通り過ぎて行った。

 もうこれ、俺のこと眼中にないですね。


 ココアは八代さんに身体を寄せて擦り付けている。八代さんも嬉しそうに表情を緩めながらココアの身体を撫でていた。


「もう完全に八代さんに懐いてるな」


「はい。これならココアちゃんが私のものになる可能性も−−−−」


「いや、だからあげないからね?」


 どさくさに紛れてなんてことを考えているんだ。油断も隙もないな。


「そういえば、ココアちゃんは何歳なんですか?」


「確か今年で4歳かな?」


「おお、まだまだ若いですね」


「これでも最初来た頃に比べたら大きくなったんだけど」


「子猫ってことですか?」


「ああ。小さい頃はそれで可愛かったぞ。見るか?」


「あるんですか!? ぜひ!」


 顔をパァっと輝かせて食いついてくる。乗り気になるとは思っていたが、相変わらず食いつきが凄い。ほんと、猫が関わるとちょろい子になるな。

 少しだけ悪い人に騙されないか、心配してしまう。


 ポケットからスマホを取り出して、昔撮った写真を表示した。まだ来たばかりの幼い小さい頃の写真だ。カメラを見て不思議そうにきょとんとしている顔がまた可愛らしい。


「わぁ! すごく可愛いです!」


 八代さんが瞳をきらきら輝かせながら、俺のスマホの画面を食い入るように見つめてくる。画面に集中しているせいで、微妙に身体が近い。女の子らしいフローラルな香りが鼻腔をくすぐった。


「次、次をお願いします」


「お、おう」


 急かされるままに次の写真を見せる。それにまた八代さんが感嘆の声を上げ、別の一枚を急かされる。そんなことが何度か続いた。


(近いし……当たっているんだが)


 あまりの興奮具合に八代さんが我を忘れている。そのせいで隣に座る八代さんの身体が俺に当たっていた。


 指摘するのはこっちが意識しているみたいで憚れるが、かと言って黙っているのも良くない。


「八代さん、ちょっと一回落ち着こうか」


 嗜めるように忠告を入れて、身体をさりげなく離す。そこでやっと八代さんが正気を取り戻した。


「あ、えっと、すみません」


「いや、冷静になったならよかった」


 まだ完全に興奮が収まったわけではないだろうが、幾分か声は落ち着いている。


「はい、これ。今見てるフォルダが全部ココアの写真だから、勝手に見て良いよ」


「え? 別に一緒に見て構いませんけど……」


 もう一度くっつくような状態にならないように。そう考えて提案したのだが、八代さんは不思議そうに首を傾げる。


「いや、八代さんだけで見てよ」


「そうですか? でもどうして急に……あっ」

 

 顔を薄く桜色に染めて固まる八代さん。どうやら気づいたらしい。瞳を揺らし、どこか躊躇うようにしながら上目遣いにこっちを見上げてきた。


「えっと……もしかしてくっついてたりしましたか?」


「あ、ああ、まあな」


 八代さんの動揺がこっちまで移ってしまう。僅かに顔が熱くなる。


「どうして言ってくれなかったんですか。ま、まさか私の身体を堪能するために……」


「いや、指摘したら、それこそ俺が八代さんのことを意識しているみたいになるだろ」


「それは、そうですけど。でも、やっぱり指摘しないなんて一条さんは変態さんですね」


 顔を赤らめ、羞恥を滲ませながら罵倒してくる。そっちからくっついてきたのに理不尽すぎない?


「……とにかく、これからは気をつけてくれ」


「はい。すみませんでした」


 一応は自分に非があるのはわかっているようで、八代さんは素直に頭を下げた。

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