第4話 二度目
(あんなに悪く言う必要があるのかね)
授業を終えた放課後、自宅への道を歩いている時、頭の中では昼休みの会話が繰り広げられていた。
悪意の孕んだ声。どこか醜い会話。別に舞や悠真、その他の奴らも悪い奴らではないと思う。
だが、ああいうのはついていけない。聞いていて気分の良いものでもない。貼り付けた愛想笑いも疲れた。
そっと零れて息を吐く。なぜか八代さんの影が脳裏にちらついて離れない。
気にしても仕方のないことだ。庇うほど彼女のことを知っているわけでもない。
偶々昨日、話しただけ。元々関わることのない人物。もう話すことはない。忘れよう。そう思って、家路を辿った。
まだまだ空は青い。夕方になっても陽は沈んでいない。だが、それでも夏の存在が多少引くようで、涼しく寂しげな空気が辺りに漂い始める。
夏休みに五月蠅かった蝉の音も少ない。秋の訪れはもうすぐそこまで来ているのかもしれない。
傾いた日差しを受けながら、家まであともう少しとなるところまで来た。
ふと、気付く。家の前に人影があった。遠目にじっと目を細める。
「……まじか」
----家の前には、もう関わることはないと思っていた八代さんがいた。
風に靡く髪が絹糸のようにきらきらと揺れている。八代さんのその儚げな瞳は手元の単語帳に向いていた。
近づくと、手元から視線を上げてこちらを向く。こちらを認識すると、きゅっと口元を引き結んだ。
「……何か用?」
わざわざ俺の家の前にいるのだから用があって待っていたんだろう。
俺の問いかけに僅かに瞳が揺れる。右に。左に。それから躊躇うようにしながらも、頭を下げた。
「昨日は失礼しました。勝手にこちらの想像であれこれ言ってしまい、ごめんなさい」
「ああ、昨日のね。まあ、分かってくれればいいよ」
多少不快な思いはしたが、彼女の対応も納得出来たものなので、仕方ないといえば仕方ない。
酷く責めるつもりもなかったし、何より目の前の彼女を見れば反省しているのは伝わってきた。
普段纏う刺々しさはなく、どこかしゅんと落ち込んでる。結構気にしていたらしい。
ここまで気にされると少しだけ罪悪感も湧いてくる。これ以上この話題を続けても辛いだけだろう。
首を回して周りを見渡すとちょうど猫のココアが視界に映った。
「……そういえば、猫、好きなのか?」
「猫ですか? 好きですけど何か?」
「いや、昨日構っていたから」
「ああ、なるほど。好きではあるんですが、どうにも私は猫に嫌われるみたいで、これまであまり近づけたことがなかったんです」
口惜しく残念そうに一度肩を落とす八代さん。だがすぐに、目を僅かに輝かせて顔を上げた。
「ですが、一条さんの猫は人に慣れているのか近づいてきてくれて。こんなの初めてで、つい新鮮で遊んでしまいました。もしかしてダメでしたか?」
「いや。全然。たまに他の人にも構われているしな」
「そうですか。迷惑でなかったなら良かったです」
八代さんはほっと安堵したようで、表情を少し緩めた。
「それにしてもこれまで猫が近寄ってくれなかったってことは、撫でたこともないのか?」
「はい。残念ながら。手を伸ばすと警戒されてしまうので」
「抱っこも?」
「当然です」
「ふーん。……良かったら撫でてくか?」
「はい?」
かなり猫が好きなみたいなので、気まぐれに提案してみる。
悪い奴ではないのはなんとなく分かったし、そこまで好きならと思ったのだが。
八代さんは首を傾げて目をぱちくりとさせる。それから何かに気付いたように表情をはっとさせた。
「なんですか。もしかして、猫をダシにして私との親交を深めて、あわよくばとか考えています? ごめんなさい。恋愛対象として見ていません」
「おい、勝手に振るんじゃない。そんなこと考えてないし、こっちも見てもいないっての」
ここまで潔く言われるといっそ清々しい。呆れてため息が出た。
これでも見た目は良いはずなのだが、八代さんには意味をなさないらしい。
まさか、告白してもいないのに二回も振られるとは。謎の経験値が溜まっている気がする。
「別に嫌ならいいけどさ。それで、撫でる?それともいい?」
断るならそれはそれで構わない。半分投げやりに問い掛ければ、八代さんは視線を左右に迷わせる。
昨日ほぼ初めて話したような仲だ。多分断るだろう。そう思って返事を待つと、八代さんは躊躇いながらも、ゆっくりと頷いた。
「……撫でます」
おう。まじか。どうやら相当な猫好きならしい。男の俺への警戒よりも撫でることの方が大事とは。
覚悟を決めたように口を引き結ぶ八代さんに、苦笑いを浮かべながら庭へと案内した。
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