第8話 唐突な提案

「じゃあね、蓮くん」


「蓮くん、ばいばーい」


「ん、じゃあね」


 放課後になり軽く話し合えると、何人かの女子たちと挨拶を交わして学校を出る。


 外はまだ明るく太陽が輝いていたが、かなり傾いている。伸びた影も長い。ようやく日が短くなってきていることを実感し始める。


 校舎を離れ、歩道の光と影を何度か行き来して進んだところで、やっと笑みを緩めた。


「……はぁ」


 ようやく一日が終わった。今日も上手くやれたことにほっとする。人間関係というのはどうにもめんどくさい。気を使うことが多すぎる。


 僅かに重くなった足を動かして、帰路を辿っていく。家の前まで来ると、見慣れつつある光景が繰り広げられていた。


 八代さんがココアを相手に猫じゃらしで構っている光景。右に。左に。猫じゃらしの動きに合わせてココアも動く。


 八代さんは猫に夢中になっているのか、こちらに気付いた様子はない。彼女が腕を動かすたびに、綺麗な髪が星の如く煌めく。

 ちらりと見えた横顔は、無表情ながらもどこか楽しそうに見えた。


(……よく飽きないな)


 ココアも八代さんも同じことの繰り返しだろうに、どうしてそこまで夢中になれるのか。八代さんの猫好きに半ば呆れるしかない。


「よう」


「あ、猫の人」


「猫の人?」


 おい、今猫の人って言ったか? 俺の聞き間違いか? 


「あ、いえ、なんでもないです。こんにちは、一条さん」


「いや、誤魔化せてないからな。今、猫の人って言っただろ」


「……言ってませんよ?」


 ジト目で睨んでやると、気まずそうに横に視線を逸らす八代さん。ちょっと、バレバレですよ?


 まさか、本当に猫の人と思われているとは。俺は猫のおまけかよ。妙な勘が当たったことにため息が出る。


「……まあいいや。それで、今日も撫でていくか?」


「はい。一条さんが良ければ」


「ああ、大丈夫」


「ありがとうございます」


 これでまた猫の人って思われるんだろうな、と考えながら庭へと案内した。


 庭に入ってベンチに座ると、ココアが嬉しそうに一目散に寄ってくる。


「おいで、ココア」


 いつものように抱っこして八代さんの太ももの上に乗せようと屈む。だが、ココアはぷいっとそっぽを向くと俺を素通りした。

 そのまま、すぐに八代さんの太ももの上で丸くなる。


「……」


「一条さん、振られてしまいましたね」


 呆然と太ももで丸くなっているココアを眺めると、八代さんがちょっぴりと優越感を覗かせた。くっ……。


 ここで悔しさを滲ませるのもなんか負けた気がする。出来るだけ表情には出さないようにしながら、間を空けて八代さんの隣に座った。


 無言のまま、八代さんは楽しそうにココアを撫でている。それを眺めながらココアに振られたショックが立ち直ったところで、昼間の話題を思い出した。


「そういえば、猫カフェができたの知ってるか?」


「え、猫カフェですか。どこに?」


「駅前らしい」


「駅前ですか。それなら近いですね」


 どうやら猫カフェのことは知らなかったらしい。興味を瞳に滲ませて、八代さんはなるほどと頷く。


「ああ、休みの日とかなら簡単に行けそうだよな」


「確かにそうですね……はっ!」


「ん?」


 八代さんは何かに気付いたように顔を上げる。そしてこっちを見ながら、警戒するように俺から身体を引いた。嫌な予感がする。


「なんですか。私をデートに誘う気でしたか。ごめんなさい。お誘いは嬉しいですが行く気はありません」


「急に断るな。まだ何も言ってないからな?」


 予想通り。また妙な勘違いをし始めた。いや、分からなくはないけどね? そういう誘い方は常套句だし。


 俺が気にしない質だからいいけど、普通の思春期の男子高校生がこう何度も断られていたら死にますよ? 殺意が高すぎるって。


「別に誘ってない。昼間、そういう話題が出たから一応教えておこうと思っただけだよ」


「そうでしたか。どういう流れでそんな話に?」


「あー。もうすぐテストがあるだろ? テスト終わりにどこか行こうって話になって、行く先の話の中で出たきたんだ」


「なるほど。そういうことでしたか。てっきり猫を撫でにきているのを勘違いしたのかと」


「しないっての。猫の人って呼ばれてるのにそんな勘違いできるか」


「……そんな、ヨンデナイデスヨ?」


「カタコトだぞ?」


 指摘してやれば、気まずそうにそっぽを向いて、露骨に猫に集中し始める。

 ことごとく俺のことを振ってくる仕返しに、追及してやろうかとも思ったが、ため息を吐くだけに留めておいた。


「こんなに猫を撫でに来てるが、テストは大丈夫なのか?」


「はい。撫でてる時間は30分くらいですし、このくらいなら問題ありません。日頃から勉強していますから。逆に息抜きを出来て以前より集中出来るくらいです」


「息抜き?」


「猫撫でですよ。この癒しパワーは凄いです。売ったら確実にミリオンセラーです」


「それは八代さんだけだと思うぞ?」


 俺が撫でてもそこまで勉強に効果があったことはない。確実にあなたの重すぎる猫への愛が理由です。


 だが、八代さんは理解できないとでも言いたげに首を傾げるのみ。

 きょとんとした表情が妙に小動物っぽく、憎いくらい愛らしい。


「まあ、確かに八代さんはいつも一番だし余裕か」


「余裕、ではありませんが、少なくとも赤点とかは取ることはないですね。そういう一条さんは?」


「俺か? 正直ぎりぎり。授業中ずっと寝てたからなー。勉強も出来てないし。来月からお小遣い下がるかも」


 一学期の期末テストの時に、お母さんにはかなりこっぴどく怒られたので、今回も赤点を取るとかなりまずい。

 今更ながら、勉強してこなかったことが悔やまれる。


「せっかくだし、何かアドバイスあるならくれ」


「アドバイスと言われても、まずは勉強をしては?」

 

「そうなんだけど、一人だと勉強をやる気になれないというか。かといっていつメンだとふざけて勉強にならないし」


 そう言い訳を並べてみるが、結局自分が悪い。

 そろそろ気合を入れないと本格的にまずくなるので「今日あたりから頑張るかー」と気合なさげ心の中で呟く。


 隣を見ると、八代さんは俺の言い訳に呆れたのか、何やら静かに黙っていた。


「どうかした?」


 あまりに真剣な表情で黙っているので気になり声をかけると、八代さんは顔を上げてこちらを向く。


 そしてとんでもないことを口にした。


「良かったら、私の家で勉強教えましょうか?」


 


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