第12話 意外な顔
その日の放課後、八代さんが家の前にいるか分からなかったが、帰ってみるとちょうどやって来ていた。
興味津々にココアを眺める八代さんの表情は心なしか明るい。
ぱっちりとした透き通る瞳がココアの動きを捉え、その動き合わせて僅かに動く。ちょっとだけ口が開いて、「おお」とでも言いだけにココアに釘付けだ。
全然周りが見えてないみたいだけど、大丈夫か?
こんな道端で、容姿の優れた奴が周りへの注意を払っていないというのは危うい。毎度のことながら、少し心配してしまう。
今もこんなに近づいているのに気付いた気配がない。
「八代さん」
「あ、一条さん。こんにちは。今日もココアちゃんを撫でさせてもらっていいですか?」
こちらに目を向けた表情に、かつての警戒の色はほとんどない。前に八代さんの家に訪れた時に聞いたが、やはり無害程度には思ってくれているらしい。
いつものように頷いて、八代さんを庭へと案内した。
ベンチに座ると、慣れたようにココアが寄ってくる。もう俺など相手せず、八代さんの膝上へと当たり前のように収まった。
ちょっと。誰が飼い主なのか、わかってますか?
少しだけ不満を乗せて視線を送る。だが、ココアは全く意に介さず、気持ちよさそうに八代さんに撫でられるだけ。
あとでちゃんと言い聞かせておくとしよう。
隣の八代さんはココアを撫で始めると、癒されているように表情を僅かに緩ませる。
どこか気の抜けた雰囲気で、周りにぽわぽわと花が舞っているようにさえ思えた。
「ほんと猫好きなんだな」
「はい。それはもう。まさかこんなに懐いてもらえるなんて夢みたいです。これまで近づくだけで警戒されてばっかりでしたから」
緩やかに目を細めて、優しくココアを見つめる八代さん。嬉しくて仕方がないらしい。
ここまで嬉しそうにされれば、こっちとしても満更でもない。
「一条さんは何か好きなのあるんですか?」
「俺か? 俺は寝るのが好きだな」
「睡眠、ですか?」
八代さんは、きょとんとして首を傾げる。その動きに合わせて、さらりと髪が揺れて煌めく。
「ああ。ふかふかのベッドに低反発の高級マクラでぐっすり眠るのは最高だぞ」
「はぁ、なるほど」
頷きながらも、眉を僅かに顰めて怪訝そうに目を細める。理解できないとでも言いたげだ。なぜ?
「昼寝も最高だぞ。特に授業中のあのうつらうつら眠る感じもなかなか筆舌に尽くし難い」
「それがテスト前のピンチを招いていたのでは?」
呆れたようなため息を吐く八代さん。図星過ぎて耳が痛い。正論は暴力ですよ?
「うるさい。赤点は取ってないんだからいいだろ」
「今回も大丈夫だったんですか?」
「ああ。今回はいつもよりかなり点数取れたし。八代さんからもらったノートとプリントのコピー、凄い役に立ったよ。ほんとありがとう」
「それなら良かったです。教えた甲斐がありました」
ほっと安堵の息を吐いて、ほのかに口元を緩めた。
「そっちも今回学年で一位取ってたよな。おめでとう」
「ええ、確かに今回も一位でしたが……はっ!?」
八代さんは目を丸くして、一歩身体を俺から遠ざける。いつもの反応。これ、フラれるやつだ。
フラれるのに慣れ始めている自分ってなんなんだろう。そんな疑問が頭を過ぎる。
「もしかして口説いていましたか? ごめんなさい。確かに一条さんは悪い人ではないとこの前言いましたけど、別に恋愛対象として見ているわけではないです」
はっきりと潔く想いを吐露され断られた。いっそ清々しい。
「違うっての。普通に凄いなって思っただけだ。八代さんって凄い勉強頑張ってるだろ? その努力をちゃんと結果として出しているのは尊敬するなって思ったんだ。だからおめでとう」
勉強を教えてもらった時、彼女の人に見せない努力の姿を垣間見た。真剣な表情で机に向かっている彼女の姿は今でも鮮明に目に焼き付いている。
美しくかっこいい。そう強く思えるほどのものだった。
別に特別ななにかをしているわけではない。当たり前のことを当たり前にしているだけ。
でも、その努力はなかなか人に出来ないもの。それをこなしてきちんと結果に残しているのは、尊敬に値するものだ。
それらの想いがあって伝えたのだが、なぜか八代さんから反応が返ってこない。
八代さんは目をぱちくりとさせて固まり、ココアを撫でていた手までも止まっている。
透き通った綺麗な煌めく瞳をこちらに向け、何度も瞬いた。
ようやく表情が動いたかと思うと、きゅっと口元を結ぶ。ぷるんとした唇を窄ませて、それからゆっくりと言葉を紡いだ。
「……ありがとうございます」
「ああ。どうかしたのか?」
「いえ、なんでもないですよ」
八代さんの反応は不可解な反応であったが、それ以上何かを話す気はないらしい。視線を俺からココアに戻す。そしてまたゆっくり撫で始めた。
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