第5話 初めて

「じゃあ、ここにでも座ってくれ」


 庭に置かれているベンチに八代さんを座らせると、猫のココアが『誰?』とでも言いだけにこっちを見ながら寄ってきた。


「わぁ。猫ちゃんがきました」


 こっちに近づいてくるだけでも新鮮らしい。分かりやすく感嘆の吐息を零す八代さん。

 そんなんで喜ぶとは、今までどんなだったんだ。


 俺の足元に来てすりすりと身体を擦り付けるココアを、八代さんはじっと見つめ続ける。

 あまり表情には出ていないが、瞳が心なしか輝いているように見えた。


 ひょいっとココアを持ち上げる。


「ほら、膝の上邪魔」


「え? ちょ、ちょっと!?」


 八代さんに自身の太ももの上に置かれているリュックを退かさせる。初めて見る焦る八代さんの姿が可笑しい。

 

 急いで八代さんが膝の上を空けたのを確認して、太ももの上にココアを乗せた。


「こ、これ、どうしたら……」


 緊張のせいか挙動不審で、動きがカクカクとロボットじみていてる。


 居心地が悪いようでココアが太ももの上からこちらを見上げたが、そこにいてくれと目で訴えると、『仕方ないにゃ』と膝の上で丸く収まった。


「本当に猫ちゃんが膝の上にいます……」


 そこまで喜ぶことか?と思わなくはないが、八代さんにとっては相当新鮮なのだろう。

 じっと膝の上の猫を見つめ続ける。


「撫でたら? そのために来たんだし」


「そ、そうですね。では……」


 緊張しているようで、こくりと覚悟を決めた表情を浮かべる。ぷるぷると指先を震わせながらも手を猫へと伸ばした。


 ゆっくりと茶色の体毛に白い手が触れる。ふわりと優しく動かすと、猫の尻尾がぴくんと一度だけ動いた。


「わぁ……」


 誰に聞かせるわけでもないほど小さく零す。綺麗な瞳がぱっちりと開き、きらりと輝いた気がした。

 

 一度。二度。ゆっくりと猫の身体に手の平を這わせていく。

 撫でる度に段々と緊張が解けてきたようで、腕の強張りが弱まった。


「ふわふわしてます……」


 思わず、といった感じの声が漏れ出るのが聞こえた。相当撫で心地を気に入ってもらえたみたいだ。

 ココアも満足しているみたいで、気持ち良さそうに目を細めている。

 

 そっと八代さんの横顔を窺うと、普段の冷めた無表情はそこにはなく、ゆるりと口元を緩めて小さく微笑んでいた。


(……へぇ)


 こんな表情も出来るのか。その一欠片でも学校で見せていれば、もう少し周りとの距離も変わっただろうに。


 これまで八代さんを見ても芸術品的な美しさしか感じなかった。

 だが、今の柔らかい雰囲気の彼女には、確かにモテるのが頷けるだけの魅力があった。


 刺々しい雰囲気も近寄りづらい雰囲気もそこにはなく、ただ可憐で可愛らしい年相応の彼女がそこにはいた。


 想像以上のギャップについ興味深く眺めてしまう。


「なに見てるんですか?」


 俺の視線に気付いた八代さんがこちらを向く。

 そこにはさっきまでの微笑みはない。いるのは鋭く睨んで警戒する彼女だけ。


 ……ほんと、可愛げのないやつ。


「あ、もしかして、私の横顔に見惚れてしまいましたか? ごめんなさい。見惚れてしまうのは仕方ないかもしれませんが、狙っても付き合うことは出来ないので諦めてください」


「狙ってもないし、考えてもねえよ」


 これで本日二度目である。もう、なんか慣れてきた。

 絶対慣れる必要がない耐性が身についていっている気がする。なんだこれ。


「本当に猫が好きなんだなって思っただけだ。そんなに可愛いか?」


「なにいってるんですか。可愛いという次元ではありません。もはや天使ですよ、天使。神が人間に与えてくれた宝と言っても過言ではありません。そもそもに--」


「お、おう。分かったから落ち着け」


「……あっ」


 何言ってるか分からなかったが、とりあえず八代さんのそれが過言だということだけは分かりました。


 八代さんも自分が我を忘れていたことに気付いたのか、はっとした表情を浮かべて、僅かに頬を朱に染める。


「…………」


 気まずい沈黙が漂う。まさか、ここまで猫好きだとは。いや、まあ、それならほぼ他人の俺の提案に乗ってきたのも納得だけど。

 大丈夫? 猫をダシにされて不審者に連れてかれない? 妙な心配までしてしまった。


 どうしたものか迷っていると、八代さんがコホンッと分かりやすく咳払いを入れた。


「今のは忘れてください」


「……はいよ」


 今の衝撃は、そう簡単に忘れられるものではない。

 だが、まだ薄く頰を染めたまま睨んでくる八代さんに、頷く以外の選択肢はなかった。


 その後は、特に会話もなく時間が進んでいく。そもそもに俺たちは友達でもなんでもないので、楽しく話すことなど何もない。


 日も沈み始め、だんだんと空が薄暗くなってくる。隣では未だに楽しそうに八代さんが猫を撫で続けている。帰る気あるのだろうか?


「おい、そろそろ暗くなってきたし危ないから早めに帰れよ」


「え? もうこんな時間ですか」


 時間を確認した八代さんはいそいそと支度をしてリュック背負う。

 猫のココアも気配を感じたようで、ぴょんと八代さんの膝から降りた。


 庭先で別れるのもなんなので、一応通りの前まで一緒に歩く。


「送らなくて大丈夫か?」


「はい。送り狼になられても困るので」


「ならねえよ……」


 八代さんの頭の中で俺がどうなっているのか、一回見てやりたい。


「んじゃ。また「あの……」」


 家へと引っ込もうと思ったが、呼び止められた。


 まだなにかあっただろうか? もしかしてまた振られる? まだなにもしてないのに? 

 なんとなくそんな変なことが、脳裏に浮かんだ。


 八代さんに目を合わせると、透き通った瞳をほんのりと揺らす。「ん?」と首を傾げてみれば、少し困ったように視線を彷徨わせた。

 何か言いたげなのは伝わってきたので、そのままさらにじっと待つ。

 すると意を決したのか俺を真っ直ぐ見つめ返してきた。


「……また、猫ちゃんを撫でに来ても良いですか?」


「ああ、別にいいよ」


 なんだそんなことか。振られると思ってしておいた覚悟を返して欲しい。いや、振られるの期待しちゃってたのかよ、俺。大丈夫か?


 八代さんは分かりやすく強張っていた表情を緩める。澄まし顔だが喜んでいることは分かった。


 猫と触れ合えるだけでそんなに喜ぶとは。いや、でもあんだけ猫が好きで、これまで触れなかったのなら、当然なのかもしれない。

 つい苦笑を零してしまう。


「なに笑ってるんですか?」


「いーや、なんでもないよ」


「変な人ですね」


 訝しむように首を傾げる八代さんはどこか猫っぽく見えた。


 

 

 


 



 

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